次の土曜日。僕は沼津市街の商店街まで買い物に行った。雨だったので自転車ではなく、傘を差して歩いた。幸い商店街にはアーケードがあった。
傘を
いくつかの店で買い物をして最後に書店へ行った。本は重いので最後にするのがいつもの僕のルートだった。
文庫やコミックもそれなりに読むものの、僕の目当てはやはりオカルト関連の棚だ。この書店にはかなりの量が揃っていた。
超古代文明や宇宙論に魔術や魔法、ファンタジーに都市伝説、さらに開運術まで同じ場所に並んでいるのは玉に
手に取った新刊本はなかなか興味深く、僕はまったく彼女に気づかなかった。
「あれ、
僕は本を取り落としそうになる。
今日は制服ではなくて私服姿で、
「善子さん。今日は
僕はオカルト関係というだけで、ごちゃまぜの棚を作った本屋に感謝した。
「ええ、雨だから中止になったわ。聡は、部活とかないの?」
「僕は、もともと今日は休みだから」
文化部なんて、どこもそんなものだと思う。Aqoursは土曜日にも練習をしているらしい。どちらかというと運動部なのかも。
「ふーん、そうなのね。なにか面白い本、ある?」
彼女は僕の隣まで来て棚を眺めた。ふわりと、彼女の付けている香水かなにかの匂いがして、僕はドキリとした。
「どうかな。善子さんが好きなような本は、よくわからないから」
「ふふ、そうかもしれないわね。……あら、これちょっと面白そうじゃない」
善子さんは「新約・神秘学の理論と技法」という題名の本を手にしてパラパラとめくった。
ちょっと話題になった本で、僕は、いわなければいいのについ口に出してしまった。
「あ、その作者、あまり評判よくないよ。歴史を無視して自己流の解釈で書いてるから」
彼女はジトっという目で僕を見て、ふうっとため息をついた。
「科学的じゃないってわけ?」
「まあ、ね」
善子さんはパタンと本を閉じて棚に戻した。
すこし体をかがめて、彼女は本を探した。
まん丸の
そして善子さんが僕の前で、いつか髪を解いてくれることがあるのだろうか。
僕はそんな思いを振り払って、彼女に話しかけた。
「善子さんは、今日はひとり?」
もちろん、ひとりならなにかに誘ってもいいんじゃないか、と僕は思ったのだけれど。
「友達と一緒よ」
あっけなくその思いは打ち砕かれた。
「善子ちゃん」
そのとき僕の背後から声がした。
「噂をすれば、ね」
僕は善子さんの視線を追う。そこにはAqoursの動画で見た女の子、
国木田さんは茶色の髪、すこし垂れ気味の優しそうな目をしていて、動画で見たよりもずっと可愛かった。
「ずら丸、今日はわりと早かったわね」
善子さんはそういって微笑み、付け加えた。
「それに、善子じゃなくてヨハネよ」
「ずら丸」についての僕の推測は裏付けられた。
でも、ヨハネは――そう、Aqoursのブログでも見た、善子さんのニックネームだ。友達にはヨハネと呼んでもらいたい、ということかもしれない。僕は善子さんにいわれたことがないけれど。距離感の違いだろうか、と思った。
僕がすこし通路の中央からよけると、なんとなく三人で会話するような形になった。
「雨だから、すこし控え目にしておいたずら」
そういう国木田さんの背中には、緑の風呂敷包みが背負われていた。お
「それで控え目、ねえ」
善子さんは風呂敷を見ながらあきれたようにいった。ということは、中身は本らしい。
国木田さんはちらっと僕のほうを見てから善子さんに聞いた。
「善子ちゃん、お友達?」
「ええ、そうよ。
「そういえば善子ちゃん、授業の遅れを取り戻すっていってたね」
「え、ええ、そうよ」
善子さんは国木田さんの言葉にかぶせるように話した。
「ほら、聡、なにかいいなさいよ!」
突然、話を振られてびっくりしたけれど、彼女の期待を裏切らないように僕は話した。
「えーと、中井聡です。
オカルト趣味とか「マー」のことはいわないほうがいいだろう。
「国木田花丸です。善子ちゃんと同じクラスです。よろしくお願いします」
彼女は丁寧に頭を下げた。そして気になるのか僕をじっと見つめた。
僕がなにかいおうとしたとき彼女は口を開いた。
「善子ちゃんの趣味のお友達かな?」
きらっと彼女の目が輝いた。
「うん、まあ、そんな感じかな」
僕は彼女の鋭さに驚いたけれど、冷静に考えれば、書店のこの売り場にいるのだからわかって当然だった。
「なるほど。善子ちゃんをよろしくお願いします」
国木田さんはぺこりと頭を下げた。
「なによ、ずら丸。その『よろしくお願いします』って!」
「言葉通りの意味だよ、善子ちゃん。なにかおかしい?」
「べ、別におかしくないけど……。なにか気になるわ、その言い方」
「気にしすぎずら。……善子ちゃん、先に帰る?」
国木田さんは可愛らしく首をかしげた。
「帰らないわよ! もう、なによ、ずら丸」
「えへへ。マル、ルビィちゃんを呼んでくるね」
国木田さんはもう一度僕に会釈してから、売り場の奥のほうへ歩いていった。
あれは、どうなんだろう。気を回してくれたのだろうか。嬉しいけれど戸惑いのほうが大きかった。
「花丸、へんに鋭いのよね」
善子さんは肩をすくめた。僕はそこにはノーコメントだった。かわりに気になったことを話した。
「面白い言葉遣いだね、国木田さん」
「ああ、彼女、お寺の子で、おばあちゃんっ子だから」
お寺か。たしかにブログの文章にもそんな雰囲気はあった。僕はうなずいた。
そして国木田さんと善子さんの気のおけない感じから、ふたりはとても仲がいいんだな、と思った。
「それで、どうする、聡?」
善子さんが聞いた。
たぶんこのままここにいたら、
「僕は、帰るよ」
「そう。わかったわ」
善子さんはそれがいいと思う、というようにうなずいた。
・
次の月曜日、高校での昼休み。
購買で昼食を買ってきて教室の自分の席に落ち着くと、ゲームをプレイしていたらしい隣の席の
「なあ、中井」
「ん?」
宮坂は小声で話した。外で食べる組はすでに教室を出て、僕たちのまわりには話を聞かれるような生徒はいなかった。
「
「うん、それがどうかした?」
そう答えた瞬間に思い出した。善子さんと国木田さんに会ったことを。
果たして、宮坂は続けた。
「誰だ、あの可愛い子?」
「誰って、誰だろう」
とりあえず僕はとぼけてみた。
「黒髪をお団子にまとめた子だよ。なんか楽しそうに会話してたぜ」
「ただの友人だよ」
「へえ、友人ね。クラスの女子ともろくに話さないのに、ずいぶん親しくなったんだな。付き合ったりはしてないのか?」
「まさか」
僕は首を振った。そうなればどれだけよかったか。
「なんだ、つまらないな」
「余計なお世話だよ」
僕は知らんぷりしてサンドイッチのパッケージを開けた。
彼は僕の気も知らずに――または知りながらあえて、話を続けた。
「いったいどこで知り合ったんだ? 他校だろ、あの感じだと」
「たまたま、塾で」
しかしどうして他校だとわかるんだ。
僕の疑問を察したのか宮坂はいった。
「だってあんな可愛い子、うちの高校にいたら、すぐわかるだろ」
それはそうだ。
「しかし、塾か。なるほど、そういう出会いもあるんだな」
宮坂は感心したようにつぶやいた。一方的に色々いわれるのも
「そういう宮坂はどうなんだ? 彼女とか、いないのか?」
「俺は、いないなあ」
彼はわざとらしく大きなため息をついた。
「まったく、中井がうらやましいぜ。いまは友人かもしれないけど、そのうち彼女になるかもしれないだろ」
「どうなんだろう」
僕にはわからなかった。そうなってくれれば嬉しいし、そう願っていた。このときは。
でも――たしかに知り合えたことだけでも、幸せなことに間違いはなかった。
スマートフォンに顔を戻そうとする宮坂に僕は聞いた。
「ゲームに出会いは、ないのか?」
「ないなあ。むしろどっちかというと、SNSかな。お前も使ってるだろ?」
彼は僕にもおなじみの
「あっちなら、結構、親しく話してる
「へえ、すごいじゃないか」
「ただ、性別年齢不詳だから、難易度が高いな。そうだ、中井。その子のアカウントとか、聞かなかったのか?」
「いや、それは知らないよ」
メールアドレスは交換したけれど、黙っていた。
「そうか、友人でも紹介してもらおうと、思ったんだけどな」
宮坂は首を振ってゲームを再開した。
でもたぶん、善子さんはSNSは使っていないんじゃないかな、と僕は思った。
・
次に会ったとき、僕はさりげなく善子さんに聞いてみた。やはり彼女はSNSは使っていなかった。そのかわりというわけではないけれど、僕は彼女と電話番号を交換することに成功した。
そのしばらくあと、Aqoursの新しい動画が公開された。
今回は新曲を紹介する動画で、「夢で夜空を照らしたい」という題のその曲は、六人になったことでぐっと奥行きが増していた。
衣装も、前回の動画とは異なって、大きなリボンと半透明の生地で作られたフリルが目を引く、とても可愛らしいものだった。
曲に組み合わせられた映像には、夕焼けの内浦の海と空。それを背景に、空に昇っていく無数の光。幻想的で美しかった。
そしてこれが、僕が初めて聴く善子さんの曲だった。
彼女の歌は素晴らしかった。
そしてもちろん、彼女はとても愛らしくて、美しかった。
夏休み前、Aqoursは東京のスクールアイドルイベントに参加した。
僕は動画で確認しただけだが、Aqoursのパフォーマンスは悪くなかったと思う。でも、他のグループがそれ以上に
塾の帰り、善子さんはさすがに落ち込んでいるように見えた。でもそれは、彼女がそれだけ真剣にスクールアイドルに、Aqoursに取り組んでいたことの裏返しなのだろう。
次に会ったときには彼女はまた、例の自信を取り戻していて、僕は安心したのだった。
こうして僕はすこしずつ、僕の勘違いでなければ彼女との距離を縮めていった。知り合えただけで幸せ、そう思いながら、どうしても僕はさらにその先に、思いをはせてしまった。
しかし、それは突然、暗転することになる。一通のメールとともに。