強がりの堕天使に祝福を   作:Kohya S.

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6. 告白

 夏休みまであとすこしの、ある日の夜。

 僕のスマートフォンに善子(よしこ)さんからのメールが届いた。善子さんとは幸いなことに定期的に会っていたし、急に連絡を取る必要もないので、先月、連絡先を交換したとはいえ、ほとんどやり取りはなかった。

 僕は不思議に思いながらメールを開いた。

 

 そこには短い文章で、明日、塾で会いたいこと、大事な話があることが書かれていた。

 

 僕は「大事な話」という言葉を目にして、どうしても考えてしまった。もしかして告白というものではないだろうか、と。

 いや、ひょっとしたら期末テストの結果が散々で、助けを求めたいのかも。

 

 ただ、善子さんはもともと、かなり頭がいいようだった。塾に(かよ)い始めたのも、事情があってしばらく授業に出られなかったのを取り戻すためらしい。いまはすっかり追いついているみたいだった。

 もしかしたら、塾はもうやめる、ということかも知れなかった。

 

 だから僕はその日、期待半分不安半分で、いそいそと塾へ向かった。

 

 授業の前に話すのはふさわしくないと善子さんは考えたのだろう。会ったときには彼女は、いつものように挨拶しただけだった。

 でも付き合いの長くなった僕にはわかった。彼女は間違いなく、どこか嬉しそうだった。

 

 授業が終わり、僕はどうしても気になって僕から先に話しかけた。

 

「善子さん、大事な話って、なにかな?」

「ああ、それね」

 

 善子さんは目をそらした。

 

「ここだとなんだから、帰り道、話しましょ」

 

 僕はうなずいた。

 

 エレベータの「開」ボタンを押す僕に、彼女はいつものように微笑んでくれた。

 

 エントランスから外に出ると、思ったよりも冷たい、やや強い風が吹いてきた。空は雲に(おお)われて、日没直後のはずなのにあたりは暗かった。

 天気予報では梅雨明け間近の不安定な天気、雷雨に注意、ということだったので、僕は折り畳み傘を用意してきたけれど――。

 

「善子さん、傘、持ってる?」

「ええ、大丈夫よ」

 

 彼女もわりとそのあたりの準備はいいようだ。ただ、肝心の傘が壊れていて開かなかったりといった不運には、よく見舞われるらしい。

 

 彼女はすこしスカートを気にしながら歩いた。見てはいけないと思いながら、僕はどうしても気になって仕方がなかった。視線はなるべく、そちらに向けないようにした。

 

「でも、急にメールが来てびっくりしたよ」

「ごめんなさい。でも、(さとし)には最初に、話そうかなって思ったの」

「そうなんだ。なんだかわからないけど、嬉しいね」

 

 善子さんはにこりと微笑み、僕の期待は大きくなった。もうすこし彼女の言葉に注意していれば、不安のほうが大きくなったはずなのに。

 

 緑道へと曲がった。

 ところどころの広葉樹が白くて小さな花を、まるで葉っぱ全体にまき散らしたようにいくつも咲かせていた。

 

「それで、話って?」

 

 気になって仕方なくてすこし早口になってしまった。

 

「実はね……」

 

 善子さんは、ぽっと頬を染めた。それは僕の期待をさらにふくらませた。

 

 でも、その期待は、次の彼女の言葉で吹き飛んでいった。

 

「あのね、か、()()()()()()()()()、なのよ」

 

 彼氏? それは僕のこと?

 そう聞きたくてたまらなかった。

 

 でも、僕ではない。

 そんなことはわかっていた。

 

 木々の(こずえ)がざわざわと鳴った。

 

 彼女は僕の反応を待っていた。

 それでも僕は一縷(いちる)の望みを託して、聞いた。

 

「彼氏って、誰?」

「それは、さすがに秘密よ」

 

 善子さんは頬を染めたままぽつりといって、顔をそむけた。

 

 美しい横顔。そこにはなにか、いままでと違うものがないだろうか。恋する乙女の、それが。

 

「でも、会って一目(ひとめ)でわかったわ。彼が運命の人だって」

「どこで、出会ったの?」

 

 聞きたくない。聞きたくないのに、聞かずにはいられなかった。

 

「ほら、商店街にあるでしょ。スピリチュアル・グッズのお店」

「うん、知ってる」

「そこで出会ったのよ。話しかけられて、私、思わずいつもの調子で……その、答えちゃったんだけど、彼はすこしも笑わずに聞いてくれたわ」

 

 彼女は饒舌(じょうぜつ)だった。僕の気も知らずに。僕はときどき、相槌(あいづち)だけをはさんだ。

 

「私、自分のこと……すこし嫌いになってた。でも、Aqours(アクア)に出会って、それに、あなたにいわれて、考えをあらためたの」

 

 彼女はじっと僕の目を見つめた。僕はかろうじて目をそらさずにうなずいた。

 

「……別に完全に否定しなくってもいいんだって。それは、堕天使とかサタンとか、ありえないことかも知れないけど。それをわかってさえいれば、別に悪いことじゃないんだって」

「うん、そうだね」

「隠さなくてもいいんだって。だから、彼に出会えたのは、あなたのおかげね。ありがとう」

 

 僕は足を止めた。すぐに善子さんも立ち止まり、不思議そうに僕のほうを向いた。

 

 ごおっと音を立てて、風が強く吹いた。

 

「……それで、彼は……魔法とか魔術について、どう思ってるのかな?」

「いろいろ詳しいわよ。なにしろ初めて、私の話を理解してくれた人なんだから」

「そうじゃなくて」

 

 思ったよりも語気が強くなってしまい、善子さんはびくりとした。僕は無理矢理、笑顔を浮かべて続けた。

 

「……実在については、信じてるのかな」

 

 善子さんは今日初めて、不安そうに眉をひそめた。

 

「それは……わからないわ。わからないけど……だから、どうだっていうの。話が通じるっていうのは、それだけで素晴らしいことなんだから」

「それはそうだけど。でも……」

 

 でも……なんだ?

 

 善子さんがどんな選択をしても――虚構(きょこう)でも本気でも中庸(ちゅうよう)でも――いいって思ったのは、僕自身じゃないか。それを僕は、見ず知らずの第三者には押し付けるのか。

 

 押し黙った僕に彼女は挑発するようにいった。

 

「科学的とかどうとか、関係ないわ」

 

 僕の胸に、その言葉は深く突き刺さった。

 

 僕が呼吸もできずにいると、突然、空が光った。彼女の顔が白く浮かび上がる。そこにあるのは――後悔、だろうか。

 

 また闇が戻ってきて、一瞬ののち、雷鳴がとどろいた。

 

「きゃっ!」

 

 彼女の小さな叫び声が僕を現実に引き戻した。

 

「大丈夫?」

「え、ええ。大丈夫よ。ちょっと驚いただけ」

 

 雷にくらべるとずっと頼りない街灯の光のなか、善子さんはうなずいた。

 ぽつぽつと大粒の水滴が落ちてくる。雨の降り始めの、あの独特の匂いがした。

 

「とにかく、おめでとう、善子さん」

 

 僕は薄暗い街灯と降り出した雨が、細かい表情を消し去ってくれることを期待して、いった。

 

「ありがと。あなたなら祝福してくれると、思ってたわ」

 

 彼女の声には、ほっとしたような気配がにじんでいた。

 

        ・

 

 そのあと、彼女と僕はふたりとも傘を開き、それ以上、言葉を交わさなかった。

 雨はすぐに叩きつけるような本降りになった。小さな折り畳み傘ではとても間に合わず、足元はどんどん濡れていった。

 それは善子さんも同じだった。でも僕はどうしても、彼女を気遣(きづか)うことができなかった。

 

 県道まで出て、ようやく僕は彼女と目をあわせた。

 

「それじゃ、善子さん。またね」

「ええ。さよなら」

 

 善子さんは短くいって僕に背を向けた。

 

『雨、ひどいけど、家まで大丈夫?』

 

 その一言(ひとこと)が僕にはいえなかった。

 そんな自分の狭量(きょうりょう)さが、たまらなく嫌だった。

 

 僕は県道の歩道を大股で歩いた。

 雨はいっこうに弱くならず、ときどき車道から水しぶきも飛んできた。濡れた制服のスラックスとシャツが体に張りついて、気持ち悪かった。

 

 善子さんに彼氏ができた。僕ではなくて。ほかの誰かと彼女が、付き合うってことだ。

 

 同意反復(トートロジー)めいた文章が頭のなかをぐるぐると(めぐ)った。

 

 なにが悪かったんだ。彼女の言葉に――魔術とか魔法とかに、共感してあげなかったから? そうかも知れない。でも、そんなことをして彼女は喜ぶのか? 僕はそうは思えなかった。

 

 しかし、現実は違った。

 

 例の彼がどんな人かはわからない。でも、実際に彼女は彼を選んだんだ。

 

 なにが違ったんだ。彼と僕と。現実との折り合いの付け方か? それとも単に彼女のことを、彼女の身になって考えられなかっただけか? 彼女はそれが嬉しいのか?

 

 僕には、わからなかった。

 

 気がついたときには、僕は自宅マンションのドアの前にいた。なんの役にも立たない傘を、右手に差したまま。

 

 鍵。鍵を出さないと。

 

 どこにしまったか、思い出せなかった。

 

 鞄のなかをゆっくりと探し、結局、ポケットにあった鍵で僕はドアを開けた。親が帰ってきていないのがありがたかった。

 

 親に怒られるな、と思いながら制服を脱いで、熱いシャワーを浴びた。

 

 蛇口をひねってシャワーを止めて、僕はようやく、水の音から解放された。いつのまにか雨が()んでいた。

 

 部屋着に着替えて自室へ入った。

 

 本棚に並んだ、赤い背表紙。大量の「マー」。僕にはそれが、今日に限って、血の色に見えて仕方なかった。

 

        ・

 

 一睡(いっすい)もできない夜を過ごし、それでも日常は流れていき、次の塾の日には僕はかろうじて、善子さんに対面できるだけの勇気を取り戻した。

 

 教室で善子さんを見たときには、キリキリと胸が痛んだ。僕はそれを押し殺して、彼女に微笑んだ。彼女もにこっと笑った。

 

 帰り道。善子さんと一緒の帰り道。ひとりで帰る、という選択は、僕には取れなかった。

 

 彼女は僕にいままで通り接してくれた。嬉しくもあり、悲しくもあった。

 

 超常現象や魔法のことを話して、僕は一瞬、前回のことを忘れかけた。

 でも、それがいけなかったのだろう。彼女は、彼女にとっては自然に、彼のことを思い出したのだ。

 

「そういえば、今度、PVに使おうかと思っていた台詞。格好いいって、彼にほめられちゃったわ。聞きたい?」

「……うん、ぜひ」

 

 彼女は微笑んでうなずき、こほんと可愛らしく咳払いをしてから、一段低い声で話し始めた。

 

「感じます。精霊結界の損壊により、魔力構造が変化していくのが。世界の趨勢(すうせい)が天界議決により決していくのが……」

 

 僕には、その良し悪しはわからなかった。でも、世界の趨勢がそんな簡単に決まるなら苦労はしないな、そう思ってしまった。

 

 だから善子さんは、文章と文脈を理解してくれる彼ができて、幸せなのだろう。そう思った。そう、思おうとした。

 

        ・

 

 夏休み直前、Aqoursは九人になっていた。Aqoursがゲストとして呼ばれた狩野川(かのがわ)花火大会には、僕もひとりで見物に行った。

 新しく加入した三人の三年生もすごい子ばかりで、Aqoursの魅力は否応(いやおう)なく増していた。

 

 夏休み、塾のコマ数を増やすこともできたけれど、僕はそのままにした。部活もあるしそこまでの必要性は感じなかった。

 それは善子さんも同じだったらしい。

 

 彼女は会うたびに、彼の話題を無邪気に僕にふった。でも、僕はようやく笑顔のままでこたえられるようになっていた。

 ただ、善子さんはときどき、塾を休むようになった。僕はきっと、Aqoursの練習で忙しいのだと思っていた。

 

 

 

        ◆

 

 

 

 善子さんのいない、塾の教室。

 僕は問題を解き終えて、また外を眺める。

 

 外はずいぶん暗くなって、すこし前に降り出した冷たい雨は()む気配もない。

 僕が見ているうちに街灯がひとつ、またひとつと、ともる。

 

 僕は、街灯の光の傘のなか、小さくなっていく善子さんの背中を思い出した。

 そして僕は、善子さんがそのまま、二度と帰ってこない気がして――あわてて頭を振り、イメージを追い払った。

 

 そろそろ授業も終わる。緑道から帰ろうか――いや、今日は別の道にしよう。

 

 ひとりで歩く緑道は、寂しかった。特にこんな雨の日には。

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