「善子さん、ひさしぶり」
「え? なによ、それ。この前、会ったばかりだし、昨日も電話したじゃない」
「そっか、ごめん」
「別にいいけど。今日は、おごってくれるんでしょうね」
善子さんはツンとすましていう。
「もちろん。なんでも頼んでくれていいよ。でも、よかったら、その前にすこしだけ、話をしてもいいかな」
「あまり時間、ないんだけど」
「すこしだけだから。ドリンクバー、頼んであるんだ。なにか取ってくるよ」
「それじゃ、アイスココアでお願い」
僕はいわれた通りに飲み物を取ってきて、彼女の前に置いた。
「ありがと」
「どういたしまして」
椅子に座った僕に善子さんがいう。
「それで、話ってなに?」
すこしいらいらしているのが、わかった。無理もない。
僕はもう一度頭のなかで、どう話を進めるか整理する。
唇をすぼめてココアを飲む善子さん。赤い、唇。ルージュが塗られているのだろうか。
僕は頭を振って、口を開く。
「善子さん」
「だから、なによ」
「善子さんにとって、あまり気分のいい話じゃないと思う。もしかしたら、僕のことを嫌いになるかもしれない。いや、たぶん、嫌いになる」
「
「うん。でも、僕は話さなきゃいけないと思うんだ。聞いてくれるかな?」
善子さんは間を置いた。彼女のまつげがかすかに揺れていた。
「……わかったわ」
彼女がうなずいたのを見て、僕はスマートフォンを取り出す。
「善子さんの彼、
彼女は、はっと表情をかえた。
「どうして知ってるの?」
「友達から聞いたんだ。そして、その友達は、ほかにも教えてくれた。彼のことを」
僕はゆっくりとスマートフォンを操作する。
一枚目の画像を開いて、彼女の前のテーブルに差し出す。
びくっと彼女の肩がはねた。
「これ、彼だよね」
「そう、だけど……」
彼女を見ているのは
僕はスマートフォンを置いたまま、画面を操作する。
二枚目の写真が開く。
いま、目の前で彼女がつけている、それの写真が。
彼女が、声にならない叫びをあげた。
僕は彼女にすまないと思いながら三枚目の写真を開く。
「嘘……でしょ」
彼女は目をそらす。
僕はゆっくりとスマートフォンを取り戻した。
「なによ、聡」
ぽつりと彼女はいった。ばっと顔を上げて、腰を浮かす。
「こ、こんなの
彼女の白い肌が、さらに白くなっていた。まるで漂白でもしたように。
「あなた、
彼女はすとんと腰を下ろした。
可愛い顔が
ひっく、と彼女はしゃくりあげた。
僕は黙って、彼女が落ち着くのを待った。
善子さんは鞄からハンカチを取り出して、目元と口元をぬぐった。魔法陣の
ハンカチを握りしめたまま、いう。
「も、もう、あやうくだまされるところだったわ」
「でも、彼に間違いないと思うんだけど」
「……それは、そうかもしれないわよ。でも、しょせん、ネットの書き込みでしょ。わ、私だってちょっと、ふざけたりすることも、あるし」
声が裏返っていた。
「……私と彼の、関係なんだから。私が彼を信じなくて、どうするのよ」
彼女は自分にいい聞かせるようにいって、僕にぎくしゃくと微笑みを向けた。
彼女の心境が痛いほどわかった。僕を信じたくないんだってことが。
「善子ちゃん」
静かな声が聞こえた。
「ずら丸……なんで、なんであんたが、こんなところにいるのよ……」
僕たちのテーブルの隣に
善子さんは
「僕が頼んだんだ。一緒にいてほしいって」
「聡、あなたって人は……」
「ごめん、善子さん。本当にごめん」
善子さんは朱を帯びた顔で僕をにらみつけた。恥ずかしさと僕への怒り、そして自分への怒りが入り混じっているようだった。
国木田さんは善子さんの隣にちょこんと座る。
「善子ちゃん。これからデートにいくんだよね?」
無言でうなずく彼女。
「
善子さんはきっと唇を結ぶと、辛そうに下を向いた。
「ねえ、善子ちゃん。マル、善子ちゃんと一緒に、Aqoursを続けたいずら」
「そんな……ずるいわよ。そんなの。どちらか選ぶなんて、できるわけないじゃない」
消え入るような声。
「……もう、彼には会わないほうがいいよ。彼のことは、忘れてほしいずら」
「でも、彼には私がいないとダメなのよ。魔力構造が、すでにヨハネを前提として、組みかえられているんだから」
「そんなことはないずら。彼は、彼は……」
国木田さんは困ったように僕に視線を向ける。
「善子さん」
「なによ、科学的じゃないってわけ?」
すねるような口調だった。
科学的じゃない、と話すことはできた。そんなことはあり得ない、と。でもそれで、善子さんを説得できるだろうか。善子さんはよけい
いまは善子さんと一緒に、なんとか石田に会うことが目的だ。それなら石田のことを逆手に取ってやろう。
僕が善子さんをどのくらいわかってるのか。それが試されるときだ。
「もし、それが本当だとしても堕天使ヨハネの力は、そんなものなのかな?」
「えっ……?」
あっけにとられる善子さん。
「天界から追放された堕天使なら、その魔眼で魔力構造を強制的に書き換えることだって、できるんじゃない?」
僕はわざと、にやりと笑う。
「それは、もちろん、可能だけれど……」
戸惑うように彼女はいった。
善子さんは、善子さんだった。
僕は笑みを浮かべたまま続ける。
「彼に会えばいいよ。会って、本当のことを聞けばいい。あの、ネットの書き込みの、本当の意味を。魔力構造が、どうなっているのかを」
「それは、いわれなくてもそうするわ」
「そのかわり、僕もついていくよ。かまわないかな」
「それは……」
「なんなら、離れて見ているだけでいい。声が聞こえるところで」
善子さんは
断られても勝手に尾行するつもりだった。でも、善子さんが許してくれるなら、そのほうがずっといい。
「善子ちゃん。マルもいくずら」
「ずら丸も……」
善子さんは国木田さんと僕を交互に見てから、うなずいた。
「わかったわ。そのかわり、彼のあれが……」
苦しそうに言葉を切る彼女。僕は抱きしめたくてたまらなくなる。でも、それは許されなかった。すくなくとも、いまはまだ。
「悪ふざけだったら、すぐ帰ってよね」
「わかった」
善子さんはようやくすこし落ち着いたようすで、グラスを口にはこんだ。
「なにか頼む? 善子さん」
「食欲なんか、なくなったわよ。それに、もうすぐ時間だわ」
会計をして店を出る。
善子さんと彼との待ちあわせ場所は駅前のゲームセンターだった。石田が、
ゲームセンターの店内だと、離れていては善子さんと彼の会話を聞くことは、とても無理だ。
「善子さん、一緒に会うよ」
「いいえ。私だけで会うわ。私に、たしかめさせてちょうだい」
僕の提案に善子さんは力強く首を振った。
「それじゃ、せめて彼と話すのは、店の外に出てからにしてくれるかな。僕たちが聞けるように」
「わかったわ」
彼女はうなずいた。まかせても大丈夫そうだった。
僕は
そしてスマートフォンを鞄に戻すと、僕にうなずき返した。
ゲームセンターへ到着する。
国木田さんと僕は、店の入り口からすこし離れた場所で物陰に隠れた。善子さんは店内に消える。
待ち時間はとても長く感じた。
もしかして裏口があったらどうしよう。そんなことを考え始めたとき、善子さんが店の外に出てきて、僕は
善子さんは足早に歩き、しばらくしてあわてたようすでひとりの男子が店からあらわれた。石田だった。
善子さんは次の交差点を曲がり、歩道のない通りへと入った。石田も続く。
僕と国木田さんはうなずきあって、あとを追う。
静かに角を曲がると、数メートル先でふたりが、微妙な距離をおいて
僕たちはいったん、近くの自販機の裏に隠れた。
・
急に日が
「ねえ、タミエル、話があるのよ」
善子さんの声に視線を戻す。石田のことはタミエルと呼んでいるらしい。
「ちょっと待っててくれよな」
石田はそういってスマートフォンを操作した。
「よしっと」
ポケットにスマートフォンを入れて続ける。
「で、なんだ、話って? ヨハネ」
「聞きたいことがあるのよ。……あなた、私のこと、どう思ってるの?」
石田はポケットに両手を入れて肩をすくめた。
「俺の運命の人。地上に
前世って――仏教じゃないんだし、と僕は突っ込みたくなる。
「最後の審判まで出てこないでほしいずら」
隣で国木田さんがつぶやいた。
「そう。そうよね。私、わかってたんだから」
善子さんはほっとしたようすで話した。
まずい。
僕はなんとか、彼女に合図しようとする。でも、彼女は気づいてくれなかった。
「話ってそれだけか?」
「待って、ほかにも聞きたいことが……」
「だったら、立ち話もあれだから、カラオケでも行こうぜ。最近、ぜんぜん行ってないじゃん」
「わ、私、今日はカラオケはちょっと」
善子さんは半歩、下がった。
石田はぐっと彼女との距離を縮める。
「実は、もう、呼んであるんだ」
「呼ぶって、なに?」
善子さんが不安を浮かべて聞いた。
「……お、来たな」
石田はそれに答えず、通りの向こうに視線を送る。
だらしない感じの服装の男子がふたり、歩いてきた。僕や石田と同い年くらいで、片方はあの日、見た覚えがあった。
「
「お、中二病彼女、もう来てるんだ」
石田は
「だから連れてくるっていったでしょ」
石田と、あたらしいふたりに挟まれたような形になった善子さんは、通りの端まであとずさる。彼女の足が、震えているのが見えた。
石田の隣までゆっくりと歩いてきたふたりは、善子さんに視線を向ける。
「やっぱ可愛いね、ヨハネちゃん。タミーにはもったいないね」
「撮影会しよ? 撮影会?」
そういって石田と似た、いやらしい笑いを浮かべる。
善子さんの顔に、
「行くぞ、ヨハネ」
「い、嫌よ、私。帰らせてもらうわ」
石田がふたたび善子さんに近づく。彼女のうしろは店舗の壁だ。
「ど、どうしよう、中井さん」
隣で国木田さんがささやいた。
どうしよう、といわれても。どうすればいいのか、まったくわからない。
「いいから来いって!」
「きゃっ!」
石田が善子さんの手首をぐっとつかみ、彼女はたたらを踏む。
「ちょっと、離しなさいよ!」
「お前、最近、付き合い悪いんだよ!」
ぐっと善子さんを引き寄せる石田。善子さんはきっ、と彼をにらみつける。
「おいおい、どうした」
「
はやすようなふたりの声。
僕は、胸の
覚悟はしてきた。でも、ひとりだと思ったら、三人だ。
怖くて怖くて仕方がない。
だけど、行くしかない。ここで。善子さんのために。
「もし、なにかあったら、警察を呼んでください」
「中井さん!」
僕は自販機の陰から飛び出す。
僕はひとつのアイデアを思いついていた。それがうまくいくことに、賭けるしかなかった。