多くの騎馬に囲まれるようにして一つの馬車がガタゴトと揺れる。
外観は平凡であるものの内装は上品でいて機能的であるこの馬車は、魔導国で用意された物だった。
長時間座っていても全くお尻が痛くならない柔らかなクッションに腰かけながら、ネイアは未だに緊張した面持ちで対面に座る人物たちを見つめていた。
ネイアの目の前に座っているのは二人の異形だった。
一人は全身が闇のような漆黒に染まった痩せこけた人型の悪魔。
細く長い手指には鋭利な爪が備わっており、その背には蝙蝠のような大きな羽が折り畳まれている。同じ使節団の聖騎士の一人の言葉によると、
ジロジロ見ていたことに気付かれたのか、唯一漆黒以外の色を持つ黄色の瞳が鋭くネイアに向けられた。
ネイアは思わずビクッと身体を震わせると、咄嗟に視線を外して悪魔の横に視線を滑らせた。
シャドウデーモンの隣に腰を下ろしていたのは、こちらも闇のような漆黒に身を包んだ細身の悪魔だった。
しかし容姿はシャドウデーモンとは全くの別物である。全体的には二足歩行の山羊のような姿だったが上半身の骨格は人間と同じであり、手も前足ではなく人間と同じ五本指を備えたものである。
聖王国を襲ってきた亜人の軍勢の中には同じく山羊の姿をしたバフォルクという種族もいるが、全体的には似ているものの、こちらはどこまでも理知的であり存在感もまるで違う。何より、こんな表現は本来ならば間違っているのかもしれないが、目の前の山羊頭の悪魔はとても美しかった。
絹のような繊細さで緩く波打つ長めの毛皮に、横に伸びた瞳孔を持つ金色の瞳。それが一つの芸術品であるかのような曲線を描いた大きな二本の角に、角の間に挟むように乗せられた見たことのない形をした漆黒の帽子。鳥の嘴のような奇妙な形の片仮面を顔の右側に被っており、民族衣装のような見たことのない漆黒の衣装を身に纏っている。肩には瑞々しく目に鮮やかな深紅の薔薇が飾られており、手にはナイフのような刃が供えられた手袋が填められていた。身に纏う全てが美しく不思議な輝きを宿しており、一目でかなりの高級品だと見てとれる。
彼こそがアインズ・ウール・ゴウン魔導国のもう一人の支配者、ウルベルト・アレイン・オードル
唯の従者でしかないネイアが何故この二人と同じ馬車に同乗しているのかというと、偏にそれはレメディオスに命じられたからだった。
魔導王との密会を終えたネイア達は、今後について詳しく話し合った。
そこで団長であるレメディオスが発言したのが、如何に災華皇という存在を利用して使い潰すかだった。
災華皇は身分的には魔導国の支配者であり王であったが、悪魔であることには変わりない。あくまでも第一の目的はヤルダバオトを倒すことではあるが、どちらも悪魔なのであれば、どちらが死んでも構わない。いや、どちらも滅んでくれるのならば、それが一番良いとまで言い放ったのだ。
しかしそのためには、まずは監視をすると共に災華皇を上手く手なずけて誘導する人物が必要だ。その役目に抜擢されたのがネイアだった。
しかし正直に言って、ネイアにとってはその役目は重責でしかなかった。
第一、唯の従者が一国の王の側仕えをするなど聞いたこともなかったし、下手をすれば相手を不快にさせて終わりである。しかしレメディオスはこの役目は今回の使節団の誰かがやるべきだと主張し、そうなるとこの使節団には女はネイアとレメディオスの二人しかいないため、必然的に引き受けられるのはネイアしかいなかったのだ。
この役目を引き受けた当初、ネイアは憂鬱でしかなかった。
先ほども述べた様に従者でしかない自分が王に仕えること自体が無理であったし、相手は人間ですらなくヤルダバオトと同じ悪魔なのだ。会ったこともなく噂すら聞かぬ悪魔の相手など自分に務まるはずがない。大きな不安と憂鬱と恐怖に支配されるネイアであたったが、しかし実際にウルベルト・アレイン・オードル災華皇に会った今では、ネイアは全く別の感情を感じていた。
ネイアは大きな窓から馬車の外の景色を眺めている山羊頭の横顔をじっと見つめた。
ウルベルト・アレイン・オードル災華皇をネイアが一言で表すなら、“不思議な悪魔”だった。もっと多くの言葉で述べるのであれば、すごく遠慮がなくて少々不躾でありながら、一方で非常に寛大でいて優しく、少しだけ可愛らしい悪魔だった。
悪魔が優しくて少しだけ可愛らしいなんてあり得ないとネイア自身も思うけれど、そう感じてしまうのだから仕方がない。
ネイアは未だウルベルトの横顔を見つめながら、この二人の強大な悪魔に初めて相見えた時のことを思い返していた。
ウルベルトがネイアたちの目の前に姿を現したのは、ネイアたち聖王国の使節団が魔導国を出発する直前の頃だった。
冬であるため未だ空も白けぬ早朝。
それでも淡い光を宿した夜の薄闇の中、まるで漂う冷気のベールをかき分けるようにして二つの人影と大きな馬車が連れだって姿を現した。
人影の一人は、密会の時にも着ていた漆黒のローブを揺らめかせたアインズ・ウール・ゴウン魔導王。そしてもう一人が、不思議な衣装や仮面を身に纏った山羊頭の悪魔だった。
密会で話していた内容と魔導王と共にいることから、恐らく彼がウルベルト・アレイン・オードル災華皇なのだろう。
別段コソコソと身を隠す訳でもフードを被って顔を隠す訳でもなく堂々と歩いてくる山羊頭の悪魔に、ネイアは大きな不安と恐怖と緊張に身体を強張らせた。
しかし突然近くから響いてきた叫び声のような雄叫びに、ネイアはビクッと大きく身体を震わせた。
何事だと見開かせた目で声の方角を見つめた瞬間、白銀の煌めきが猛スピードで視界を横切っていく。
反射的に煌めきを目で追えば、何をどう思ったのかレメディオスが雄叫びを上げながら聖剣を抜いてウルベルトに襲い掛かっていた。
咄嗟にネイアの全身から血の気が引く。
レメディオスが淡い輝きが宿る聖剣を振り下ろそうとしたその時、しかし彼女はすぐさま動きを止めた。
レメディオス自らが動きを止めたのでは決してない。
では何故かと目を凝らすネイアの視界に、多くの黒く細い何かが彼女の全身に絡みついて動きを阻害しているのが見てとれた。
一瞬紐か何かかと目を疑う。しかし、そうではなかった。
レメディオスの全身を拘束していたのは、何体もの影のような細身の悪魔たちだった。
一体どこから…と目を見開かせ、すぐに悪魔たちの全てがウルベルトの足元の影から身を乗り出すような形になっているのが目に入る。
悪魔たちに拘束されながらも鬼の形相で睨んでいるレメディオスに、ウルベルトは不思議そうに小首を傾げていた。
「……これはこれは。随分と熱烈な歓迎方法だねぇ」
聞こえてきた声は魔導王のものよりも少々皮肉的でいて抑揚が強く、とても穏やかなものだった。
しかし続いて響いてきた声は、大きな怒りにひび割れて酷く歪んでいた。
「………これは、一体どういうことだね、カストディオ団長殿?」
ネイアだけでなく聖騎士全員の血の気が更に引き、全身の肌が恐怖に粟立つ。
声の発生源は魔導王であり、眼窩の紅の灯りを薄暗い闇色に染め上げていた。
(……あっ、これ、終わった………。)
唐突に全ての終わりを悟る。それはネイアだけではなく、他の聖騎士たちも全員が感じたことだろう。
しかし勇敢にも副団長であるグスターボが冷や汗を流しながらも何とか改善修復しようとすぐさま動いた。
「おっ、お待ちを! 団長が大変失礼いたしました! 魔導王陛下のお連れ様があまりにも聖王国で暴れていた亜人に似ていたものですので、団長は混乱してしまったようです! 決して陛下やお連れ様を狙ったのでは……!!」
「………そんな言葉が通じるとでも? 我が友を外に出したのは、お前たちに襲わせるためではないのだぞ」
「そ、それは、重々承知しております……」
グスターボの顔色が蒼褪め、声も恐怖と絶望に震える。
やはり、もはや全ての希望が断たれた……と絶望感に目の前が真っ暗になる中、それを拭い去ったのは意外なことに襲われた本人であるウルベルトであった。
「まぁまぁ、落ち着きたまえよ。元より彼女たちにとって悪魔は憎むべき存在。この程度、アインズとて予想はしていただろう?」
「……しかし、予想はしていても実際にされるとなると、気分が良いものではない」
「まぁ、気持ちは分かるがね。……しかし、一度の失敗くらいは許してあげても良いのではないかね?」
人間のものではなく山羊の頭であるため判断し辛くはあるが、恐らく笑みを浮かべているのだろう。
穏やかな声音で諭すウルベルトに、魔導王も渋々ながらも許してくれ、ネイアを含む使節団全員が思わず安堵の息をついた。
しかしどうやら魔導王の使節団に対する評価と信用は一気に下がってしまったようだった。
当初、使節団と共に聖王国に向かうのは災華皇ただ一人だったのだが、災華皇の付き人兼護衛として悪魔がもう一人付いて来ることとなった。
それがウルベルトの影から出てきてレメディオスを拘束した悪魔の内の一体であり、今ネイアの目の前にいるシャドウデーモンであった。
レメディオスに対しては、用事がある時以外でウルベルトに不用意に近づかないよう接近禁止令が出されている。
しかし魔導王がここにいない今、それにどれだけの効力があるのかは甚だ疑問であり、ネイアはそのことについては極力考えないようにしていた。ウルベルト本人は全く気にしていない様子であったし、こちらが気にしすぎて逆に藪蛇になってしまっても事である。
ネイアは意識して通常通りに礼を尽くすことに勤め、ウルベルトもそれに否やは無いようで好意的に接してくれていた。
ウルベルトは馬車で移動する長い時間、怒りや不満は一切口に出すことはなく、代わりに大きな好奇心を前面に出してネイアに多くの質問を投げかけてきた。
ヤルダバオトや亜人たちの軍勢の様子や侵攻状況の情報に始まり、亜人の種類や生態、亜人や悪魔についての感情、聖騎士の存在意義や聖王国の暮らし、果ては聖王国の歴史にまで話が及び、今なおウルベルトの好奇心が尽きる気配は全くない。
ネイアとしてはレメディオスやグスターボからなるべく聖王国の情報は流さないように言われているため毎度ドギマギさせられているのだが、今のところ何とか上手く説明できているのではないだろうか。
「……む? ……あぁ、すまない。無言で退屈だったかな?」
ネイアの視線に漸く気がつき、ウルベルトが窓から視線を外して笑顔と共に気さくに声をかけてくる。
そう、ウルベルトは付き人として馬車に初めて同乗したその時から、自分に対してはずっと気さくな態度で接してくれていた。他の聖騎士たちに対してはどこまでも一人の王としての威厳が漂う態度で接しているため、恐らく自分に気を遣ってくれているのだろう。
ウルベルトからの優しさを感じる度に、ネイアはとても不思議な気分を味わっていた。
「い、いえ、失礼しました、陛下! 別に退屈であるとか、そういう訳ではないのですが……」
「ふむ。そういえば、ずっと言おうと思っていたのだが、その“陛下”というのは止めてくれないかね? どうも慣れなくてこそばゆいのだよ」
ウルベルトの言葉に、ネイアは思わず疑問に首を傾げていた。
王である彼が“陛下”と呼ばれ慣れていないはずがないだろうと思うものの、もしかしたら違った呼び方をされていたのかもしれないとすぐに思い至る。
「しかし……、それでは一体何とお呼びすれば宜しいのでしょうか……?」
「ふむ。皆から“ウルベルト”と呼ばれているから、別にそれで構わないのだが……」
「そっ、それは無理です! どうか、それだけはご容赦ください!!」
あまりにも予想外の言葉に、ネイアは思わず悲鳴交じりの声を上げていた。
同国他国に関わらず、一国の王を名前で呼ぶなど恐れ多すぎる。
自分には無理だと顔を蒼褪めさせるネイアに、ウルベルトは不思議そうに小首を傾げていた。
「……で、あれば……“閣下”かな。そちらならばまだ“陛下”よりも呼ばれ慣れているし………」
「畏まりました、災華皇閣下。これからは、そのようにお呼びいたします」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
不意の礼の言葉に、ネイアは思わずドキッとさせられた。
ウルベルトと話す中で一番心臓に悪いのは、こういったウルベルトによる不意の何気ない一言であったりする。
少なくともネイアの常識では、高い身分の者は自分よりも低い身分の者に簡単に礼を言ったりするものではない。相手が王族や貴族といった国家機関の上層部に属する者ならば尚更である。
しかしウルベルトはそうではない。
相手が自分のような唯の従者であっても、感謝を感じれば簡単に笑顔と共に礼を言い、悪いと思えば簡単に謝罪と共に頭を下げてしまうのだ。
しかし、それは決してウルベルトが考えなしであるというわけではない。
馬車の中で会話をする中で、ネイアはウルベルトがどれだけ叡智高く思慮深いかを知っている。自身の言葉や態度一つ一つに対していかに大きな意味合いが宿るのかを彼が理解していない筈がない。
現にネイア以外に彼がこういったことをしている所は見たことがなく、これに関しても恐らく自分に対して気を遣ってくれている結果なのだろう。或は平民に対しても礼を尽くすという、ウルベルトの度量の広さの現れなのかもしれない。
「……そういえば、今までは一般的なことしか聞いてこなかったのだけれど、差支えなければ、そろそろ君の事も教えてもらえるかな?」
「私の事、ですか……?」
「そう、例えば家族の事とか聖騎士の従者になった理由とか……」
「そのような話で良いのであれば、閣下」
ネイアは頭を下げながら、内心で安堵の息をついていた。個人的な話であれば、国の情報をウルベルトに流す危険性はないだろう。
ネイアはウルベルトからの問いに答えるままに、自分の未だ短い生涯についてウルベルトに話して聞かせた。
ネイアは弓兵の父と聖騎士の母を持つ一人娘だった。
聖騎士を目指すようになったのは母の影響であり、しかし非常に残念なことにネイアが母から受け継いだものは殆どなかった。どちらかと言えば父から受け継いだものの方が多く、というよりも殆どが父から受け継いだもので占められているような気がした。
父に似た凶悪な目つきに、どちらかというと器用な手先。剣よりも弓矢の方が得意であるし、普通の者よりも優れた視力や聴覚を持っている。
ならば何故父と同じ職業を選ばなかったのかというと、この凶悪な目つきのせいで何かと苦労したため、父を恨んでいたからなのかもしれない。
こんな事をつらつらと話すネイアに、何が楽しいのか、ウルベルトは小さな笑みを浮かべて聞き入っていた。
時折ネイアの話に反応するようにピクリピクリと動く山羊の平べったく長い耳が何だか可愛らしく見えてくる。
あまり凝視しては失礼にあたるだろうと必死で目を逸らすネイアに気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらぬ様子で小さな笑い声を零した。
「なるほど、なるほど。中々に楽しい人生を送っているようだねぇ」
「楽しい人生……でしょうか……?」
「どんなことであっても、変化のある人生というものはそれだけで大きな価値がある。私は最近では特にそう思うのだよ」
ウルベルトの声にはしみじみとした実感のこもった音が滲んでいた。
ネイアにとってはあまり理解できない言葉だったが、しかし不意にウルベルトはずっと中にいて、外に出ることを許されていなかったと魔導王が言っていたことを思い出した。
ずっと外に出られず中にいることを強制されていたのだとしたら、それは軟禁も同じであり、日常も変化のない平坦なものであっただろう。そう考えるのであれば、確かにどんなことであれ、変化があるということはそれだけで楽しいことであり、大きな価値があるものなのかもしれない。
例えそれが、悪魔と亜人たちの軍勢が侵攻してきたという悲惨な出来事であったとしても……。
「それにしても、両親か……。それに親子喧嘩も……。中々に羨ましいことだ」
「親子喧嘩が、でしょうか? 恐れながら、それほど良い物だとは思えないのですが……」
「そうかね? 喧嘩というのも、一つのコミュニケーションの一つだ。私は……、一度もできなかったからな……。自慢の我が息子は、喧嘩の土俵に上がる間もなく私の言葉には全て賛同してしまうし……」
笑みを浮かべているウルベルトの顔に悲しみの色が混じり、次には手のかかる子供を見つめる様な優しい苦笑へと変える。
もしかしたら、彼も自分と同じように両親を失ったのかもしれない。
しかし、子供がいると言うのは意外な言葉だった。
「お子様がいらっしゃるのですか?」
「ああ、血は繋がってはいないけれど、頭が良くてとっても優しい自慢の我が子だよ。それに、私は忠実な我がシモベたちも同様に愛しい我が子のように思っている。そして悪魔たちも……。君たちにとっては不快かもしれないが、私は悪魔という存在をとても愛しているのだよ」
優しい笑みを浮かべて何の迷いもなく言ってのけるウルベルトに、しかしネイアは何も不快には感じなかった。
確かに聖騎士や聖王国の人間の中には、ウルベルトの言う通りひどく不快に思う人もいるかもしれない。特にレメディオスは、もし今の言葉を彼女に聞かれれば、またもや斬りかかってきただろう。
しかしネイアにはどうしてもそんな風には思えなかった。
「おや、君は不快に思わないのかね?」
気にした様子もなく平然としているネイアの様子が意外だったのか、ウルベルトが不思議そうに小首を傾げてくる。
ネイアはどう答えるべきかと少しだけ迷った後、心のままに答えることにした。
「閣下は悪魔なのですから、それも当然だと思っております。しかし、もしそうであるなら、一つだけ不思議に思うことがあるのですが……お聞きしても宜しいでしょうか?」
「ああ、構わないとも。何かね?」
「聖王国に加勢するということは、亜人だけでなく悪魔とも敵対するということ。なのに何故、閣下は私どもに協力して下さるのでしょうか?」
失言にならないように気を付けながら、ネイアは疑問に思ったことを問いかけた。
ウルベルトは一瞬呆けた様に目を瞬かせると、次には可笑しそうに小さな笑い声を零した。
「君の認識は少々ずれているようだね。私が悪魔という存在に向けている感情は、君たちが人間という存在に向けている感情と同じようなものなのだよ。……君は、人間という存在が好きかね?」
次に目を瞬かせるのはネイアの番だった。
正直、人間が好きかどうかなんて考えたこともない。
しかし、好きか嫌いかで判断するならば……。
「はい、私は人間が好きです、閣下」
「そうだろうとも。しかし、人間の中には盗賊や腐敗した貴族といった、一般的に悪と定義される人間もいるだろう? 君はそう言った人間も好きになれるかね?」
「それは……少し難しいかもしれません…」
「それと同じだよ。私も、悪魔という種族は愛しているが、別に無条件に全ての悪魔を愛している訳ではない。……悪さをしている悪魔がいるのなら、同じ悪魔として、私が終わらせてあげなければならないからね」
ウルベルトの説明に、ネイアは納得して大きく頷いた。同時に、自分の考えのあまりの浅さに恥ずかしくなってきてしまう。
偏に人間と言っても、当然良い者もいれば悪い者もいる。そしてそれは、対象が悪魔や亜人であっても変わらないのだろう。
ウルベルトや魔導王や魔導国にいた亜人たちの存在がその証だ。
なのにネイア達は人間であれば自然とそう言った考えが浮かぶのに、それが亜人や悪魔になった途端にその考えも失せてしまっていた。
これ以上この王の前で愚かな様を見せる訳にはいかない…と決意を新たにする中、まるで空気を変えるかのようにウルベルトが明るい声を上げてきた。
「そういえば…、この件が解決するまでは君も私の従者として扱ってもいいのだったね」
「あっ、はい。凡庸な身ではありますが、閣下がお仕事を終えられる日まで忠実に誠心誠意働かせて頂きます」
「ならば早速、一つ協力してほしいことがあるのだよ」
ウルベルトは顔を輝かせると、マントの中に手を突っ込んで、次には大きな物をズルッと抜き出してきた。
マントの一体どこに入れていたのかと疑問に思うほどに大きな“それ”。
しかしウルベルトが握っている物を正確に見た瞬間、ネイアは頭が真っ白になって目が釘付けとなっていた。
ウルベルトの手に握られていたのは一つの弓。
漆黒の翼と純白の翼が交差して組み合わさったようなその弓は、朱金の燐光を纏って光り輝いていた。繊細でいて精巧な紋様が全体に刻まれており、芸術品のような美しさを持ちながらも一級品の武器であることが窺える。
「これはルーンという技術で作られた武器で、私が作った試作品の内の一つなのだよ。名は“イカロスの翼”。他にも剣や杖などもあるんだが、弓矢が得意ならばこちらの方が良いだろう。これを使って私を守り、かつ武器の性能を確かめてほしいのだよ」
当たり前のように差し出してくるウルベルトに、ネイアは全身が大きく震えた。
これは感動に打ち震えているのでは決してない。どちらかという恐怖に打ち震えているのだ。
こんな一目で高価だと分かるような武器など、一時手に持つだけでも恐ろしくて仕方がない。自分が持ったことで傷をつけてしまったら、一体どう弁償すればいいのだろうか……。
中々受け取らないネイアを不思議に思ったのか、ウルベルトが小首を傾げるのが目に入ってきた。
「何だね? 協力してもらえないのかな?」
ウルベルトの言葉に、ネイアはグッと言葉を詰まらせた。
その言葉は卑怯だ、と内心で泣きそうになる。
協力しないなどと言えるわけがないし、そんなことを言われては受け取らないわけにはいかないではないか……。
「…わ、分かりました。謹んで、“イカロスの翼”をお借りいたします」
ネイアは内心で弱音を吐きながらも、小刻みに震える手で何とかウルベルトから弓を受け取った。
普通の弓よりも全体的に大柄で装飾も多いためそれなりに重いだろうと思っていたのだが、手や腕に感じた重さは大したことがなく、非常に軽い。名の通り、まさに羽根のような軽さだ。加えて弓を持った瞬間に感じた力が漲ってくるような感覚に、ネイアはある種の絶望感を感じずにはいられなかった。
見た目だけがすごい弓かもしれないという一縷の希望が木っ端みじんに吹き飛んだのだ、一気に憂鬱になるのも仕方がないだろう。間違いなく超貴重で超高価な品だと確信し、ネイアは一気に気分が悪くなった。
しかしウルベルトはこちらの様子に全く気が付いていないようだった。ニコニコと満足げな笑みを浮かべ、次には何を思ったのか再びマントの中へと手を突っ込む。
続いて中から取り出したのは、宝石のような輝きを持つ、黒いアメジスト色の籠手だった。背の部分にはドラゴンの鱗のような棘が連なっており、甲の部分には“イカロスの翼”と同じような紋様が刻み込まれている。
ウルベルトはその籠手を両手で掴み直すと、それを次は横に座っているシャドウデーモンへと差し出した。
「お前も私に協力しておくれ。これを装備して、ちゃんと作動してどこまで能力が向上するのか試してくれたまえ」
ネイアの予想では、他国の者であるネイアと違ってシャドウデーモンは同国の悪魔でありウルベルトの直属の配下でもあるのだから、自分とは違って慌てることもなく受け取るだろうと思っていた。
しかしその予想は大きく外れた。
シャドウデーモンは一瞬身体を硬直させると、跳ねるようにクッションの上から降りて跪いて深々と頭を下げた。
「至高の御方であらせられるウルベルト様より賜る物は全てが至高の宝にございます。それを一介のシモベに過ぎぬ私が賜るわけには参りません!」
「おやおや、そう堅苦しく考える必要などないのだがね。それとも…、お前は私に協力してくれないのかな?」
少し悲しそうな表情を浮かべるウルベルトに、シャドウデーモンは見るからに慌てたような素振りを見せた。
オロオロと慌てる様子は、ネイアよりも強い悪魔だというのにどこか可愛らしく見えてしまう。
シャドウデーモンは少しの間どうすべきか考え込んでいたが、最終的にはネイアと同じ選択をすることにしたようだった。跪いて頭を下げたまま、恭しく両手でウルベルトから籠手を受け取る。
まるで宝物を貰った子供の様に大切そうに籠手を胸に抱きしめるシャドウデーモンに、ウルベルトは満足げな笑みを浮かべていた。
「その籠手を着けていれば、お前が敵側の悪魔と間違われることもないだろう。……いや、もう少し“証”が必要かな?」
ウルベルトは小首を傾げた状態でシャドウデーモンを凝視すると、次には再びマントの中に手を突っ込んだ。
次は一体何が出てくるのだろう…と恐怖よりも好奇心が勝り始める中、次にウルベルトが取り出したのはワイン色の一枚の布だった。
布には何かの紋様が刺繍されており、目を凝らして良く見れば、表にはアインズ・ウール・ゴウン魔導国のマークが描かれており、裏には見たことのないマークが描かれていた。
「これには“アインズ・ウール・ゴウン”と私のエンブレムがそれぞれ刺繍されている。これを身に着けておきたまえ。……そうだ、後は名も与えておこうか。お前が私の配下であることを誰もが目だけでなく耳でも分かるように」
布を押し付けるようにシャドウデーモンに渡しながら、ウルベルトがまたもや嬉々とした声を上げる。
次々と起こる予想外の出来事にネイアとシャドウデーモンが仲良く呆然とした表情を浮かべる中、ウルベルトだけが楽しそうな笑みを浮かべていた。
「………スクード……。……そう、これからお前はスクードだ。良いね?」
慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべるウルベルトに、スクードと名付けられたシャドウデーモンは小刻みに全身を震わせながら深々と頭を下げた。
「…至宝の数々をご下賜下さるだけでなく、御方自ら名まで御与え下さるとは……。この身に余る栄誉にございます」
感動に打ち震えて涙声に礼を言うシャドウデーモンに、ウルベルトは慈愛の笑みを浮かべたままそっと手を伸ばした。下げられている悪魔の頭にそっと手を置き、どこまでも優しい手つきで撫で始める。
ウルベルトもシャドウデーモンも悪魔だというのに、ネイアには目の前の光景がどこまでも美しく神聖なもののように見えた。
そして湧き上がってきた感情は、強い羨望。
上司である者に大切にされて一心に忠誠を誓うことのできるシャドウデーモンが羨ましいのか、悪魔でありながら慈愛と寛容さを持つウルベルトが羨ましいのか、それとも全く別のことが羨ましいのか、それはネイア自身にも分からない。
ただ、もはやネイアの中には二人の悪魔に対する恐怖も疑念も不安も全てが完全になくなっていることは確かだった。
アインズ・ウール・ゴウン魔導王は“陛下”呼びで、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇は“閣下”呼び……。
実は“陛下”呼びよりも“閣下”呼びの方が何となく好きだったりします(笑)
多くの方のコメントにあった『ウルベルト様が今回の魔王討伐作戦に参加した理由』については次回書く予定ですので、もう暫くお待ち頂ければと思います。