強がりの堕天使に祝福を   作:Kohya S.

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10. 応援

 翌朝、僕はいつもより、かなり早く起きた。目覚めは最悪だった。

 

 のろのろとベッドから出て部屋のカーテンを開ける。昨日の雨が嘘のように、晴れ渡った青空が広がっていた。

 晴天をなんとなく恨めしく思いながらシャワーを浴びてくると、それでも僕の気分はかなりマシになった。

 なによりも昨晩の決意が、まだ僕の心にしっかりと残っていた。

 

 宮坂(みやさか)からの連絡は、まだない。

 先に国木田(くにきだ)さんに連絡して、とりあえず善子(よしこ)さんのようすを聞こう。

 

 彼女に電話をするのは、いつがいいだろう。あまり早くても悪い。しかし遅くなるとAqours(アクア)の練習に行ってしまうのでは――。

 

 僕は時計の短針が8を指すまで待って、一件目の電話番号をスマートフォンにタップした。

 もし違っていたら、素直にあやまろう。

 

 残念ながら、一件目は違った。僕は電話口で頭を下げながら電話を切る。

 

 二件目。

 

『はい、光恩(こうおん)寺です』

 

 僕は感謝した。この声は間違いなく国木田花丸(はなまる)さんだ。一応確認する。

 

「国木田花丸さんですか?」

『はい、そうですけど』

「あの、突然すみません。中井(なかい)です。津島さんの、友達の」

『中井さん……』

 

 彼女は言葉を切った。

 もしかして忘れられてしまったのだろうか。あの本屋での出会いは、きっと彼女の記憶に残っている。そう思っていたのだけれど。

 

『おひさしぶりです』

 

 心配する僕に、彼女は穏やかな声でそういった。よかった。僕はほっとして続ける。

 

「突然、ごめんなさい。いま、すこし話しても大丈夫ですか」

『Aqoursの練習に行かなきゃですけど、すこしなら』

「あの……津島さんのことなんです」

『中井さん』

 

 国木田さんはもう一度、僕の名前を呼んだ。

 彼女はそれきり、また黙ってしまう。

 

「国木田さん?」

『……ありがとう』

 

 彼女の口から出てきたのは、僕には意外な言葉だった。

 えっ、と驚く僕に彼女は続ける。

 

『その話をするには、ちょっと時間が足りないみたいです』

 

 どういうことだ? それも、僕がなにかを聞く前に。

 

「それなら、あとでかけ直します」

『はい、そうしてもらえると、嬉しいずら』

 

 もしかして彼女のほうにも、僕に話したいことが?

 

「あの、直接、会えませんか。国木田さんさえ、よかったら」

 

 長くなりそうだし、そのほうがいい。通話では伝わらないこともある。

 

『マルは、かまいません』

「それじゃ……」

 

 急ぐべきだろう。可能なら、すぐにでも会いたかった。

 

「練習は、今日は何時までですか?」

『今日は午前中で終わりです』

「午後、内浦(うちうら)まで行ってもいいですか」

 

 国木田さんは意外そうに、はっと息をのむ。でもすぐにいってくれる。

 

『もちろんです』

 

 お寺の場所を聞いて、時間を決めた。国木田さんから乗るべきバスと料金も教えてもらう。

 またスマートフォンの電話番号も交換した。

 

「すみません。急に会いたい、なんていってしまって」

『ううん、マルも嬉しいです。それでは、お待ちしています』

 

 また国木田さんは感謝の言葉を述べた。国木田さんがなにを話すのか。僕は気になって仕方がなかった。

 

        ・

 

 夏休みの午前。

 いつもならだらだらとすごすのに、気ばかりあせって今日はそんな気になれなかった。仕方なく僕は「マー」を読んだり、ネットを見たりして、なんとか時間をつぶした。結果的にはいつもと同じだったことに、自分でもすこし笑った。

 宮坂からの連絡は来なかった。

 

 たっぷりの余裕を見て、僕は家を出る。その途端、むっとした夏らしい熱気が僕を包んだ。

 

 内浦に行くのは初めてだった。

 僕が乗ったバスはのんびりと走った。市街地を出ると右手にときどき、海が見えるようになる。僕はこの先に待つことをなるべく忘れて、ぼんやりとそれを眺めた。

 

 ただひとつの例外として、対向車にバスが来たときだけは目をこらした。しかし善子さんの姿は、僕にはとらえられなかった。すれ違うバスのなかの乗客が、ひとりずつ確認できるわけがないのだけれど、それでも僕の気分は沈んだ。

 

 国木田さんに教えられたバス停で降りる。そこは海沿いで、潮の香りが僕の鼻をくすぐった。冷房の効いた車内から出て、すぐに汗が吹きだしてきたけれど、気温は沼津市街よりもいくぶん涼しく感じた。

 

 海と山のあいだの狭い住宅街を通り抜けると参道の前に出た。国木田さんのお寺は住宅街よりもすこし高い、山のふもとにあるらしい。

 階段と平らな部分が交互に続くコンクリートで舗装された参道を、僕は歩いた。

 

 女の子の家に行くなんて、普段なら緊張するだろう。でも、行き先がお寺のせいだろうか。僕はまったくそれを感じなかった。

 

 山門(さんもん)をくぐると境内(けいだい)だ。左手に鐘楼(しょうろう)、正面には本堂がある。そして右手の奥に、昭和の香りのする二階建ての住宅が一軒、建っていた。

 どこにいこうか悩み、住宅のほうへ向かう。

 

 引き戸の玄関。その横にあるこれまた昭和の香りがする呼び鈴のボタンを押すと、どこかでチャイムが鳴った。

 

 やがてぱたぱたと足音が近づいて、ガラッと扉が開いた。

 

「いらっしゃいませ、中井さん」

 

 僕の顔を見て国木田さんがにこりと微笑んだ。白いTシャツにイエローのハーフパンツは、Aqoursのブログで見たことがあった。

 

「すみません、急に」

「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ。……上がっていきますか?」

 

 どうしよう。そこまですることはないと思うけれど。

 僕が悩んでいると、国木田さんはうなずき、いう。

 

「それじゃすこし、待っててくださいね」

 

 彼女は僕を残したまま、またぱたぱたと、家のなかに消えた。

 

 やがて彼女は二枚の座布団を手に戻ってきて、僕にそれを手渡した。

 

「悪いけど、ちょっと持っててもらえますか」

 

 僕が受け取ると彼女はもう一度、家のなかにいき、今度はお盆を持ってあらわれた。お盆のうえにはグラスがふたつ、載っている。

 

「本堂のほうに行きましょう」

 

 彼女は先に立って、僕を案内する。

 本堂のなかではなくて側面(そくめん)へ。本堂は大きく屋根が張り出していて、正面から側面にかけて、広い縁側(えんがわ)があった。

 

「ここ、とっても涼しいんです」

 

 彼女がお盆を縁側に置く。僕がその両側に座布団を敷くと、彼女はぺこっと頭を下げた。

 彼女の身振りにしたがって、僕は座布団に腰を下ろす。

 

 彼女のいう通りだった。日差しは軒先と付近の木でさえぎられ、山からは涼しい風がかすかに吹いていた。僕は汗が引いていくのを感じた。

 あちこちから聞こえる蝉の鳴き声も、BGMのようでむしろ心地よかった。

 

「どうぞ」

 

 彼女の声で我に返る。

 いただきます、といって僕は盛大に汗をかいたグラスを口にする。冷たい麦茶だった。

 グラスを置いて僕はさっそく、気になっていたことを聞く。

 

「今日、津島さんは練習には……」

「はい、来てました」

 

 うなずく国木田さん。

 その一言(ひとこと)で僕はずいぶん、楽になった。でも安心してはいられなかった。

 

「津島さん、最近、練習を休んでたりしてませんか」

「そうなんです。中井さん、もしかして、それを心配して?」

「はい。Aqoursの練習に、支障が出てるんじゃないかなって」

 

 国木田さんは微笑んだ。

 

「やっぱり。それならいまのところ、大丈夫ずら」

「そうですか」

「急いで来てもらって、申し訳ありません」

 

 意外だった。もしかして心配するまでもなかったのだろうか。

 

 僕は一口、麦茶をいただく。

 国木田さんも同じようにして、ふうっと息を吐いた。僕に笑顔を見せながら続ける。

 

「善子ちゃん、塾のほうでは、がんばっているんですね」

 

 その質問、というか確認は、僕には意外すぎて言葉に詰まる。

 

 あれががんばっていると、いえるのだろうか。

 

「……それって、どういうことですか?」

 

 そう聞き返してから、気づいた。もしかして。

 

 僕は背筋が寒くなる。国木田さんにもそれは伝染したらしい。可愛らしい唇が、きゅっと引き結ばれる。

 

「だって、善子ちゃん。いつも塾にいくから休むって……。違うずら?」

 

 善子さんは塾のコマ数を増やしていない。もしそうなら、さすがに僕には教えてくれたと思う。

 

「僕の知るかぎりですが……善子さんは、塾には週二日のはずです。そしてさらに、それもときどき、休んでます」

「えっ。善子ちゃんが……」

 

 今度は国木田さんが絶句した。

 

 わかってくる。善子さんは、僕を含めたみんなに――嘘をついて、実際には彼に会いにいっていたんだ。

 

「国木田さん」

「ずらっ?」

「善子さんが、その、男子と付き合ってること、知ってますか?」

「はい、最初に……お付き合いを始めたころ、いろいろとお話し、してくれました。『ヨハネと話があうのよ』って」

 

 そのようすはありありと想像できた。

 

「でも、いつのまにか、彼のことはあまり話さなくなって……てっきり別れたのかなって、思っていたずら」

「それは、違います」

「中井さんは、知ってるんですね。善子ちゃんが、彼と会っていることを」

 

 僕はうなずく。

 

 たぶん、彼女に伝えなくてはならないことは、すべて伝えただろう。

 

 ふうっと、明らかな(うれ)いをこめて、国木田さんはため息をついた。

 

「善子ちゃんがそんなふうに、なっていたなんて。昨日は、善子ちゃんは塾に行ったんですよね?」

 

 国木田さんの確認に僕は本当のことを答える。

 

「塾に来たのは、夕方からです。昼間は……」

 

 なんの偶然かピタリと蝉の声が()んだ。カラリ、とグラスの氷が溶けて動く、かすかな音がした。

 国木田さんは地面を見て、ちいさく話す。

 

「マル、中井さんを心配させたくなくて、いいました。善子ちゃんが大丈夫だって」

 

 うなずく僕。戻ってきた蝉のBGMにぎりぎり負けないくらいの声で、国木田さんは続ける。

 

「善子ちゃん、もともとすごくセンスがよくて、いまはAqoursの練習をお休みしてもみんなについていけてます。でも、このまま休み続けたら……」

 

 その先は聞かなくてもわかった。

 昨日の夢が不意に思い出された。

 

 国木田さんは僕を見つめる。

 

「マル、今日、中井さんにお願いをするつもりでいました」

「僕に?」

「はい。善子ちゃんが塾で、どんな感じなのか聞きたいなって。塾ってそんなにたいへんなのかなって。そして、ちょびっとでいいので、善子ちゃんに塾を減らしてもらうように、頼んでもらえないかなって。でも……」

 

 言葉を切る国木田さん。僕はそのまま待つ。

 

「お願いの内容を、かえなくてはいけないみたいずら。マル、人の恋路は邪魔したくないけど……。お友達に嘘をつかなきゃいけない恋が、善子ちゃんのためになるとは、とても思えないから」

 

 そして彼女は、悲しそうに微笑んだ。

 彼女の想いが、善子さんへの懸念が、伝わってくる気がした。

 

「国木田さんは、その……善子さんの彼氏に会いましたか?」

「いいえ」

 

 僕が聞くと彼女は首を振った。

 

「でも、写真は、見せてもらいました」

「写真を……」

「マル、そのとき、驚いてしまって。てっきりお相手は中井さんだと思ってたから。マルの勘も鈍くなったなって」

 

 それは嬉しい言葉だけれど、残念ながらなんの役にも立たなかった。

 

「中井さんは、会いましたか」

「直接は、会ってないです。でも、街中で見かけました」

「善子ちゃんは、幸せそうでしたか?」

 

 僕は逡巡(しゅんじゅん)する。でも嘘はつけなかった。

 

「……たぶん、彼女は、彼女なりに」

 

 こくり、と国木田さんはうなずく。

 山からさっと風が吹いて彼女の髪を揺らし、彼女は髪をかきあげた。

 

「マルは、善子ちゃんにもう一度、考えてもらいたいと思います。彼のことを。マルたちのことを。そして、マルたちに嘘をつかなくてもいい恋を、してほしいなって」

 

 僕も同感だ。

 

「中井さんは、これからどうするつもりですか?」

「僕は……もし、彼が、善子さんのことを想っていないなら、それを彼女に伝えるつもりです」

「彼が、善子ちゃんのことを想っていない」

 

 国木田さんは繰り返した。

 

「中井さんは、そうお考えなんですね」

「はい。まだ詳しくはわかりませんが……。なんとなく、そんな気がするんです」

「もしかしたら……」

 

 国木田さんはほんのすこし元気を取り戻して微笑んだ。

 

「善子ちゃんも、それに気づいているのかも。だから、マルたちに、嘘をついたりして」

 

 そうならいいのだけれど。

 

「マルのお願いは、それと同じです。ぜひ、本当のことを、善子ちゃんに教えてあげてください。そうしたら、きっと、善子ちゃんは……」

 

 考え直してくれるだろうか。

 でも、真実に気づいてもらいたい。その願いは僕も国木田さんも同じだった。

 

「わかりました。僕からもお願いなんですが」

「なんでしょうか」

「僕が、善子さんに……その、本当のことを話すとき、同席してもらえますか」

「はい、もちろんです」

 

 心強い答えだった。

 

 僕は麦茶を飲みほした。

 会ってくれたことと麦茶へのお礼をいうと、彼女はにこにこと笑った。

 

 国木田さんは山門まで送ってくれた。

 

「今日は本当にありがとうございました」

「マルのほうこそ、わざわざ内浦まで、すみませんでした」

 

 国木田さんは両手をそろえてお辞儀をした。僕も会釈を返して参道へ向きを変える。

 歩き出そうとしたところで、国木田さんがいう。

 

「中井さん」

「はい」

「もし、彼が、善子ちゃんを……本当に好きだったら?」

 

 僕の答えは、とっくに決まっていた。

 

「……そのときは、そのときです」

 

 国木田さんはうなずいた。僕は背中を、押されたような気がした。

 

        ・

 

 内浦から沼津へのバスに乗った。

 しばらくして、スマートフォンが鳴り出す。宮坂からの着信だった。

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