藤丸冬夜という人間を知っているだろうか。
曰く、時計塔考古学科に所属しながらも、どこの派閥に与することもなく、何故か現代魔術論科に入り浸っている異端講師である。
曰く、まだ年若い魔術師でありながら、『
曰く、彼の授業はとても難しいものの、理解さえできれば必ずと言っていいほど成功する。
そのような噂(というより、この話はほぼ事実である)をされる青年である。
藤丸冬夜は紛れもない天才であった。
何を言っているのだと思われる方もいるだろう。
だが、これは紛れもない事実である。
齢五つの時に始めた武術は、齢八つの時には自らの師と並ぶ程となり、齢十の時にはそれぞれの世界で彼に勝てる者は居なくなってしまった。
また、その才能は学問においても発揮され、両親の手でたった1人アメリカへと留学させられた彼は、齢十七で有名な大学の大学院を卒業してしまった。
…大学ではない。
"大学院"を、である。
これを天才と言わずして何と言うというのか。
だが、彼は言うのだ。
自分は天才などではない、と。
これが不味かった。
…考えてみて欲しい。
どこからどうみても天才としか思えない人間が、「自分は天才ではない」と言い張るのを見て、あなたはどう思うだろうか。
一発殴り飛ばしたい気持ちにならないだろうか。
…藤丸冬夜の周りの人間は少なくともそう思った。
そもそも天才というものは、普通の人に紛れることが難しい人間であるというのに、彼のその態度は更に反感を呼んだのだ。
だからこそ、彼は行く先々で腫れ物のように扱われた。
簡単に言うなら、"ぼっち"だったのである。
…ちなみに彼に悪気はない。
ああ何たる不幸か!
彼の才能は常人には理解出来なかったのだ!
そう、"常人"には…
…では、常人ではなかったとしたら?
同じような天才であったとしたら?
先に述べておくと、彼の生家は極々普通の家庭であった。
…決して、"魔術"などというオカルトには、1ミリたりとも関係の無い家である。
"普通の家"のはずなのだ。
だが、一般の家庭に生まれたはずの彼は、魔術協会における三大部門の一角にして、魔術協会の総本山たる時計塔の講師にまでなってしまったのである。
(なお、これに関しては、すべての原因は彼の研究内容にあり、彼の数少ない友人の1人が、彼を救うために奮闘した結果である。)
しかも、階位まで獲得して。
そして
彼の妹もまた…
これは本来は有り得なかった