「もう満足?」
「あぁ、ありがとうリルナオ、またそのうち」
部屋を出てリルナオと短い別れの挨拶を済ませると、俺は自室に向かった。
できる限り音を殺して自室の扉を開閉すると、ベッドに腰掛けて俺は文字通り頭を抱えることとなる。
どうしたら彼女を救えるのか。
ただこれだけ、もとはアンとの仲直りの為だと思っての行動だったが、何故かあの少女の顔が、腕が、呼吸が、髪の感触が、頭を離れない。
オーバーテクノロジーのこの世界の医療でさえ治療ができない毒、風呂場で思考を邪魔された分を取り返さんと俺の脳がフル回転を始め───────
「こんのクソネズミが! 待て!」
突然大声をあげながら俺の部屋のドアを開いたのはベイカー船長だった。
「船長? どうしたんですか?」
脳が一気にクールダウンし、思考の邪魔をされた苛立ちよりも先に船長の鬼気迫る様相に対して純粋に驚く。
「俺の“指”を持っていきやがったんだ……クソネズミめ……どこへ行きやがった……」
たしかにその左腕に着けられたガントレットの薬指の部分が無くなっており、金色の指輪をつけたゴツゴツとした薬指が丸見えになっている。
部屋を見回す船長だったが、殺風景な部屋には身を隠す場所も皆無である、どうやら見失ったようだ。
「手伝いましょうか?」
「いいや、それには及ばん……後でアクティブソナーで虱潰しにしてやるからな……」
何かしら手を貸したいのはやまやまだったが、生憎船長が入ってくるまで部屋の中にネズミが入ったことなど気づかなかった。
「騒がせて悪かった、昼飯がてら仕事の内容について話を詰めよう」
ただ働くということだけ決定してその後のことを全く考えていなかったことに遅まきながら気がつき、俺は首肯すると大食堂に向かった。
◇
大食堂にいたのは俺とベイカー船長、そしてリザさんだけだった。
「アンは……?」
「……残念ながら、そう気を落とすなよ」
今朝のことがあったとはいえ、明確に女性に拒絶されたという事実にはショックを受けざるを得ない。
「まぁまぁ、もともと難しい子だからねぇ……」
そう言いながらリザさんが俺と船長の前にお盆に乗った食事を置いた。
コーンポタージュのような黄色い粒の浮いたとろとろのスープ、『完全栄養食!』とでかでかと記されたエナジーバー、パンひとつ───────昨日食べた料理の中で1番味に違和感がなかった───────、そして焼いた鶏肉っぽいなにか、昨日出てきた料理でも思ったことだが、この世界に野菜はないのだろうか。
「いただきます」
両手を合わせてそう言うと、船長が訝しげな目線を送りながら
「なぁ……その、“いただきます”ってなんだ?」
「俺の故郷じゃあ命を分けてくれた生き物や、それを作った人達に対して敬意を表すために、食事の前にいただきますって言うんですよ」
「なるほどな、そんな国は聞いたことがないが素晴らしい習慣だ」
訝しげな態度から一転、感心したとでも言うような顔を浮かべて船長は俺の真似をして両手を合わせた。
元の世界の文化がどの程度この世界で浸透しているのかわからないが、もしかしたらここで仏教を説いたらブッダとして崇め称えられたりするのだろうか。
そんな荒唐無稽な妄想を断ち切って、本題を切り出す。
「じゃあ、仕事について教えて頂けますか?」
「そうだったな、仕事はずばり、モビィを狩ることだ」
「……めっちゃハードじゃないですかそれ! 時給の交渉はさせてくださいよ!?」
捕鯨船の名からどことなくお手軽捕獲を想像していた俺だが、クジラとしてはやや小さいとはいえあの巨躯と恐るべき鯨毒の脅威を知ってしまった手前、驚かざるを得ない。
「まぁまぁ、なにも訓練なしに実戦投入するわけじゃない、今この船には戦えるやつが俺とリルナオしかいない、残りはアンのような給仕係と、船の維持をしている少数のアンドロイド、だから懇切丁寧に戦い方は教えてやる……あとはお前のセンスだがな」
「ん……? 戦えるのは船長とリルナオだけって言いました? エンジニアじゃ……」
「あいつはな、一言で言えば“天才”だ、なんでも出来ると言っても過言ではない」
リルナオはもともとはエンジニアだと聞いていたが何故かスイの看病をしており、その上戦闘もできる、『私の多才っぷりに驚くといいわ』の言葉が脳裏にちらつく。
「……アンドロイドだからですか?」
「いんや、アンドロイドと人間に体以外の違いはさしあたって存在しない、太古の昔から共存してきた間柄でもある、俺は信者ではないが“神”がそうやって創ったんじゃないか?……話を戻すか」
「そうですね、すいません」
コーンポタージュもどきを口に流し込む、口当たりはまろやかで味は悪くは無いが渋みがあり塩気も強い、やはりコーンポタージュとは別物らしい。
「モビィと戦うにあたって、俺達が生身で外に出ようもんならあっという間に水圧でペシャンコになる、だから漁にはこいつを使う」
ベイカー船長はテーブルに薄いタブレット端末を置くと、画像を表示した。
「これが俺たちの第2の船、エセックスだ」
見た目は正しくパワードスーツと言った趣だ、隣に潜水艇のような形のものもあるのでトランスフォーマーさながらの変身をするのだろうか。
「なかなかに男心くすぐるフォルム……どことなくパワーローダーっぽいのが更に好感度高い……」
「エセックスは機動形態と移動形態の2つの形態がある、武装は水中用反物質弾と反物質ブレードの2種、装甲は積層耐圧装甲、よっぽど大きな群れに出くわさなければ簡単に制圧できる」
「やっべぇ……ロマンの塊……漢の夢じゃねぇか……」
パワードスーツに小難しくも直球なネーミングの武装、意外と失念されがちな防御面、全てを兼ね備えたこれを漢の夢と言わずしてなんというべきか。
「気に入ってくれたようで何よりだ、ついでに
ベイカー船長がタブレット端末の画面をスワイプして画面を切り替えると、ホログラムが表示された。
下を向いた円錐の上に長い柱が立つ、軸が長いコマのような形で、その軸の周りに等間隔に円環で繋がれた4本の円柱が接続されている、俺の知っている船からはかけ離れた形だ。
「基部に解体場、大気発生層、船長室がある。真ん中の柱は空気を循環させ、エセックスを格納し、船全体に電力を供給するまさしく生命線、こいつを守る意味もあわせて周りに居住区が置かれている。 ちなみにこの船も武装しているから単体でも十二分に戦えるようになってる」
「一生ここに住んでもいいと、俺はそう思っていた」
やっべぇ!
心の内に溢れる想いが口をついて出てしまう、しかしそれほどに今、俺は興奮していた。
「当分の間漁に出る予定はない、近いうちに訓練を始める、手始めに……」
ドン! という強い衝撃にパンが宙に舞う、テーブルに置かれたのは電話帳ほどの厚さの本が5冊と、ノートが2冊。
「勉強しような」
どこへ行っても勉強からは逃れられないのだと、俺はそう悟った。
───────不思議と嫌だという気持ちは湧いてこなかったのだが。
◇
「ふぃー、疲れたぁ……」
夕食を食べ終え、風呂にも入ってもう就寝準備万端の俺は、自室に帰るなりすぐにベッドに横になった。
あの後アンのことを考える暇もなく電話帳2冊を頭に詰め込み、エセックスなるパワードスーツ───────正式には極環境用搭乗式外部装甲というのだと教わった───────の各部名称や動作方式、メンテナンス方法、そして船長の善意からか軽い現代史をも詰め込んだ俺の頭はパンク寸前だ。
しかし、えも言えぬ充実感に包まれているのも事実だった。
『いってぇなおい! おりろ! ころすきか!』
「ん?」
掛け布団の下から何やら声がする。
もぞもぞと動き、慌てて体を起こすと、声の正体が姿を現した。
『……ったく、これだからにんげんってのは』
白いふさふさとした体毛、2つちょこんと飛び出た耳に細長い尻尾、それは───────
「ネズミ!?」
『ねずみもみたことないのかよ、おぼっちゃんかぁ? おまえ?』
「なんで喋って……いや待て、まさかこれは……」
特殊能力の影響は、動物にまで及ぶというのか。
『まさかおまえ、おれさまのいってることがわかるのか?』
「わかるわかる、もう母国語くらいにあんだーすたんど」
『ネズミでもはなせるやつはすくないってのに、おまえなかなかやるなー』
鼻で膝をちょこちょことつついてきたこの白ネズミ、言葉が通じるとはいえとても人間くさい。
「もしかしてお前って……船長の薬指を持ってったやつか?」
『あぁ……あれはな……おれさまのだいすきなぱんをよこさなかった“ばつ”ってもんよ、かえしてほしけりゃぱんをよこしなっていっといてくれよな』
「あー……ネズミと話したって言うと流石に俺の頭が疑われるんだよなぁ……」
実際自分でも信じられない、生々しい夢だとすら思える。
「お互いお前お前言い合うのもなんだ、名前教えてくれよ、俺は木島吟次」
『おいおい、かとうなにんげんとおれらねずみをいっしょにするなよ、おれさまになまえはない!』
「じゃあ俺は勝手にお前のことを“レミー”と呼ぶ、おいしいレストラン開けよレミー」
『なんだぁ? てめぇ……』
ネズミが威嚇をするのか俺の知識ではなんともいえないところだが、小さなネズミの体から放たれた気迫に息を呑んで次の言葉または攻撃に備えたが
『いいなまえじゃねぇか、とくべつにつかってやるよ』
表情からはわからないが、レミーは笑っているように思えた。
「よろしくな、レミー」
『おうともよ、きとう』
───────未だ自分が狂ってしまった可能性を否定しきれない俺だったが、恐らく世界……宇宙で初めてネズミと言語による友好関係を築くことに成功した。
◇
「とりあえず、船長の指返してくれないか?」
『いったとおり、おれさまはぱんなしじゃうごかねぇ』
「あー、そういうことなら、今俺に指を返してくれるなら、食事にパンが出たときその3分の1……いやその半分をお前にやろう」
『ほーう……きとう、おまえなかなかさくしだな……よしのんだ!』
パン半分で友好関係が築けるのなら安いものだ、喉元にちょろいなという言葉が出かけるが押し込める。
レミーはひょいとベッドから降りると、ベッドの足元に置かれたトランクの中からカチャカチャと揺れる船長の薬指を咥えて持ってきた。
「そこに隠れてたのか、気づかなかったよ」
差し出した俺の手のひらに指を置いて、レミーは誇らしげに
『まっ、せかいでいちばんかしこいねずみのなかでもいちにをあらそうほどかしこいおれさまにかかればこのていど、ぞうさもないことよ……』
「ネズミが世界一賢い?」
『にんげんさまはおれたちこそいちばんかしこいいきものだ! っておもってるだろうけどな? せかいでいちばんかしこいのはねずみ、まえにほしがほろびたときもおれたちがとりつけておいた“ほけん”のおかげでたすかったんだぞ?』
「そりゃあありがたい、話半分で聞いとくが、お前が賢いのはよくわかる」
事実、レミーとの会話に全く障害がないのは彼の───────彼女かもしれないが───────語彙の豊富さゆえだろう。
『やっぱり? かしこさにじみでてる? さっすがきとうはよくわかってるなぁ』
えっへんと聞こえてきそうなほど、胸を張るレミーに俺はダメもとで聞いてみる。
「その世界一の頭脳及び知識を貸してほしいんだが……鯨毒の治癒法、知ってるか?」
『げいどくか……またむずかしいもんをもちだしたな、せんちょーかふたつとなりのへやのあいつか?』
「船長?」
『せんちょーもこんなゆびをつけてるのはげいどくのせいだって、きいてないのか?』
「聞いてないぞ……アクセサリーの類かと……」
となるとあのガントレットは鯨毒を浴びた船長の左腕の動きを補助するものであったということであり、レミーを追う船長の様子にも納得がいく。
『まっ、おとこならじぶんのよわいところはいいたくないよな、おれさまもいたいほどわかる……で、せんちょうじゃないってことはあのおんなのこをたすけたいんだな?』
「あぁ、教えてくれれば指を返しに行きがてらパンをまるまる1個もってくる」
正直パンでなくてもなんでもすると思ったところで、どうしてここまで自分があの少女を助けることにこだわるのかと、自分で自分に疑問が浮かぶ。
『こうしてはなしができるだけで、おれさまはうれしいんだ、こんかいばっかはぱんはいいぜ……おしえてやるよ、げいどくのなおしかた』