強がりの堕天使に祝福を   作:Kohya S.

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18. 契約

 数日後、僕は内浦(うちうら)に向かうバスに揺られていた。

 僕は窓へ向けていた視線を通路側に戻す。

 隣には、善子(よしこ)さんがいる。びっくりだ。

 

「なによ?」

「いや、別に」

 

 深い紫色、ドレス風のワンピースを着た善子さん。肩回りとスカートの(すそ)は白く清楚な雰囲気を(ただよ)わせ、襟元(えりもと)を飾る、リボンと丸い石のアクセサリーが目を引く。

 リボンやフリルは若干装飾過多な気もしたけれど、とても可愛らしかった。

 

 Aqours(アクア)の練習が休みのこの日。善子さんに、内浦に遊びにいこう、と誘われたのだった。案内は彼女がしてくれるらしい。

 

 夏休み、内浦に向かうバスはさすがに混んでいて、僕たちは隣り合わせに座ったのだけれど、彼女との距離が近くて僕は落ち着かなかった。

 なにしろ体温まで感じられるのだから。

 

 冷房が効いた車内で、僕の体はずっと火照(ほて)ったままだった。

 

 僕はもう一度、車窓を眺めた。そして今朝、家を出る前にかかってきた電話を思い出す。国木田(くにきだ)さんからの電話だった。

 

『今回のことで、マル、どうしてもお礼をいいたかったんです。ありがとうございました、中井(なかい)さん』

 

 国木田さんは挨拶を終えてそう話した。

 

「そんな……お礼をいわなきゃいけないのは、僕のほうです」

『でも、中井さんがいなかったら、マル、どうしていいか、わからなかったと思います』

「そんなことは……」

 

 たぶん国木田さんなら、いつか必ず、善子さんを彼の手から救い出していただろうと思う。でも、それは取り返しのつかないくらい、遅れていた可能性は否定できない。その点で僕は、誇ってもいいのかもしれなかった。

 

 逆に、国木田さんがいなければ、善子さんの説得に失敗していたかもしれない。その場合のことも、考えたくなかった。

 

「僕ひとりだと、もっと悪い結果になっていたかもしれません。だから、国木田さんのおかげです。ありがとうございました」

『そういってもらえると嬉しいです。でも、マルはやっぱり、脇役(わきやく)ずら』

 

 国木田さんはくすくすと笑った。

 

 彼女は僕が今日、善子さんと、内浦で会うことを知っていたのだろうか。

 

 カーブでバスが傾いて、僕はあわてて善子さんに肩が触れないように、体を支えた。

 

        ・

 

 僕たちの会話は最初、ぎこちなかった。でも、ここ最近のこと――彼女と話す機会のなかったこと、たとえば最新刊の「マー」について――を話すうちに、それも自然に消えていった。

 

 内浦に入って、僕たちはバスを降りる。

 天気は快晴だった。

 

 善子さんの案内で、僕たちは内浦をまわった。

 こじんまりとした海水浴場。長浜(ながはま)城址(じょうし)弁天島(べんてんじま)

 

「最初に果南(かなん)さんに会ったときには、ほんと、びっくりしたわ」

 

 彼女はAqoursメンバーとのちょっとしたエピソードを(まじ)えて、語った。

 彼女の言葉の端々(はしばし)から、彼女がここをとても気に入っているということが伝わってきた。

 

 彼女のかよう(うら)(ほし)女学院にも行ってみた。学院までの坂は長くて僕は息も絶え絶えになったが、彼女は涼しいものだった。聞けば朝夕の通学どころか、いつもトレーニングで上り下りしているらしい。

 Aqoursの黒澤(くろさわ)さんの豪勢な屋敷や、歴史のある旅館だという高海(たかみ)さんの家の前も通った。

 

 そして伊豆・三津(みと)シーパラダイス。

 

 内浦は、いいところだった。

 

 僕は善子さんとのデート――そう、デートだ――を満喫(まんきつ)した。きっと彼女も楽しんでくれたに違いない。そう思った。

 

 すこし足をのばせば淡島(あわしま)にまだいくつも見どころがあるらしいけれど、今日はもう十分だった。

 最後に僕たちは「松月(しょうげつ)」という菓子店兼喫茶店へ入る。

 

「私は普通にショートケーキが好きだけど、おすすめは『みかんどら焼き』みたい」

 

 そういう彼女に僕はショートケーキとアイスコーヒーをふたつずつ頼んだ。

 

「実はね、今日のプラン、花丸(はなまる)と考えたのよ」

 

 席について、善子さんはすこし恥ずかしそうに話した。

 

「そうなんだ」

 

 なるほど、と思う。だから国木田さんは僕に電話をかけてくれたんだ。

 

「彼女に、感謝しなくちゃだね」

 

 もちろん国木田さんに話した通り、善子さんが――大事(だいじ)に至らなかったことに感謝しなくてはならない。そしてさらに――。

 

「今日はとても、楽しかったから」

「そ、そう。それはよかったわ」

 

 善子さんは頬を染めてぷいっと脇を向いた。そのようすが可愛くて、あらためて僕の胸はときめく。

 お団子(シニヨン)にまとめた髪に、僕はちょっと触れてみたくなる。

 

 僕はそれをごまかすためにコーヒーを飲む。つられるように善子さんもストローを口に含んだ。

 

「にがっ!」

 

 僕はくすりと笑う。

 

「ミルク、入れればいいのに」

「ふっ、黒は堕天使のアイデンティティー」

「……そうだったね」

 

 かわらない彼女に、僕は嬉しくなった。

 

 それから僕たちはまた、色々な話をした。

 もちろん、僕たちはもう、あの日の話はしなかった。

 

        ・

 

 適当なところで僕たちは切り上げた。

 内浦から沼津への終バスはかなり早いらしい。

 

 帰りのバスは行きよりもずっと()いていたけれど、僕たちは隣同士で座った。

 

 バスは駿河湾(するがわん)に沈む夕日を見ながら走る。

 

 途中、僕のスマートフォンにメールが届いた。

 善子さんに断って開くと、国木田さんからのメールだった。

 

『今日はありがとうございました。善子ちゃんをよろしくお願いします』

 

 そこにはそう書かれていた。すっかりお見通しらしい。

 もちろん、善子さんを放っておくつもりなんて、さらさらなかった。

 

 沼津市内で僕たちはバスから降りる。

 このまま彼女と別れたくなかった。

 善子さんに出会えた奇跡を、終わらせたくなかった。

 

 彼女があの塾を選んだこと。あの日、彼女があそこにいたこと。たまたま「マー」の発売日だったこと。「世界は不思議に満ちあふれている」――まさにその通りだ。

 

「ねえ、善子さん。すこし遠回りになるけど、緑道から帰ろうか」

「私は、いいわよ」

 

 遠回りになる、なんてものじゃなかった。むしろ逆方向だ。でも、善子さんは同意してくれた。

 

 緑道に入ると、先日とはまた違う、ピンク色の大輪の花が出迎えてくれた。

 僕たちはゆっくりと歩く。

 

 西の空の最後の残照が消えて、かわりに月光が優しくあたりに満ちていった。

 

 ちらり、と僕は善子さんを眺める。美しい横顔とすらりとした手が、白く、黄昏(たそがれ)に浮かび上がって見えた。

 

 涼しい風が、虫の声とともに僕たちのまわりを流れる。

 

 僕は前を向いたまま、彼女の手を握った。

 彼女の手がぴくりと動いて、ぎゅっと握り返してくれた。

 そこから伝わる熱で僕の胸が温かく――いや、熱くなった。

 

 ベンチが置かれた、すこしだけ歩道が広くなったところで僕は立ち止まる。

 (むす)んでいた手をといて距離を取ると、彼女は不思議そうに眉を上げた。

 

「善子さん」

「なあに?」

「笑わないで聞いてほしい」

「なによ、あらたまって」

 

 善子さんはあきれたように(あご)を上げて、僕を見つめた。

 瞳に街灯の明かりが反射して、まるで星のようにきらめく。

 

 その瞳に吸い込まれそうになって、僕は急いで続ける。

 

「急にこんなことをいうのを、許してほしい。君のことを考えたら、いまじゃないほうが、いいのかもしれない」

「へんなこと、いうのね」

 

 善子さんのまつげがかすかに震えているようなのは、気のせいだろうか。

 

「でも、僕のわがままを許してほしい」

「それで、なんなの?」

 

 詰問(きつもん)するような口調とは裏腹に、かすれた声。

 僕は大きく息を吸い込んだ。

 

「僕と、付き合ってくれないかな。善子さんのことが、好きなんだ」

「わたしの……こと、が?」

 

 善子さんは信じられないというように口元に手をあてた。

 

「うん、君のことが」

 

 僕は迷いなく、即答した。

 

「こんな……堕天使で、ちょっとへんなところのある、私が?」

「うん、そこをふくめて、善子さんのすべてが」

 

 胸の動悸(どうき)が激しくなるのを感じながら、懸命に平静を(よそお)って、僕は彼女の返事を待つ。

 

 雲が月にかかって、緑道の闇が濃くなる。

 

 しかし、彼女は、うなずいてはくれなかった。

 半歩あとずさって、善子さんはちいさな声で、ささやくようにいう。

 

「……けがれてしまった、私を?」

 

 善子さんの言葉は僕をしたたかに殴りつけた。僕はよろけそうになって、ぐっと脚に力をこめる。

 彼女と石田がどんな関係だったかは、わからない。

 でも、だから、なんだっていうんだ。

 

「けがれてしまったなんて、思わない」

 

 僕は善子さんに近づいて、両手で彼女の手を取る。彼女の手は冷たかった。

 

「善子さんは僕にとって、いつも、堕天使じゃなくて、天使だったから」

「堕天使じゃなくて、天使……」

 

 僕はうなずいた。その手を、心を、温めてあげたいと思う。

 

 黒い、夜空のような髪を背景に、善子さんは僕を見つめ、唇をかみしめて――首を振る。

 

「ダメよ。私……彼と契約をしてしまったから」

 

 彼女は髪で隠すように顔をそらして、鼻をすすった。

 

「契りを、結んでしまったから。天界の、契約を」

 

 僕の体は、僕の意に反して、びくりと痙攣(けいれん)してしまう。

 

 それは――僕の想像通りの意味なのだろうか。たしかめるのが、怖かった。でも、たしかめずにはいられなかった。

 

「契約?」

 

 僕は思わず、聞いてしまう。

 

 もしそうだったとして、僕は善子さんのことを――。

 

 答えは、明らかだった。

 いま、目の前にいる女の子。肩を震わせている僕の天使。彼女が、いまここにいる。

 僕は、それだけでよかった。

 

 聞いてしまったことを、僕は後悔した。

 でも、取り消すことはできなかった。

 

 善子さんは――こくりとうなずく。

 

 僕の背中から風が吹いて、ざざあっと(こずえ)が鳴った。

 

「そうよ。私、彼と……キスをしてしまったもの。誓いの、キスを」

 

 僕は善子さんをぎゅっと抱きしめる。

 

「きゃっ!」と彼女が、可愛らしい声を出した。

 

 一瞬、善子さんはからだを硬くしたけれど、すぐに力を抜いて僕に身をあずけてくれる。

 細くて柔らかい彼女のからだ。その感触が僕の腕にしっかりと伝わった。

 

「だから、私、ごめんなさい」

 

 さらにいおうとする彼女に、僕は耳元でささやく。

 

「堕天使ヨハネは契約を結んだのかもしれない。でも、善子さんは?」

「えっ……」

「僕は、善子さんが好きだ。もちろん、ヨハネだって大好きだけれど。善子さんに、ヨハネを忘れてほしい、とはいえない」

「それはそうよ。私はヨハネだもの」

 

 すねるような口調。彼女の香りに酔いながら僕は話す。

 

「そうだよね。それなら、僕が善子さんと契約をしたなら、ヨハネの契約は上書(うわが)きできるんじゃないかな」

「上書き?」

「うん。だって、ヨハネは善子さんの一部だから」

 

 善子さんは両手で僕の体を押した。すこし距離があいて、彼女は僕を、まっすぐに見つめる。

 

「……お、面白いこと、いうのね、(さとし)。だまされてるような気がするわ」

 

 ふたたびあわられた月の光に、彼女の肌が白く輝いた。

 僕はヨハネではなくて、善子さんにいう。

 

「善子さん……君のすべてが好きだ」

 

 善子さんが両手を、僕の体の後ろにまわす。

 僕はもう一度、彼女を抱き寄せる。距離が、縮まる。

 

「だまされても、いいわ」

 

 善子さんは目を閉じて、わずかに顎を上げた。僕も目を閉じる。

 

 そして、僕は彼女と、唇を重ねた。

 契約を上書きするために。

 

 

 







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