鯨が吐きし泡沫を見ず   作:木島後輩

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目覚めと児童強制労働

 ぴよぴよ。

 

 殻を破ってしばらく囀った。

 

 ぴよぴよ

 

 隣にはあの亀がいたはずだ。

 

 ぴよぴよ

 

 探さなければ、あれが僕だ、あれが俺だ、あれが私だ。

 

 ぴよぴよ

 

 どぼん

 

「あわわ! 大丈夫!?」

 

 濡れた私を掌ですくい上げたのは、1人の銀髪の少女だった。

 

 

「助命感謝する」

 

「どういたしまして……って、ひよこが喋った!?」

 

「初対面の者とは自己紹介をするものだぞ人間よ、私の名前は“ひよこ先輩”だ」

 

「それが……えーっと、私の名前は……わからないの」

 

「名無しというわけか、ふむ……ならば……“ナシ”でどうだ?」

 

「じゃあ、私のことは“ナシ”って呼んで! よろしくね、ひよこ」

 

 ◆

 

  まず感じたのは、10円玉を握ったかのような金属の匂いだった。

 

  完全に死を覚悟しておいてこうも生き残ってしまうとどうも格好がつかない、どうやら海の家か何かに運び込まれたらしい。

 

  ライフセーバー様様だな、と呟きながら目を擦り、瞼を開こうとした所でようやく違和感に気がついた。

 

「……静かすぎやしないか」

 

 ここは県内でもそこそこの人気を誇る海水浴場だ、病院に運ばれたにしても全く人の気配が無いのは違和感がある。

 

  次第に胸に染みていく違和感、焦りとも恐怖とも取れる感情が胸の内から湧いてくるのがわかった。

 

  意を決して恐る恐る───────生まれてこのかたこんな形容をする目覚めはなかったと自信を持って言える───────目を開いた。

 

「どこだよここ……」

 

 赤錆が浮いた金属製の壁、寝かせられていたのは薄いシーツが敷かれただけの簡素な寝台で、非常に寝心地が悪そうに見える。

 

  そこに寝かせられていたことに気付いたからか、遅れてやってきた腰と首の痛みに顔をしかめつつ、所々塗装が禿げた金属床に裸足をつけた。

 

  剥がれたペンキが小さく乾いた音を立てて割れ、ひんやりとした感触が伝わってくる。

 

「病院じゃあ無さそうだな、こんな不衛生な病室があってたまるか」

 

  部屋は6畳程度で、ベッドの他に調度品は空の棚しかない。

 

  服は海パンの上からバスローブのようなものが着せられていた、簡素な綿性の白無地に卸したてのようなぴっしりとした折り目がついている。

 

  頭を掻きながらこれまた錆だらけの扉に歩み寄り、材質が違うのか金属光沢が残っているドアノブに手をかける。

 

  ドアノブを捻り、甲高い金属音を鳴らしながら扉を押し開ける。

 

  まず目に入ったのは目覚めた部屋の中と代わり映えしない金属壁だった、よくよく見ると錆びたプレートに辛うじて15階と書かれているが、それ以外には何も無い。

 

  だんだん身に染みてくる非日常の気配にあてられたのか、じっとしていられない俺は、裸足で歩くにはやや辛い荒れた床を進んで行った。

 

 ◇

 

  代わり映えしない廊下を100mほど進んだその時だった。

 

「あっ……はわわわわわわ!!」

 

 可愛らしいフリルのついたデニム生地のサロペットスカートにエプロンをかけた少女が目の前に立っていた。

 日本人らしくない整った可愛らしい顔立ちで、柔らかそうな栗色の髪をボブにしている。

 

  少女はその手に抱えていた桶を取り落として大量の水を盛大にぶちまけると、何故かうずくまって震え出してしまった。

 

  怖がらせてしまったのかと思い、どこかで小さい子供と話す時は視線を合わせるべしと読んだ記憶を頼りに、とりあえず姿勢を低くして声をかけてみる。

 

「あー? 大丈夫ですかー?」

 

 びくっと、肩が跳ねたが言葉での反応がない。

 

  双方しばらくの間完全にフリーズしてしまい、気まずさよりも先に俺の脳内であるリスクが提示される。

 

「まさか外国人か……? きゃんゆーすぴーくいんぐりっしゅ?……いやまて溺れたのは太平洋沿岸だから、英語圏に流れ着く頃には確実に海の藻屑だと俺の理性が語りかけている……そこは世界共通言語かつ俺の履修科目という所がどうにかして「あぅ……すいません……取り乱してしまって」

 

「日本語かよ!」

 

 流暢に紡がれたペラペラの日本語に思わずツッコミを入れてしまう、当然といえば当然だが、この顔立ちで日本語が出てくるのは少々ギャップが大きい。

 

  ともあれ母国語が通じるなら話は早い、ライフセーバーさんやらなんやらに助命と最高の寝心地に対するお礼をしたいところだが、まずは状況確認だ。

 

「ここってどこです?」

 

「あぅ……ここは“捕鯨船”……です」

 

「ホゲーセン?」

 

 まさか鯨の密漁船に拾われたのか、太平洋沿岸部に鯨が出てから密猟が増えたと聞いたが、まさかそれに救われるとは。

 

  しかし児童労働までさせるとは業が深い、この子の怯えた態度といい、ろくな扱いを受けていないに違いない。

 

  なんとなくではあるが状況が掴めてきたがまだ不十分だ、慣れない子供との会話を続けていく。

 

「捕鯨船かぁ! ちなみにお名前聞いてもいい?」

 

「……? 今どき捕鯨船なんてこの“ピークォド”くらいですよ?」

 

「ごめん質問の仕方を間違えた……捕鯨船にはぴったりの名前だけど……俺にとっちゃ船の名前はどうでもいいんだ、ムーミナテス=マリティーマだろうとスニフ号だろうとネブカデネザル号だろうとね、俺が聞きたいのは君の名前! 君の名は!?」

 

 ついつい声が大きくなってしまった、わかりやすくびっくりした顔で硬直した少女の目がみるみるうちに潤んでいき……

 

「ひっ……ぐ……えっぐ……」

 

 泣き出してしまった、しまったと右手で顔を覆う。

 

  ぽとぽと涙を零す少女にどうしていいか分からず、通報覚悟で頭を撫でながらできる限り穏やかな声音で語りかける。

 

「ごめんて……ついつい興奮……はしてないけど目が覚めたばっかで混乱してて……」

 

 ロリコンではあるが2次と洋物専門、黄色人種の幼女はとうに諦めている。

 

  しばらくさらさらとした少女の髪を撫でて、明らかな違和感が襲う。

 

「えっと……君って日本人?」

 

 少女は顔を上げて、泣き腫らした顔を傾けて言った。

 

「……? ニホンって、どこですかぁ……? ひっく……」

 

 ◇

 

  その後5分ほど少女は泣き続けて平静を取り戻し、俺を船長の元に連れていくと言った。

 

  今は空の桶を抱えた少女───────持とうか? と言ったが妹に怒られますので、と丁重にお断りされた───────の後ろについて歩いている。

 

  目覚めてから気づいたことは2つある。

 

  ひとつは、少女は日本人ではない、本人の言葉から裏付けも取れたが、明らかに彼女の顔立ちと白い肌からして、日本人とは思えない。

 

  ふたつめに、ここはどうやら俺の思っている密猟船では無い。

 

「あっ……ここのエレベーターに乗るので止まってください……」

 

 少女が金属の昇降ボタンを押すと、待ちかまえていたかのように即座に扉が開いた。

 

  中に入ると扉の横には11個のボタンが3列、少し歩いただけではあるし、船の構造にも明るくない俺だが、一般的な密漁船は33階建てで無いことはわかる。

 

 そして決定的なのは……通路の窓の奥に広がっていた暗闇だ。

 

 軽く1mはありそうな分厚いガラス、時たま見えるエキゾチックな生き物、ここから導き出される答えは

 

「ここって……海底だったりする?」

 

「あぅ……ピークォドは対モビィ用に建造された海底プラントですよ……? あまり外の事情は分からないですけど……常識って聞いています……大丈夫ですか……?」

 

「俺は至って健康かつ正常だ、たぶん。あとそんな常識はない」

 

 よくよく考えてみれば死にかけたにも関わらず体調はすこぶるいい、意外と人間丈夫なものなのか、そこまで命の危険はなかったのか。

 

  どんどん入ってくる情報の整理は後回しにして、気まずい沈黙を作らないよう必死に話を繋いでいく、主に俺のために。

 

「俺がどうやってここに来たか知ってたりする?」

 

「……私は聞かされていません……船長に聞いてください……あの……私、なんにも知らないので……質問はお控え頂けると……嬉しいです……」

 

 申し訳なさそうに少女は答えた、どうやら本当に何も知らされていないらしい。

 

「ごめん、最後に一つだけいい? さっき聞きそびれちゃったから……名前教えて貰ってもいいかな?」

 

「あっ……わ、私は……アン……と申しますです……です……」

 

 アン、赤毛のアンがカナダの話だと記憶しているのでその辺の人なのだろうか。

 

  となるとますます日本語を話すことに違和感がある、児童誘拐強制労働マッサージ店と物騒な単語が脳裏をよぎる。

 

  もしかして自分も拉致されて、海底銭湯で強制労働させるため名前を奪われたりするのだろうか。

 木島吟次から取ってこれからお前の名前は木だ! などと言われたら目も当てられない。

 

「あの……あなたのお名前も……教えて頂けませんか……?」

 

「俺の名前は……」

 

 正直に答えるか、適当な偽名を使うか。

 

  ありえないと分かってはいながらもこのイレギュラーな事態、多少楽しんでもいいのではないか。

 

「俺の名前はエイハブやっぱやめた木島吟次!」

 

 常識を破る勇気がないのが俺、“木島吟次(きとう ぎんじ)”だった。

 

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