着物が仕舞われたきり開けられていない桐箪笥に、当時のあの子には少し大きすぎる鏡台、和室には不似合いなヴィンテージ調の子供用机。本来であれば、今頃この部屋は、貴婦人が嫣然と微笑みながら暮らしていたことだろう。けれども、実際は人の体温を忘れて冷え切っている空気が滞留し、しんと静まり返っている。東向きの窓から陽光が入り込み、明るく照らされているにも関わらず。今は古い柱時計の音だけが響いており、時が止まっていないことを知らしめていた。
殺風景になって久しいこの部屋だが、定期的に掃除を施しているためか、黴臭さは感じられず、窓ガラスも当時の綺麗さを保っている。決して住宅展示場にも似た空虚さがあるわけでも、ましてや廃屋の無残さがあるわけでもない。家具と言い、調度と言い、それこそ今からでも人が暮らせそうな、いや、暮らしていないのが不自然なほど清潔に保っていた。
けれども、この部屋を空き部屋のままにしているのは、偏に、あの子がいつ帰ってきてもいいようにしておきたいからだ。
女は残酷さを武器にしなければならない。商いの娘として私はそう教えられて育ってきた。そういう出自だったこともあり、損得勘定で様々なものを切り捨ててきたけれども、娘に対してだけは非情になり切れずにいる。これが親心のなせる業なのだろう。
あの子が家を飛び出してから一体どれだけの月日が経過したことだろうか。霧雨店に姿を見せることは無いけれども、定期的に人里には訪れているらしく、風の噂で今でもあの子が元気に暮らしていることを知っていた。それでも、その姿を直に見てみたい。腹を痛めて産んだ愛娘のことをそう思うのは、親のエゴなのだろうか。
そういえば、昨日は母の日だっただろうか。繁盛しすぎて手が足りなかった、と花屋の娘が昨日の夕刻に愚痴を零しに来たことを覚えている。
あの子がいた頃は、毎年のように、白色が好きな私のために、白色のカーネーションを送ってくれた。白色のそれは見た目こそ華やかであるものの、指す意味合いはあまり宜しいものではない。それを知っていても、愛する娘に笑顔で渡されて、その気分を落ち込ませるような無聊な行いができる母親はいったい何人いるだろう。少なくとも、私にはできなかった。
あの子が大きくなったら、いつの日か、白色のカーネーションの花言葉の意味を伝えるんだ。毎年のようにそう思っては、笑顔の前に屈服してしまい言葉にできず、月日が経ってしまった。あの子も十分に物事の分別が付くようになったこともあり、ようやく打ち明ける踏ん切りがついたかと思ったら、家から出て行ってしまった。
淑女の嗜みとして生け花をさせていたが、そのやる気のなさから、花への興味が乏しかったとも知っていた。自立しているらしい現在では、花とそう関わる機会もないだろうし、もしかしたら今でもそれが指す意味を知らないかもしれない。
それで実生活において困ることがあるのか、と聞かれれば、私も黙って首を振るだろう。けれども、そんな小さなことでさえ教えてあげたい。そう思うから、私の中では、今でもあの子は娘だと思っているのだろう。
あの子に対して非情になることができれば、いったいどれだけ楽だったろうか。けれども想い想われて、笑ったり、泣いたり、憎んだり、愛するのも親子だからできること。別れの際に全てを清算できなかった私には、あの子と関係なく生きることなんてできない。久しく会っていなくてもあの子のことを想い、過ぎ去った過去に囚われもする。理屈でもない。親子という面倒極まりない血筋の力。だとするならば、あの子もそう感じているだろうか。そう自問し、自答する前に障子を閉じ、仄かに温かみを持ち始めた部屋を後にした。
願わくは、あの子も私のことを想ってくれていますように。
一縷の望みを空に託しながら、店先の掃除へと向かった。代わり映えしない作業。毎日の繰り返しであるはずのそれに、今日は小さな変化があった。それこそ、傍目には些細なものかもしれない。けれども私にとってはこの上なく大きい出来事だった。
レジスターの裏にちょこんと置かれた白色のカーネーション。茎には針金で小さな紙が括り付けられており、そこには私の名前が書かれていた。私に花を贈るような人は。そう考えかけたところで、星のような明るさを持った光が思惟を貫いた。
脳が体に指示するよりも早く、反射的に大通りへと足を動かしていた。魔法の森がある方へと顔を向けると、微かに流星の煌めきのようなものが視界に飛び込んできたような、そんな気がした。親心が見せた蜃気楼のようなものかもしれない。けれども私は、あの子が飛び立っていった証だと信じていた。信じていたかった。
踵を返し、白色のカーネーションを、まるであの子を抱くかのように、強く、優しく抱きしめる。すると、今までありがとう。母さん。そんな届くはずもないあの子の声がはっきりと耳朶を打つのを感じた。
白色のカーネーションは亡くなった母親への感謝の意味。
親の心子知らずでもあり、同時に子の心親知らずだったというだけの話です。
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