東方点綴伝   作:Laplaceの悪魔

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こいしの日記念(ギリギリセーフ)
ドグラ・マグラ読了推奨


こいしと胎児とお母さん

 胎児よ

 胎児よ

 何故躍る

 母親の心がわかって

 おそろしいのか

 

 夢野久作『ドグラ・マグラ』

 

 

 

 

 

 無い。

 何かが無くなっている。

 何かが足りずにいる。

 私のお腹の中に在った何か。

 

 毎日少しずつ大きくなっていった何か。

 そしてそれはきっと、私にとって大切だったもの。

 私の半身とも形容すべきもの。

 

 いったい何を無くしてしまったの?

 胸中に詰まった言葉は言葉にならずに霧散した。

 

 死にたくない

 未知への恐怖から、生きねばならないと駆り立てられた。

 身を質にして生きてきた。

 

 親の顔を知らない。

 忌み子として捨て置かれた哀れな身の上。

 私物も何もなかった。

 

 ただただ奉公に努める哀れな身の上。

 その身すらも質にしてきたのだ。

 大切なものなど何も無かった。

 そのはずだ。

 

 ならば、今感じているこの喪失感は何だ。

 それが何なのかは分からない。

 

 今感じているのは鈍く重い痛み。

 けれどもそれを感じさせない空虚さ。

 どうしてこうも悲しいのだろうか。

 

 なんだか、全てがどうでも良くなってきた。

 これまで生きてきた意味、全てを否定された気分だ。

 元から意味など無かったくせに。

 そんなことを語るなんて馬鹿馬鹿しい。

 

 できることなら返して欲しい。

 戻せるなら戻して欲しい。

 

 あれは私の半身。

 私だけの、大切なもの。

 

 けれどもそれは叶わない。

 ああ、なんて無力なのだろう。

 すでに命は熱を失っている。

 それが二度と戻ることはない。

 

 冷たい滴が零れた。

 一度も流すことが無かった涙。

 私の手に伝わる冷たさと一緒になって、私の心を凍えさせる。

 

 ああ、静かだ。

 私にはもう何もない。

 生きる希望も、その気力も。

 

 けれども、心残りはある。

 これが現実だと分かっている。

 それでも、認められない。認めたくない。

 けれどもそれは叶わぬ夢。

 

 ならば、諦める?

 本意でないことを嘯き、自分の首を絞めるのか。

 怨嗟に憑かれた心身を偽る必要はない。

 

 憎しみと恨みで身が焦げていく。

 私には何もない。

 だからこそ無敵だ。

 死兵となった今なら、なんだってやれる。

 

 じんと熱の通った手のひらを握りしめる。

 そうだ。

 怒っていい。

 これは理不尽だ。

 

 我が子の価値に等しいものなどありはしない。

 私から大切な何かを奪った者をぶち殺したい。

 一族郎党地獄に落としてやりたい。

 

 例え地獄へ落ち、自身が怨霊となり果てようとも。

 

 

 

 

 

 怨霊の心が直接心に入ってくる。嫌でも脳裏に焼き付いてくるのは、彼女が人の形を取り留めていた頃の記憶。それが阿頼耶識を通して、膨大な情報の奔流となって途切れることなく注ぎ込まれ続けた。

 やめて。こんなものを見せないで。そう拒もうとしたところで、姉の末那識の一部として作られた私にはその権利さえ持ち得ていない。読み取った六識を処理する役割を課されたからこそ、私はどこまでも壊れ続ける。

 ただただ、怨霊の憎悪が私を蝕んでいく。根拠のない理念と怨念を根腐りさせた純粋な悪意。この子はそれ以外の何も持ち合わせていない。怨霊と言っても、稚気程度の悪意しか抱えていないものが大多数だ。そのことを踏まえれば、この子の悪意は悪霊という範疇を超えて余るほどだ。

 私は母というものを知らないし、なったこともない。もちろんこれからもなるつもりはない。だから、愛と憎悪の間で狂う彼女の気持ちは分かってあげられない。それでも、と黄色のラナンキュラス柄の服越しに、開くことのない第三の目を強く抱きしめた。

 私は狂っている。檻の中の動物にも似た境遇に置かれれば誰でも狂う。狂って当たり前の矛盾だらけの生は、ただ一人、最愛の姉のためにある。私はその役割を甘んじて受け入れてもいたし、それこそが自分の為すべきことだと既定してもいた。

 私は私らしくは生きられない。絶え間なく送り続けられる思考が、集合的無意識と同化して、無意識に私の体を動かし続ける。

 私はまた眠ることにした。どうせ私には何もできない。

 

 

 

 

 

 昨日は母の日だった。けれども私は知らなかった。

 

 母さんには悪いことをしてしまった。怒られてしまうかもしれない。急いで贈り物を探し始めた。

 

 母さんは何を贈れば喜んでくれるだろうか。いったい何が好きだったろうか。

 

 気が付けば目の前にたくさんの支度品があった。なんて都合がいいのだろうか。どれを持って行こうかと悩んだけれど。どれを持って行っても喜んでくれそうにない。

 

 困り果ててしまった。けれども母さんには感謝しなければならない。言葉だけでなく、何かの形を伴っていなければ。気持ちは言葉じゃ伝わらない。

 

 困ったときは誰かに聞こう。その中に必ずヒントはある。

 

 ほら、耳を澄ませばさっそく聞こえてきた。これは、お母さんの声?

 

 怒ってる。何かが無いって怒ってる。

 

 何が無いの? そんなに大切なものなの?私が代わりにそれを贈るよ。私が代わりになってあげるよ。教えて。それはなぁに?

 

 そう尋ねてみてもお母さんは怒っているだけで何も伝えてくれない。もしかしてお母さんも分からないの?

 

 うーん。どうしよう。

 

 母さんの代わりに怒ってあげたらいいのかな。でも誰に怒ればいいんだろう。誰でもいいのかな。

 

 困りはてていると、母さんはこっそり教えてくれた。なんだ、そんな簡単なことでよかったのか。掴んだ花を手折って、母さんの元へと駆け出した。

 

 

「お姉ちゃん、お母さんはどこ?」

 

 お姉ちゃんは困ったような表情をしていた。どうしたの? お母さんに何かあった?

 

 私は教えてくれないと分からないよ。それでも黙ったきりのお姉ちゃん。

 

 分かった。睨めっこだね。負けないよー。

 

 おかしいな。お姉ちゃんはちっとも笑わない。私のとっておきの顔なのに。

 

 こころちゃんの真似をして表情を変えていたら、お姉ちゃんは急に襲ってきた。やった。お姉ちゃんの反則負け。私の勝ちだね。

 

 それなのに何も喋ってくれないお姉ちゃん。ピンク色のバラの服越しに私を抱いたまま動かない。よくわからないけど私もお姉ちゃんを抱きしめた。

 

 暖かい感触。柔らかな匂い。懐かしい気がする。

 

 思い出した。お姉ちゃんがお母さんだったんだね。

 

 じゃあ母の日の贈り物をするね。受け取って。

 

 私の身体は溶けていく。

 二つが一つに合体して。どんどん小さくなっていく。倍々に減っていって体も縮んでいく。

 尻尾が生えて四本足の獣になった。足の力が抜けて代わりに鰭が生えた。今度は足も溶けちゃった。

 今の私はお魚さん。まだまだ私は止まらない。気が付いたら私は真ん丸卵になっちゃった。

 

 ここはどこだろう。暗い。でも暖かい。なんだか夢みたいに心地いい。

 私は長い夢を見た。色んなことがあった。みんな喜んでいた。怒っていた。哀しんでいた。楽しんでいた。

 けれども私は一人だった。夢の中の人物は誰も私を変えてくれない。私に思い出なんてあったのかな。母さんは私のことに気づいてさえいないみたい。

 

 嫌なことばっかりが夢に出てくる。もう嫌だ。夢の続きなんて見たくない。

 そう思ったら私は光に包まれていた。やっと外に出られたんだ。

 でも体は動かない。あれ? 呼吸ってどうするんだっけ。分からないや。

 

 

「こいし、こいし」

 

「なぁに、お姉ちゃん」

 

 起きたらお姉ちゃんがいた。

 なんだかお腹を抑えている。痛いのかな。

 なんだか長い夢を見ていたような気がする。

 子供になる夢だったような気がするけど、どうでもいいや。

 夢の続きはまたいつか。

 

「じゃあまたねお姉ちゃん」

 

 なんだか無性に外に出てみたくなった。

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