部活に行ったり、塾に行ったり、ときどき
失恋したといっても、告白したわけではない。それなのにどうして僕は落ち込んでるんだ。たまたま知り合った友人の女の子に、彼氏ができただけ。よくある話だ。
そう自分にいい聞かせた。
僕の心のなかには色々な――とても人にはいえない情念が嵐のように吹き荒れていたけれど、それに
彼女の幸せを願うことだってできた。
それは、かりそめの平和な日々だった。
・
夏休みのある日。
部活を終えた僕は塾に向かった。塾で座席表を確認すると、そこには
受付で塾の職員は、代理の講師が手配できなかったため休講にさせてほしい、と申し訳なさそうに話した。講師からの連絡が急で、僕たち受講生への事前連絡もできなかった、とも。
授業料は戻ってくるようなので、別にかまわなかった。
ただ善子さんは来るかもしれない。僕はしばらく自習室で待った。
しかし、十分ほどしても彼女は来ない。彼女は塾にはいつも同じ時間に来ていた。バスの時刻のせいだと思う。だから今日も休みらしい。考えが当然の帰結に落ち着いて、僕はため息をついて席を立った。
これからどうしよう、と考えながらビルの外に出る。
そうだ、と思い出して善子さんに休講になったというメールを送る。彼女が休むことに罪悪感をおぼえているかどうかはわからない。でも多少とも善子さんの心が安らぐなら、と思った。
スマートフォンをしまう。
日が暮れて、真夏の日中の熱気もようやくおさまり、吹く風にすこしだけ涼しさを感じる。
せっかくできた予想外の空き時間。僕はひさしぶりに市街地へ行ってみることにする。適当にうろうろして、最後に本屋にでも寄ってこよう。
商店街へ入ってしばらく歩いて、ふと僕は気づく。
善子さんが話していた「スピリチュアル・グッズの店」、彼女が彼に出会ったところが、すぐ近くだった。
どうしてこっちに来てしまったのだろう。
でも、悔しさと無念さと好奇心とが胸に渦を巻いて、僕は店に足を向けた。
看板には読みにくい書体で店名が書かれていた。
ショーウィンドウから漏れる光が路面を照らす。店に近づくと店内は意外に明るくて、なかのようすが
すくなくとも、すこしでも気配を感じたとき、見なかったふりをして回れ右をすればよかった。そうすれば気のせいだと、自分を
でも僕は逆に、目が店舗のなかの人影をとらえた途端に、ショーウインドウに近づいてたしかめてしまう。
そこには善子さんがいた。塾の座席表には名前があったのに。
ということは、
彼女は制服姿ではなくて私服だった。ノースリーブの白いワンピース姿で、
そして彼女の隣には、ひとりの男子。背は僕と同じかやや高いくらいだろうか。制服のワイシャツをすこし崩した感じで着ていた。
なにか熱心に説明する善子さんに、その男子はうなずきを返す。でも、片手にはスマートフォンを持ち、それを横目で眺めていて、とても熱心に聞いているとは思えなかった。
僕はその顔をしっかりと目に焼き付けた。
もう一度、善子さんに視線を戻す。彼女は、笑顔だった。とても嬉しそうな、笑顔だった。僕の胸がまたキリキリと痛んだ。
彼と僕と、どこが違うんだ。また同じことを、僕は思う。
善子さんの話がひと段落したのか、彼は
善子さんは、また微笑んで、両手で彼の手を握る。彼女の手。すらりと伸びた指。白くて美しい。
それから彼女は店の奥に見えなくなった。
もうそれ以上、見ていられなかった。
商店街やそのまわりをぐるぐると歩いて、結局本屋にも寄らずに、緑道を通って僕は帰る。
家が近くなったころ、スマートフォンにメールが届いた。
『ありがとう。おかげで行かずにすんだわ』
文章を読んで僕の頭は真っ白になる。
彼女はなにを考えて、このメールを。
思わず、すぐに削除したくなる。
でも本当のことを書いていないのは――彼女なりに僕を思ってくれているのだろうか。それがたまらなく嫌で、悔しかった。
・
土日をはさんだ数日後。僕は沼津市街へ行った。宮坂に遊ばないかと誘われたのだった。塾のある日で、僕は部活は休むことにする。
真夏らしい暑さにうんざりしながらしばらく歩いて、宮坂の指定したゲームセンターに着くと、彼は先に来ていた。彼がプレイを終えたところで、僕は彼をうながして外に出る。
「ひさしぶりだな、
すこし日に焼けた宮坂が笑う。たしか彼は運動部だったはずだ。
「今日は、部活は?」
「暑いからな、午前中だけさ」
そういえば善子さんは、まったく日焼けの気配もなかった。屋上が練習場所なのに。しっかり日焼け対策をしているに違いない。
「ん、どうした?」
「なんでもないよ」
僕たちは適当に沼津の街を歩いた。彼の希望でアニメショップに行ったり、せっかくだから服を探してみたり。
彼とくだらない話をするのは、いい気分転換になった。
ただ例の店には、注意深く近づかないようにした。
最後に書店に立ち寄り、僕はオカルト関連売り場へ行く。当然のように、彼女はいなかった。おそらく
塾で会ったら、お疲れさまっていおう。偉そうかもしれないけれど。
気になった本を一冊、買った。彼のほうでもゲームの攻略本かなにかを何冊か買っていた。
「どうする? 塾までもうすこしだろ」
店を出たところで彼が腕時計を気にした。
一応、道具も持ってきているので、自宅に帰らず塾に直行することもできる。僕もスマートフォンを出して確認すると、自宅に帰って一休みするには短いけれど、塾に行くには早すぎる時間だった。かといって自習室で勉強する気にもあまりなれない。
「ちょっと疲れたし、ひと休みしてからにしようかな」
「わかった。俺もそうしてから帰るか」
すこし歩いて、何度か行ったことのある近くの喫茶店に入った。
店員に注文をして、宮坂は本屋の袋から本を取り出す。僕が袋を手にしたところで、いま思い出したというように彼がいう。
「そういえば、中井の彼女」
その言葉は油断していた僕の胸に、ぐさりと突き刺さった。
顔を上げて反論しようとするまもなく、彼は続ける。
「ああ、彼女じゃないか。例の塾の子」
さらりとした言い方だったけれど、突き刺さったものは、さらに深く食いこんだ。
僕はかろうじてうなずく。
「
「ふーん、津島さんか。彼女、この前、このへんで見たぞ」
そうか。いや、別になんの不思議もない。善子さんがいても。
「彼女、すごく可愛いよな」
「うん、そうだね」
それはもう間違いない。宮坂が気づくのも当然だ。
「なんていうんだっけ、チョーカー? 首に着けるやつ。恐ろしく似合ってた」
「そうだろうね」
そうなんだ。彼女がそんなアクセサリーを。僕が先日見たときには、着けていなかったけれど。
僕は想像する。彼女のすらりした首元に
「残念だったな、中井」
「えっ……」
彼の言葉の意味が、そして話の
「
さらに宮坂は、そう
「……石田って、誰?」
「ああ、津島さんと一緒にいた男子。彼氏だろ?」
そうか、とぼくは納得する。
宮坂は、善子さんと彼が一緒にいたところを見たんだ。どうして僕は、そっちに想像が
思い出したくもないのに、例の店でのふたりの姿が頭によみがえる。
きっと宮坂もあの日、このあたりにいたに違いない。
でも、どこかに違和感があった。
「宮坂は知ってるんだ、その、石田のこと」
違和感の正体がわからないまま、それでも僕はつい前のめりになる。
店員が飲み物を置いていったのに気づいていなくて、あやうくグラスを倒しそうになった。
「そりゃ、中学が同じだったから」
「ふーん」
僕は体を起こしてあくまでもさりげなく、聞く。
「かわったって、どういうこと?」
「中学のときは
ということは僕たちと同じ学年か。あのちょっと
「あ、そうそう。中学のころ、教室で『マー』も読んでたぜ。中井とは違って魔法とかなのか? 魔法陣
「そうなんだ」
それはそうだろう。僕にもその感じはわかった。でも、その石田という彼に同情心はまったくわかなかった。
「しかし、津島さん、だっけ。相手を選べばいいのにな」
コップの氷をぐるぐるとかき回す宮坂。
「石田が、気に入らない?」
「まあ、あまり誠実そうには見えなかったな。外見で判断するのも、あれだけど」
宮坂は肩をすくめて続ける。
「一緒にいた奴らも、
「ふたりだけじゃなかったんだ」
「ああ、たぶん同じ高校だと思うけど。ふたりのほかに何人かいたぞ」
僕が無言になったのを宮坂は勝手に解釈したのだろう。
「中井のほうがよっぽどマシだぜ。まあ、次の出会いがあるさ」
善子さんの首にアクセントをそえる、黒いチョーカー。僕が見たときには着けてはいなかった。あの店で買ったのだろうか。
それにあの日は、ふたりきりだった。
本に目を落とした宮坂を前に、ふと気づいて注文したコーヒーをブラックのまま飲んだ。氷はだいぶ溶けていた。
そして僕は、ようやく違和感の正体に気づく。
「なあ、宮坂。見かけたのは先週の木曜日の、夜かい?」
「いや、土曜日だよ。
顔を上げずに宮坂は答えた。
そうだ。別の日だったんだ。それは毎日でも会いたいだろう。うらやましいことだ。
あらためて苦い現実が、コーヒーのように僕の心を支配した。
でも、昼間にデート?
新しい疑問が、わく。
Aqoursの練習は、どうなったんだ? たしか、土曜日も休みじゃなかったはずだ。この前、善子さんに本屋で会ったとき、彼女は雨で休みになった、と話していた。一昨日の土曜日は、晴れていた。
僕はあわててスマートフォンを取り出した。Aqoursのブログを確認する。
ときどき公開される屋上での練習風景。ちょうど土曜日の記事もあった。それを読んで僕は眉をひそめる。
さらに過去の記事をさかのぼる。
そこには、善子さんがいなかった。
正確には、いる日といない日があった。
わざわざ休みだとは書かれていないけれど、写真に写っていなかったり、本文に出てこなかったりする日があった。
それに注意深く確認すると、だんだんいない日の頻度が上がっている。そんな気がした。
僕はさっと血の気が引くのを感じる。
彼氏ができた。そこまではいい。でも、Aqoursの練習を休んでまで?
これが、善子さんが望んだことなのだろうか――。