話を重なるごとに増える誤字ですが、皆さまのご協力で助かっております。
結局モモンガは一息に〈転移門〉で戻らずに徒歩で戻る事にした。方角はわからないが、とりあえず山から遠ざかれば森から抜けられるだろうとあたりをつけて歩き出す。日が傾いてゆき、あたりが暗闇に包まれて暫くした頃、精神的な疲労を感じて大きな木の根に座る。ゆっくりと存在しない肺から空気を吐き出す真似をして、空を見上げる。
森から見上げた空は葉っぱに遮られて何も見えない。
この世界に来て二日目の夜に見上げた空は煌めく星でいっぱいだった。その美しさに息をのんで、ナザリックの第六階層を思い出した。あまりの見事さと、まだゲームだと誤解していたこととで製作者の一人にブルー・プラネットさんが居るのでは無いかと疑った事もあった。
「これからどうなるんだろう」
この世界がゲームでは無いと認めたモモンガは現在全く寄る辺がない。面識のある個人は居るし、なんとかそこに置いてもらえないかお願いしてみるつもりだが、今はどこの組織にも所属していないのだ。それはとても危険な事に思えた。全ての責任を自分で取らなければならないと言うのはとても怖い事だ。だってそんな事は自分の人生の中で経験がない。仕事の責任は社会人としてそれなりにあったが、自分の生死を決める責任なんてとりたくない。そんな事はごめんだ。
だから、自分には後ろ盾が必要だ。そして情報も。
この世界にあるだろう自分と同等、そしてそれ以上の脅威。それと一人で敵対するのはとても怖い。アンデッドの体になったと言うのに、死ぬのは、存在が無くなるのはとても怖かった。
野生動物が歩く音、木のざわめき。夜行性の鳥の不気味な声。
ひんやりとした空気は土の匂いを抑えている。ロックマイアーは夏が近いと言っていた。リアルでは夏なんて教科書にあるだけの失われた季節だ。一年中空を覆う灰色の雲は気温の上昇を妨げる。それに自然の中なんてそれこそ一部の富裕層しか知れない。森にも匂いがあるのだと知ったのはこちらにきてからだ。
ふと、突然匂いが強くなる。
ザァザァという音。
雨が降ってきたのだ。
モモンガはローブについているフードを被り直す。濡れたからといって風邪を引くことは無いだろうが、体に直接当たる雨粒が不快だった。
そこでモモンガは自分の装備が一つ無くなって居ることに気がつく。顔を隠していた仮面がない。
「まじか……どこで落としたんだ? やっぱり最初のダメージを受けた時か? しかし、他に顔隠せそうなのあったかな……」
インベントリを漁るが、めぼしいものはない。顔の上半分や下半分だけを隠すことができるものはいくつかあったが、顔を完全に隠すことはできなかった。
ならばどちらも同時につければ良い。不恰好になってしまうが仕方ないと口元を隠す布の上からバイザー型の兜を被ろうとする。しかし、装備できない。被ろうとしてもうまくいかない。まるでゲームの装備品の扱いだ。ひょっとしたら現実世界である所のここでも、自分はゲームのルールに縛られているのかもしれない。
仕方がないのでフードを目一杯に深く被り、目の下から首にかけてを覆う布をつける。普段つけない違和感と、近くで見られたらバレる程度しか役にたっていない変装が心もとない。今更ながらみるきぃの作った仮面を持ってきておけば良かったと後悔する。金額はわからないが、エリアスがなんとかしてくれただろう。
「というか。エリアスさんにお世話になるんだったらこれ隠しておけないよなぁ。でもこの世界でのアンデッドの扱い酷いしなぁ。悪いアンデッドじゃないなんて言って信じてもらえるかなぁ」
街を案内してもらった時の城郭の外に作られた墓地を思い出す。定期的に湧き出すアンデッドを狩らなければ更に強いものが湧くなんて習性は正直嫌われても仕方ないものだとは思う。
空はとうとう雷まで鳴り出した荒れ模様。
轟々と風まで荒れ出して木が大きくたわむ。
暫くそれを見ていたが、座っているのも飽きて再び歩き出す。忌々しいモンスターの居た森から早く離れたい気持ちもあった。雨に泥濘む地面を歩きたくなくて〈飛行〉の魔法で移動した。
やがて雨が上がり、あたりが明るくなる。夜が明けたのだろう。夜中から動き通しでやっと森が開けた。もう少しというところで〈飛行〉の魔法が切れる。かけ直すのも面倒に思い雨に濡れたぐちょぐちょの地面を歩いて街道にでる。右を見ても左を見ても変わらない景色はどちらに向かうか深く考えなければならない。森から見てエ・レエブルがどちらの位置かをきちんと聞いておけば良かったと後悔する。勘を頼りに太陽の方向へ進もうとしていた時、街道に人影が現れる。大柄な人間らしきその影はこちらに近づいてくる。丁度いい情報源に、モモンガはその人間が近づいて来るのを待った。
「よお、あんた一人で不用心だな? ここの近くに村でもあんのかい?」
見た目は屈強な男だと思ったのだが、声は掠れて野太いが女性のものだ。自分よりも上にある顔に努めて友好的に話しかける。
「転移の魔法に失敗してしまいまして。エ・レエブルに知り合いが居るのですが、どちらに行けばいいのか教えていただいても?」
「ふうん? 一人でこんなところに居るなんざその格好は見掛け倒しって訳じゃないって事か。いいぜ、俺についてきな。通り道だしな」
「よろしくお願いします」
前を進む女の後ろに大人しく続くモモンガ。改めて彼女の姿を見る。頑丈な金属鎧。手を覆うのは金属ではなく頑丈な皮。同じ素材の皮で下半身の装備も固めている。腰には大ぶりのメイスとショートソード。典型的な前衛職の格好と言えた。
もっとも、装備はモモンガの基準からすれば見窄らしいものなので、彼女もきっと低レベル層なのだろう。
「おっと。自己紹介がまだだったな。俺っちはガガーラン。これからビッグな冒険者になる予定の将来有望な美人だ」
「私はモモンガです。ユグドラシルのヘルヘイムから来て、今はエ・レエブルに身を寄せています」
「ふーん。エ・レエブルねぇ。まあ王都に行くまでにはまだかかるだろうし、食料も心もとなくなって来た。寄るのもいいかもな」
「ここら辺の地理に疎いんですけど、ここってどこなんですか?」
モモンガの非常識な質問にガガーランは驚く。魔法詠唱者は頭がいい者が多い。そうでなくては魔法など使いこなせないからだ。その中でも転移の魔法を使えるのはごく一部。そんな優秀な者が周辺諸国の地理も知らないなんてありえない。
「あんた本当に魔法詠唱者かぁ? 地理も知らないで旅に出るなんてありえないだろ! あんたどっか遠くからでも来たのか!?」
上半身を捻ってガガーランはモモンガを見つめる。疑う目線にモモンガは顔を俯かせる。あまり見つめられて布やフードの下の顔に気づかれる訳にはいかない。
「実は第三位階の更に上の転移魔法に失敗したんです。それで森の中から這々の体でなんとかここまでやってきたばっかりなんです」
「第三位階の上? よくしらねぇがそれって凄くないか?」
「怪しい見た目かも知れませんが腕は確かなんですよ」
「ふーん。で、あんたはエ・レエブルの専属魔術師かなんかなのか?」
「いえ。まだそうでは無いですけど」
「成る程ねぇ。最初仲間とはぐれた冒険者だと思っていたが一般人だったんだな」
ガガーランは肩をすくめて豪快に笑う。
「いや、すまん。自分の勘違いがおっかしくてよ。最近ここいらに死者の大魔法使いがでるって話を聞いていたからてっきり仲間がそいつにやられたのかと思ってた。心当たりはないんだよな?」
「死者の大魔法使い? いいえ。全く心当たりはありません。ガガーランさんはその、冒険者、なんですか?」
「おおよ」
歩調を緩めてモモンガの横に並んだガガーランは首に下げていたプレートをモモンガの見やすいように取り出す。
「一応白金級の冒険者だぜ。故郷じゃあ実力の釣り合う奴が居なかったんでこうして諸国回ってんだけどな。帝国の冒険者は鮮血帝のせいですっかり腑抜けになってたんで今は王国を目指してるんだ」
キラリと朝日を照り返すのはガガーランが言った通り白金でできたプレートだ。これがあると通行証代わりに都市に入れるらしい。
「エ・レエブルまで後どの位かかりますか?」
「竜も馬も無いからなぁ。三日ってところじゃないか? エ・ランテルを昨日出たから大きくは間違って無い筈だぜ」
「えぇ。そんなにかかるんですか?」
「おう。そろそろ昼飯食べなきゃいけない時間だし、後八時間もすれば日が暮れるからな。その前に野営の準備も必要だろ? 一日中歩き通しなんてことはできないんだから仕方ねぇさ」
まずい。
モモンガは自分の迂闊さに気がついた。
そうだ。人間は食事をするし、睡眠をとる。自分とは違って。
エ・レエブルに居た時はなんとか誤魔化せていた。朝は食べない主義だとか夜は寝たふり。昼は食事を部屋に運んでもらった後にゾンビ系の召喚モンスターに食べさせる。エリアス達を騙すのは心苦しかったが、アンデッドだと気づかれる訳にはいかなかった。ここがゲームだと思っていたからだ。
しかし今はそれ以前の問題として気づかれる訳にはいかない。
今は気安く話をしてくれているガガーランも、自分がアンデッドだと知ったら殺しにかかるだろう。死者は生者の敵なのだから。
「私はガガーランさんと会う前にすましていますからガガーランさんだけお昼をどうぞ。あと、食べ終わったら私の魔法〈飛行〉でいきましょう。突然私が居なくなってしまったのできっと友人達も心配している筈です。出来るだけ早く戻りたい」
ガガーランはそれに納得してくれた。手早く昼食を済ませるとモモンガのかけた〈飛行〉で街道沿いにスイスイと進む。何度か魔法をかけ直しつつ進み、その日の夕方前にはモモンガはエ・レエブルの城郭を見ることができた。
「今日はありがとよモモンガ。予定よりだいぶ早く着いて路銀が浮いたぜ。明後日くらいには王都に出発するからもう会わないかも知れねぇが、王都に来る用事があったら冒険者組合に来てくれ。酒の一杯でも奢らせろ」
「いえ、こちらこそありがとうございました。お酒は得意では無いので遠慮しますよ。ですから、次に会った時はガガーランさんの冒険者としての活躍を聞かせてください」
城門の前で握手を交わす。
ガガーランはそのまま門番にプレートを見せて入って行ったが、モモンガはそうはいかない。
現在身分を証明して貰うためにエリアスに人を向かわせてもらっている。
陽が傾き空が赤く染まる頃、モモンガを迎えに来たのはイエレミアスだった。どうやらエリアスは明日に迫った式典の準備で手が離せないらしい。その為代理人としてイエレミアスがやってきたのだそうだ。
「もう。どこに行っていたんだいモモンガ君! いきなり来なくなるなんてびっくりしたじゃないか。それに、私もエリアスもとても心配したんだよ? ロックマイアーだったか、彼も自分が失礼な事を言ったのではと落ち込んでいた」
「すみませんイエレミアスさん。ちょっと色々あったもので」
大袈裟とも言える心配をされてモモンガは気まずさと恥ずかしさが混じった気持ちになる。
「せめて会えない時は前日に言ってもらわないと! 準備した菓子が台無しじゃないか! それに、何があったんだろうって心配するだろう?」
「本当にすみませんでした。まさかそんなに心配されるとは思わなくて」
「友人の失踪に心配しないなんてある訳ないだろう!」
「友人……」
イエレミアスの口からでた言葉に胸が詰まる。久しく聞いていなかったその言葉は泣きたくなるほど懐かしい優しさがある。
「まあ、いつも私の話を聞いてもらっているからな。今日は私が聞き役になってやろう。存分に吐き出してくれたまえよ」
「……ありがとうございます」
徐々に暗くなる街中を灯りを掲げた馬車がいく。
中には生者と死者。
「それで、一体何があったっていうんだい?」
イエレミアスの催促に、ポツポツと灯りがつく街並みを眺めながらモモンガは口を開いた。
「イエレミアスさん。実は私、……アンデッドになっちゃったみたいなんですよ」
どうしようもない虚無感と、泣きたいような不安。それを言葉に乗せて、この世界で初めてできた友人に心の内を打ち明けた。