鯨が吐きし泡沫を見ず   作:木島後輩

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人攫い計画

 

「……お姉ちゃん?」

 

 本当にか弱い、かすかな声。

 

「スイ……スイ!」

 

 嗚咽、短く名前を呼ぶ声は暖かいが、触れたら壊れてしまいそうなほど儚い。

 

 前髪に青いメッシュの入った黒髪の、アンとそっくりの顔立ちの少女───────スイ

 

「……!」

 

 抱擁を交わす少女達に、俺はどう言葉をかけていいのかわからず黙り込んでしまう。

 

 隣からリルナオが無言でハンカチを勧めてきたのを押し返していると、不意に胸を締め付けられる感覚が去来し

 

「……そこの男」

 

「はい!?」

 

 咄嗟の指名に裏返った声で返答する。

 

「どうやったのか知らないけど、お姉ちゃんの匂いがする……あなた、お姉ちゃんになにを……」

 

 目覚めて早々に姉の心配をし始める辺り、アンの話の通り姉思いの妹なのだろう……ややいきすぎているが。

 

 よくよく考えてみれば、これまで不可能だった鯨毒の解毒を成してしまったのだ、どう説明したらいいものか。

 

「……ふーん、なるほど」

 

 実は医者でその助手に名乗り出てくれて……などと言いかけた時、スイがすうっとこちらを見つめる朱色の双眸に宿っていた警戒の色を和らげて

 

 

「あたしと同じだ」

 

 

 そう言って、“スイ”は頬を緩めた。

 

 ◇

 

「経過は良好、私の献身的かつ継続的なケアの賜物ね」

 

「自惚れも程々にお姉ちゃんの使い走りになったという事実を認識しなさい鉄人形」

 

 寝台の上で世話をされている身の上でありながら、早口でリルナオを罵倒するスイと罵倒を気にもとめずケラケラと笑うリルナオ、アンがリルナオを世話役にしたのはこの相性の良さを知ってのことなのだろうか。

 

 ───────スイが目覚めてはや4日、彼女の存在はすっかり俺の中で違和感がなくなっていた。

 

 リルナオが退室し、俺は寝台の傍らに置かれた椅子に座って

 

「目覚めて早々キレッキレなとこ悪いんけど……スイちゃんでいい?」

 

 話しかけると、スイはリルナオに対してのつっけんどんな態度をくるりと翻し、晴れるような笑顔を浮かべながら

 

「ちゃんでもたんでも好きに呼んでね、おにーちゃん」

 

 永年一人っ子だった俺としては、おにーちゃん呼びがどうにも慣れない。

 

 その上にこの姉妹に懐かれる体質のおかげで、また異世界ハーレムへと1段ステップアップしてしまった気がする。

 

「手のひらクルックルすぎてもはやドリルだよ……そうだ、オニドリルっぽくスイドリルとかどう?」

 

「おにーちゃんの言葉でも、オンドゥル何とかっていうのはセンスを疑うよ……べつにいいけど」

 

 笑顔を苦笑い───────照れ笑いとも取れるが───────に変えながらスイはそう言った。

 

「オンドゥルが通じてオニドリルが通じないのは絶対におかしい、普通にスイでいこう……そうじゃない、大事な話がある」

 

 この切り出しも数えて3回目、1回目は眠っていた期間を、2回目は船の現状を知らせた、今回はずばり───────

 

「……お姉ちゃんとあたしのこと?」

 

「そ、単刀直入に言えば、今後スイにはこれまでのような干渉を控えてほしい……というか、俺とリルナオがお前の教育方針に対する教育をする、ここまでおーけー?」

 

「おーけー?」

 

「おっ、出たな異世界で現代語を解説するパート!」

 

 正直この世界の街並みすら見ておらず、鉄の建物で缶詰状態なので異世界転生した実感はかなり希薄だった、意気揚々とアメリカ大統領の話を切り出そうとしたところで

 

「3年間眠っていても言葉は忘れないよ」

 

「あっ……そうですか」

 

 お決まりのパートに興奮するあまり、危うくドヤ顔でオーケーの意味を解説する所だった。

 

「ん? でもオーケーの由来ってオールコレクトの表記揺れだよな……? 英語あるの?」

 

「おにーちゃん、癪だけどリルナオにもっとしっかり教わった方がいーんじゃない? おーけーはおーけー、犬をどうして犬と呼ぶのか考えるくらい不毛な話だよ?」

 

 この世界についてはある程度教わってこそいるが、まだまだ分からないことだらけだ、H.Pとやらが統治しているという話なので、そもそも大統領がいるのかすら怪しい。

 

「あっ、そっかぁ……ってか、まぁた話が逸れた、戻していいか?」

 

「あたしにおねーちゃんとの接し方を教えてくれるってことでしょ?」

 

「……まぁ、端的に言えばそゆこと。飲み込みがはやくて助かる」

 

「おにーちゃんがそういうのなら、あたしは従うけど……いつから始めるの?」

 

 年端もいかない女の子に会話の主導権を終始握られたままであったのは考えものだが、なにはともあれスイの意思は固まったようだった。

 

「明日から、受講料は初回に限りタダでいいから気にせず……それ以降は健康体を受講料としていただきます」

 

「わかった、おにーちゃんに貢ぐ!」

 

「それキャラ作りだよな!?」

 

 もうしばらく、他愛もない会話は続いていくのだった。

 

 ◇

 

「さて穀潰し、前回はどこまでやったかちゃんと覚えてる?」

 

「世界史が“H.P”の出現まで、エセックス技術はえーと……あれだ、発光救難信号だっけ?」

 

「その通り、触りだけだったし、明後日に控えてる試乗に向けてしっかり解説しとくね」

 

 ピークォドの10階、リルナオの部屋で俺は“講義”を受けている。

 

 養ってもらうのに慣れない一人暮らしの大学生の気持ちをリルナオが汲んだとは考えにくいが、唐突に教育係が船長からリルナオに代わった。

 

 船長の講義は単調で、マンツーマン形式でなければ確実に寝てしまう自信があるのだが、それに対してリルナオは流石と言うべきか教え方が上手い。

 

「発光救難信号は光の届かない深海でも視認できるように強い光で救難信号を5回送る信号弾で、各機体に1発だけ装備されてるの」

 

「そんな光を肉眼で見たら失明するんじゃないか?」

 

「肉眼で見る時には失明する前に水圧でペシャンコになってるわよ、エセックスのディスプレイ越しに見るから大丈夫」

 

 何気ない質問も気軽に聞けるようになったので個人的には非常にありがたいのだが、気になることといえば……

 

「あの、服着ません?」

 

「自分の部屋の中でくらい服は脱いでてもいいでしょ、キトウがプラスチックの塊に欲情するって言うなら話は別だけど」

 

 座る椅子を軋ませて、ペンを回しながらリルナオが言う。

 

 俺も伊達に留年生ライフを送っていないのである程度の煽りには物怖じしないが、仮にも全裸体の人物に物を教えてもらうのは気が散って仕方がない。

 

「そもそもお前は“どっち”なんだよ……男か女かでハッキリしてくれないと俺のこのもやもやは一生晴れねぇ……」

 

「私は女のつもりだけど、いかんせん義体がこんなん(ジェンダーレス)じゃね、髪を伸ばすくらいしか出来ないの」

 

「じゃあなんで男湯入ったんだよ! そして尚更服を着ろ!」

 

「ホントのこと言うと洗濯してるからムリなの、はいはい続き続き」

 

 仕方なく意識を“勉強”に戻して机の上に開かれたエセックス工学の教科書に向き直ると、文をつつきながらリルナオがまた講釈を垂れ始める。

 

「発光救難信号は昔は有効だったんだけど、最近はこの光の先に弱った人間がいるってことを学んで、モビィがこぞってよってくるようになったの、なまじ光が強すぎて周辺のモビィが大集合するから、下手に使おうもんなら部隊が皆殺しにされるわ」

 

「なんでそんな危ないもん付けてんだ……誤射したらあっという間にお陀仏じゃねぇか……」

 

「基本的にはこっちからエセックスのだいたいの位置はわかるんだけど、いざ救出に向かう時にほんの少しの進路のズレが命取りになる、だから一目で進路がわかる発光救難信号は有効とされる……だからモビィが来るよりも早く救出部隊が来れる距離で使うの、理解した?」

 

 具体的な距離を聞きたいところだが、それよりもまず前提として聞かなければならないことが1つ。

 

「理解はしたけどひとついい?」

 

「どうぞ」

 

 

 

 

 

 

「救出部隊って……あんの?」

 

 この船でエセックスに乗れるのは船長とリルナオ、そしてスイのたった3人のはず。

 スイはとてもエセックスに乗れる状態ではなく、船長を死地に呼び寄せるわけにも行かないので、俺とリルナオが海に繰り出したら救出部隊など組めないのではないか。

 

「あるわけないじゃない、しくじったら遺書を書き始めた方がいいわね……まぁ、回収されないと思うけど」

 

「何かしらあるのかと思ったらないのかよ……試乗では外してもらえる?」

 

「発射記録が残るから貴方がしくじったことは未来永劫語り継がれることになるけど、いいの?」

 

「いいよ!」

 

 俺の必死の訴えに彼女はふふんと笑うと

 

「そう、まぁ外せないし外さないから、気をつけてね」

 

「そんなことだろうと思ったよ、期待した俺が馬鹿だった」

 

 最近こういった軽口の叩きあいも板についてきたように思える。

 そこで、彼女の視線が泳いだのを横目でちらと認めた。

 最近わかった彼女の癖のひとつだ、話を変える前によくする仕草である。

 

「……また脱線しかけてるけど、あと2回くらい脱線させるわよ、キトウの大好きな大事な話」

 

「家族計画とか?」

 

「そんなことじゃなくて……1つ目はスイの話、真面目な話だからね」

 

「ごめん、実は俺もスイのことについては相談しようと思ってたんだ……あの子、結構危ない状態なんじゃないかって思うんだ」

 

 素人目にもわかる、元気なように見えるが、とても体がついていっているようには見えない。

 

「ここの設備じゃ治療に限界があるし物品も揃ってない、今のようにしていられるのも時間の問題ね」

 

「……どうするんだ?」

 

 また一瞬、目が泳いだ。

 

「それが2つ目、あの子を地上に出して治療する」

 

 ◇

 

「つかれた……レミー慰めて」

 

『ずいぶんがんばってるみたいだな、えらいえらい』

 

「素直なお前が癒しだよ……」

 

 ベッドに倒れ込んで、毛並みの整ったネズミを撫でる。

 

「ちょっと待てよ、俺風呂上がりなんだけどお前の体触ったら手を洗わないと……」

 

『これでもまいにちみずあびしてるんだぞ、あんしんしろ』

 

 横になった途端溜まった疲れがどっと押し寄せてきて、頭がぼーっとしてくるのを必死に堪えて体を起こすと、小さなネズミに語りかける。

 

「さてレミー、“作戦会議”だ」

 

『おっ? またわるだくみかいあいぼー? おれさまだいすきだぜそーゆーとこ、で? で? なにやるんだ?』

 

「ずばり、アンとスイとリルナオ、全員船から出して……お天道様の下へ引き出す」

 

 鼻をひくつかせると、ネズミは言った。

 

『げいどくをなおしたいってときからおもってたけど、あいぼー、おまえだいぶ、とびっっっっきり、あたまおかしいな』

 

「唐突に辛辣だなレミー……で、お前にも協力してもらいたい、このとおり!」

 

 ネズミに頭を下げて協力を仰ぐ人間がこれまでいただろうか、恐らくいないだろう。

 

『もち、おれさまもてつだうぜ。 ただし……おれさまもつれてけ!』

 

「もちろんだ、あいぼー!」

 

 ───────2人と1匹による、盛大な人攫い計画が始まった。

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