鯨が吐きし泡沫を見ず   作:木島後輩

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薄味のポタージュ

  雨が降っていたと。

 

  幾千の氷柱(つらら)から滴るように冷たかったと、そう聞いています。

 

  寂れた港の隅に私たちは捨てられて、雨をたぷたぷと吸ったタオルの下、泣くこともせず、ただ身を寄せあって体温を分かちあっていたそうで。

 

 生を受けて1年もせず野垂れ死にかけていた私たちを拾ってくれたのは、ベイカー船長とリザさんの夫妻でした。

 

  私たち姉妹はその後、捕鯨船“ピークォド”で給仕として働くことになります。

 

「今日も可愛いね、アンたん」

 

 いつも騒がしい船内、毎日運ばれてくる大量の骸、私たち姉妹はベイカー夫妻と捕鯨員達から沢山の愛を受けて育つ

 

 

 はずだったのに

 

 

「アンに変な言葉を教えないでくれますか?」

 

「おいおいスイちゃん、そんな「だ・ま・れ」

 

 それを妹、スイは許しません。

 

「お姉ちゃんはお料理だけできればいいの……ほかの汚れた所は、全部、私が、もらうから……」

 

 スイの情報統制は厳しく、常に私は監視され続け、彼女の気に食わないことをすると罰が与えられる、ただそれに怯えて言われた通り体を動かす日々です。

 

「船の周りの見回りに行ってくる、部屋から出ないでね、お姉ちゃん」

 

 ある日、スイはただそれだけ言って私たちの部屋を出ていきました。

 

  そして、永遠に続くとさえ思えたその束縛の時間は、あまりに呆気なく終わりを迎えたのです。

 

  自然と笑いが零れてきます。

 

  私は自由だ!

 

  私は自由だ!

 

  私は自由だ!

 

  鼓動の度に高まる喜びを、私の口は数え切れないほどに言葉にしました、もう言葉であったかすら定かではありませんが。

 

  手始めに、スイが溜め込んでいた古びた本を、鍵付きの木箱を叩き壊して読み耽りました。

 

  私から知識を奪うために、妹が蓄えていた知識を3日足らずで身につけて、ようやく私の胸の中には罪悪感が

 

 ───────湧いてくるはずなどなく

 

  朝起きて髪に櫛を入れてもらえなかったり、毎日着る服を選んでもらえなかったり、毎日することを教えてもらえなかったり、自分で用を足したり、ひとりで寝たり、不便なことは多かったけれど、約束された自由に比べれば安いものだと、本気で思います。

 

  そんなことよりも、愛しくも憎い妹の世話をしなければならないのがたまらなく嫌でした───────一度だけ、3日ほど放置したらベイカーさんとリザさんにこっぴどく叱られました───────そうして、動かずとも私の自由を縛る彼女に対する憎しみは増幅していきます。

 

  ある日、とうとう妹の世話に嫌気がさしたのでアンドロイドに任せることにしました、“彼女”は快く引き受けてくれました。

 

  そしてしばらくして、私は運ばれてきた1人の男性の眠る姿を見て、こう、胸が、きゅっと……12歳にして、初恋です。

 

  読み漁った本の1つに、男は地味な女の子に近寄ってくると書いてありました。

 

  なのでわざとボソボソと話してみました、わざとらしすぎるほどに。

 

  1度突き放してみるといいとも書いてありました、少し心が痛みましたが、適当な理由をつけて彼を突き放してみました。

 

  するとどうでしょうか。

 

  私は自分の為に、彼が動いていることにこれ以上ない充足感を覚えました。

 

  そのことを思うと、もう嬉しさで胸がはちきれそうで毎晩枕を嬉し涙で濡らしてしまう有様です。

 

 ───────あぁ……ずっとこんな日々が続けばいいのに……

 

 ◆

 

『おいおきろあいぼー! あさだぞー!』

 

 髪をグイグイ引っ張られている。

 

「あと5分……5分ってわかる? 360秒……」

 

『ごふんはさんびゃくびょうだ』

 

「お前やっぱり只者じゃないな? ネズミが60進法を解して掛け算をやってのけたことに対する衝撃で目が覚めたぞ」

 

 むくりと体を起こす、このところ非常に寝起きがいいが、長い夢を見ている気がするのもセットだと言える、今日のはとびきり長い感覚だ。

 

  ピークォドにやってきて、もとい異世界転生して今日で4回目の朝、5日間過ごしてもまだ夢のような感覚がある。

 

『で、どうなんだよ、くすりのざいりょうはあつまりそうなのか?』

 

「正味、なかなか厳しいところなんだよなぁ……」

 

 ベッドの傍らに拵えたサイドテーブルに置かれたメモ書きを手に取り、その内容を頭を搔きながら読み上げる。

 

「患者の血液、鯨髭、鯨の骨片……モビィライト」

 

『“けつえき”はいくらでもとれるし……“ひげ”もおれさまがもってるけど、もんだいは“ほね”と“もびぃらいと”か』

 

「骨は……解体場に行けばなんとかなるかもしれない、モビィライトの方は船長に言ってみるか……もしくは」

 

『そのほうほうはまだはやいとおもうぜ、あいぼー』

 

「そうだな……」

 

 勉強漬けの毎日の甲斐あって、あと1週間もあればエセックスに試乗させてもらえることとなったのだが、まだまだペーペーの下の下、素人未満の俺に戦える相手ではない。

 

「ベイカー船長に言ってみるよ、ありがとな、レミー」

 

『きょうもぱん、たのむぜ』

 

 そう言ってレミーは俺のベッドの下に開いた小さな穴に入っていった。

 

  立ち上がり、肩回しをしながらここ数日で殺風景から多少シンプルに近づいた部屋を見回す。

 

  ベッドの傍らにサイドテーブル、その隣に文字通り山と積まれていたエセックスや世界史に関する本を収める本棚が置かれ、辛うじてがらんどうから1歩踏み出した……と思いたい。

 

「あー、穀潰し? 起きてるかー?」

 

 きぃい、と少しだけ開かれた扉の向こうから、聞きなれた声が聞こえた。

 

「起きてるよ、朝飯の時間か?」

 

「その通り、近頃早起きで助かるよ、じゃ」

 

 2日目以降、リルナオがモーニングコールをしてくれるようになっていた。

 

  毎朝交わされるこの短い会話、リルナオは朝食に来るでもなく、ただ俺を起こしに来てはどこかに消える。

 

「ほんと、よくわかんないやつだな」

 

 そう呟いて、俺は大食堂に向かった。

 

 ◇

 

「養ってもらってる身の上で、とてもいいにくいんですけど……」

 

「なんだ? 同じメニューは嫌か?」

 

 向かいに座るベイカー船長がパンを齧りながら言った。

 

  そんなつもりはとぶんぶん手を振り回して否定すると、女性陣不在のためか、俺は嫌なんだがなと堂々と船長は言ってのける。

 

  今日は大食堂に俺と船長の2人だけだ、リザさんは洗濯や事務仕事に追われているらしい、アンは2日目以来顔も見ていない。

 

  相変わらずといえば船長の言う通り、目の前の盆の上に置かれている献立もだった。

 

  コーンポタージュもどき、『ただ一つの完全栄養食はこれ!』とでかでかと記されたエナジーバー───────野菜の栄養はこれで摂るらしい───────そしてパンひとつ。

 

  特にポタージュもどきは誇張ぬきに飲む度味が薄くなる、心なしか他の品も薄味に感じるほどだ。

 

「これって誰が作ってるんですか?」

 

「アンが朝に作り置きしていたみたいだな、厨房に置いてあったのを温め直して運んできた」

 

「そこまで関わりたくないかぁ……やっぱショックだな……」

 

「しかも俺の分には船長へっていう書き置きまで……まぁ、そう気を落とすなよ」

 

 やはり女性からのあからさまな拒絶というものは男として心にくるものがある、相手が幼い少女となればそのダメージも甚大である。

 

  朝から気落ちしながら俺はマグカップに入ったコーンポタージュもどきを口に運び

 

「あっつ!」

 

 あまりの温度にマグカップを取り落とし、お盆の上に盛大にぶちまけてしまった。

 

「あぁ、すまんすまん、温めすぎたか……」

 

「いえいえ、俺の注意不足です。布巾取ってもらえますか?」

 

 わかったと頷いて、船長が厨房に走って消える。

 

「流石のレミーも、ポタージュ漬けのパンは嫌かな……」

 

 クリーム色に染まったパンを見ながら俺は呟いた。

 

  服も尋常でない被害を被ったため動くに動けなかったとはいえ、船長を使い走りにしたことに対して申し訳ない気持ちだ。

 

「待たせたな、悪かった」

 

 布巾を受け取って作業着に付いた大小様々な粒を拭き取り、盆にぶちまけたポタージュも極力綺麗に拭き取った。

 

「ちなみに、テーブルの後片付けもアンがやってたり……」

 

「そういえばそうだった覚えがある……まぁ俺が片付けておくが、お前飯足りるか?」

 

「今日はそんなに動く予定もないですし、エナジーバーがあれば問題ないです」

 

 エナジーバーの袋を破ってパサパサのブロックフードを齧る、食感と味はどことなく某バランス栄養食に似ている。

 

「ならいいんだが……そうだ、言っておくことがあった」

 

 船長は俺の前に座り直して、ガントレットが付けられた左腕を見せながら

 

「最近頑張ってるし、なにより“指”の件がある、なにか俺からお礼を兼ねて贈り物をさせてもらいたい、なにか欲しいものあるか?」

 

 ここまでトントン拍子に事が進むとは、もちろん俺はこう答えた。

 

「モビィライト……分けてくれますか?」

 

 ◇

 

「レミー? パンだぞー」

 

 ドアを開閉音を最小限に留めながら開き、俺は同居しているネズミの名を呼んだ。

 

『ぱんっていったか? まってたぜあいぼー!』

 

 電光石火と言うべき速さでベッドの下から飛び出てきた小さな白いネズミ、レミーは俺が手に持ったパンを要求するように、足首を鼻先でつんつんとつつく。

 

「ほれ、今日は“ワケアリ”でまるまる1個だ」

 

 無邪気に飛び跳ねてパンを催促するレミーを落ち着けながら、ベッドに腰掛けた。

 

  もちろんワケとはポタージュの一件であるが、ワケを聞いてくる様子もないので素知らぬ顔でパンを傍らに置く。

 

  嬉々としてレミーはパンを1口齧るや否や

 

『うぇえ! おまえ! どくもりやがったな!?』

 

「なっ、そんなことするわけないだろ!? ポタージュもどきをこぼしただけだ!」

 

『ぽたーじゅもどき?』

 

「毎日出るんだよ、コーンポタージュみたいな謎汁、飲むたび味が薄いんで水で薄めてんのかと……」

 

『ばっかやろう! にどとのむな! ころされるぞ!』

 

「コロサレル?」

 

 告げられた言葉をすぐに飲み下せずオウム返ししてしまう。

 

『こいつにぁ……“げいどく”が混ぜられてる……ころすきがあるのかないのかほんのすこしだけ、あいぼーのみかくがおかしくなったのはそのせいだ』

 

「なっ……」

 

 そんなはずは。

 

 ───────そのうち食事に毒でも盛られるんじゃない?───────

 

 ───────アンが

 

  いつかのリルナオの言葉が頭の中で反響した。

 

「それじゃ……それじゃあ……」

 

『じゅっちゅーはっく、あのこだろうな……』

 

「そこまで俺を嫌ってんのかよ……アン……」

 

 打ちひしがれる俺に、レミーが心配そうに声をかける。

 

『どうするよ? あいぼー……』

 

「いいや……大丈夫だ、“これ”があれば明日からは元通りだ……」

 

 俺はポケットをまさぐって2つのものを掴むと、レミーに見せつけた。

 

『あまりにもあっさりことがはこびすぎて、おれさまもしんぱいになるぜ……さっそく“くすり”、つくるか』

 

 ◆

 

 だめ

 

 だめ

 

 だめ

 

 貴方はなんてことを

 

 貴方であってもそれだけは

 

「あとは……“患者の血液”か」

 

 盗聴器から聞こえてくる甘い声、彼は部屋の中で1人でぶつぶつと話す癖があります。

 

  はじめこそずっと彼の声が聞こえて幸せでしたが、毎日聞いているうち私にはわかりました、彼が許されざる行為に及ぼうとしていると。

 

  私から彼に言えばいいだけの話なのです、いっそ胸の内のこの気持ちも全てさらけ出してしまえばいいのに、私にはそれが出来ないのです。

 

「ついてきてくれレミー、女の子は傷つけないっていう俺の信条の一つを破る様を見せてやるよ……待てよ、もう破ってるからこんなことを……」

 

 彼の心、彼の関心、その先に私が居る今の状況を、どうしても……壊したくない。

 

 扉が閉まる音、近づいてくる足音。

 

  部屋の前で立ち止まり、今……部屋の扉が開かれ

 

  私は、手に握りしめたフライパンを振り抜きました。

 

  力なく倒れ込む彼、その顔はあの時と同じで。

 

「あぁ……それでいいの……それで……」

 

 彼の大きな胸を抱きしめてみます、暖かな体温が私の胸に染みていくようです。

 

「全く……世話の焼ける穀潰しね」

 

 どうして

 

「口閉じたらどう?」

 

 どうして

 

「……まぁ、穀潰しにしては頑張ったんじゃない? 大根役者の茶番に私が乗っかったってのもあるけど」

 

「どうして……お前がっ……なんで……」

 

 目の前に立つアンドロイドに向かって私は思い切り駆け出し、握り直していたフライパンでその顔を捉えようとしましたが、足首を掴まれて転んでしまいました。

 

「行かせねぇよ……アン」

 

 あぁ……暖かい手だなぁ……でも

 

「どうして……貴方まで……」

 

 涙が止まりません、もう、彼の目に私は狂人としか映らないでしょうから。

 

 ◆

 

「あひ……あはは……」

 

 哄笑するアン、目覚めているスイ、何故か居るリルナオに何故かいないレミー。

 

  何故か俺は倒れていて、頭の整理がつかないうちにアンがフライパン片手にリルナオに殴りかかろうとしたので咄嗟に足首を掴んだ。

 

  派手に転倒したアンは、何事か呟いたあと頭を床に打ち付け始め、哄笑はより大きく響く。

 

「あははははは!」

 

 異常事態の連続に俺は考える間もなくアンを抱き抱え、拳で自らの顔を殴りつけようとする彼女を抑える。

 

「はなして……おねがい……はなし……はなせええええええええええええええ!!!」

 

「落ち着けアン! 落ち着け!」

 

 先までの抵抗が嘘のように、ぐったりと脱力してアンはうわ言のように呟く。

 

「もう……私は……」

 

 あざのついた顔を歪めて、ぼろぼろと涙をこぼす彼女の頭を撫でながら、俺は言葉をかけた。

 

「折角の可愛い顔が台無しだぞ、落ち着いて……話してくれ」

 

「私は……私は……ただ……私を……見て欲しかった……許して……許して……」

 

「許すかどうかはしっかり話を聞いてからだ……ってか、俺はいまいち何をされたか分かってないし」

 

 ぽつぽつと、アンが独白を始めた。

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