東方点綴伝   作:Laplaceの悪魔

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若干の凋叶棕成分を含みます


霧雨●●●に憧れた少女

視界いっぱいに暗い闇が広がっている。都市開発が着手され、あちこちで固く冷たい摩天楼が跋扈するこの地には、溢れんばかりの人工灯に満ち満ちている。けれどもその一方で、どれだけ高密度であろうとも一つ一つが離散である以上、それらはかえって街の仄暗さを強調してしまっている。煌めくそれらにロマンスを求める者もいると言うが、私には生涯分からない感動ではないだろうか。

 また、人工的な光は人間味が微塵も感じられず、妖や霊と言った恐怖心を煽る幻想の存在が、日中以上に現れそうに感じてしまうのは私だけだろうか。

 病的なまでに黒く、そして白い街並みは、事実、不治の病に侵されているのかもしれない。人が自然という理不尽と戦い、安寧の日々を過ごすために形成されたはずの社会は、いつの間にか、人を現状維持のための歯車として機能させるようになってしまった。

 本末転倒、それだけではなく、自然の暴威、古来では神の仕業だとされていた大災害に対して、社会は人を守ってくれない。むしろ牙を剥く事さえある。造られた元の目的さえ満足に果たせていないのだ。

 超高層建築物の上層階から見る景色。それは昨日までと相も変わらず、蘭塔場のように思われて、とても心細く感じた。私は独りだ。

 ただそこにあるだけの存在。当初の目的も忘れ、誰からも必要とされず、誰にも理解されない。社会の汚点であるのに、誰も私のことを捨ておこうともせず、また、無責任に隔離して、私さえ望まない庇護を受けて過ごす日々。

 地上に墜ちた流星のようだ、と独りごちた。天上では人を魅了する癖して、地上に墜ちたそれが輝いたところで、見る者の虚しさを掻き立てるだけに過ぎない。ひどく、滑稽だ。私も、この街も、この世界も。全て。

 

 病的な街並みと対するように、夜空には漆黒の帳が降りきっており、ただただ無形の闇がどこまでも広がっている。太陽光の投影に過ぎない星々の煌めきも、人工灯の蔓延するこの地には届かない。弱々しく自己主張する月明かりだけが、暗黒の中の破孔として機能している。

 空は、暗く、深く、存在を飲み込まんとする虚無を湛えており、麻薬にも似た魔力を帯びているように感じてしまう。けれども私はそれが好きだった。茫漠と広がる虚空に身を浸している間だけは、社会の柵を忘れさせてくれる。

 見上げた空は広く、高く、そして遠い。人間の認識能力では計り知れないそれの存在は、ここ以外のどこか、あなた達がいる世界もどこかに存在するかもしれないという淡い期待を抱かせた。

 けれどもその一方で、世界との隔たりも実感してしまう。事実、古来は空を別の世界だと定義していたと言うが、それは偏に手が届かなかったからだ。今の私には手が届かない。だから別世界、私が望む世界もその先にあるかもしれない。

 無論、そんな場所が存在しないことは知っている。いいや、厳密に言えば存在はするのだろう。終焉に近づいた現在物理学では、禁忌の幕壁の存在が示唆され、それを超えた先にはあるいは。そう思う一方で、ホログラフィー原理を理解できない平々凡々な私には、進む道などありはしない。

 けれども、そんな実態の無いものにでも縋らなければ、私は生きていけない。この社会はあまりにも残酷すぎるから、例え幻想に過ぎない光であろうとも、手を伸ばそうとする。そんな私を私は侮蔑するだけのことだ。

 客観的に見れば地上と離散しているわけではなく、連続した位置づけが為されている。人が空をも支配したからだが、それは人が空を飛ぶという究極の幻想を手にしたことと同義とは言えない。

 もし彼女がその姿を見たならば、いったい何を感ずるのだろうか。そう、夢の中だけで会えていた友人、金髪の少女のことを夢想していた。

 

 あなたはいつも、空を目指していた。誰もが空を舞い踊る夢の世界において、不体裁で、見苦しく、それでも飛ぼうとする様。それは、飛ぶことのできない宿命を与えられたドードが、目的に適さないその羽を遮二無二羽搏たかせているのようでもあった。

 ほかならぬあなた自身、そのことに気づいていなかったとは思えない。それなのに、あなたは諦めようとはしなかった。その強い姿、挫けない姿に、いつしか私は引き込まれていた。この部屋でしか生きられず、テレビと窓の他に外の世界を知る術を持たず、ただ無為に時間を浪費するだけ。そんな私にとって、あなただけが心の支えになるのは必定だったのかもしれない。

 その生き様が眩しかった。上辺は華々しく感じる傍ら、服を捲った先は誰よりも汚らしく、傷だらけで、傍目からも痛々しくさえ感じてしまう。私は当初、あなたに対して可哀想な少女と言う認識以外に持たなかった。

 けれどもその努力の跡が美しかった。それこそが、あなたという肉体、精神を形作り、芸術品の域に達するほどの作品として昇華させていた。

 霧雨●●●という作品は、他の誰も持ち合わせていないほど眩い光を放っている。そんなものを持ち合わせていない私は、勇気を与えられ、それが活力となり、今日まで私を生きさせてくれた。

 夢に過ぎないとしても、どうしようもないくらいに、他のものが目に入らなくなっていた。あなたの豊かな金の瞳に映った私は、微かに輝きを持ち合わせていて、笑っていて、真っすぐに向かい合っているだけでも私は幸せだった。私にもそんな表情ができるんだって、教えてくれたのはあなただったよね。あの時の感動は今でも色褪せることなく刻み込まれている。

 あなたは何事も形から入る性格だったから、もう少しだけあなたに近づくために、せめてもと思い、あなたと同じ髪の色、髪型、服装をした。そんな私をあなたは輝くような笑顔とともに優しい言葉を投げかけてくれた。私は初めて誰かに理解されたような気がして、ただただ嬉しかった。それだけでも、あなたに近づけた気がしてくる。それが、仮初に過ぎないとしても、私には十分だった。

 不満があるとすれば、もう少しだけあなたのことが知りたかった。誰にも悟らせないその聖域に、静かに足を踏み入れたいと。それさえ叶えば、見た目も中身もあなたと同じに、私も霧雨●●●になれるのに。

 

 けれども、それは過去の話。ある時を境にあなたは私の前から姿を消してしまった。その瞬間、私にとって掛け替えのない、大切な光が永遠に失われた。それが何だったのかは分からない。けれどもそれがとても大切なものだったことは分かっていた。

 最後にあなたが私に向けていた、絶望と憐憫が伯仲する瞳。それが唐突に脳裏を過り、不意に結露した感情が視界をぼんやりと歪ませた。

 己の無力さへの怒り、遺恨、悲哀。負の感情は止まるところを知らず、私の胸中から溢れ出てくる。夢裡に静寂が舞い降りた中、余計な思考を行うことでガス抜きすることさえ叶わない。自ら、そしてあなたへの怨嗟は肥大化し、やがて渦を巻き、込み上がるそれは眼窩から零れる雫となって、乾いたベッドを徐々に湿らせていく。

 

「仕方ないじゃないか。私はあなたとは違う。人間が空を飛ぶ術を持ち合わせていないことを知っている。魔力なんて不可思議なものが超大統一理論の中に介在する余地が無いことも、私が正しいんだ。狂っているのは世界。キャロルの童話のように出来損ないの世界。それに憧れるなんて馬鹿げている。それなのに、あなたは私の声に耳を貸すこともなく、ただただがむしゃらに。ずるいよ」

 

 溢れ出した感情は、胸中を抜けて言葉という衣を纏って口腔から漏れていた。それを狼煙として、涙は奔流のように流れ出て、既に止め処が無かった。目を焼きかねないほどに熱く煮えたぎったそれは、しかし頬を伝わるときは寒気を伴って凍えさせる。

 違う、私じゃない。悪いのはあいつだ。私に憧れを持たせておきながら、突然姿をくらませたあいつ。最後の表情を思い返すだけで、あなたに嗤われたように感じて、いいや、事実嗤われたのだろう。あなたにさえ出会わなかったら、あなたと同じ光が私にもあったなら、この鳥籠に閉じこもることも、無為に時間を浪費することも無かったはずだ。

 あなたが、私から光を奪ったのだ。淡い憧れを抱かせたままで、消えてしまったあなたには、もう憎しみしかない。光を奪ったあなたを憎み、奪われたままの自分と決別するためには、この手でその華奢な首を手折るしかないと。けれども、届かない。この手は空を切るだけで、夢にも表れようともしない。逃げたのだ。おまえは。

 馬鹿げている。そう標榜する自分の中に、怨嗟の炎を燃え上がらせる自分がいる。相反する二つの感情。本当の私はどちらなのだろうか。そんな疑問を他所に、私の口は言葉を紡いだ。

 

「ふざけるな。おまえは誰よりも真摯に向き合っていたじゃないか。逃げだすような卑怯者だったのか。私の見立てが間違っていたのか。おまえ程度に憧れた私が馬鹿だったのか。答えろ」

 

 憤激の雄叫びを上げる。腹の底から一気に喉元へと突き抜けてきた感情、これを言葉にする術を持ち合わせず、募っていくばかりだった。それは容量の限界を迎えたように顔を白い天井へと向けさせ、壊れた噴水のようにぶちまけた。だが、叫び声に返る言葉など無い。普段動かすことのない声帯を震わせたためか、喉は過剰に枯れ、疲れもどっと押し寄せてきた。

 返事も無い、か。小さく息を吐き、視線を下へと向け直そうとしたその時だった。あいつが目の前に現れたのは。

 充血している目は本物の殺気が宿っている。それでいて使命染みたものを抱いているかのように輝きを放っており、感情のベクトルが異なる為か瞳の色は黒ずんでいたけれども、底暗いそれは正気を失っているわけでもなく、ただ何かを為さなければならないという熱に包まれていた。私がそれを見間違うはずも無かった。

 白と黒を基調とした服装。西洋の魔女を彷彿とさせる三角帽には可愛らしい白色のリボンが結び付けられており、内側には丁寧にフリルが縫合されている。ヴィクトリアン調のメイド服のようであり、メイドの文語的意味である華奢な少女らしさが伝わってくる。よく手入れがされているらしい、波状にうねった金髪。そして、右側だけに垂らされた三つ編み。

 弾きだされたように掛けられた布団を押しのけ、あいつの元へと直進しようとした。けれどもその瞬間、違和感に気づいた。その顔と四肢は、私と寸分変わらず動き、驚愕の表情を浮かべてこちらを覗いているのだ。

 そして気づいた。私が見ていたのはただの鏡だったと。そして、私の中にあいつがいたのだと。あいつは逃げたわけじゃない。ずっと私の中にいた。届きもしないと諦めていたそれは、何よりも身近にあったのだ。否定するために学んだ物理学なんて馬鹿馬鹿しい。やはりあいつは正しかったんだ。それに私が気づかなかっただけ。呪詛の言葉の数々は、自らに向けられたものだった。人を呪わば穴二つ、なんて言葉があるが、一つで十分だったなんて笑い話にもなりはしない。

 

 私は何を恨んでいた? 

 私は何を嫉んでいた? 

 私は何を目指していた?

 

 あいつは私で、私はあいつで。ならば私が嫌いなのは私で、同時に私が憧れていたのも私。光を奪ったのは他ならぬ自分自身で、自ら世界を闇に閉ざしたということか。

 頭が割れるように痛い。強姦にも等しい思惟の圧迫。私が私で無くなっていく感覚。いいや、それも他ならぬ私なのだ。ならば私は、私は。

 私は、死ぬしかないじゃないか。

 絶叫した。聞き取れないそれは自分でも何を発しているのか分からず、他人事のように耳に届いてきた。意味の分からない言葉の羅列。だけれどもそれは呪言のようでもいて気味が悪い。無論、投げ掛けているのは私で、対象もまた私だ。

 本来の意味での悪意、すなわち自らの身を省みずに、自分が地獄へ落ちようとも、災厄を齎さんという気概を感じて一人恐怖を抱えた。それでも私は止まらない。その先に待ち受けるのが破滅だとしても、私の中にあいつがいる以上、私は私を呪うしかなかった。ただただそれは連鎖し、止まることなく積み上げられていく。

 その身一つで抱えるには大きすぎるそれを受け、体は弓のように撓り、目はこれ以上とないほどに見開かれている。絶え間なく揺れる視界には、あいつの苦しむ姿が映り、ただただ恍惚とした。その瞬間、あいつもどこか楽しそうに笑った。それには無性に腹が立ち、私は私の首に手を掛けた。

 不思議なくらい死の恐怖は無かった。それよりも強い何か、その先に自らの活路めいたものがあると胸の奥が主張している。どうやら自分の正気を疑う精神さえも麻痺してしまっているらしい。決意を込めて動かした両腕は、凍えているように震えているが、それでも自らの首へと一直線に伸びていった。

 首を覆った両手は器官も声帯も圧迫し、掠れた声一つも漏れない。苦しいはずのそれは、不思議と痛みさえ感じなかった。私が苦しむ姿を見ているだけで、そんなものが平気で吹き飛ぶような快感が沸き躍る。

 視界の先にある瞳からは、少しずつ光が失われていく。焦点が合っているのかさえ定かでないそれは、元の色を想起させないほど無を映していた。揺れる視界の中、その様子は網膜に鮮明に焼き付き、絶頂を超える興奮を覚えた。やがて光は消滅し、私の身体は糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。その先に、あいつの姿は見えない。

 

 頭痛は鳴りを潜めており、底知れぬ安堵を抱えながら重い瞼を閉じ合わせた。空を凌ぐほどの闇が世界を覆い、やがて視界に映るのは闇のみとなった。

 意識は遠のいていく。耳が痛いほどの静けさは、彼女に包まれているときのような安らぎを感じさせる。自分を苦しめ続けた呪縛、あいつは、今消え去ったのだ。もう苦しまなくてすむ。それだけで、もう思い残すことは無い。

 結局、私を衝き上げていたのは、憎悪でさえなく、もっと単純な自責の念だった。ならばその行く先が自己破滅であったとしても何ら疑問も持たない。むしろ全てが解決して、うれしかった。潜在していたそれらが彼女、霧雨●●●を私に投影したに過ぎないのだろう。

 けれども、それならば、最初に出会った彼女は何者だったのだろうか。ただ、最後に願いが叶うなら、彼女に出会えたらいいのに。

 でも、もういいかな。今はただ、この静かな世界を満喫していたい。ここには何もない。私を縛るものも苦しめるものも、私自身さえも。ならば、私はこれで良かった。これで霧雨●●●という物語はここで終わる。最後に、見えないはずの瞳が困惑する彼女の姿を捉えた様な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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