災厄の悪魔は正義を嗤う   作:ひよこ饅頭

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どうしよう……、最初に設定していた以上にオリキャラが増えてしまっている……(汗)
オリキャラ多数がお嫌いな方がいらっしゃれば、申し訳ありません……orz
タグに『オリキャラ』を追加しました。



第6話 悪魔との契約

 ウルベルトが聖王国の民たちに残酷な真理を突き付けて暫くの後。漸く騒ぎを聞きつけた幾人かの聖騎士たちが慌てたようにこちらに駆けつけてきた。

 民たちを引き取ってどこかへ連れて行く者と、ウルベルトに対応する者とに分かれ、ウルベルトの対応にまわった聖騎士は顔を真っ青にさせながら平謝りしていた。

 まぁ、相手は一国の王なのだから、当たり前の反応と対応であろう。

 しかしウルベルトは軽く手を挙げるだけで聖騎士からの謝罪を止めると、気にしていないと言って軽く微笑みさえ浮かべていた。

 何と寛容でお優しい方なのだろう……。

 そう思ったのはネイアだけではないだろう。

 慈悲の人で名高かった聖王女ならばもしかしたらウルベルトと同じように笑って許してくれたのかもしれないが、これが一般的な貴族などであったなら、こうはいかなかっただろう。使節団に加わり、多くの貴族や有力商人たちを見てきたネイアにはそれが容易に理解できた。

 だからこそ、先ほどのウルベルトに対する聖王国の民たちの態度や言動を思うと、ウルベルトに対する申し訳なさでいっぱいになる。

 出来るなら自分もウルベルトに一言でも謝罪の言葉を伝えたい。しかしそれはウルベルトの優しさに甘えているような気もして、ネイアはどうしても口を開くことが出来なかった。

 ネイアが一人で悶々と悩んでいる間に少し前に会った聖騎士が駆け寄ってきて、部屋の準備が整ったとウルベルトに伝えてくる。

 ウルベルトは一つ頷いて聖騎士の後に続いて足を踏み出すと、そこでやっと我に返ったネイアも慌ててその背を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルベルトに用意されたのは、部屋というよりも丸々一つの家だった。

 家自体の大きさはそんなに大きいものではなかったが、それでも一人の人物に用意するには些か大げさすぎるだろう。

 ウルベルトも少し呆れたような小さな苦笑を浮かべていたが、それでも無言のまま家の中へと入って内装などを確認し始めた。

 用意されたのは二階などのない小さな平屋。間取りはメインの広間のような大きな部屋を中心に、小さな部屋が二つと物置部屋が一つ連なっている。

 ウルベルトは小さな二つの部屋の内の一つを自身の部屋として決めると、寛容にももう一つの部屋をネイアの私室として与えてくれた。勿論ネイアは全力で断ったのだが、そこは綺麗に流されてしまう。仕舞いには『君は私の従者だが、四六時中私の傍に控えているわけにもいかないだろう? それに君も年頃の女の子なのだからね』と言い包められてしまい、ネイアはウルベルトの申し出を受け入れるしかなかった。

 ウルベルトに女の子扱いをされて、密かに胸が高鳴ってしまったのは秘密だ……――

 

 

「……私は少し疲れたから休ませてもらおう。バラハ嬢もゆっくりと休むと良い。ノードマン君、ご苦労だったね」

 

 自室と定めた部屋の前で、柔らかな笑みと共に唐突に暇を言い渡される。

 優しい災華皇(さいかこう)閣下のことだ、恐らくこちらを気遣って下さったのだろう。

 頭ではそう理解できるというのに、ネイアはどうにも寂しく感じる心を止めることが出来なかった。しかしネイアにウルベルトを引き留めることなど出来る筈もなく、一人扉の奥へと消えていく黒い背を黙って見送ることしかできなかった。

 スクードは警護をするように扉の前に立ち、ヘンリーも通常の任務に戻るために短い別れの言葉と共にどこかへと去って行ってしまう。

 ヘンリーとアルバはネイアとは違い一時的にウルベルトの指揮下に入っただけであるため、今後は解放軍に加わり今後の行動も自分たちとは別々になるのだろう。

 それに一層寂しさが増してしまったような気がして、ネイアは与えられた自分の部屋に戻ることもできずに、まるで道に迷った幼い子供の様に扉のすぐ横の壁際へとへたり込むように座り込んでしまった。折り畳んだ両足を両腕で抱き締め、目の前で揃えられた両膝へと軽く顔を伏せる。

 スクードも取り立てて何も言わず、何とも言えない静寂が二人の間に漂った。

 ネイアは伏せていた顔を少しだけ上げると、隣に立つ細く黒い影をチラッと見上げた。

 

「………スクード…さん……」

「……………………」

 

 ネイアの小さな呼びかけに応えたのは静寂のみ。

 しかしスクードの黄色の双眸がこちらに向けられたのを認め、ネイアは再度恐る恐る口を開いた。

 

「……スクード、さん…は、先ほど災華皇閣下が仰られていた閣下の過去のことをご存知でしたか……?」

 

 先ほどからずっと心に引っかかっていたことを口に乗せ、ネイアは思わず顔を暗く翳らせた。

 『――……悪魔である閣下にとって我々聖騎士は敵であるはず。』

 以前ヘンリーが言っていた言葉を思い出し、更に感情が沈んでいく。

 ネイアは次々に浮かんでくる嫌な考えや不安や恐怖に、思わず小さく身を震わせた。

 もし災華皇閣下のご両親を殺したのが人間だったら?

 もし、それを閣下が未だに憎く思っていたら?

 もし…、ヘンリーの言うように閣下自身も聖騎士を敵だと思っていたのだとしたら……?

 あの強い災華皇閣下のご両親が人間などに殺されるはずがないと思ってみても、しかしその考えは彼自身が言った“自分も最初から強かったわけじゃない”という言葉に容易く打ち砕かれてしまう。

 レメディオスのような……、自分の父のような強者ならば、もしかしたら可能だったのではないか、と……――

 

「………もし、閣下に憎まれていたのだとしたら……、私はどうすれば良いんでしょうか……」

 

 口から零れ出たのは、何ともか細く頼りない声音。どうしようもない喪失感や不安に押し潰されそうになり、何故かすごく怖くて仕方がなかった。

 しかしその時、不意に横に立つ存在が微かに動いたことに気が付いて、ネイアは咄嗟に顔を上げてスクードを見上げた。

 ネイアのつり上がった鋭い目と、スクードの黄色の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 

「……私はただのシモベの一人。ウルベルト様の過去は勿論のこと、恐らく御方様についての半分も私は知り得ていないのだろう」

 

 直属の配下であるスクードでさえ殆ど知ることの叶わぬウルベルト・アレイン・オードル災華皇という大きな存在。

 一瞬不思議なように感じたが、よく考えれば当然のことだった。

 ネイアとて聖王国の聖騎士見習いである従者だが、聖王女についてどのくらい知っているのかと聞かれれば、一般的なことしか答えられないだろう。ウルベルトが寛大な心で気さくに接してくれるため勘違いしてしまいそうになるが、唯の従者と統治者たる王では、これが当たり前なのだ。他国の者であれば尚更だ。

 しかしそう理解はできても、ネイアはその距離感に寂しく感じてしまう心を止められなかった。

 もっと知りたいと、もっと理解したいと、心が訴えかけてネイア自身を急き立ててくる。

 

「――……単なるシモベ風情が御方様を理解しようなど、余りに身の程知らずなこと。シモベとは至高の御方々の道具であり、所有物に過ぎない。この目に映すことを許された御身の御姿をただ見つめ、命じて下さる御声にただ従うことこそが我が身に許された全てなのだ」

 

 ウルベルトの過去など関係ない。ウルベルトが何を思い、誰を憎んでいようと構わない。もしスクード自身を疎ましく思い、死を望んだのならスクードは迷いなく自害して見せるだろう。

 あまりに狂信的な考えに流石のネイアも全てに賛同することはできなかったが、しかしかといって否定的な感情も全く湧き上がっては来なかった。

 何より、スクードの言葉によって今までのネイアの迷いは一気に吹き飛ばされた。

 そうだ、自分がここでウジウジと悩んでいても仕方がない。

 自分にとって一番大切で重要なのは“今”なのだ。今の閣下の姿を、態度を、言葉を信じればいい。

 もし裏で自分たちに不快感を持たれていたのなら心から謝罪しよう。

 もし、それさえ言って頂けないのなら、言って頂けるように……信じて頂けるように精一杯お仕えしよう。

 何より、自分たちを救うために来てくれた災華皇閣下の全てを信じたい。

 ネイアは顔を上げると、そのまま勢いよく立ち上がった。パタパタと軽く尻を叩き、服についた汚れを払い落とす。

 自分の今できることをしよう……とスクードに再び声をかけようとしたその時、不意に視界の端に映り込んできた影に気が付いてネイアは咄嗟に口を閉じてそちらを振り返った。

 駆け込んできたのは先ほど別れた筈のヘンリーで、血相を変えた様子に何かあったのかとネイアは不安に表情を翳らせた。

 

「ノードマンさん、何かあったのですか?」

「災華皇閣下に至急ご相談したいことがあるのですが……、お部屋にいらっしゃるでしょうか?」

 

 ネイアとヘンリーの二つの視線が同時にスクードへと向けられる。スクードの無機質な黄色の瞳も二人を見やると、次には踵を返して背後の扉へと振り返った。その場に片膝をついて跪くと、扉に向けて深々と頭を下げる。

 

「……ウルベルト様、ヘンリー・ノードマンが拝謁を望み来訪しております」

『………入りたまえ…』

 

 スクードの言葉から一拍後、扉の奥から穏やかな声が返ってくる。

 スクードが素早く立ち上がって扉を開けると、ネイアとヘンリーは入室の言葉と共に室内へと足を踏み入れた。

 

「っ!!?」

 

 瞬間、室内に響く息を呑む音。

 驚愕の表情を浮かべて室内を見回すヘンリーに、ネイアは思わず苦笑を浮かばせた。

 以前の洞窟のアジトの時と同じように、すっかり様変わりした室内。隅には手触りの良さそうなシーツがかけられたキングサイズのベッドが鎮座しており、その上にウルベルトが優雅に足を組んで腰を下ろしていた。

 

「どうした? 何かあったのかね?」

 

 組んでいた足を解いて立ち上がりながら、ウルベルトが穏やかに問いかけてくる。

 ネイアとスクードはすぐさま跪いて頭を下げ、ヘンリーもハッと我に返って慌てて頭を下げた。

 

「お休み中に失礼いたします。至急、閣下にご相談させて頂きたいことがございまして……」

「ふむ、相談か……。何か厄介ごとかね?」

 

 ウルベルトの言葉にヘンリーは思わずと言ったように黙り込む。

 肯定しているのと同じである彼の様子に、ネイアは不安に更に表情を翳らせ、ウルベルトは観察するように小さく目を細めさせてじっとヘンリーを見つめた。

 

「……災華皇閣下、先ほどの会議でグスターボ・モンタニェス副団長が報告していた、人質を殺して解放軍を先導したという聖騎士が見つかりました」

 

 頭を下げた状態でヘンリーが再び口を開く。

 

「………ほう……、それで?」

「はい。しかし、我々では如何ともし難く……。閣下にご相談したく参りました」

 

 何とも要領を得ぬ説明である。

 ネイアは思わず小首を傾げ、ウルベルトは大きなため息を吐き出した。

 

「それだけでは何とも言えないねぇ。その聖騎士に何があり、どう私に助けてもらいたいのか、もっと具体的に言ってくれないかね?」

「…それは……」

 

 とても言い辛そうに言いよどんだ後、小さく顔を歪めて口を閉ざす。辛そうな表情を浮かべて黙り込むヘンリーに、ネイアは傾げた首を元に戻しながら困惑した表情を浮かべた。

 彼がここまで言いよどむなど、一体何があったというのか……。

 ネイアがウルベルトとヘンリーを交互に見やる中、不意にウルベルトから再びため息の音が聞こえてきた。

 

「……はぁ…、分かった。まずはその者に会おう。案内したまえ」

「かっ、感謝します、災華皇閣下…っ!」

 

 ヘンリーが喜色を浮かべて一層深く頭を下げる。

 いつも冷静で落ち着きのあるはずの彼の思わぬ反応に、ネイアはやはり大きな不安を感じずにはいられなかった。

 ウルベルトは問題を解決するとは言っておらず、ただ原因の聖騎士に会ってみようと言っただけだ。彼もそれは分かっているだろうにここまで感謝するとは、本当に何があったというのか。

 しかし何はともあれ、ここでじっとしていては何も分からないままだ。

 ネイアはスクードにここに残っているように指示しているウルベルトに同行することを伝えると、ヘンリーの案内でウルベルトに付き従った。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 案内されたのは町の外れにある小さな建物だった。

 元々は物置か何かだったのだろう、石造りで出来たその建物は窓が少なく、屋根近くの高い部分にしかなかった。

 一つしかない扉の前には何故か見張りのように一人の聖騎士が立っている。

 ヘンリーと同じか少し若く見えるその聖騎士は、こちらの存在に気が付くと不安と困惑を綯い交ぜにしたような表情を浮かべてこちらへと駆け寄ってきた。

 

「……ノードマンさん、本当に連れてきたのですか?」

「私は本気です。それに……閣下ならば、何とかして下さるかもしれません」

「それは……。ですが、それでも……」

 

 聖騎士の青年は困惑の色を濃くしてヘンリーとウルベルトを交互に見やる。

 どうやら彼はヘンリーの知り合いのようで、ウルベルトもまた青年とヘンリーを交互に見つめていた。

 ウルベルトからの不思議そうな視線に気が付いたのか、青年は慌てて聖騎士での礼をとって頭を下げてきた。

 

「……あっ、申し訳ありません、災華皇閣下! 申し遅れました、私は聖騎士団第二部隊所属、マクラン・ペルティアと申します」

「ふむ…、私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ。君が噂の聖騎士なのかな?」

「……え…? …あっ、い、いえ、違います……!」

 

 ウルベルトが誰の事を言っているのか気がつき、青年は慌てて何度も頭を振る。それでいて気遣わし気にチラッと背後の建物を見やるのに、どうやら件の聖騎士は目の前の建物の中にいるようだった。しかしここまで来て、未だ迷うような素振りを見せるヘンリーや目の前の聖騎士に、ネイアは大きな不安の奥から苛立ちが込み上げてくるのを感じていた。

 彼らが躊躇するのは決してウルベルトを邪険にするような気持ちからではない。ここまで来てなお躊躇してしまうようなことが起こっているのだろう、と推測することなど容易くできる。

 しかし、だからと言ってここまでご足労願ったウルベルトに対して、これ以上呆れられるようなことも、こんなところで待たせるという失礼なこともしてほしくなかった。

 

「ノードマンさん、ここに件の聖騎士の方がいらっしゃるのですか?」

 

 だからこそ、わざと問いかけて彼らを言外に促す。

 これ以上閣下をお待たせするな! という思いを込めて強く見つめれば、ヘンリーもこちらの思いを汲んでくれたのか少し慌てたように大きく頷いてきた。

 

「…あっ、は、はい……、ご案内します。閣下、どうぞこちらへ」

 

 ヘンリーに促され、ウルベルトに付き従ってネイアも建物内へと進んでいく。

 警護のために外に残るマクランが扉を閉めた瞬間、人よりも鋭い嗅覚が捉えたニオイにネイアは思わず背筋を戦慄させた。

 彼女の嗅覚が捉えたのは間違いようのない鉄臭い血のかおり。それも濃さが尋常ではなく、濃厚過ぎる血生臭さにネイアは一気に気分が悪くなり、吐き気が込み上げてきた。

 

「こちらです、閣下」

 

 奥へと案内するヘンリーの顔も蒼白になっており、一目で気分が悪くなっているのが窺える。

 この建物は入り口に通じる大きな部屋と奥にある小部屋二つの計三つに区分されているらしく、ヘンリーは奥の小部屋の一つへとウルベルトたちを促した。

 部屋同士を区切っているのは質素で薄い木の扉。

 ヘンリーの手によって扉がゆっくりと開かれ、瞬間、ネイアは血のかおりが更に強くなったのを感じた。

 

「……っ!!?」

「……ほう…」

 

 扉を開いたことによって目に飛び込んできた室内の光景。

 目の前に広がる惨状とそれ(・・)に、ネイアは目を見開いて鋭く息を呑み、ウルベルトは小さな声を零した。

 室内にあったのは一つの大きな藁の山。上には大きな一枚の布がかけられており、まるで天然のベッドのようになっている。

 しかしその仮のベッドは今や悲惨な状態に成り果ててしまっていた。

 元は真っ白だったのだろう布は今や真っ赤に染め上がり、下の藁にさえ赤が染みているのが分かる。所々既に乾いて赤黒く変色している部分もあり、変に固まって歪な皺を作っていた。

 赤の正体はもしかしなくても大量の血であり、それを流した存在は悲惨な状態となった藁のベッドに力なく横たわっていた。

 仰向けに横たわっているのは三十代くらいの男。

 血が足りないのか肌は白を通り越して土気色になっており、唇も紫色になっている。服も何も纏っていない上半身には包帯が巻かれており、しかし未だに傷が塞がっていないのか大きな血のシミが幾つもできていた。

 そして何より目を引くのが男の右腕部分。

 男の右腕は肩の付け根辺りからバッサリとなくなってしまっていた。

 

「………ヘンリー、閣下を連れて来たのか…」

 

 男の傍らに屈み込んでいたアルバがこちらの存在に気が付き振り返ってくる。

 今まで男の治療をしていたのか、アルバの纏う白い神官服にも多くの血が散って染みついていた。

 

「……こ、これは…、一体何があったのですか……?」

 

 ネイアが震える声音でヘンリーとアルバに問いかける。

 ヘンリーとアルバは互いに顔を見合わせると、次には苦々しげに表情を歪めて、再び視線を横たわっている男へと戻した。

 彼らの歪められた表情には憎悪すら宿っている様にネイアには見えた。

 

「……私も、ペルティアに聞いただけなのですが…――」

 

 一言前置きをし、そしてヘンリーはマクランから聞いたという話をウルベルトとネイアへ語り始めた。

 横たわっている男の名はオスカー・ウィーグラン。

 マクラン・ペルティアと同じ第二部隊所属の聖騎士であり、先日の解放軍による捕虜収容所奪還作戦において初めに人質となった子供諸ともバフォルクを倒した聖騎士である。

 彼の先導によって多くの犠牲を払いながらも何とか潜伏していたバフォルクたちを殲滅した解放軍は、まずは未だに囚われている民たちを解放するべく行動を開始した。オスカー・ウィーグランも民を解放しようとそれに続こうとしたのだが、それを邪魔する者が現れたという。

 彼の進む道を遮ったのは、憤怒と憎悪と殺気に顔を歪めたレメディオス・カストディオ。

 彼女は人質となっていた子供を殺したオスカーを罵詈雑言に責め立て、最終的には聖騎士にあるまじき行動でありオスカーは聖騎士に相応しくないとして彼を死罪と断じた。

 未だ捕虜たちの解放も完了していない中での死罪宣言。

 加えてレメディオスは問答無用でオスカーから彼自身の剣をもぎ取ると、その剣で彼に斬りかかった。

 今彼の上半身に深く刻まれている右肩から左脇腹にかけての大きな傷が、その時の傷であるらしい。

 もし騒ぎを聞きつけたグスターボや他の聖騎士に止められていなければ、オスカーはそのままレメディオスの手によって殺されていただろう。

 グスターボと他の聖騎士たちがレメディオスを説得し、何とか死罪は免れた。しかしレメディオスはオスカーが聖騎士として相応しくないという意見を変えるつもりはなく、殺すことは諦めたものの、その代わりとして二度と剣を振るえぬようにオスカーの利き手である右腕を切り落としたのだという。

 積極的に命を奪うつもりはないが、命を救うつもりもない……。

 レメディオスは痛みに蹲るオスカーに言い捨て、他の聖騎士や神官たちにも彼を助けることを禁じて捨て置くよう命じた。

 

 

「……なんて、惨いことを…」

 

 あまりの仕打ちに、ネイアは思わず大きく顔を顰めさせた。

 ネイアからしてみれば、レメディオスのこの仕打ちの方がよっぽど聖騎士としてあるまじきものだと思えてならなかった。

 こんな状態で放置されれば、どちらにしろ死は免れない。苦しみが長引く分、こちらの方がよっぽど惨い仕打ちになっているだろう。

 何とか彼を救えないのかと見つめる中、隣に佇むウルベルトから大きなため息の音が聞こえてきた。

 反射的にウルベルトを振り仰げば、精悍な山羊頭の横顔はどこか呆れたような表情を浮かべてヘンリーやアルバを見つめていた。

 

「……それで…、君たちは私に一体何を期待しているのかね…?」

「………閣下のお力で、何とか彼を救っては頂けないでしょうか?」

「この男の傷を癒すという意味での救いであれば私にもできなくはないが……、この男の立場を救うという意味で言っているのであれば、少々難しいだろうね」

「……………………」

 

 ウルベルトの尤もな言葉に、ネイアたちは思わず黙り込んだ。悔しい思いが湧き上がってきて、今も苦しんでいるオスカーをじっと見つめる。

 

 何故あんな女が自分たちの頂点なのか……。

 

 オスカーの無残な姿を見やり、ネイアの胸にフッとそんな言葉が浮かび上がってくる。

 もしレメディオスではなくウルベルトがこの解放軍の頂点であったなら、こんな無慈悲で残酷なことをすることも、酷薄な命令を命じることもしなかっただろう。

 いや、それ以前に、ウルベルトがこの国の統治者であったなら、亜人から襲撃を受けることもヤルダバオトに良いように蹂躙されることもなかったはずだ。

 そう……、もし……ウルベルトがこの国の統治者であったなら……――

 

 

「そもそも、ユリゼン君が治療すればいいと思うのだがね……。それとも、命じられているから助けられないか?」

 

 不意にウルベルトの声が意識に入り込み、ネイアはハッと我に返った。

 知らず俯かせていた顔を反射的に上げると、ネイアはウルベルトとアルバを交互に見やった。

 

「いえ、私は既に治癒魔法を何回か施しています。しかし……、恥ずかしながら、私は第二位階までの魔法しか使うことが出来ないのです」

「ああ、なるほど……」

 

 魔法を使えないネイアにとっては第二位階の魔法を使えるだけでもすごいことなのだが、しかしその魔法でもオスカーを助けるためには不足であるらしい。かといって第三位階魔法まで使える神官がオスカーを助けてくれるかと言われれば、アルバのように簡単に力を貸してはくれないだろう。

 やはり頼みの綱はウルベルトしかいない。

 ウルベルトの優しさに縋りつくようで少し心苦しくはあるが、ネイアは真っ直ぐにウルベルトを見つめて深々と頭を下げた。

 

「災華皇閣下、無理を言っていることは承知しております。しかし、私からもお願いします。どうかこの方を救うために、お力をお貸しください……!」

「閣下、お願い致します」

 

 ネイアに続いてヘンリーとアルバも頭を下げる。

 きつく目を閉じて頭を下げ続ける中、不意に大きなため息の音が聞こえてきてネイアは反射的にビクッと身体を震わせた。

 

「………まぁ、やれるだけやってみようか」

 

 拒否の言葉を聞くのではないかと内心ビクビクする中、頭上にかけられた柔らかな声音。

 思わずバッと顔を上げれば、そこには恐らく苦笑を浮かべているのであろう少し顔を歪めたウルベルトが優しい眼差しでこちらを見つめていた。

 少しの間呆然とウルベルトを見つめ、彼の言葉を理解した瞬間に一気にぱぁっと顔が笑みの形に崩れる。

 

「あ、ありがとうございます、災華皇閣下!」

 

 ネイアは歓喜に震える心そのままに弾けるような声音でウルベルトに礼を言った。

 やっぱり閣下はお優しい……!

 やれやれとばかりに苦笑を浮かべたまま小さく頭を振るウルベルトを見やり、ネイアは改めてそう感じた。

 聡明で思慮深いウルベルトの事だ、この行動が他国の王である彼にとってどれだけリスクのあることなのか理解していないはずがない。そうであるにも拘らず、唯の従者――それも他国の従者でしかない者の願いを聞き届けようとしてくれているのだ。

 ネイアはウルベルトの優しさに感謝し、改めて頭を下げようとした。

 しかし、それはウルベルトが軽く手を挙げたことで途中で止められた。

 

「礼を言うのは早いよ、バラハ嬢。彼を救うためにはどちらにしろ聖王国側からの許可が必要だ。……それに、申し訳ないが、私は少なからず我々にメリットがない限り動かないことにしているのだよ」

「メリット、ですか……」

 

 ここで言う“我々”とはウルベルト自身や魔導国という意味だろう。

 しかし聖王国の聖騎士一人を助けることで生じる魔導国側のメリットなど何も思いつかず、ネイアは困惑の表情を浮かべてウルベルトを見つめた。

 

「まぁ、まずは許可だな。……ノードマン君、団長殿……は不味いな。副団長殿を呼んできてくれるかね?」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの命にヘンリーは一度頭を下げると、すぐに頭を上げて足早にこの場を去っていった。

 ウルベルトはその背を暫く見送った後、次にはアルバへと目を向けた。

 

「さて、では次に彼に治癒魔法をかけてくれるかな、ユリゼン君」

「し、しかし……私の魔法では……」

「別に全快にする必要はない。彼の意識が戻り、話せる状態にしてもらえれば良い」

「……わ、分かりました」

 

 アルバは困惑の表情を浮かべたものの、しかし小さく頷いてオスカーへと向き直った。

 全快せずに、意識が戻る程度に回復する。それは治癒される側からすれば残酷の何物でもなかった。

 全快していない状態で意識が戻れば、彼は傷の痛みに苛まれることになる。傷の大きさや具合などから、意識が戻ればオスカーは地獄のような痛みを味わうことになるだろう。それが分かっているからこそ、アルバも戸惑いを見せたのだ。しかしこちらが無理を言って助けを求めた以上、その言葉に従わないわけにはいかない。

 ネイア自身も大きな不安を感じながらも、しかしウルベルトを信じて口を閉ざし、アルバとオスカーを見守ることにした。

 アルバがオスカーの傍らに屈みこみ、傷の上に手を翳して治癒魔法を唱える。

 淡い翠色の光が翳した手と傷口を包み込み、数秒後、微かに開いていた男の口からくぐもった呻き声のような音が微かに零れ出てきた。

 

「………ぅぅ……、う……」

 

 血の気が引き、無表情だった顔が徐々に苦悶に歪みだし、閉じられている瞼が小刻みに痙攣しだす。

 少しでも痛みを和らげようとアルバが何度も魔法を唱え、それが功を奏したのか、男は頭を少しだけ動かしてゆっくりと瞼を開いた。

 

「……やぁ、お目覚めかね、オスカー・ウィーグラン君」

 

 ウルベルトが朗らかに声をかけ、男の目が反射的にそちらへと向けられる。

 深い海のような蒼色の瞳にウルベルトを映し込み、瞬間、まるで戦慄くように唇を震わせた。

 

「……あな、た…は……、さいかこ、う…かっか………?」

「いかにも、私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇だ。気分はどうだね?」

 

 オスカーは眼球だけを動かして周りを見回したが、最後には再びウルベルトへと目を戻した。

 

「…こ、こは……。な、ぜ……あなた…が………」

「ふむ、少々混乱しているのかな? ユリゼン君、説明してあげたまえ」

 

 必至に痛みに耐えているのだろう、時折身体を小さく震わせながらも途切れがちに問いかけてくる。

 ウルベルトに命じられてこれまでの経緯を説明するアルバに、オスカーは視線をアルバへと移して懸命に話を聞いていた。

 ここがどこなのか。オスカー自身の身に何が起きたのか。何故ウルベルトがここにいるのか。

 手短に、しかしポイントを押さえて的確に説明していくアルバに、オスカーの瞳が徐々に翳りを帯びていく。

 そして説明が終わる頃には、オスカーの顔はすっかり生気が抜け落ちた様になってしまっていた。

 レメディオスに死罪を言い渡され、斬りつけられたことは覚えていたのだろう。しかし、仲間たちが仲裁に入ったにも拘らず、まさかそのまま捨て置かれるとは思ってもみなかったに違いない。

 そしてほんの数名の仲間の手によって命は繋ぎ止められたものの、同じ仲間であるはずの他の聖騎士の多くが彼を救おうとしなかったという事実も……――

 オスカーの心境を慮り、ネイアの胸も軋むような痛みを訴えてくる。

 しかしどう声をかけていいのかが分からず、ネイアは顔を歪めて唇を噛み締めることしかできなかった。

 

「……さて、説明も終わったことであるし、早速君に質問だ。君は、私と契約するつもりはあるかね?」

 

 重い沈黙が漂う中、不意にオスカーへとかけられた声。

 気軽い声音であると同時に、その思わぬ言葉の内容にネイアだけでなくアルバやオスカーも目を見開いてウルベルトを見やった。

 

「彼女たちにも話したのだがね。私は君を救うために努力するとは約束したが、基本私は、私や魔導国にメリットがないことに対して積極的に手を貸すような優しい悪魔ではないのだよ。だから“契約”、というわけだ」

 

 まるで幼い子供を諭すように話す声音は非常に柔らかく優しい。しかし精悍な山羊の顔には悪戯気な笑みが浮かんでおり、どこかウキウキとした楽しげな雰囲気を漂わせていた。先ほどの言葉も合わさって、傍から見れば邪悪な悪魔が甘い言葉で人間を誑かしている様にも見えるかもしれない。

 しかし、その言葉がウルベルトの慈悲であることをネイアは理解していた。

 先ほど思考を巡らせた時同様、普通に考えればウルベルトがオスカーを助けて得るメリットなどありはしない。だからこそ、ウルベルトはわざと“契約”という言葉を使ったのではないだろうか。

 しかしオスカーにはウルベルトの心遣いが分からなかったようで、どこか警戒するような表情でじっとウルベルトを見つめていた。

 

「……けいやく、とは……」

「簡単に言えば、君自身だね」

「……?」

「私は君の傷を癒して命を救う。その代わり、君は今後私の従者となって私に命を捧げる。命の対価には命を……。まさにフェアだろう?」

 

 小首を傾げて同意を求めるウルベルトに、しかしこちらはどうにも頭が付いてこれていない。ウルベルトの心遣い自体は分かっても、その契約の内容にどんな意図があるのかが分からなかった。

 

(……分からなければ聞けばいい。閣下は聞けば教えてくれるだろうし、私は……閣下の事を知りたいし、信じるって決めたんだから……!)

 

 心の中で自分を奮い立たせると、ネイアは問いを発しようと口を開いた。

 しかしそれよりもオスカーが声を絞り出す方が早かった。

 

「あなたの、じゅうしゃ…に……。それは、つまり……、俺は……聖騎士では、なくなる…と……?」

「私の従者となるだけで、別に聖騎士であることには変わりあるまい。ただ、聖王国の聖騎士ではなく、私の……、延いては魔導国の聖騎士になるということだ」

「では……もう、聖王国のたみたちを……すくうことは…できない、と…?」

「私はヤルダバオトを倒し、聖王国を救うためにここにいる。その間は聖王国の民のために働くこともできるだろう。しかしその後は、私の従者として共に魔導国に来ることになる。そうなれば、聖王国の民ではなく、魔導国の民のために働くことになるだろうね」

「……………………」

 

 オスカーは口を閉ざすと、まるで考え込むように瞼をも閉ざした。

 数十秒微動だにせず、続いてゆっくりと瞼を開き再びウルベルトを見つめる。

 

「あな、たは…俺がなにを、したのか……しっている、はず……。それなのに、俺を…じゅう、しゃ…に、したいと……?」

 

 上官の意向に背いて罰せられ、放置された。

 弱き者を助け護るべき聖騎士が、弱き者を犠牲にして多くを死なせた。

 そんな聖騎士にあるまじき男を、何故従者にしたいのか……。

 言外にそう問いかけるオスカーに、しかしウルベルトはフンッと鼻で笑い飛ばした。

 

「くだらん。何かを成すためには他の何かを代償とするのが世の常。元より、戦争で犠牲を出さぬなど不可能なことなのだよ。それを覆せる者がいるとすれば、それは世の常すら捻じ伏せられる強者のみ。……力なくば、他人を救うどころか、自分の死に方すら決められない。それも分からずない物ねだりをするのは、唯の身の程知らずというものだ。私は君の判断は正しかったと思うがねぇ」

 

 ウルベルトの言葉に、オスカーは目を見開いて呆然とウルベルトを見つめる。そしてネイアもまた、ウルベルトの言葉を胸に刻みつけていた。

 ウルベルトの言葉は、恐らく今回の事だけを言っているのではないだろう。

 『力なくば、他人を救うどころか、自分の死に方すら決められない』

 この言葉に言いようのない悲しみが宿っているように思えて、ネイアは胸が切なく締め付けられるのを感じた。

 

「……お、れ……は………」

 

 オスカーが何かを言おうと声を絞り出してくる。

 しかし彼が何事かを伝えるその前に、不意に入口の方から複数の足音が聞こえてきた。

 急いたような、大きく早い二つの足音。

 反射的に入口方向を振り返れば、ちょうど後ろにヘンリーを引き連れたグスターボが室内へと入ってくるところだった。

 

「災華皇閣下! これは、一体……!」

 

 心なしか表情を蒼褪めさせながら、グスターボがこの場にいる面々を見やる。

 ウルベルトはグスターボに向き直ると、小さく目を細めさせて小首を傾げた。

 

「おや、ノードマン君から説明されていないのかね?」

「大まかなことは聞きました。しかし、これはあまりに……!」

「不躾だと?」

 

 ウルベルトの言葉に、グスターボは咄嗟に黙り込む。

 彼は決して肯定の言葉は発しなかったが、しかし無言である時点で肯定しているようなものである。

 つまり、オスカーの処遇については聖王国の問題であるため、他国の者であるウルベルトが口を挟むべきではないと言いたいのだろう。

 しかしネイアはそんなグスターボの態度が酷く気に食わなかった。

 グスターボの言っていることも分かる。国としては正しい判断であり、正しい言い分であることも理解できる。

 しかしグスターボや解放軍の統率者たちは、事ある事に聖王国の問題であるからと意見を言うことを控えていたウルベルトに対して、それを押して彼の意見を求めてきた。にも拘らず、自分たちの都合の悪いことに関しては、さも当然であるかのようにウルベルトの介入を許さないのだ。それはあまりにも都合が良すぎるのではないだろうか。

 ひどく憤りを覚えるネイアに、しかしウルベルトは全てお見通しであるかのように余裕の笑みを山羊の顔に浮かばせていた。

 

「ふむ。しかし実際のところ、別にそれほど問題ではないように思うがねぇ」

「それは……、一体どういうことでしょうか?」

 

 先ほどまでの困惑の色は鳴りを潜め、今は警戒の色が露わになる。

 解放軍の頭脳ともいうべき彼が思わず身構えてしまうほど、今目の前に立つウルベルトは自信に満ちた佇まいと底知れぬ笑みを浮かべていた。

 

「団長殿は彼に死刑判決を行い、君たちにも捨て置くように命じたのだろう? そして君たちもそれを黙認して彼を助けようとはしなかった。それはつまり、言い方は悪いが、彼を用済みとしてゴミのように捨てたのだろう? 私はそれを拾おうとしているだけなのだよ」

「……っ!!」

 

 ウルベルトの思いもよらぬ言い分に、グスターボは勿論の事、ネイアたちも言葉が出てこなかった。

 グスターボもヘンリーもアルバもオスカーも、呆れて言葉が出ないだけなのかもしれないが、しかしネイアだけは違った。

 確かに言い方はアレだが、納得せずにはいられなかったのだ。

 例えば普通に不要になったゴミを捨てたとして、そのゴミを他者が拾おうとも何も問題にはならない。捨てた時点でそれは捨てた者にとっては既に無い物であり、当然所有権もなくなるため、それに対しての発言権などあろうはずもない。

 今回オスカーは遠回しに死ぬように仕向けられ、もはや解放軍の中では亡い(無い)者となった。

 ならばウルベルトが彼を拾ったところで、何も問題はないのではないだろうか。

 

「君たちは不要なモノを捨て、私はそれを拾って再利用する。……そう、リサイクルって奴だ。君たちは彼を殺した(・・・)のだから、別に何も問題はないだろう?」

 

 とんでもない屁理屈。

 しかし、いくら屁理屈であっても、一方である意味理屈でもある。

 

「ひ、人とゴミとを一緒に考えてもらっては困ります! それに彼は仮にも聖騎士であり、団長によって死罪とされた罪人なのです!」

「では問うが、君は本当に彼が罪人だと思っているのかね? それに彼のことを聖騎士と言うが、聖騎士の頂点である団長が彼を聖騎士ではないと断じたのではなかったのかな?」

「そっ、それは……!!」

 

 思わず言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 どう返すべきかとグスターボが頭を悩ませる中、今まで成り行きを見守っていたオスカーが徐にゆっくりと口を開いてきた。

 

「………さいか、こう…かっか……」

「ん? なんだね?」

「おれを……ひろって、いただけますか……?」

「……なっ!!」

 

 オスカーの口から零れ出た申し出に、グスターボから驚愕の声が小さく聞こえてくる。

 しかしウルベルトはそれに構う様子もなく、ただ静かにオスカーを見下ろしていた。

 無言で先を促す山羊頭の悪魔に、オスカーはその言葉(・・・・)を口にする。

 

「契約、を……かわします……。おれ、は……今より、あなたさまの……聖騎士、と…なります……」

 

 何かを決心したように、翳りを帯びていた双眸に強い光を宿してオスカーがウルベルトを見上げる。

 ウルベルトは一歩二歩とオスカーへと歩み寄ると、彼の傍らにしゃがみ込んだ。鉤爪のような刃を備えたグローブに覆われた手がゆっくりと伸ばされ、オスカーの脂汗が浮いた額へとそっと先を触れさせる。

 

「……良いだろう。契約成立だ…」

 

 聖騎士と悪魔との契約。

 決してあってはならない事態に、グスターボが顔面を蒼白にして何とか止めようと声を張り上げてきた。

 

「お待ちください! 彼は聖王国の聖騎士です! それを勝手に……!!」

「その聖騎士を打ち捨てたのは、お前たちだろう?」

 

 グスターボの言葉を遮り、ウルベルトの金色の瞳が射貫くように鋭く向けられる。

 言外に、今更所有者面するな…と言っているようなウルベルトの態度に、グスターボは咄嗟に口を閉ざして黙り込んだ。

 その間にウルベルトはさっさとグスターボから視線を外し、再びオスカーへと移す。

 ウルベルトは一つ小さな息をつくと、何をするでもなく再び立ち上がった。

 

「……これより、オスカー・ウィーグランを我が忠実なる従者として認めよう」

 

 まるで契約を確かなものとするかのように、ウルベルトが高らかに宣言する。

 ネイアとヘンリーとアルバが大人しく見守り、グスターボが苦々しげに顔を歪める中、ウルベルトはもう一度小さな息をついてひょいっと肩を竦ませた。

 

「……とはいえ、私自身は治癒魔法は使えないのでね。代わりに治癒魔法が使える者を召喚するので、驚かないでくれたまえ」

 

 こちらを振り返って注意してくるウルベルトに、ネイアははっきりと頷いて見せる。

 ヘンリーとアルバも軽く礼をとって承諾し、グスターボももはや諦めた様に何も言ってはこなかった。

 

「〈中位悪魔創造・拷問の悪魔(トーチャー)〉」

 

 朗々と唱えられる詠唱。

 ウルベルトの目の前の床に魔法陣が浮かび上がり、そこから浮き上がるかのように一つの大きな影が姿を現した。

 片膝をついて跪いた状態で姿を現したのは一体の悪魔。

 体長は恐らく二メートルほどで、腕が異様に長い。肌は乳発色で、まるで紋様か何かのように多くの紫の血管が全身に浮かび上がっていた。身に纏っているのは黒い革製の前掛けと、顔を覆うマスクのみ。何とも言えない不気味な異様さが全身から醸し出されていた。

 

「……っ……!」

 

 相手は一体のみだというのに、感じられる威圧感は相当なもの。冷や汗が身体中から吹き出し、生存本能からくる悪寒が絶えず襲ってきた。

 しかし、ただ一人召喚主であるウルベルトだけが柔らかな笑みを浮かべて優しい眼差しを悪魔へと向けていた。

 

「この男を癒せ」

「畏まりました、御方」

 

 トーチャーは一層深く頭を下げると、次にはオスカーへと向き直って歩み寄っていった。咄嗟に這うように後ずさるオスカーに、しかしトーチャーは構う様子もなく一気に互いの距離を詰める。長い右腕を伸ばしてガシッとオスカーの腕を掴むと、痛みに呻き声を上げるのも構わず左腕もオスカーへと伸ばした。

 

「〈大治癒(ヒール)〉」

 

 悪魔の呟きにも似た詠唱に続き、淡い翠色の光がオスカーの全身を包み込む。

 瞬間、オスカーの身体に刻まれていた数多の傷が、全て瞬く間に癒えて消え失せていった。レメディオスによって切り落とされたはずの右腕すら、何事もなかったかのように瞬時に生える。

 あまりにも強力過ぎる魔法の効果に、ネイアは驚愕の表情を浮かべて呆然となってしまった。

 ヘンリーやアルバやグスターボ、魔法をかけられた本人であるオスカーも同じように驚愕の表情を浮かべて呆然としている。

 誰も何も言わず、身動ぎすらしない。

 静寂が支配する中、ただ一人、ウルベルトだけがゆっくりと歩を進めてトーチャーに労いの言葉をかけた。

 畏まったように臣下の礼をとる悪魔に柔らかな笑みを浮かべ、次には金色の瞳をオスカーへと向ける。

 未だ呆然となっているオスカーを見つめ、ウルベルトはうっそりとした笑みを浮かべた。

 

「……これで、君は私の忠実な従者として生まれ変わった。おめでとう、オスカー・ウィーグラン君」

 

 どこまでも柔らかく優しい声音。

 その声が、何故かネイアにはまるで自分たちを愛し守ってくれる偉大な神の声のように聞こえた。

 

 




今回、中々に無茶な難癖をつけて少々強引にことを進ませたウルベルト様……。
何故グスターボは最終的に了承(?)したのか。ウルベルト様の目的は何なのか、など。
これらは今後徐々に明らかになる予定ですので、気長に待って頂ければと思います(深々)
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