その日、きっと寝付けないだろうと思ったけれど、意外にも僕はすぐに眠りについた。
翌日はいつも通りの時刻に起きた。いつになく
決意がしっかりと固まったせいかも知れなかった。
昼までの時間を使って、僕は宮坂から教えてもらった、彼のサブアカのIDとパスワードでSNSにログインする。
そして
開設されたのは四月の後半だった。やはり高校デビューということらしい。
友人との他愛ないやり取りがずっと続き、僕はそのあたりを飛ばした。
最初は単純な自慢話が続いた。
そのうちに善子さんの中二病設定が友人たちにバレたらしい。からかうような投稿が出てきたけれど、彼はむしろ、それを楽しむような余裕を見せていた。
流れが変わったのは、鍵アカが
彼はむきになってそれを否定し、彼女のことをあからさまに笑うようになった。そして自分は
僕はほんのわずか、彼に同情する。でも、嫌悪のほうが何倍も
善子さんのことを皮肉る投稿。性的な魅力をアピールする投稿。
宮坂から紹介された投稿にも出会った。僕はもう一度、吐き気を覚える。
それでも、あれ以上にひどい写真も、投稿も、なかった。
僕は一連の投稿を、証拠として保存した。善子さんに見せるために。
もうこれ以上は見たくない。そう思いながらアプリを閉じようとしたとき、通知音が鳴る。
宮坂か国木田さんか、それとも善子さんだろうか。
僕は通知のタイトルを見て、驚く。石田からのメッセージが届いていた。なぜ、と一瞬考えてから気づく。いまログインしている、このアカウント向けだ。
もしかして、正体がバレたのだろうか。データは保存したけれど、できればこのアカウント自体を善子さんに見てもらいたかった。
僕は通知をタップして、SNSのメッセージを読む。
『こんにちは、kazzちゃん! 音ゲー、好きなんだ。俺もなんだよね! 沼津住みなら今度、一緒に遊ばない?』
予想外の内容に僕は笑いだしそうになる。なんだ、このメッセージは。石田は、本当に、なんなんだ。
僕はスマートフォンを壁に投げつけそうになって、かろうじてベッドへと軌道修正した。
スマートフォンが大きく跳ねる。どんな偶然だろう。それはそのまま僕の手元に飛んできて、僕はパシッと、それをつかんだ。
単なる遊びへの誘いか? それとも別の意味が? 彼女がいるのに?
女子高生のふりをして、彼氏がいなくて寂しい、とでも返信しようかと思ったけれど、僕は宮坂の警告を思い出す。
どっちでもいい。石田の下劣さには大差ない。
いいじゃないか。やってやろうじゃないか。
僕の胸の
・
焦燥感に駆られながらそれでも昼近くまで待ち、そろそろ家を出ようかというころ、国木田さんからメッセージが届く。
善子さんと一緒に内浦を出たとのことだった。時間から考えると、おそらく善子さんはいったん帰宅してから、待ち合わせの場所へ向かうらしい。
国木田さんと話す時間は、たっぷりありそうだった。
僕はレストランへ先に行っていると、国木田さんに伝えた。
僕も家を出る。
すでに気温は三十度を超えているだろう、夏の日差しがじりじりと照り付けていた。天気予報は晴れ。それでも僕は、念のため折り畳み傘を持った。
レストランに着いてとりあえずドリンクバーだけを注文して待つ。
飲み物の氷が溶けるまえに、国木田さんがやってきた。
「こんにちは、
制服姿の彼女は僕のところへ来てぺこりと頭を下げた。
「こんにちは、国木田さん。わざわざすみません」
「いいえ、こちらこそ」
僕は彼女のために同じくドリンクバーを注文した。彼女の希望――緑茶だった――を持ってきて、テーブルに置いた。
「ありがとうございます」
僕は向かいに腰を下ろして聞く。
「今日は、善子さんには伝えたんですか? 国木田さんが一緒だってことを」
「ううん。沼津に用事があるっていってあります」
「それじゃ、どうしますか?」
僕が善子さんに話すときに。
「マル、近くで聞いています。姿を隠して。そしてもし、善子ちゃんがどうしても信じないようなら……。そのときには、マルも、お話しします」
たしかにそれがいいだろう。
「それで、中井さん」
国木田さんは体をすこし乗り出した。
「はい」
「善子ちゃんの彼のこと、聞かせてほしいずら」
真剣なまなざしだった。
「わかりました。すこし……その、ショックかもしれません。国木田さんには。それでもかまいませんか」
こんな可愛らしい女の子だ。あれを読んだらどう感じるだろう。
「はい。だって善子ちゃんのことだから。マル、覚悟しています」
国木田さんはきゅっと唇を引き結んだ。
そう、それをいったら善子さんだって同じだ。僕は善子さんにあんなことをした彼のことを、ますます許せなくなる。
「これを、見てください。石田がネットに投稿した写真と、友人との会話です」
僕はスマートフォンで、宮坂からもらった画像を見せる。
善子さんと彼の自撮りの写真と、それに続く会話。国木田さんは、はっとした表情になった。
僕は国木田さんの目が動くのを見守る。
「これだけですか?」
僕は次の画像を見せる。国木田さんの顔がさらにくもった。
そして、もう一枚。
国木田さんは眉をひそめて、顔をそらした。
「ひどい……」
彼女がちいさな声でつぶやくのが聞こえた。
「わかって、もらえましたか」
「……はい」
僕の言葉に彼女はささやくように答えた。
しばらく国木田さんはなにもいわなかった。僕はずっと待った。
「中井さん」
やがて彼女は顔を上げる。
「ありがとうございます。善子ちゃんに、伝えてください。彼のことを」
「はい」
「いまならまだ、間にあうかもしれないずら」
彼女の声が震えていた。
それなら――それならいいのだけれど。
「きっと善子さん、すごく……その、ショックを受けると思います。そのときは、国木田さん、ぜひ彼女のことを……」
僕がこんなことをいうのは、おこがましいのかもしれない。それでもいわずにはいられなかった。
「わかりました」
彼女はこくりとうなずいた。
国木田さんがいてくれて本当によかった。そう思う。
「中井さんは、どうやってこれを?」
緑茶を飲み、いくぶん落ち着きを取り戻したようすで国木田さんは話した。
「詳しくは省略しますが……友人に頼んで、手に入れてもらいました」
「そうですか。頼りになるお友達ですね」
「はい、感謝してます。……国木田さん、これが全部、その……演技だってことはあるでしょうか。友達への悪ふざけということは」
僕は気になっていたことを聞く。
彼女は一度、目を見開いてから、ゆっくりと首を振る。
「それは……ないと思います。二枚目の写真のチョーカー、ご覧になりましたね」
うなずく僕。
「チョーカーは支配のメタファーです。彼が、善子ちゃんを、従えたい。そう思っているのは、きっと、間違いないずら」
僕がなんとなく思っていたことを、彼女はしっかりと言葉にしてくれた。
あとはこれを、善子さんに信じてもらうだけだった。
そのとき僕のスマートフォンが電子音を鳴らす。指定の時刻のすこし前に、僕が設定しておいたアラームだった。
国木田さんは自分の鞄から、フードの付いたクリーム色のパーカーを取り出した。
「マルは、すこし離れて聞いています。中井さん、よろしくお願いします」
「わかりました」
国木田さんはフードをかぶって、隣のテーブルにこちらに背を向けて座った。店内が
僕は善子さんに、先についたので待っているというメッセージを送る。
すぐに、すこしだけ遅れるという返信がある。彼女が来てくれることが確定して、むしろ僕は嬉しくなった。
待ち合わせをしていると店員さんに話して、もうひとりぶん、ドリンクバーを注文しておく。
それから、ずっとレストランの入り口を気にしながら待った。
十二時半を五分ほどすぎたころ。何度目かの入店音とともにドアが開いた。
善子さんだった。
私服姿の善子さん。いったん帰って着替えてきたのだろう。黒をベースに白がアクセントに入ったワンピースは、彼女に似合っていて可愛かった。いつまでも見ていたかった。でも、大きく出た肩、短いスカートは、僕の好みにくらべたら、ちょっと大胆すぎた。化粧もずいぶん濃い。
そして、首元には、今日もチョーカーが結ばれていた。
一瞬、写真のなか、石田の隣にいる善子さんがフラッシュバックして、目の前が暗くなる。
僕は
彼女が僕に気づいて、微笑んだ。