ポケットモンスター虹 オペレーション・ブレイブバード 作:真城光
時は一週間ほど遡る。少しばかり、回想に付き合っていただこう。
場所はペガスシティにあるPGの本部、その取調室であった。
二人の女性がそこにいた。女のうち片方は黒髪の女性で、もう一人はまだ少女と言った風貌である。
「よく来てくれたな」
「……とても歓迎してくれてるようには見えないのだけれど」
少女はそう言った。無理からぬことではある。客人を招くのであれば応接室がふさわしく、たとえ身内であっても会議室に通すものだ。取調室など、礼儀知らずの烙印を押されてもおかしくはない。
「聞かれたい話でもなかろう」
そう言って手元の書類に目を落とした。それは少女のプロフィールである。名前はアルマ。ネイヴュ支部所属のPG隊員である。癖の強いネイヴュ所属の中でもとりわけ奇妙な少女であった。
だが、このときばかりはその出生に意味などなかった。PG隊員として彼女の成し得たことにこそ興味の視線は注がれている。
「私の名はキリエ。肩書きは見ての通りだ」
彼女の胸に光るハイパーボールの章は、アルマにとっては上官の証である。キリエの年齢から考えるに破格の役職であると言えるだろう。
アルマの関心はキリエの制服に移った。キリエが着ているのは通常の制服ではない。一般にPGは白と青の制服を着ることになる。本部の所属であれば黒と赤であろう。ネイヴュであればライトグレーの迷彩柄などの差異はある。だが、彼女が着ているのはそのどちらでもなく、白地に黒と赤である。
そんな制服を着る部隊を、アルマは知らなかった。
視線に気づいたキリエは話を切り出す。
「今回、君を呼びたてたのは、『雪解けの日』のことを教えてもらいたいからだ」
『雪解けの日』
その言葉は重い意味を持っていた。
約半年前、ネイヴュシティは未曾有の危機を迎えていた。ネイヴュにあるPGの支部は特殊であり、凶悪犯の刑務所を兼ねていたのだ。いや、事実上の隔離施設であったと言っても過言ではない。雪に閉ざされたその街は、何者の脱走を許さなかった。
だが、そのときはやってきたのだった。
バラル団の幹部であり、危険人物であるイズロードが脱獄した。
それもただの脱獄劇ではない。ネイヴュ刑務所のすべてを、どころか街そのものを巻き込んだその脱獄劇は、街とPGに多大な損害をもたらした。
破壊された刑務所を含む様々な施設の修復はまだ行われており、混乱に乗じた脱獄犯の追跡も行われている。PGにもまだ怪我を引きずっている者や、欠員などによる人員不足など悩ましいことが多くある。未だPGの治安維持組織としての在り方に非難の声もあった。
だが、PG内部において、それと同じかそれ以上の問題があった。
「空は私たちのものではなかった」
果たして、誰が放った言葉だろうか。キリエが口にしたのは、あの日以来ささやかれているものである。
「私たちは治安維持組織だ。人々を守るのであれば、地上での能力を持てばいい……いいや、そもそも空という観点を持たなかった。ゆえに、私たちは完敗したのだ」
「負けてなんかない」
「そうだとも。あのとき、私たちは負けていない。だが、事実としてバラル団の暴挙を許した。被害を受けた。代償を払った。私たちの驕りだ。最初から負けていたのだよ、私たちは」
淡々と冷静に。しかし確かな怒りを込めてキリエはそう言った。
『雪解けの日』という修羅場を越えてきたアルマでさえ気圧されるほどの気迫があった。
「ゆえに、私たちは見せる必要がある。空を制する力と、PGの力は天にまで及ぶのだと。悪に安寧の場所はないと」
「それは政治の話で、私は興味がない」
「失礼した」
キリエは書類にわずかに視線を落とす。ひとつひとつの動作に、なんらかの意図を感じた。
そして彼女の言葉から、ある程度のことを理解する。それはある噂についての裏付けとも言えるだろう。
「もしかして、新しい機動部隊のこと?」
「その通りだ」
にんまりと、キリエは笑った。
「PG史上初の、空の部隊。私はその隊長を務めることになった」
空の治安、などという言葉が出てきたのも最近になってからだった。テルス山などの山岳にあるPGの支所などは、山での遭難者の救出であったり、小さなことであれば山道の整備などが業務であったが、空への警戒がその任務に加わったことは『雪解けの日』を受けてのことだった。
だが、それは難しい問題である。空は人のものではなく、ポケモンのものだというのが多くの人の見解である。陸であれば電車を、海であれば船を。しかし、空に船を飛ばすことができたとして、実用の段階にまではいかない。陸路で向かった方が安全で、多くの人はそれほど頻繁な移動をしないのだ。
そんな常識を覆したのもまた『雪解けの日』であった。
そして、空の治安を守るための部隊運用が考えられているという噂は、本部から半ば独立しているネイヴュにまで伝わってきていた。いいや、実際に被害に遭ったネイヴュだからこそ、ささやかれたのかもしれない。
ふうん、とアルマは少し興味を示した。PGはいま、バラル団に対して反抗しようとしているのだ。そうとわかれば答える気も起きるというものである。
「それで、何が知りたいの? キセキシンカのことならもう伝えたはず」
「話が早くて助かるよ」
微笑みを浮かべるキリエに、アルマは嫌なものを感じた。
「バラル団の幹部、ハリアーについて聞かせてくれ。覚えている限りのことでいい」
* * *
茶髪の青年、ウェインは目の前の女性に睨みつけられている。
相手はおそらく、自分のことなど知らないだろう。だがウェインは女性のことを知っている。
アシュリー・ホプキンス。長い歴史のあるラフエル地方で幾度となく名の挙がるホプキンス家の者の一人である。また、アシュリー自身も相当に名を馳せていた。『絶氷鬼姫』という、誰が呼び始めたかわからない呼び名は、その手腕と実績を裏付けるものでもあった。決して強引ではない、しかし高い検挙率は、不動の首位である。
金色の髪に青色の瞳は、浮世離れした雰囲気すら纏っていたが、このときの情感のこもった視線はむしろ炎のようにすら感じられる。
自分は卑屈で、そして無能だ。そう自己評価を下すウェインには、まぶしかった。
「キリエ隊長なら、しばらくは帰ってきませんよ」
「誰も彼女を待っているとは言っていない」
顔に書いてある、などとは口が裂けても言えない。アシュリーはウェインよりも格上でもあるし、敵に回したならば今後の立場も危ういだろう。
「それでいつ頃戻ると?」
「……さあ、聞いてないっすね」
「とんだ忠犬を飼っているものだな、奴も」
PG本部のエントランスホールでのことだった。ウェインはキリエの言いつけを守り、彼女が戻って来るまで待っていた。
空挺部隊の制服は、本部ではとりわけ目立つ。あれが噂の、と囁かれた回数はもはや両手両足では足りなくなっている。
そんな折に、アシュリーがそっと隣に立ったのだった。余計に目立っていることを、彼女は自覚しているのだろうか。もしかすると、いつも注目される彼女はこういった状況に慣れているのかもしれないが、それでもウェインからすれば頭が痛いことだった。
「ちょうど終わったところだ、アシュリー」
そう声をかけたのは、キリエだった。短い黒髪を揺らしてやってくるのを見て、ウェインが安堵を覚えたのは一瞬だった。先ほどにも増してプレッシャーを放つアシュリーを見て、ぞっと背中に寒気が走る。
一触即発、というのはこのことだろう。何が彼女をこれほど駆り立てるのか、ウェインにはわからなかった。
「私に用があるのだろう。部下が怯えている。いらぬちょっかいをかけるんじゃない」
「そんなつもりはない」
対するキリエは、いつものことだとでもいう風に言い返す。これが日常では、周りにいる者も肝を冷やすだろう。
並び立った二人を見ると、どちらも似たタイプの人間であるようだった。仕事一筋で、他者に寄りかからず、私情を交えない。そしてどちらも美しい女性である。
「次のアポイントがある。簡潔に頼む」
「どうして私を貴女の部隊に誘わなかったのか、お教え願おう」
「私の部下になりたかったのか」
「そうじゃない!」
アシュリーがそう言った。あえて火に油を注ぐような言動をとらなくてもいいだろうとウェインは思ったが、止めることができないでいた。
「貴女の隊の発足には、私とて関わっている。出資だってとりつけたのは私だ。だが、その隊は私に任されることはなかった。あの場の者の口から挙がった名は貴女だ。その屈辱がわかるか」
「わかるとも。PGの育成校で、壇上から何度もお前の名を聞かされたのは私だ」
二人の間に確執を感じていたウェインは、そこで納得した。
育成校時代からの付き合いである両者は相争う関係だったのだろう。優秀な生まれのアシュリーと、普通の家庭の生まれのキリエとでは、反りも合うことがなさそうだ。
「確かに、アストンから信任されたのは私だな」
「い、いまは彼のことは!」
「さておきだ。お前にはお前にしかできないことがある。特に本部は、お前の能力を必要としている。議会はそう思ったからこそ、私をこそこの隊に相応しいのだと思ったのだろう」
それにはウェインも同意するところだった。聞く限りではあったが、アシュリーの事件処理の能力や、ポケモンに関するセンス、そして政治能力は地上でこそ重宝されるものである。むしろ、彼女を特別な任で本部から遠ざけることは痛手になるというのは明らかであった。
理屈がわからないアシュリーではない。では、理屈抜きで考えるならば、やはりアストンのことだろう。アシュリーとアストンは、思うところがあるらしい、というのは噂だった。どちらも名家の生まれであるから、幼馴染なのかもしれない。
『雪解けの日』を解決に導き、マスターボールクラスの勲章をとった彼の提案こそ、空を守る部隊であった。発足の中心人物であるのだ。
「もういいか? 私は行くぞ」
「……聞いたぞ、最初の作戦を。無謀という言葉を辞書に書き込んだほうが良い」
「心配するな。知っているだろう、本番は強いんだ」
そう言って、ウェインの腕を引っ張りキリエはPG本部を出て行く。
しばらく二人で歩いたところで、ふと立ち止まった。ペガスシティの摩天楼が空を狭くしているのが見える。
「いいんすか」
「あいつと同じことを言うな。良いも何も、これから彼女を迎えたとして、部隊として行動できるか? 集団というのは、優秀な個によって乱れることもある」
「いや……その、友達、なんでしょう?」
一瞬、きょとんとした顔を浮かべたキリエだったが、すぐに顔を戻す。
「腐れ縁というやつだよ。そして同族嫌悪でもある」
言い得て妙だ、と思った。ウェインの抱いた感想を、そのまま言ってくれた。
「育成校の入学以来の付き合いだ。入学試験の首席があいつで、次席が私だ。以来、二年間もそれが変わらなかった。まあ、それもあって、いまもこんな関係なのだ。災難だったな、まき込まれて」
「いえ」
ウェインは俯いた。
嫌だった。やはり自分は卑屈なのだ。他人に良い感情など抱けないし、自分に対してはもっと低評価だった。だが、このときのそれは、自分が知る仲でもとびきりだった。
この人にこんな顔をさせる人がいるなんて。
夕日に照らされたキリエの笑顔を見て、ウェインは自分の心の影を感じたのだった。