強がりの堕天使に祝福を   作:Kohya S.

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7. 傾倒

 部活に行ったり、塾に行ったり、ときどき宮坂(みやさか)と沼津市街で遊んだりして僕は夏休みを消化した。

 

 失恋したといっても、告白したわけではない。それなのにどうして僕は落ち込んでるんだ。たまたま知り合った友人の女の子に、彼氏ができただけ。よくある話だ。

 そう自分にいい聞かせた。

 

 僕の心のなかには色々な――とても人にはいえない情念が嵐のように吹き荒れていたけれど、それに(ふた)をして、忘れたふりは、できるようになった。

 彼女の幸せを願うことだってできた。

 

 それは、かりそめの平和な日々だった。

 

        ・

 

 夏休みのある日。

 部活を終えた僕は塾に向かった。塾で座席表を確認すると、そこには善子(よしこ)さんの名前があった。ただ、もうひとつ気になる掲示も。「講師急病のため受付まで」と書かれていた。

 

 受付で塾の職員は、代理の講師が手配できなかったため休講にさせてほしい、と申し訳なさそうに話した。講師からの連絡が急で、僕たち受講生への事前連絡もできなかった、とも。

 授業料は戻ってくるようなので、別にかまわなかった。

 

 ただ善子さんは来るかもしれない。僕はしばらく自習室で待った。

 

 しかし、十分ほどしても彼女は来ない。彼女は塾にはいつも同じ時間に来ていた。バスの時刻のせいだと思う。だから今日も休みらしい。考えが当然の帰結に落ち着いて、僕はため息をついて席を立った。

 

 これからどうしよう、と考えながらビルの外に出る。

 

 そうだ、と思い出して善子さんに休講になったというメールを送る。彼女が休むことに罪悪感をおぼえているかどうかはわからない。でも多少とも善子さんの心が安らぐなら、と思った。

 

 スマートフォンをしまう。

 日が暮れて、真夏の日中の熱気もようやくおさまり、吹く風にすこしだけ涼しさを感じる。

 

 せっかくできた予想外の空き時間。僕はひさしぶりに市街地へ行ってみることにする。適当にうろうろして、最後に本屋にでも寄ってこよう。

 

 商店街へ入ってしばらく歩いて、ふと僕は気づく。

 善子さんが話していた「スピリチュアル・グッズの店」、彼女が彼に出会ったところが、すぐ近くだった。

 どうしてこっちに来てしまったのだろう。

 でも、悔しさと無念さと好奇心とが胸に渦を巻いて、僕は店に足を向けた。

 

 看板には読みにくい書体で店名が書かれていた。

 ショーウィンドウから漏れる光が路面を照らす。店に近づくと店内は意外に明るくて、なかのようすが()けて見えた。

 

 ()めておけばよかった。

 すくなくとも、すこしでも気配を感じたとき、見なかったふりをして回れ右をすればよかった。そうすれば気のせいだと、自分を(なぐさ)められただろう。

 

 でも僕は逆に、目が店舗のなかの人影をとらえた途端に、ショーウインドウに近づいてたしかめてしまう。

 

 そこには善子さんがいた。塾の座席表には名前があったのに。

 

 ということは、Aqours(アクア)の練習ではなくて彼と会うために、サボったんだ。善子さんが、塾を。にわかには信じられなかった。でも、間違いなかった。

 

 彼女は制服姿ではなくて私服だった。ノースリーブの白いワンピース姿で、(えり)ぐりは深く、スカート(たけ)は短く、先日沼津で会ったときよりも大胆――いや、露出が多い。

 

 そして彼女の隣には、ひとりの男子。背は僕と同じかやや高いくらいだろうか。制服のワイシャツをすこし崩した感じで着ていた。

 

 なにか熱心に説明する善子さんに、その男子はうなずきを返す。でも、片手にはスマートフォンを持ち、それを横目で眺めていて、とても熱心に聞いているとは思えなかった。

 僕はその顔をしっかりと目に焼き付けた。

 

 もう一度、善子さんに視線を戻す。彼女は、笑顔だった。とても嬉しそうな、笑顔だった。僕の胸がまたキリキリと痛んだ。

 彼と僕と、どこが違うんだ。また同じことを、僕は思う。

 

 善子さんの話がひと段落したのか、彼は(あご)をしゃくるようにしてどこかを示す。

 善子さんは、また微笑んで、両手で彼の手を握る。彼女の手。すらりと伸びた指。白くて美しい。

 それから彼女は店の奥に見えなくなった。

 

 もうそれ以上、見ていられなかった。

 

 商店街やそのまわりをぐるぐると歩いて、結局本屋にも寄らずに、緑道を通って僕は帰る。

 家が近くなったころ、スマートフォンにメールが届いた。

 

『ありがとう。おかげで行かずにすんだわ』

 

 文章を読んで僕の頭は真っ白になる。

 

 彼女はなにを考えて、このメールを。

 

 思わず、すぐに削除したくなる。

 

 でも本当のことを書いていないのは――彼女なりに僕を思ってくれているのだろうか。それがたまらなく嫌で、悔しかった。

 

        ・

 

 土日をはさんだ数日後。僕は沼津市街へ行った。宮坂に遊ばないかと誘われたのだった。塾のある日で、僕は部活は休むことにする。

 

 真夏らしい暑さにうんざりしながらしばらく歩いて、宮坂の指定したゲームセンターに着くと、彼は先に来ていた。彼がプレイを終えたところで、僕は彼をうながして外に出る。

 

「ひさしぶりだな、中井(なかい)

 

 すこし日に焼けた宮坂が笑う。たしか彼は運動部だったはずだ。

 

「今日は、部活は?」

「暑いからな、午前中だけさ」

 

 そういえば善子さんは、まったく日焼けの気配もなかった。屋上が練習場所なのに。しっかり日焼け対策をしているに違いない。

 

「ん、どうした?」

「なんでもないよ」

 

 ()れていた思考を取り戻して、僕も笑って首を振り、歩き出す。

 

 僕たちは適当に沼津の街を歩いた。彼の希望でアニメショップに行ったり、せっかくだから服を探してみたり。

 彼とくだらない話をするのは、いい気分転換になった。

 ただ例の店には、注意深く近づかないようにした。

 

 最後に書店に立ち寄り、僕はオカルト関連売り場へ行く。当然のように、彼女はいなかった。おそらく(うら)(ほし)女学院の屋上で、今日も練習をしているのだろう。

 塾で会ったら、お疲れさまっていおう。偉そうかもしれないけれど。

 

 気になった本を一冊、買った。彼のほうでもゲームの攻略本かなにかを何冊か買っていた。

 

「どうする? 塾までもうすこしだろ」

 

 店を出たところで彼が腕時計を気にした。

 一応、道具も持ってきているので、自宅に帰らず塾に直行することもできる。僕もスマートフォンを出して確認すると、自宅に帰って一休みするには短いけれど、塾に行くには早すぎる時間だった。かといって自習室で勉強する気にもあまりなれない。

 

「ちょっと疲れたし、ひと休みしてからにしようかな」

「わかった。俺もそうしてから帰るか」

 

 すこし歩いて、何度か行ったことのある近くの喫茶店に入った。

 

 店員に注文をして、宮坂は本屋の袋から本を取り出す。僕が袋を手にしたところで、いま思い出したというように彼がいう。

 

「そういえば、中井の彼女」

 

 その言葉は油断していた僕の胸に、ぐさりと突き刺さった。

 顔を上げて反論しようとするまもなく、彼は続ける。

 

「ああ、彼女じゃないか。例の塾の子」

 

 さらりとした言い方だったけれど、突き刺さったものは、さらに深く食いこんだ。

 僕はかろうじてうなずく。

 

津島(つしま)さんだよ」

「ふーん、津島さんか。彼女、この前、このへんで見たぞ」

 

 そうか。いや、別になんの不思議もない。善子さんがいても。

 

「彼女、すごく可愛いよな」

「うん、そうだね」

 

 それはもう間違いない。宮坂が気づくのも当然だ。

 

「なんていうんだっけ、チョーカー? 首に着けるやつ。恐ろしく似合ってた」

「そうだろうね」

 

 そうなんだ。彼女がそんなアクセサリーを。僕が先日見たときには、着けていなかったけれど。

 

 僕は想像する。彼女のすらりした首元に漆黒(しっこく)のチョーカーが結ばれているところを。たしかに究極的に魅惑的(みわくてき)だった。

 

「残念だったな、中井」

「えっ……」

 

 彼の言葉の意味が、そして話の行方(ゆくえ)がわからなくて僕は混乱する。

 

石田(いしだ)も、かわったよなあ」

 

 さらに宮坂は、そう(ひと)(ごと)めいてつぶやいた。

 

「……石田って、誰?」

「ああ、津島さんと一緒にいた男子。彼氏だろ?」

 

 そうか、とぼくは納得する。

 宮坂は、善子さんと彼が一緒にいたところを見たんだ。どうして僕は、そっちに想像が(はたら)かなかったんだ。

 思い出したくもないのに、例の店でのふたりの姿が頭によみがえる。

 きっと宮坂もあの日、このあたりにいたに違いない。

 

 でも、どこかに違和感があった。

 

「宮坂は知ってるんだ、その、石田のこと」

 

 違和感の正体がわからないまま、それでも僕はつい前のめりになる。

 店員が飲み物を置いていったのに気づいていなくて、あやうくグラスを倒しそうになった。

 

「そりゃ、中学が同じだったから」

「ふーん」

 

 僕は体を起こしてあくまでもさりげなく、聞く。

 

「かわったって、どういうこと?」

「中学のときは大人(おとな)しかったのに、ってことさ。この前は、妙にかっこつけててさ」

 

 ということは僕たちと同じ学年か。あのちょっと(はす)にかまえた感じは高校に入ってから、ということらしい。

 

「あ、そうそう。中学のころ、教室で『マー』も読んでたぜ。中井とは違って魔法とかなのか? 魔法陣(がら)のハンカチとか持ってたり。クラスでもちょっと浮いてたかな」

「そうなんだ」

 

 それはそうだろう。僕にもその感じはわかった。でも、その石田という彼に同情心はまったくわかなかった。

 

「しかし、津島さん、だっけ。相手を選べばいいのにな」

 

 コップの氷をぐるぐるとかき回す宮坂。

 

「石田が、気に入らない?」

「まあ、あまり誠実そうには見えなかったな。外見で判断するのも、あれだけど」

 

 宮坂は肩をすくめて続ける。

 

「一緒にいた奴らも、胡散(うさん)(くさ)そうだったしなあ」

「ふたりだけじゃなかったんだ」

「ああ、たぶん同じ高校だと思うけど。ふたりのほかに何人かいたぞ」

 

 僕が無言になったのを宮坂は勝手に解釈したのだろう。

 

「中井のほうがよっぽどマシだぜ。まあ、次の出会いがあるさ」

 

 (なぐさ)めるような彼の言葉に、僕は無言のままうなずいた。

 

 善子さんの首にアクセントをそえる、黒いチョーカー。僕が見たときには着けてはいなかった。あの店で買ったのだろうか。

 それにあの日は、ふたりきりだった。

 

 本に目を落とした宮坂を前に、ふと気づいて注文したコーヒーをブラックのまま飲んだ。氷はだいぶ溶けていた。

 

 そして僕は、ようやく違和感の正体に気づく。

 

「なあ、宮坂。見かけたのは先週の木曜日の、夜かい?」

「いや、土曜日だよ。一昨日(おととい)の。それに、昼間だったぜ」

 

 顔を上げずに宮坂は答えた。

 そうだ。別の日だったんだ。それは毎日でも会いたいだろう。うらやましいことだ。

 あらためて苦い現実が、コーヒーのように僕の心を支配した。

 

 でも、昼間にデート?

 

 新しい疑問が、わく。

 

 Aqoursの練習は、どうなったんだ? たしか、土曜日も休みじゃなかったはずだ。この前、善子さんに本屋で会ったとき、彼女は雨で休みになった、と話していた。一昨日の土曜日は、晴れていた。

 

 僕はあわててスマートフォンを取り出した。Aqoursのブログを確認する。

 

 ときどき公開される屋上での練習風景。ちょうど土曜日の記事もあった。それを読んで僕は眉をひそめる。

 さらに過去の記事をさかのぼる。

 

 そこには、善子さんがいなかった。

 

 正確には、いる日といない日があった。

 

 わざわざ休みだとは書かれていないけれど、写真に写っていなかったり、本文に出てこなかったりする日があった。

 

 それに注意深く確認すると、だんだんいない日の頻度が上がっている。そんな気がした。

 

 僕はさっと血の気が引くのを感じる。

 彼氏ができた。そこまではいい。でも、Aqoursの練習を休んでまで?

 これが、善子さんが望んだことなのだろうか――。

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