ポケットモンスター虹 オペレーション・ブレイブバード 作:真城光
「死ぬかと思った」
その言葉と同時に、ウェインは膝をつく。
どうにか飛行船内への侵入に成功したが、一息つくには早い。しかし呼吸を整える間を設けなければ、とてもではないが体力がもちそうになかった。
水を一口含んで、ため息。時計を見るとすでに10分が経過している。
「聞け、ウェイン」
作戦コードネームではなく、本名でキリエは呼びかけた。
ウェインが顔をあげると、彼女は神妙な顔を浮かべている。
「これからひとつ、策を伝える。何も考えずに従ってくれるか」
「それは、他の人たちには秘密の……ってことすか」
「聞き分けの良いやつは好きだぞ」
またからかうような口調ではあったが、いたって真剣な顔つきである。
その様子にウェインもまた、似た表情で頷かざるをえなかった。
キリエはそっとウェインの耳に口を近づける。顔の近さにどぎまぎするが、そのときに彼女の発した言葉に目を見張る。
一通り聞いて、絞り出した言葉は。
「……マジで?」
「大マジだ」
少しばかりの思考の時間で空白が生まれるが、いまキリエの言うことを疑っても仕方ないと考えたウェインは、彼女の指示に従うしかなかった。
渋々了承しながら、ウェインは自分のできることをするしかない、と思ったのだった。
「それにしても、バラル団はどこからこんなもの持ってきたんですかね」
ことを終えて、ウェインは言った。策が成るか成らないかは、賭けでしかない。ここはひとつでも建設的な話題を出しておくのが吉だと思ったのだ。
キリエはというと、ウェインの前を歩いている。飛行船の内部は想像よりもずっと広かった。鉄と木で作られた内部は、狭いながらも工場を思わせた。パイプが複雑に絡み合い、機器があちこちに設置されている。下手にいじれば何が起こるかわからない。
バラル団の団員の動向に気を配りつつ、ウェインはキリエにそんな話題を振った。
「資金提供、物資提供、技術提供……裏に大きな個人か組織がついているのだろう。PGにも出資している者かもしれんな」
「そんなこと、まかり通るんすか」
「自分の安全と引き換えになら、どうだろうな。バラル団そのものが大きな経営母体を持っているとしても、ここまで規模の大きなものであればすぐにわかる。であるなら、私たちでさえ目を向けることが許されぬ者がいるとしてもおかしくはないだろう。そうだな、例えば」
「ポケモンリーグとか?」
それにはさすがのキリエも苦笑を浮かべざるをえなかった。
「どうだろうな。彼らはなんというか……本気でポケモンとポケモントレーナーのことしか考えてないように見受けられる」
「まあ、そうですよね。んじゃあどこかの財閥か」
「ハーティとホプキンスも怪しいな」
それはアストンとアシュリーの生家でもある。ポケモンリーグの名を出しておいて、ウェインはその二つの家の名に背筋が凍る思いがした。
「冗談すよね?」
「無論だとも。だが、PGが常に正義の側であるわけでないことを忘れてはならない。バラル団に正義を認めたならば、そちらにつく者もいるのだ」
「にわかには信じられないですよ。なんだってあいつらに」
バラル団の目的はいまいちわからない。だが、彼らが悪事を働く一方で、ポケモンを大切に扱っていることは知られている。数ある事件でも、ポケモンを利用することはあれど、ポケモンを傷つけるような真似はしなかった。
むしろ、積極的に保護していくような動きさえある。多くの者は、躾をして兵器のように扱うつもりなのだと口にするが、それが真実であるかは疑わしい。
言葉とは逆に、ウェインはバラル団の掲げるものに一定の正義を認めている。
「彼らの言うことのどれが真実かはわからないさ。だが、正義というのは人それぞれにあって、バラル団にもまたあるはずだ」
「……僕たちは正しいんすよね?」
「自分が正しい側でないと不安だというのは、ずいぶん人間らしい感情だとは思わないか?」
どきりとした。まるで見透かされたかのような言葉であった。
ウェインが抱えているものを的確に言い当てたキリエだが、その言葉の矛先はどうやらウェインに限らないようであった。
この、自分と四つか五つしか変わらないはずの人は、どの目線で世界を見ているのだろうか。
背伸びしたところで、見るものが変わらなければ斜めに見ることしかできない。自分よりずっと遠くのものを見てものを言う人に、ウェインは尊敬の眼差しを向けるしかなかった。
「少なくとも、私たちが積み上げてきたものが無意味でないとしたら、その秩序を乱す者を正すのも私たちの仕事だ。迷え、ウェイン。どこへ向かってもいい。迷って、たどり着け」
キリエは笑った。不敵な笑みではない。慈愛だった。確かな柔らかさと、愛があったように感じられた。
もしかすると、それはもっと違う誰かに送りたい言葉だったのかもしれない。
ウェインは寂しく思えた。突き放されてしまった、とさえ思った。
それでも彼女を追いかける他ないのだ。
「隊長!」
曲がり角から一人の人物が現れた。不意のころでウェインは驚いたが、キリエは冷静に対処する。
「誰だ」
「わわわわ。私です、ローズですよ!」
そこにいるのは同じ部隊のローズだった。どうやらウェインとキリエに続いて侵入したようである。
「他の者は?」
「一緒に侵入する予定だったドットさんは、私が侵入したときに墜とされまして……どうにか撤退しました。他のみんなは外で応戦していますが、そう長くはもたないでしょう」
「ムクホークたちの体力も限界か。頃合いだな」
キリエはそう言った。ムクホークによる強襲は確かに効果があったが、人を乗せたまま延々と飛び続けることはできない。まして、ずっと戦闘機動をしているのである。乗り手もポケモンも緊張を強いられるし、その分消費される体力も多い。
だが、幸いなことにこちらは戦力が整っている。ウェインはキリエに視線を送ると、彼女も頷き返した。
「いいだろう。ローズ、これから策を伝える」
「この船を指揮する幹部を叩くんですよね?」
「その通りだ。私の読みでは、あの嫌な奴が乗っているはずだな。無論、これを叩く。だがそれさえも陽動だ」
船の構造は覚えているな。キリエは何度となく言う。
指で宙に飛行船を描きながら、その一番後ろを指差す。
「私たちはこれより最後尾を目指す。前回の彼らの作戦から考えて、ポケモンを用いた爆撃が行われる線が濃厚だろうからだ」
『雪解けの日』のとき、彼らが用いたのはゴルーグによる絨毯爆撃であった。
重量があり、大きなポケモンであるゴルーグが空から落ちてきたのは大変な脅威だ。二度とそんな真似はさせない。そう固く決意したキリエは、当然としてモンスターボールが置かれているであろうここを目指す。
次に叩くべきは、無論のこと指揮をする人物だ。
「私の予想だが、嫌なやつがいるだろうな」
そう言って笑うが、その人物が何者かはウェインには見当がつかなかった。
ともあれ、この指揮官がどこにいるのかが問題であった。
「そこで、ウェインのマイナンをこの中で放つことにする」
ウェインは自分のモンスターボールからマイナンを出した。小さく可愛らしいポケモンとして有名であったが、ウェインは自分の大切な仲間としてマイナンを連れていた。
小さい、というのはPGの仕事の中でも大切な役割がある。
例えばいまのように、複雑な建物内を自由に移動できるなどだ。
空気孔にマイナンを置いて、ウェインは指示を出す。「偉そうなやつを見つけるように」とだけ。曖昧で頭の悪い指示であったが、それこそウェインとマイナンが積んできた経験がものを言う。
これまで何回か、バラル団を含めた犯罪組織を摘発したことのある二人は、それだけで通じるのだった。
空気孔の中をゆっくりと進んで行くマイナンを見て、ウェインとキリエは頷いた。
「二人、やらしいですね。なんか通じ合ってません?」
「作戦中だぞ、ローズ。それに、私たちが通じ合ってるのは当然だ」
「おおお!? これはもしかしてもしかするんですか!?」
「き、緊張感ないなあ……」
二人の持っている余裕を楽しめばいいのか、呆れればいいのか。ウェインにはさっぱりわからなかった。
だが、これで一歩前進である。
三人は急いで飛行船の後方へ向かう。
そこは貨物室になっていた。想像しているよりもずっと大きい。コンテナが無数に並んでいて、バラル団の飛行船でなければ物流に使われているのだろうと思ったはずだ。
数人のバラル団のしたっぱが巡回している。そのうちの一人が指揮をしているが、どうやら幹部ではなさそうだ。
「一気に制圧する。いくぞ」
そう言って、キリエが出したのはミミロップである。グラマラスな女性を思わせるウサギポケモンであるが、その本性は恐ろしい。素早さで翻弄しながら相手を追い込むポケモンである。
ローズが出したのはロコンだった。正直に言えば戦闘能力は期待できないが、それは通常のポケモンバトルであればの話である。こうした場所での戦いであれば、いくらでもやりようがあるだろう。ローズはそういう戦いにおいて、才能のある人物だった。
ウェインはというと、手持ちの中で最も強いポケモンを出す。ハッサムであった。赤い姿に丸いながらも鋭い眼光が特徴的なポケモンである。ストライクから進化するにあたって、羽が鋼鉄化し退化したものの、代わりに攻撃力と防御力を手に入れた。
それぞれ頷きあって、コンテナから飛び出す。己の役割を果たすために。