なんで。
なんで。
なんで、なんで、なんで──。
足を踏み出す度にサラリと涼やかな枯葉の音がなる。
どうして──。
木と木の間から垂れる蔓は行動阻害対策をしている男を阻む事は無く、まるでポリゴンで作られた張りぼてのようだ。
「なんでみるきぃさんに〈伝言〉が繋がらないんだ!」
焦り、怒り、動揺、恐怖、混乱。
男の心をかき乱す全てが一定以上になると強制的に抑圧される。
まるで事態がわからない。いや、わかりたくない。ここはゲームの世界ではないのか?
「いや、そうだ、きっとみるきぃさんはログアウトできたんだ。だから繋がらないんだ」
男は願望を自分に言い聞かせる。知り合いの名前を見てからの混乱が酷い。連絡がついたらここまでではないのだが、同じサーバーにいて強制ログアウトまで居ると言っていた人物に連絡が取れないのは心が落ち着かない。押さえ込まれても後から湧き出る衝動に、森の中を疾走する。
もし、みるきぃがログアウトできているとしたら、他の巻き込まれてしまったプレイヤーについて運営に報告しないはずがない。何より、武具屋の店主が言った200年以上前という言葉が信じたい仮説を否定する。
「いや、違うか。……そうだ! きっとこの世界でまだあってないからだ! そうに違いない!!」
ならば探しに行かなければ。
閃いた男は、そのまま速度を緩めずに走り続ける。ここが別のゲームだろうとそれ以外だろうと関係がない。同じプレイヤーに会えばユグドラシルや運営の愚痴がいえる。一人では内にしまっておく事しかできないが、二人なら笑い話にできるはずだ。
我武者羅に目的地を定めない疾走は、目の前が明るくなった事で一旦落ち着いた。やる事が決まったなら後はこなすだけだ。
冷静さを取り戻した男の未来を暗示するように、森が開け、岩肌が見える。あんなに遠くにあったはずの山が近い。随分と長い時間と距離を走ったようだった。
森がひらけた場所には何十人もの人間が天使を召喚して待ち構えていた。
何事だろうかと、走る速度を落としてゆっくりと近づく。リーダーらしき男の快活な声は、近くにいるだけの男の耳にもしっかりと聞こえた。どうやら定期的に行われている“狩り”のようだ。そのある意味見慣れた光景にほっと胸をなでおろす。
専用の狩場でのレベリングは別段珍しいものではない。ちらりとみた装備も、街の衛士と比べるまでもなく質がいい。おそらく、この世界のトップ層なのだろう。
スキルで死霊を召喚し、偵察に向かわせる。霊体にもなれる彼らなら近づき過ぎない限りこの世界のレベル帯では気づけるものはいないだろう。使い魔と自然に共有される視界越しに男は観察する。
装備から言って信仰系魔法詠唱者の集団のようだ。金属で編まれた黒い衣服鎧に黒いマント、そこから覗くベルトには見たことも無い色の液体が入った瓶をいくつか吊り下げている。六人一組に隊列を組んだ彼らは、慎重に松明を手に持ちながら岩の割れ目へと入っていく。どうやらダンジョン型の狩場のようだ。十人ほどを残して全員が割れ目に入っていったところで、男は行動を開始した。
彼らほど秩序立った行動ができるのはきちんとした教育がされているからだ。しっかりとしたクラン、もしくはギルドなのだろう。そうであるならば探し人であるみるきぃを知っているかもしれない。男は自分の格好が不自然でないかを見、装備品の確認をしてから残された男たちにゆっくりと近づいた。
「すみませんそこの方々」
待機を命じられた陽光聖典の一人、分隊長として部下を任されたニグン・グリッド・ルーインは森から現れた怪しい人物に声をかけられた。
光を飲み込む漆黒のローブに鈍く光を返す銀色の手甲、顔には泣き笑いの表情を象った仮面。街で出会ったなら間違いなく衛士に職務質問されるだろう人物は、その姿と裏腹に朗らかな声色だった。
「何者だ?」
あからさまに怪し過ぎて勢いが削がれる事があるのだと初めて知ったニグンは、装備だけなら法国の最強部隊、漆黒聖典に勝るとも劣らない一品に警戒を強める。現れた男は敵意が無いと示す様にゆっくりと両手をあげると、おどけた様子で話しだす。
「はじめまして、自己紹介が遅くなりました。私、ユグドラシルのヘルヘイムから来ました魔力系魔法詠唱者のモモンガと言います。少し質問したい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
得体の知れない男の様子に部下たちはニグンに判断を仰ぐ。
こういった連中の対処も上役の仕事のうちだと軽くため息をついた後に続きを促す。
「まずはユグドラシル、ヘルヘイムという単語に聞き覚えはありませんか?」
「無い」
「そうですか……。実は探し人が居るのですが、ここら辺で変わったモンスターを見ませんでしたか?」
「変わったモンスター? それは一体どんなやつだ?」
「どんな奴って言われても……人型で、顔と手がいっぱいあって……天使とは違うけどカルマ値プラスの異形種で……。うーん、天使からの派生種族ではあったっけ?」
本来なら極秘任務であるゴブリンの討伐現場を見た者を生かして帰すことはできない。しかし、相手が興味深い情報を持っているのならばそれだけでも引き出さねばならない。なぜなら自分は人類の盾である法国の特殊部隊なのだから。
使命に燃えるニグンは、ブツブツと漏れ出る聞きなれない単語の内一つを拾う。
「お前は天使を探しているのか?」
「えっ? いや、種族的には天使ですけど見た目全然違いますよ? 腕六本ありますし」
「腕が六本? 盗みの神の兄弟神のことか?」
「いや、彼女は盗賊じゃなくて鍛治師でして。……ひょっとしてご存知なんですか?」
有名な盗みの神の事すら知らない世間知らずの魔法詠唱者に眉根を寄せる。そもそも何故今は居ない神を探しているのかもわからない。
「残念ながら私の言っている盗みの神の兄弟神は随分昔にお隠れになった」
「随分昔? ひょっとして200年以上前だったり……?」
「詳しくは知らん。なんと言っても詳しい事はわからないからな。それよりもどうやってここにきた? トブの大森林は人外魔境の地。余程腕に自信があるものでも単独では来ないだろう」
「いえ。自慢するほど強くは無いですよ。まあ、この世界の中でなら自信ありますけど」
「なるほどなるほど。さては貴様、化け物の類いだな?」
肌が見えない格好、顔を隠す仮面。多勢に無勢の状況での落ち着きよう。そして最後のこちらを見下す発言。
ニグンは相手を死者の大魔法使いだとあたりをつける。ごく稀に自我をしっかりと持った個体が現れるという話と、この人類国家周辺で人を襲う死者の大魔法使いが現れ討伐隊が組まれたという話を耳にしている。それが何故兄弟神を探しているのかはわからないが、どうでも良い。アンデッドなどという人類の敵は滅ぼさねばならない。
ニグンは召喚していた炎の上位天使を自分と男の間に差し込む。そして更に後ろへ下がる。力強い天使を前にしても、男の余裕のある態度は崩れない。
仮面に手を当てて照れる姿を隙だと判断したニグンは、天使を突撃させる。勿論手加減はなしだ。純粋な魔法詠唱者は脆い。相性的にもこちらの有利は揺るがない筈だ。
ニグンには男が天使に吹き飛ばされる光景が確かに見えていた。かのフールーダ翁には遠く及ばないが第三位階とは才能ある魔法詠唱者の到達点のひとつだ。その魔法を使って召喚した天使は、それに合わせて強大な力を持っている。
だからこそ、男に突撃した天使が動きを止め、男が吹き飛ばされた様子がない事を訝しく思う。思っていると、手甲のはめられた腕が天使を掴み──思い切りこちらに投げ飛ばす。
「ひぃ!」
「分隊長!?」
それはニグンを掠め部下の横を通り、後ろに控えさせていた天使たちにあたってまとめて光になって消える。そのありえない事態に陽光聖典の隊員達は目を見開いた。
「前から思っていたんだが、この世界はそんなにPvPが盛んなのか? 出会う人間出会う人間勝負を挑んでくるのはいい加減面倒なんだが」
「お、おお、おま、お前の様な怪しい輩取り押さえない方がおかしいだろうが!!」
「そっちの言い分はわかったけど、やっぱりいい気はしないなぁ」
ニグンの心からの叫びに、男は肩をすくめただけの反応を返す。兎も角手足となる天使が居ないと不利だ。居たところで先程の光景を見ている限り有効な手段とは思えないが、居ないよりはマシだろう。
再召喚をしている眼前で、怪しい魔法詠唱者もまた、何かを召喚する準備をしていた。
「じゃあこうしましょう。私が召喚したモンスターを倒せたら、命は助けますよ。〈中位アンデッド作成 死の騎士〉」
男の側に黒いもやが現れ、それは瞬きする間に2メートルを超える人型に姿を変える。
短い悲鳴が口から漏れた。
何故ならばもやが固まり、そこから姿を現したのは強大な力を持つアンデッド。生者を憎むその視線に晒されたニグンは動けなくなる。見たこともない化け物が、目の前に現れた。
オアアアアアアアァァァァァアアアアア!
精神をかき乱す咆哮。知らないうちにニグンは新たに召喚していた天使を化け物アンデッドに向かわせていた。
二者の距離は二歩。
その距離はニグンにとって無いのと同じだった。ニグンはアンデッドとの間に天使を割り込ませる。天使の体を二つに割るように、アンデッドの波打った剣が食い込む。剣が切った断面から、キラキラと粒子が天に昇る。
ニグンには、眼前で起こる全てが恐ろしくて恐ろしくて恐ろしい。視界にはその化け物しか映らない。
だからこそ、だからこそその場にいた誰も気がつかなかった。
化け物を生み出した男の背後。その森の中から巨大な木の根が持ち上がり、────。
大地を揺らすほど強かに打ち付けられ、その場にいた天使も人も押しつぶされる。
低い音が辺りに響き、木はへしゃげ、草は潰れ、山の一部で土砂崩れがおきる。
そんな大惨事の中、立ち上がる黒が一つ。
「い、痛い! なんだ、なんで! 痛い。う、うぅ」
根に叩きつけられた頭を抱えながら男は呻く。
経験した事の無い激痛に。ありえないはずの痛みに。
「くそ、くそがぁ! 痛かったぞ! この!!」
しかしその怒りも痛みも突然潮が引くように消える。
冷静になった男は最後の最後、縋っていた可能性を捨てる事になった。
ゲームなら、こんな痛みは実装されない。どんなマゾヒスト仕様ならここまでリアルすぎるものができると言うのか。それにゲームなら、こんな適正レベルを無視したモンスターなど置かない筈だ。
だから、男は今までの可能性を全て捨てた。最近のゲームはすごい、で済ませていた逃避をやめる。
即ち──。
これは現実なのだと認めたのだ。