強がりの堕天使に祝福を   作:Kohya S.

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17. 決着

「おい、どうするんだ、お前。写真、ばらまかれてもいいのかよ」

 

 石田(いしだ)はすっかり自信を取り戻していた。

 僕はようやく、善子(よしこ)さんを見ることができるようになる。

 

 彼女の、裸の写真。

 

 善子さんは顔面を蒼白にして、口元に手を当てて、いやいやをするように僕に首を振る。

 

 もしかして。

 

 僕は、もちろん、彼女を信じる。

 

 僕は大きく息を吸った。胸の(ほむら)に届くように。

 

「いいよ。好きにしてくれれば。ネットにでもなんでも、公開してくれ」

 

 僕は自信満々でいい放った。

 石田は(きょ)を突かれたように黙り込んだ。それでもすぐに気を取り直す。

 

「は、裸の写真だぞ」

「それなら、僕にも考えがあるよ。君が飲酒をしている写真と、タバコを吸っている写真。それを君の高校に届ける」

 

 僕は優しく、天使のように微笑む。

 

「いくらゆるい君の高校でも、さすがに顔がばっちりわかる写真だと、どうだろうね。停学か、退学か、わからないけど」

 

 石田の顔が、今度こそ青ざめるのがわかった。

 僕の目論見(もくろみ)は、当たった。

 

 僕は威厳のある声になっていることを祈る。それこそ、天使長のように。

 

「……取引しよう。そうだな、君がその裸の写真と、SNSに投稿した善子さんの写真を消してくれたなら、僕も写真を消す」

 

 しばらく誰も、なにもいわなかった。遠くの雷の音が、電車の音に混ざって聞こえた。

 

 善子さんと国木田(くにきだ)さんの視線を感じたけれど、あえて僕は、そちらを無視した。

 

「わかったよ」

 

 石田は小声でいった。

 

「そのかわり、お前も約束しろ。必ず消すってな」

「わかった」

 

 僕はうなずき、続ける。

 

「それじゃ、スマホを出してくれ。まず、SNSから消してほしい」

 

 別にどちらが先に消すか決まってはいない。でも、僕は勢いで押した。ありがたいことに、石田は素直にしたがった。

 

「ほら、消したぜ」

 

 僕は投稿が消えていることを確認して、安堵の吐息をもらした。

 善子さんにちらりと目配せしてから、石田にいう。

 

「次は、写真だ」

「……ねーよ」

「ん?」

「ねえっていってるんだよ、そんな写真は!」

 

 石田は大声で叫んだ。

 僕のにらんだ通りだった。きっとそうだろう、と思ってはいたけれど、善子さんの写真――まさに悪夢だ――が存在しなかったことに、僕は感謝した。

 視界の端で善子さんがわずかに緊張を解く。

 

「くそっ、なんなんだよ、お前。それより、俺の写真、消せよな。約束しただろ!」

「ごめん」

 

 僕はぺこりと頭を下げた。

 実は、そんなものを見た覚えはなかった。でも、彼ならやりかねないと思った。それは、大当たりだった。

 

「僕も同じさ。そんな写真は、ない」

「お前、だましたな!」

 

 彼は僕に詰め寄る。吐く息を感じられる距離だ。彼の右手が固く握られていた。

 善子さんが、はっと息を飲むのが見える。

 

 僕はこれが最後だと気合いを入れて、ぐっと胸を張り、にやりと笑ってみせる。

 

「その必要はなかったから。SNSで君の友人が公開してるよ。その写真を。さすがに僕はそれが誰か、教えてあげられないけどね」

 

 もちろん、はったりだ。

 

「教えろ、誰なのか」

「ごめん、忘れた。よくわからないハンドルネームだらけ、だったから。ハッカーの友人に頼んで、探してもらおうか?」

 

 石田がだらりと両手をたらした。

 

 僕はぽつりと冷たいものが、体のどこかに落ちたのを感じる。

 

「あまりお友達を、待たせないほうがいいんじゃないかな」

「……くそっ!」

 

 彼はいい放ち、走り去った。

 

        ・

 

 ごろごろと雷が鳴った。ひとつ、またひとつと雨粒が路面を濡らす。

 

 僕は大きく、息を吐いた。いまになって足が、がくがくと震えてくる。

 

「終わった……の?」

 

 善子さんがささやくのが聞こえた。

 

 そう、終わったんだ。この、怒涛(どとう)の数日間が。善子さんに失恋してからの日々が。いま。

 あっという間だった。

 

 へたり、と善子さんが座り込んで、僕はあわてて駆け寄った。鞄から折り畳み傘を取り出して開く。

 善子さんがしゃくりあげるのが聞こえる。

 

 僕が善子さんに傘を差しかけようとすると、国木田さんが僕の手から傘を持っていった。

 

 そして国木田さんは僕に、こくりとうなずく。

 僕は彼女の意図を察する。

 

 いいんだろうか、僕が。

 

 でも、迷っていたのは一瞬だった。

 

 僕は善子さんの目の前に座る。

 そして彼女の上半身を、ぎゅっと抱きしめた。

 

 ひっく、と彼女が息をすった。ぽつり、と僕の肩に温かいなにかが、こぼれた。

 

「う、ううぅ……」

 

 彼女が声にならないうめきをもらした。僕はさらに力をこめる。

 柔らかい、彼女のからだ。小刻みに震えている。

 初めて彼女に会ったときに感じた、不思議な香り。それがいま、僕を包んでいた。

 

 彼女は大きな声で、泣いた。

 

 彼女が僕の体に、腕を回すのがわかった。

 

 僕の失恋よりも、何倍も、何十倍も、(つら)いことに間違いはなかった。彼女のそれを、抱きしめてあげたかった。

 

 ぱらぱらと音を立てて、国木田さんの持つふたつの傘に、雨粒が降り注ぐ。

 

 はっと気づいて、僕は彼女の首に手をやる。彼女は抵抗しなかった。

 何度か失敗してから、留め金をはずした。

 

 茶色の、革のチョーカー。

 

 僕はそれを、片手をできる限り大きく振りかぶって、投げる。

 

 それから僕は、彼女をもう一度、抱きしめた。

 ずっと、抱きしめた。

 彼女が泣き()むまで。

 雨が止むまで。

 

 

 

        ◆

 

 

 

 雨が降っていたのは、たぶん十分(じゅっぷん)くらいだった。

 

 傘に当たる雨音がだんだんと間遠(まどお)になっていき、善子さんがしゃくりあげるのもいつしか止まっていた。

 

 僕はそろそろと腕を解いた。

 善子さんは僕を見て、いう。

 

「あなた、ひどい顔、してるわ」

 

 僕もいつの間にか泣いていた。

 

「善子さんもね」

 

 化粧が流れていくつもの筋を残していた。

 

「やだ、もう」

 

 善子さんは顔をそらした。僕はゆっくりと立ち上がる。

 国木田さんが彼女にハンカチを手渡した。

 

 善子さんが落ち着いたところで僕は手を貸す。

 

「ありがと、(さとし)

 

 善子さんは僕に、微笑んだ。

 

 それから僕と国木田さんは、善子さんを自宅まで送っていった。

 彼女はずっと、なにもいわなかった。

 

 彼女の自宅マンションのエントランスで、部屋まで送るという国木田さんにお礼をいい、僕はふたりと別れた。

 

 僕はそこから狩野川(かのがわ)の堤防へ出る。

 東の空に大きな虹が、かかっていた。

 

        ・

 

 翌日、善子さんはAqours(アクア)の練習を休んだと、国木田さんから連絡があった。僕は不安に駆られたけれど、善子さんを信じた。

 翌々日は練習に復帰したと、また連絡があり、僕はほっと一安心した。

 

 また、僕はある日、例の喫茶店で宮坂(みやさか)と会って、善子さんに真実を伝えたこと、彼女が石田と別れたことを話した。

 細かいことはもちろん、省略した。

 

「そういえば石田の裏アカ、消えてたな」

 

 宮坂はそういった。僕はあれ以来、彼のアカウントは一度も確認していなかった。でもそうなるのは自然な気がした。

 

 なにかお礼がしたいという僕に宮坂は、あとで食事でもおごってくれ、と話した。

 それくらいなら大歓迎だった。

 

 次の塾の日に、善子さんは来なかった。座席表にも名前はなかったから、事前に連絡して休んだようだった。

 

 善子さんから僕への連絡は、なかった。

 

        ・

 

 翌週。

 

 僕は緑道を歩いて塾へ向かう。

 西の空はきれいなオレンジ色に染まっていた。日中の熱気はまだまだ残っていたけれど、風にはかすかに涼しさを感じた。

 

 塾の座席表を確認して、僕は胸をぎゅっと締めつけられる。そこに善子さんの名前があったから。

 

 僕は窓際の席に座る。

 裏通りの街灯がともった。

 

 足音がして僕は通路へ振り返る。

 

「ひさしぶり、聡」

「うん、ひさしぶりだね、善子さん」

 

 彼女の首元には、なにもついていなかった。

 

 いったん帰宅してから来たのだろう、彼女は紺のセーラー服風の半袖ブラウス――(えり)袖口(そでぐち)が白い――に、同じく紺の膝丈(ひざたけ)のスカートという服装で、僕はいつかよりもずっとずっと、好ましく感じた。化粧もずいぶん薄くて、自然な感じだった。

 

 僕たちはしばらく、無言で見つめあった。

 

 チャイムが鳴り、ほかの生徒と先生が相次いでやってきて、善子さんは席に座る。

 

 授業中、善子さんの席から気になる話が聞こえた。これからの予定のこと。どうやら善子さんは塾をやめるらしい。

 

 窓の外ではみるみるうちに空が青みを増して、そして黒へと色を失っていった。

 

 チャイムが鳴って、善子さんは立ち上がると、丁寧に先生に挨拶した。

 

「いままでありがとうございました、先生」

「はい、津島さん。がんばってください」

 

 先生が去って、僕は善子さんに話しかける。

 

「善子さん、一緒に帰ろうか」

「いいわよ」

 

 善子さんはうなずき、付け加える。

 

「私も、そのつもりだったから」

 

 僕たちはエレベータに乗る。このエレベータにふたりで乗るのも最後だと思うと、不思議な気持ちだった。

 古いエレベータは最後にガクンと揺れたけれど、善子さんはもう、驚かなかった。

 

 エントランスの扉は、僕が開けた。

 

 外に出ると、授業を受けるわずかなあいだに空気はずいぶん涼しくなっていた。

 僕たちは無言で緑道へ向かった。

 

        ・

 

 緑道へ入っても僕たちは会話しなかった。

 風がさやさやと吹き、枝の先に(かたまり)のように咲いたピンクの花の香りを、僕たちに(はこ)んできた。

 

 街灯が善子さんを照らして、僕は最初に、この緑道を一緒に歩いたときのことを思い出す。

 善子さんはそのときと同じく、美しかった。

 

 でも僕は、そのときにはなかった別のなにかを、善子さんの顔に見出してしまう。

 

 単なる美少女ではない。ちょっとかわった趣味の、恋をして、迷い、悩み、決断する、ひとりの生身の女の子としての善子さんを。

 

 でもそれは、僕のほうがかわっただけなのかもしれなかった。

 

 そしていま彼女の顔にあらわれているのは――なんだろう。僕にはわからなかった。

 悲しいような嬉しいような、困ったような恥ずかしいような、複雑な表情の善子さん。

 

 彼女は僕の視線に気づく。

 

「なによ?」

「いや、別に」

 

 とても可愛いよ、と付け加えたくなった。でもそれはきっと、彼女の記憶を掘り起こしてしまうだろう。すくなくとも、いまはまだ。

 

「ねえ、聡」

「ん?」

 

 彼女は両手を体のうしろで組んで、ぽつぽつと話す。

 

「その、この前は、どうもありがとう」

「ああ、うん。たいへんだったね」

「そうね。そういうしか、ないわね」

 

 彼女は唇を歪めて微笑んだ。

 

「あの日、聡がいてくれなかったら、私……」

 

 どうなっていたのだろう。想像したくもなかった。きっとそれは彼女も同じだと思う。

 だから僕は彼女の言葉をさえぎる。

 

「僕はあの日、あそこにいた。それでいいじゃない」

「それは、そうだけど。私、あなたに……悪いことをしたわ。すこし考えれば、わかることだったのに」

 

 善子さんに迷惑をかけられたなんて、僕はすこしも思っていなかった。

 

「僕はいま、善子さんがここにいてくれるだけで嬉しいよ」

 

 僕の前から消えてしまったり、しないで。

 

「……ありがと」

 

 彼女は僕を見つめて、そういった。

 

 視線を前に戻して善子さんは続ける。

 

「聞いてたかもしれないけど、私、塾はやめることにしたわ」

「うん、そうみたいだね。学校の授業のほうは、もう大丈夫なんだ」

「ええ。だからいろいろ考えたの。これからどうしようって」

「Aqoursに集中したい、とか」

「それもあるわ」

 

 今度は前より、いくぶんすっきりとした表情で、善子さんはまた微笑んだ。

 

「今度、ラブライブの予備予選があるの。そのあとは地区予選。だから忙しくなるわね」

「うん、僕も楽しみにしてる」

「どうして聡が楽しみにするのよ?」

 

 首をかしげる善子さん。僕も微笑んで答えた。

 

「だって僕は、Aqoursの、善子さんのファンだから。最初っから」

「もう。なによ。調子狂うわ」

 

 善子さんは頬を赤らめて顔をそらした。

 

 交差する道路を自動車が通過するのを待って、渡る。

 県道まで、ちょうど半分だ。

 

 緑道の舗装が石畳にかわった。

 

 かつかつと善子さんの足音が響く。

 そこに、彼女の声が重なる。

 

「……ねえ、これからも、連絡していいかしら」

 

 善子さんの言葉が、僕の胸にゆっくりと染み込んでいった。

 

 僕の胸の(ほむら)はあの日、消えたけれど、それは実は消えたのではなくて、僕の体中に広がっただけなのかもしれなかった。ずっと前からあった、彼女を想う気持ちと、一緒になって。

 

「うん、そうしてくれると嬉しいな」

 

 善子さんはうなずく。

 

「僕からも、連絡していいかな」

「もちろんよ」

 

 彼女はおずおずと微笑んだ。

 

 車の音が大きくなってきた。

 

 県道に出る直前の銀色の車止め。

 僕は鞄を肩にかけて足を速める。そのまま駆け足になって、車止めに両手をついて、飛び箱のように飛んだ。

 運動神経のまったくない僕だけれど、着地はきれいに決まった。

 

 くるっと僕が振り向くと、善子さんがにこっと笑う。ぽんっと善子さんが鞄を僕に放り、僕はキャッチした。

 

 善子さんはたたっと駆け出して、同じように、車止めを飛んだ。僕よりも、ずっと美しく、飛んだ。

 ふわり、とスカートが舞う。

 

 なんてきれいなんだ、と僕は思う。

 

 大きな襟が広がっただけだろうか。いや、たしかに僕は見た。

 善子さんがまとう、白い、天使の羽を。







次話、エピローグにて完結予定です。
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