鯨が吐きし泡沫を見ず   作:木島後輩

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遅すぎる気付き

  青い紫陽花が一朶、傍らの机の花瓶にお行儀よく刺さっていた。

 

「皮肉かしら」

 

 そう呟くと、私は体を起こす。

 

  患者着をめくって自分の体を見ると、身体中につけられていた傷跡は腹部のものを除いて全てが綺麗に消え去っていた。

 

「エリカー! お見舞いに来たよ!」

 

 病室のドアを開けたのは“ナシ”だった、白いショートパンツに黒タイツ、カーキのアウターパーカーという出で立ちで、白銀の長髪を揺らしながらベッドの隣に座る。

 

「こら、病院なんだから静かにしないと……」

 

「この部屋にはエリカだけなんだからいいじゃん、けちー」

 

 私の注意に対し、ナシが白い頬を膨らせて不服を示した。

 

  目の前にいるのは“自分”というよりか、あたかも“妹”のようだ。

 

  機嫌を直してもらおうと点滴が付けられた左手でナシの頭を撫でると、不服な態度はどこへやら、途端に上機嫌になってもっともっとと頭を差し出して催促してくる。

 

  こんな平和な日々が、ずっと続けばいいのになと、私───────エリカ・クルーデは思うのだった。

 

 ◆

 

  また長い夢を見ていた気がするが、その記憶はすぐにとろとろ溶けてどこかに流れ出してしまった。

 

 

 

  最近では珍しく、穏やかな目覚めだ。

 

  眠気が頭に被さっていると、そう形容できる、目を開けたくなければ体を起こしたくもない。

 

「起きたらどう? もうすぐ昼だけど」

 

「……来世まで起こさないで」

 

「はぁ……想像以上に迷惑な客ね、穀潰しもいいとこだわ」

 

 せっかくの穏やかな目覚めの直後に穀潰し呼ばわりされ、ようやく頭が動き出してきた。

 

  昨晩は夕食のあと次の連絡船が来るまでここに滞在させてもらうことが決まり、疲れもあって着替えるのも忘れて早々に眠りこけてしまったのだと、次第に思い出してくる。

 

  瞼を擦りながら体を起こすと、酒に酔ったかのような目眩に襲われた。

 

「はい、おはよう穀潰し」

 

「誰が穀潰しだ……」

 

 果たしてこいつは誰なのか、聞き覚えのない声だが、話に聞くアンの妹だろうか。

 

  声の主を確認しようと、顔を向けると図らず目が合った。

 

  汚れたバンダナを巻いた頭、後ろに流された腰ほどまである黒髪、ツナギのような作業服を着た……女、だろうか?

 

「……そもそもあんた誰だよ、アンの妹さん?」

 

「スイに言ったら怒られるわよ、私はリルナオ、ここのエンジニアだけど……船長が客を起こして来いって言うんで仕方なくきたわけ」

 

 中性的な声に主張のない胸、髪の長さから察するになんとなく女性のような雰囲気があるが、どうにも確証が持てない。

 

「ん……? でも昨日船長は船にいる人は俺らだけだって……」

 

「そりゃあ人は船長とリザさんとアンとスイ……あとあんただけ。まぁ……あんたはヒトってよりヒモだけど」

 

「やたら辛辣ぅ!……って、え?」

 

 人でないなら目の前に立つこの人物は何者なのか、それを聞く前に彼女または彼は黒髪を靡かせながら背を向けて

 

「じゃ、私の役目は終わったから、下で船長が待ってるよ」

 

 それだけ言って、リルナオは部屋を出ていってしまったのだった。

 

  なんとも言えない目覚めを迎えた俺は、しばらくその場で物思いに耽っていた。

 

  改めて考えると、外界との繋がりを完全に絶たれたと言ってもいいこの状況で、俺の安否をどうやって外に知らせるべきだろうか。

 

  数日大学に行かない程度ならばまだ恐怖の2留は避けられるが、夕飯のあとの船長の話だと次の連絡船は3ヶ月後、何かしらのアクションを起こさないと25歳学生という最早ネタにも出来ない自体に陥ってしまう。

 

  仲良く浪人した中野と木村の顔が目に浮かぶ、残念ながらというべきか仲良く留年はしなかったが、真面目に就活をしていた面々であったし、遅れをとっている、という焦りを感じない訳でもない。

 

  というか、ベイカー船長らは俺の意識が戻った時点で住所や電話番号などを聞いた上で救助を呼ぶのが普通だ、なぜそうしないのか。

 

  どこからともなく再び誘拐や強制労働という不穏なワードが湧いて出て、首をもたげているような気がした。

 

 ◇

 

  俺に割り当てられた部屋はこの船で目覚めた時の部屋と広さこそ変わらないが、ある程度手入れも行き届いた空き部屋だった。

 

  備え付けのソファーベッドの他に調度品は枕元の小さな机とその上に置かれた時計のみ、ここまでくるとシンプルを通り越して殺風景といえる。

 

  昨日寝る前に貰った覚えがあるトランクに詰められた古着───────船長の若い頃のものらしい───────を漁り、海パンにバスローブもどきの珍妙な格好からこの船の制服らしい作業着に着替えた。

 

「意外と動きやすいなこれ、フンヌッ!!」

 

 丈夫な生地でありながら動きやすい、なんとなく虚空に向けて正拳突きをしてみる。

 

「……何を……されているのですか?」

 

 いつの間にか部屋の入口に立っていたアンが、奇妙なものを見るような目でこちらを見つめているのに俺は遅まきながら気がついた。

 

「あっ……これはだな……えっと……」

 

「……船長がお呼びです、参りましょう」

 

 そう言われて俺は、素直について行くほかないのであった。

 

 ◇

 

  コツコツ、コツコツ。

 

  ピークォドの5階廊下を、俺とアンは歩いている。

 

  少女の装いは昨日とさして変化がない、違いがあるとすれば寝癖で栗色の髪がアメージングな髪型になっていることぐらいか。

 

「ねぇ、アンちゃんよ」

 

「……どう……されたのですか……? キトウさん……?」

 

「夢の中でなんか……前提知識っていうのか、知らないはずなのに知ってることってない?」

 

「……そうですね……言われてみればある気がします……ニシンで出来た歯車がひたすら回っている夢を見たのですが……その歯車がニシンでできていることがわかっている時点で私には前提知識が与えられているということで……」

 

 ニシンでできた歯車に対してのツッコミは別として、とりあえず同意が得られて安堵する。

 

「うーん……まぁそういうことなんだけど。最近変な夢ばっか見るんだよなぁ……」

 

「……夢なんて、そんなものですよ」

 

 そう言いながらアンはエレベーターの前で足を止め、ボタンを押した。

 

  昨日と同じく待ち構えていたかのように扉が開き、お互い特に何も言うことなく窮屈な鉄の箱に入る。

 

  エレベーターが下がっていく音が静かに響いた。

  現状もっとも話しやすいアンに、聞いておくことがないだろうかと考えを巡らせると、程なくリルナオに関する疑問が浮かんだ。

 

「あっそうだ、リルナオって知ってる?」

 

「はい……リルナオ様がどうかしましたか?」

 

「いや、どうってことは無いんだけど、どんな人なのかなぁ……って……アン?」

 

 アンが驚愕に顔を染めている、自分が放った言葉を反芻してみるが何がいけなかったのか分からない。

 

 

「今……リルナオさんのことを……“人”って……言いました?」

 

 

  深刻そうな顔で、アンがそう聞いてくる。

 

「えっ……うん……まぁ……そう言ったよ?」

 

 それを聞いてアンは、落胆ととれる表情を浮かべて俯くと、微かな声で

 

「……そんな人だったなんて」

 

 いつも途切れ途切れのアンの言葉が驚くほど流暢に紡がれ、当の俺も驚いてしまう。

 

  どうやらとんでもない地雷を踏んでしまったようだ、なんと弁解すればよいやらわからずに固まってしまう。

 

「アンドロイドを人として扱うのが悪であると、貴方は教わらなかったのですか?」

 

 聞いた事のない声音、するすると紡がれるのは俺を咎める言葉。

 

「アンドロイド……? アン……何言って……」

 

「もう一度聞きます、“万物の創造主たる神と同じ種族である”アンドロイドを、人と扱うことが悪であると、貴方は教わらなかったのですか?」

 

 想定外の状況にもう俺の思考回路はショートしていた、もう俺はただ正直に何度も首を縦に降る他ない。

 

「……そうですか」

 

 たったそれだけ、アンが言ったところでエレベーターが1階に到着した。

 

 ◇

 

  気まずいと言う言葉で言い表せないほど険悪な空気が漂う中、俺を船長室の扉の前に案内し終えたアンはそそくさとどこかへ行ってしまった。

 

  アンドロイド、神という2つの単語が脳内でぐるぐると回っている、リルナオが人間ではなくましてやアンドロイドだと言われてもとても信じることは出来ない。

 

  少なくとも2018年現在、人間を穀潰し呼ばわりする高性能アンドロイドが開発されたなど聞いたこともない、その上神と同じ種族と言われてしまってはカルト宗教を疑うレベルだ。

 

  立ち尽くして考えていても仕方が無いと飾りっけのない扉をノックすると、まもなく扉が開き白髪の頭が覗いた。

 

「ようやく来たか、待ちくたびれたぞ」

 

 そう言ってベイカー船長は俺を部屋に招き入れると、昨日と同様応接室に俺を通した。

 

「ふむ、何かあった顔をしているな」

 

 顔に出ていたのか、内心をすぱりと見破られてしまう。

 

「船長、いくつかお聞きしたいことが」

 

「あぁ、いくらでも聞いてくれ、分からないことだらけだろうしな」

 

「じゃあお言葉に甘えて、まずは……今が何年なのか教えてくれますか」

 

「AEARTH歴3100年7月5日だ、時間もいるか?」

 

「やっちまった……なんで気が付かなかったんだ……これって要するに……」

 

 

  どうやら俺は───────“異世界転生”してしまったらしい。

 

 

「くそっ……異世界転生俺TUEEEEハーレムアンチのこの俺がまさか……異世界転生するなんて……ドッキリ大成功の看板出すなら今だぞ……信じていいんだよな……?」

 

「何をさっきからぶつぶつと……聞きたいことはそれだけか?」

 

「ちょっと待ってください……頭と心の準備が……」

 

 見るからに日本人でない人々が流暢に日本語を話し、にわかに信じられないような場所に捕鯨プラントが建てられていてアンドロイド信仰がある、ここまで要素が揃っていたにも関わらず何故気が付かなかったのか。

 

  AEARTH、EARTHというくらいなので地球と似た世界なのだろうか、大気組成や凶悪なモンスターやゴロツキの心配は無いようだが、やはり違和感があるのは言葉だった。

 

「船長、なんでもいいので文字を書いてください」

 

「唐突だな……愛しのハニー! 紙とペンをくれないか?」

 

 ベイカー船長が声を上げると、すぐに古びた分厚い本とペンを持ってリザさんが応接室に入ってきた。

 

「私を雑用かなにかだと勘違いしてないかしら、はいこれ……あとその呼び方は……」

 

「今ので33395回目だよ、ありがとう」

 

 顔を赤くしながらリザさんが退室する、まさかこの夫妻は毎回このやりとりをしているのだろうか、最早熱いを通り越して痛い。

 

  したり顔を浮かべるベイカー船長は本を開くと、ペンを素早く走らせてこちらに見せてきた。

 

  英語でも日本語でもアラビア語でもない、未知の言語がそこには記されていたのだが───────

 

「読める……読めるぞ……」

 

 そこに確かに記されている“リザ”という文字列が手に取るように理解出来た。

 

「で、俺に文字を書かせてどうするつもりだ?」

 

「ちょっと貸してくださいね……っと」

 

 何事かと疑問を浮かべる船長の手から本とペンを奪い取り、“木島吟次”と思い浮かべながらペンを走らせる。

 

  まるで自分のものでないかのようにひとりでに動いた手とペンが、見たこともない文字列を書き上げた。

 

「これ……読めます?」

 

「きとうぎんじ……お前の名前か。とても綺麗な字だな」

 

 異世界転生と言えば特殊能力、現状俺に与えられていることが確定したのはこの言語面でのサポートだった。

 

「もっと戦闘特化のやつが欲しいと思うのが男の性ではあるが……ありがたい能力だ、神様……ありがとうございます……」

 

「神に感謝とは、見た目によらずなかなか信心深いんだな」

 

 先程聞いたばかりの“神”という単語に、まだ聞かなければならないことが山ほどあることを思い出し、興奮冷めやらぬ頭を無理やり真面目な方向に持っていく。

 

「その……神についてなんですけど、知っていることを話してくれると助かります」

 

 アンのあの口ぶりからして、おそらくこの世界において“神”及びアンドロイドは神聖視されていると見ている。

 

「神……“ナシ”のことか、どこから話したものか……」

 

 ナシ、ナシ、ナシ……

 どこかで聞いた覚えがあるその名前を、何度か頭の中で繰り返した。

 

「誰でも知ってる話だが、3056年に創造神“ナシ”が復活し、なんとかっていう“H.P”の軍がその権威を奪うため反乱を起こした、すぐに鎮圧されたんだが……そのせいで秘匿されていた神の復活が明るみに出てしまってから“信者”が急増して……」

 

「ちょっとストップ、情報が多すぎて処理しきれないです……かいつまんでお願いします……」

 

「かいつまんで言うと……復活した神の信者が神と同じアンドロイドをも神格化して、差別を始めたんだ」

 

 教えてと言っておきながらなかなかに失礼な物言いだと自分でも思うが、嫌な顔ひとつせずに船長は言い直してくれた、同じ男ながら惚れてしまいそうだ。

 

「アンドロイド……そうだ、リルナオもアンドロイドなんですか?」

 

「あぁ、リルナオか……あいつはアンドロイドはアンドロイドなんだが、“ジェンダーレスアンドロイド”だ。いつの間にかここにいてエンジニアをやってれている」

 

「いつの間にか……?」

 

 ここは深海3000mにあると言ったのは他でもない、目の前に座るベイカー船長だったはずだ、偶然紛れ込むのはどう考えてもありえない。

 

「そう、“いつの間にか”だ、H.Pにエンジニアの不足を申告したらいつの間にか送られてきたのが、リルナオだ。素性がわからないとはいえ来るもの拒まずがうちのスタンスなんでね、エンジニアとしても優秀だし重宝してるよ」

 

「さっきから出てくる“H.P”って言うのは……?」

 

 

 

「……ちょっとまて、俺からもひとつ質問いいか? キトウさんよ、あんた……一体どこから来た?」

 

 当然といえば当然の問いと言える、むしろ今まで聞かれなかったのがおかしい程だ。

 

  先のアンとの一件で、俺はかなり慎重に動くべきだと思い知ったはずなのだが、今の質問がこの世界での著しい常識の欠如を赤裸々に晒してしまったようである。

 

「……」

 

 ともなれば、数多の前例……異世界転生モノのテンプレに乗っ取って、どうにかこの場を乗り切らなければならない。

 

  多くの場合、極東にある島国だとか記憶喪失だとか、異世界転生者に都合のいい社会常識があったりするものだが、ベイカー船長の口ぶりからしてそうもいかないと見える。

 

 

「まぁ、答えられないならそれでいい、はぐれ者は大歓迎だ」

 

 

 

「へ?」

 

「1度この船に乗って、同じ飯を食ったらもうお前も立派な捕鯨員だ」

 

「おいおいおい、何処の馬の骨ともしれぬ俺をそう易々と引き入れていいんですかよ!? てか傍から見たら拉致!」

 

 堂々と遭難者を仲間に引き入れようとするその言葉に動揺を隠しきれず、敬語といつもの口調がまじっておかしなことになってしまう。

 

「陸に戻りたいなら戻してやる、だがここなら飯と寝床……ついでに仕事にも困らん、俺のものだが美女も見るくらいは許してやろう、どうだ?」

 

「うぐぐ……」

 

 昨日の俺なら嬉々として受けていたであろう陸への片道切符だが、状況は大きく変わってしまった。

 

  身銭にできるものを持っていれば多少違うのだが、現状所持品は1000円そこそこの使い古した海パンと体だけである、寝食と不本意ながら職まで提供してくれるこの環境を離れる手はない───────という、こちらの身の上を完全に察してのこの言葉だろう。

 

「分かりました船長、この船で……俺を雇ってください!」

 

 最大限の誠意を込めて、“ヒモ”から“ヒラ”になるべく俺は頭を下げた。

 

「もちろんだ、頭を下げることもない、そもそも俺から持ち出した話だしな……さて、他にもお困りのことがあるんだろう?」

 

「聞きたいことはそれはもうエベレストの如く高く高く屹立してるんで……」

 

「まずはH.Pのことだったか……言うなれば世界の意志と言える、世界共通の指導者だ」

 

「世界の意志……」

 

 全世界共通の指導者となればもはや世界全体がひとつの国のような扱いなのだろうか、しかしひとつ間違えば文字通り世界を終わらせかねない危険な政治形態といえる。

 

「あくまで政治上の助言をする、という立ち位置ではあるがな、実質政治の実権の殆どを2000年以上握っている」

 

「2000年……その統治がこの船にも及んでいるってことですか?」

 

 2000年、代替わりしているのか、はたまたアンドロイドの類なのだろうか。

 

「統治が及んでいる、という言い方は正しくない。この船自体H.Pの意思で造られたものだからな、所有していると言った方が正しいだろう」

 

「造られた……」

 

「お前もここで働くなら知っておくべきだろう、ついてこい」

 

 そう言ってベイカー船長は立ち上がり、俺もその後について捕鯨船“ピークォド”の奥へと進んでいった。

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