鯨が吐きし泡沫を見ず   作:木島後輩

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か細い呼吸

  湿った空気を吸うと、錆と微かに生臭い香りが漂っている。

 

  螺旋階段を下った先に伸びる幅広の通路をひたすら進み、でたらめに長い復路を考えてげんなりし始めたところで目的地らしい場所にたどり着いた。

 

  物々しい金属ゲートの隣に設置されているカードリーダーに、ベイカー船長がカードキーをかざすと、重低音を轟かせながらゲートが開き、一気に血生臭い香りが鼻腔を満たす。

 

  案内されたのは、船の基部にあるらしい“解体場”だった。

 

  中は暗くて様子が伺えないが、吐き気を催すほどの臭いと物々しい名前から察するにろくな場所では無さそうだ。

 

  辟易しながらゲートをくぐると、自動なのか照明が点いた。

 

  広い部屋だった、部屋と言うよりもホールと言った方が適切とも言える規模だが。

 

  天井からはクレーンや束ねられた直径30cmはあるであろうケーブルが垂れ下がり、特大のベルトコンベアらしき装置がいくつも設置されている。

 

  そしてこの部屋の天井や床に所狭しと吊るされ並べられていたのは大量の骸、おそらくこれがこの船が造られた理由である“鯨”なのだろう。

 

「これが……鯨……」

 

「正式な呼称は“モビィ”っていうんだがな。ここはくさいだろうがじきに慣れるから心配すんな、それに俺達が入ることも滅多にない」

 

 勝手にシロナガスクジラのような大きさだと思っていた体躯は10m強程度、大きめのシャチくらいだろうか……とはいえ、十分大きいことに変わりはないのだが。

  体色はいわゆる鯨よりも黒っぽく、その頭から伸びた1本の鋭利な角が自らの特異性を主張している。

 

  そして例外なくその全てが腹を掻き切られ、でろりと顔を覗かせる内蔵が、流れ出た血液で床にこびりついている。

 

  小学生の頃だったか、ネットでグロ画像周回をして意味もなくグロ耐性を高めていた記憶が脳裏をよぎるも、やはり実際の腸とドバドバ流れ出た血液を見てしまうと尻込みしてしまう。

 

  そんな痛い幼少の記憶に蓋をしつつ、ふと湧いて出た疑問をベイカー船長にぶつけた。

 

「そのモビィってやつの腹をかっさばいて、どうするんですか?」

 

「こいつらは鯨のくせして深海に棲む、知性も持っていれば力もある、その根源が“モビィライト”だ、見せてやろう」

 

 そう言うとベイカー船長は懐をまさぐり、ひょいとこちらに何かを放ってきた。

 

  危うく落としかけながらもなんとかキャッチした俺は、手の中で淡く光るそれに目を奪われてしまう。

 

  骸晶というのだろうか、その青く透き通り、微光を発する美しさに見とれて、何故だか胸を締め付けられているような感覚が襲う。

 

  ベイカー船長はひょいと俺の手のひらからモビィライトをつまみ上げると

 

「綺麗だろう? こいつが鯨共に力を与えているんだが、最近はもっぱら、反物質をエネルギーとして使うために需要が高まっている」

 

 深海に棲む鯨“モビィ”、その力の根源“モビィライト”、頭の中で反復していると、ベイカー船長が少し気まずそうにしながら

 

「なぁキトウ、風呂入ったらどうだ? こう言っちゃなんだが……臭う」

 

「あっ……」

 

 海水に浸かった上昨日は風呂に入っておらず、顔も脂ぎっていてとても清潔とは言えない。

 

「風呂って……どこですか?」

 

 ◇

 

「ふぃー、極楽極楽」

 

 俺は大浴場の湯船に浸かって、ばばんばばんばんばん、ばばんばばんばんばん、と口ずさみながら、随分久しぶりに思える入浴を楽しんでいた。

 

  日光が届かない深海であるため時間感覚がいまいちつかめないが、なんとまだ昼過ぎだという、夕食後にも風呂に入ろうと密かに決意を固めつつ、次の問題について考え始めることにする。

 

  アンへの不用意な発言でリーマンショックもびっくりの株価大暴落を喫した俺は、どうにかしてアンと仲直りないしはなんらかの弁解を図りたいと考えている。

 

  異世界転生してここまで首尾良く衣食住及び職を取り付けたが、身近に明らかすぎるほどに俺に対するヘイトを滾らせた少女がいるのはお互い気分がいいものでは無い。

 

  なにより、ごくごく短い間ながらも俺に友好的に接してくれた彼女を怒らせてしまったのが、ただただ素直に申し訳なくてたまらないのだ。

 

「船長は俺が神に感謝って言っただけで信心深いって言ってたよな、信者に対してあまりよくは思ってない感じだったけど……」

 

 しかしアンを嫌っている風でもなく、髪の色や顔立ちから血が繋がっているようにも見えなかった。

 

「くっそ……船長は勘づいてたはずなのになんで聞いとかなかったんだ俺……」

 

 船長は大事な仕事があると言って、俺を大浴場に案内するとどこかへ消えてしまった、現状頼れるとすればリザさんのみである。

 

「同じ女性として有益な意見を……貰えるかな……」

 

 そう呟いてぶくぶくぶくと、顔を沈ませていると何者かが俺の頭を抑えて水中に沈ませた。

 

「あばばばばびびぶぶくぶくぶくぶぶぶ!!!」

 

 幼い頃から続けている水泳のおかげで筋力には自信があるのだが全く歯が立たない、お湯が鼻に流れ込んでヒリヒリとした痛みが走る。

 

  あえて体を沈ませて束縛を緩め、横にタッチターンの要領で抜け出し、一気に水面から飛び出す。

  野太い咳をしながら思いっきり空気を吸い込むと、正面から声をかけられた。

 

「思った通り、いい反応するね、穀潰し君」

 

「ごほっごほっげほっ!おまげほっ!リルごほっおえぇ!!」

 

「吐かないでよ? みんな使うんだし、アンとの関係がもっと悪くなるかもよ?」

 

 俺を沈めた張本人……もとい張本アンドロイドは飄々とそう言うと、何事も無かったかのように湯に浸かる。

 

  ご丁寧に胸からバスタオルを巻いており、濡れた髪を手ぐしで整え始めるリルナオに純度100%の恨みを込めて

 

「ふざっけんなよ……死ぬかと思ったじゃねぇか……ってか、ここ男湯だぞ」

 

「見たとこ水泳は得意そうだし、多少は大丈夫かなって。 あと私は男と入ろうが女の子と入ろうが気にしないからお構いなく」

 

「お構いなくつってもよ……で、なんで俺が水泳ができそうだと?」

 

「体格と……あとはだいぶ沖で溺れてたらしいし、海パンも古かったけど競泳用だったしね」

 

「まじかよめっちゃ見られてんじゃん俺……」

 

「あー……その、立派な“モノ”もね」

 

 そう付け加えられて遅まきながら股間を隠すものがないことに気がつき、甲高い悲鳴をあげながらしゃがみこんで着水、水中で体育座りのポーズになる。

 

「誰得なラッキースケベを提供してしまったが……意外と快感……? やべぇ……また新たな性癖の扉を……」

 

「はぁ……助言を与えようとしてるのにこうも調子を崩されると……」

 

「いやいや是非お願いします! 見たいなら後でもっと見せますけど?」

 

「今日は仕事があるので、遠慮しますね……」

 

「そういうことじゃ……いやそんなことはいいんだよ、で? アンについての助言ってのは?」

 

 話が右にそれ左にそれようやく本題にやってきた、リルナオはお湯に浸かって黒髪を後ろに流しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「アンの過剰なアンドロイド信仰の原因は……彼女の妹なの」

 

「スイとか言ってたっけ、そいつがどうしたんだ?」

 

「スイは鯨毒(げいどく)に冒されて寝たきりになってしまって……その現実を受け入れられないアンは、スイが最後に言った船の周りの見回りに行ってくるって言葉をずっと信じて待ってるの、でもそれじゃあ限界があった……」

 

「まぁ、精神を病んでカルト宗教入りってのは鉄板ルートなイメージがあるな」

 

「でも、スイは死んではいない、貴方が彼女から信頼を取り戻したいならスイを救うくらいのことをしないと……そのうち食事に毒でも盛られるんじゃない?」

 

「……笑えない冗談だな」

 

 豹変したアンの姿を思い出して内心冷や汗をかきながら、真面目にその方法について考える価値はあると俺は考えていた、しかし

 

「って言っても外国語学部の俺に医学……薬学か、その辺求められてもなぁ……」

 

「まぁ、気に止めておくといいわ……じゃあ……」

 

 強引に話を切り上げて立ち去ろうとするリルナオを、今朝の二の舞を踏んでたまるかと引き止めた。

 

「おおっと、俺のネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲を見た対価はでかいぜ、もうちょい話に付き合ってくれよ」

 

「ま、まぁ……いいけど……」

 

 この世界で通じるのかわからない歴史的巨砲の名に驚いたのか、俺が引き止めることを予想していなかったのか、どちらにしろ立ち上がりかけていたリルナオが困惑しつつももう一度浴槽に浸かる。

 

  流石に今のままでは情報が少なすぎる、何かしら知っていそうなリルナオからはできる限り情報を引き出しておきたい。

 

「まずはその鯨毒ってのについて詳しく」

 

 俺の問いにリルナオは顎に左手を当ててしばらく考え込むと、ひとつ大きく頷いてから話し始めた。

 

「モビィは角に毒を持っていて、その毒に触れると微量なら意識喪失、量が多ければ神経が損傷して毒を浴びた部位が動かなくなる。スイはその毒を全身で浴びてしまったから……」

 

「治療法は?」

 

「あるならとっくにやってる、今できるのは点滴と電子筋力保持治療を受けさせるくらい」

 

「……ふと疑問に思ったんだが」

 

「なに?」

 

「あんたエンジニアだろ? なんでアンとスイの事情にそこまで詳しいんだ?」

 

 純粋な疑問だった、ベイカー船長の話からも謎が多いアンドロイドだが、ここまでアンについての事情に精通しているのは奇妙に感じる。

 

「穀潰しのくせにいいとこ突くのね……ま、私の多才っぷりに驚けばいいわ、付いてきて」

 

 そう言うとリルナオは勢いよく立ち上がり、その勢いで巻いていたバスタオルが剥がれ落ちた。

 

「あっ……」

 

 美しい白い肌を晒したリルナオだが、全く恥ずかしがる素振りも見せずにバスタオルを巻き直して

 

「がっかりしたでしょ?」

 

 その体には肩や足の付け根に薄いスリットが入っており、肌は入浴しているにも関わらず白いままで、みてくれは本物の皮膚のようだが生物感が無い。

 

  乳房にあたる部位も無く、性別的な要素は髪型、口調の女性らしさ以外は皆無、ジェンダーレスアンドロイド、という言葉が記憶から浮かび上がってきた。

 

「本当に……アンドロイドなんだな……」

 

 もちろん俺も実物などこれまで見たことがないのでなんとも言えないのだが。

 

「心は人間、体はアンドロイド、まぁ体の違いなんて些細なものよ……ほら、急いで」

 

 そうリルナオに急かされて、俺は慌てて大浴場を出たのだった。

 

 ◇

 

「ここが、スイの部屋」

 

 淡白に紹介されたが、船長室のドアからは何も感じなかったのに対し、目の前の金属扉から感じる圧力に息を呑む。

 

「ってか、俺の部屋の2つ隣なのかよ……」

 

「ふーん、私はむしろ喜ぶべきだと思うけど思うんだけど」

 

「まぁいいや、入れてくれ」

 

 静かに頷いたリルナオは金属扉のドアノブを握り、引いた。

 

  他の扉は不快な甲高い金属音がなるのだが、無音で開いた扉の先にあったのは暖色の照明が室内を薄く照らす部屋だ。

 

  間取りこそ俺の部屋と変わらないが、中央には大きなベッドと傍らに点滴台が置かれ、本棚やタンスなどの調度品も揃えられている。

 

  そして中央のベッドの上に横たわる小さな人影、無言でその人影の隣に向かうリルナオの後を追う。

 

「ちょっと暗いから、明かりつけようか」

 

 そう言ってリルナオが点滴台の中ほどに付けられているリモコンらしきものを操作するとたちまち部屋が明るくなり、薄暗くてよく見えていなかった人影の姿があらわになった。

 

「この子が……スイ」

 

 背丈はアンとほぼ同じくらいで、顔立ちもよく似ているが、ショートの切りそろえられた黒髪と前髪に入った青いメッシュからどこか快活そうな印象を受ける。

 

  着せられているのは昨日俺が着せられていたバスローブもどきと同じものだが、そこから覗く点滴を受ける左腕は痛々しい程に細い。

 

「いつから?」

 

「3年前、ピークォドに大量のモビィが攻めてきたの、周辺の見回りの為に外に出ていたスイは真っ先に狙われた、増援が来た時にはもう……」

 

 しばらく無言がその場を満たし、時々聞こえるか細い呼吸が辛うじてこの少女が生きていることを知らせてくる。

  胸を思いっきり締め付けられているような感覚が襲った。

 

「……触っても」

 

「変なところ触ったら……構わないよ」

 

 リルナオは軽口を半ばで打ち切って了承した。

 

  その青色混じりの黒髪を俺は撫でた、その感触は驚くほどアンとそっくりで。

 

 ───────俺の胸中には、この少女を助けたいという切実な思いが芽生えていた。

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