蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江

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闘技場

 

「おはようございます、ナインズ様」

 

帝国に来て六日目の朝。すっかり馴染んだアランの朝の挨拶にモモンガは鷹揚に答える。

アンデッドであるモモンガにとって睡眠は必要ではなく、昨日も一日中起きていた。それでも精神的な疲れは溜まるのか、無い目がしょぼしょぼする気がする。まるで徹夜明けの様な気分の落ち込みようだ。

 

「本日のご予定は闘技場の観覧。その後装飾品を見たいとの事でしたが、帝国の商人を家に招くのでは無く自ら足を運ぶという事で間違いないでしょうか?」

「ああ。……装飾品を買いに行くことはエリアスには内緒にしてくれ。昨日こってりと貴族としての振る舞いについて絞られた後なのだ。そんな平民じみた真似をすればまた煩く言うに決まっている」

 

緩やかに頭を振ったモモンガにアランは苦笑する。

アラン個人としてはモモンガのこの立ち振る舞いは好感が持てるものだ。しかし、確かに大貴族の側近としては型破りだろう。只でさえレエブン侯の縁者となっているのだから、それに相応しい立ち振る舞いを求められるのも仕方がない。

そんなアランの胸中がわかるはずもなく、いくらか愚痴を呟いたモモンガはよし、と気合を入れて立ち上がった。

今日の装いはフードをつけた王国貴族風の服だ。エリアスも好む肩口にフリルがあるデザインに腰にベルト。アランが用意した席が貴賓席にあたるので、モモンガの装いもそれに相応しいものとなる。リアルで営業職をしていたモモンガにとってTPOを弁えるのは仕事の基本。今回は個人的趣味と好奇心で行くので、仕事ではないかもしれないが、つい昨日“貴族は常に貴族たれ”ときつく言われた身としては正装を装う以外にない。

しかし、普段はゆったりとしたローブ姿が多いため、首元までしっかりと詰まった襟に無いはずの息苦しさを感じる。

フードを被り、首元を隠すための布を巻き、その上から額部分から二本角が生えた意匠の仮面を被っている。顔の部分はのっぺりと白く、一見覗き穴すら無いように見える。

 

「ナインズ様はお着替えをレエブン様としてしまわれるので従者としては不満だとお伝えしておきますね。貴族たる者、側仕えに着替えを手伝わせるのは息をする様に当たり前なのですから。しかし、今日の仮面はちゃんと前が見えているんですよね?」

「あーあ、お前まで口うるさくなってしまった……。勿論だ。視界は良好だぞ」

「そう言わずに是非私にお任せください! ……そういえば、ナインズ様は一体何種類の仮面をお持ちなんですか?」

「数えたことは無いな。気に入った物はある内に買う派だったから気にした事もない。それにこれは何の効果も無いデザイン最優先の物だからなぁ。こんな事でも無かったらまず使おうと言う気にならなかっただろう」

 

事実、わざわざイエレミアスやエリアスに用意して貰わなくても困らない位の仮面を買い込んでいる。中にはフルフェイスの兜などもあり、ユグドラシル時代の装備制限で使えないものでもつい買っていた。悲しい蒐集家の性である。インベントリに入っている以外にも、今は無いギルド拠点には更に多くの物を無頓着に収集していた。

 

「効果は無いとか言いながらさり気なくマジックアイテムですよね」

「くず鉄で作ろうとも付与される効果はあるという事だな」

「ナインズ様の居た国って一体どうなってるんですか……」

 

モモンガは盛大に呆れたという表情のアランを何とか屋敷の外まで連れ出し、門の前で待っていた馬車で闘技場へ向かう。

この世界においてユグドラシルのアイテムが高品質なのは前からわかっていたが、こう何度も話題にされると困ってしまう。ゲームであるユグドラシルとこの世界は違うのだ。現実とゲームが奇妙な融合を果たしたような不思議なこの世界。

その中で特にモモンガが気になるのは、以前世話になったロックマイアーから聞いた二つの力。ユグドラシルに無かったその二つの力を間近で見るために、モモンガは今回闘技場へと足を運ぶのだ。

 

 

 

 

「おそらく、今あの戦士が使いましたのが武技です。一瞬だけ反応速度が上がって人食い大鬼の一撃を避けたでしょう? おそらく<回避>が使われたのではないでしょうか」

 

「彼は結構有名ですよ。何でも刃物を使う時、刃こぼれし難くなる異能を持っているとか。……ほら見てください! あの剣で五匹も小鬼を倒しているのにまだ切れ味が落ちてない!」

 

 

モモンガはそう横で演目の解説やら実況やらを興奮してするアランの声を半ば聞いていなかった。

ロックマイアーに聞いた時はまだ異世界に来たことを認識しておらず、ただのゲームの設定だと思っていたのだ。しかし実際に目の当たりにしてみると、レベルの差がモモンガ達とある為分かりにくいが、驚きの連続だ。

戦士職のスキルの様な使い勝手の武技。しかしそれとは別にユグドラシルのスキルも使っている。そして極め付けはこの異能持ちだ。

1000人に一人いるというそれは、能力はまちまちだが本人の素質と合致した場合の伸び代がある。それに、どんな力が発現するかは一切わかっていない。

 

「…………ナインズ様にはつまらないですよね」

 

相槌も打たずに黙っていれば当然だが、アランが不機嫌な声をだす。それに手を振って否定の言葉をだす。

 

「いや、思ったよりも興味深いぞ。確かに戦闘自体は期待できないが、こういった故郷に無い特殊技能をみるのは面白いと思う」

「本当ですか? この後も似た様なものばかりですから、だんだん飽きられるかもしれないですが」

「それに、この貴賓席もそうだが意外と貴族も観に来ているのだな。こういうのは庶民の娯楽だと思っていた」

「帝国は今の皇帝になった時に色々あったようですから刺激のある娯楽を観たいのだと思います」

 

貴族に対する粛清に次ぐ粛清。その首が繋がった者達も鬱憤を晴らす様に娯楽へ流れるのだろう。

事実、モモンガ達の下の席にいる貴族らしい男は手に賭け事用の券を持って声を張り上げている。その側に控える執事らしい使用人の制止の声も聞かず、賭け金を積み上げるのは放蕩の様に感じた。

 

「ああ。ナインズ様は興味がないとおっしゃっていたので用意しませんでしたが、ここでは興じるのが貴族の嗜みだそうですよ。流石に下の方程熱狂するのは品がないと言われそうですが……。ご用意致しましょうか?」

「いや、私は──」

 

否定の言葉を続けようとしたモモンガは、次に出てきた見覚えのある女性に言葉を止める。

 

「そうだな、少しは楽しむか」

 

突然の心変わりに訝しむアランに指示をだし、タイミング良く投票券を売りにきた男から金貨三枚分の投票券を買う。

次の演目はひとりの挑戦者が次々に出てくる魔獣達を一騎打ちで倒していく形式のもので、全部で十出てくる魔獣の、一体何匹目で戦えなくなるのかをかけるらしい。モモンガは迷う事なく完勝を選びアランを驚愕させる。

 

「いきなりどうされたのですか? あの女性がそこまで強いとはとても思えませんが……」

 

そう、今回の挑戦者は長い金髪を後ろで束ねた女性だ。華奢な体つきをしており、とても魔獣と連戦できるとは思えない。何よりも、顔の半分が悍ましい肉塊になっている。黒く変色した皮膚からは絶えず黄色い膿が出ており、それが顎のラインを伝い胸当てへと落ちる。そんな視界が半分ない状態ではそもそも最初の一体を相手にできるのか怪しい。そう訝しげに言うアランに、モモンガは気の良い声で快活に話す。

 

「先日の舞踏会で婚約破棄の現場にあってな。その破棄された側の女性だ。何でも領民を守る為のモンスター退治の時に顔に呪いを受けたらしい。呪いを与えるモンスターはいくつか知っているが、どれもこの国では強い部類だ。それと戦って生き残っているのならば相応の強さだろう。勝ち馬に乗らせて貰おうじゃないか」

 

モモンガとしてはふと興が乗っただけのお遊びだ。マジックアイテムの売買は予想以上の高額で行われ、エリアスに貰っている当面の資金と合わせて十分過ぎる程に余裕がある。

簡素な軽鎧と粗末な剣で武装した女は、ただ立って試合の合図を待っている。貸出用らしいその装備は笑ってしまうくらい粗末で、それにレイナースの体には合っていない。流石に歩くたびにずれる事はないが、男性用のショートソードはレイナースには少し重いだろう。それに対する温情なのか、腰に一本、小ぶりのナイフをさしていた。

投票券の販売が終わり、ざわついていた会場もある程度落ち着いた。

司会の男は大声で開始を伝え、側のラッパ吹きが会場全体へ開始を知らせた。

 

 

女──レイナースの最初の相手はゴブリンだった。

一太刀で仕留めると次もゴブリン。

それが4回続き、5匹目を倒すと次はジャイアントスネーク。

ゴブリンは全て一太刀で斬り伏せて居たレイナースも、ジャイアントスネークの硬い鱗に剣が滑るのか少し手こずる。結局は飛びかかってきた所を大きく開いた口めがけて剣を突き刺し、絶命させた。

ジャイアントスネークを倒した所で一旦休憩がとられ、スケルトンなどの低級のアンデッドが続く。

主催者側の嫌がらせだろう。主武器が剣ということもあり、斬撃に耐性のあるスケルトンに苦戦するレイナースだったが、手数を多くする事で何とか倒していく。しかし倒されるたびに新しく連れてこられるモンスターと、連戦を余儀なくされるレイナースではレイナースに疲労が溜まっていく。

九匹目を倒し、最後の相手の前で再び短い休憩がとられ、会場はレイナースの予想以上の健闘に湧く。

 

「すごい! 本当にこのまま勝ちそうですね」

「そうなって貰わなくては困る。これで儲けた金でよく仕えてくれているアランにマジックアイテムの一つも買ってやりたいからな」

 

よく働く部下にしっかりと報いることは上司として大切な事だ。鈴木悟は残念ながら部下を持つまで出世はできなかったが、今はこうして付き従ってくれるアランがいる。ならばしっかりと報いるべきだろう。

 

「そんな訳に──」

 

アランの声を遮る様に悲鳴が上がる。

何事かと闘技場をみると、レイナースの最後の相手が登場していた。

耳障りな鎖の音を立てながら登場したのは悪霊犬。狼の体に二本の角を生やし、逞しい体に鎖を巻きつけた厄介なモンスターだ。その個体の体は大きく、レイナースよりもふた回り違う。

一方、挑むレイナースは息も上がり、その剣は既に連戦によって血と脂で汚れている。切れ味は格段に悪くなっているだろう。

只でさえ悪霊犬に巻きついている鎖は敵の攻撃から身を守る事ができる。その上、動きを阻害しない簡単な鎧のようなものだ。

レイナースはここに来て最悪の相手と当たってしまったのだ。

 

開始の合図と共に悪霊犬の檻が解き放たれ、一目散にレイナースへ飛びかかる。

 

「はあっ!」

 

不利な相手だからと引くことはできない。その意思を感じさせる裂帛の気合と共に、レイナースは悪霊犬へと剣を振り下ろす。

それを右に避け、そのまま速度を落とす事なく悪霊犬は頑丈な二本の角でレイナースへ襲いかかる。気の弱い観客が貫かれるレイナースを幻視し目を閉じる中、アランとモモンガは危なげなく振り下ろした剣の軌道を変え、根元近くで角をしっかりと受ける姿をみる。

噛み合った二つは金属をヤスリにかける様な音を響かせて離れ、二回、三回と斬り合う。その凌ぐ姿に目を逸らしていた観客は安堵の息をつくが、剣で受け止めるたびにレイナースの剣は欠け、鋭さを失う。

刃こぼれの目立つ剣に切りつけるのを諦めて突く事にしたレイナースは、ショートソードから槍の様な速度で突きを繰り出す。

それを硬い毛皮で、金属の鎖で受けながら、少しずつ悪霊犬は体を血に染める。決着にはもう少しかかりそうだが勝者は決した。誰もがそう思っていた時、剣が硬い毛並みを滑り悪霊犬の鎖に絡まった。

 

「くっ」

 

急いで引き戻そうとするが、うまくいかない。このままではまずいとレイナースが敵を睨んだ時、悪霊犬の口が釣り上がる。

背筋が凍るような遠吠え。

レイナースはハッとして急いでバックステップを踏み距離を取ろうとする。

しかしそれよりも速く剣が絡まったままの悪霊犬の鎖がゆらりと動く。そしてその長さを何倍にも伸ばし、凄まじい速さで縦横無尽に鎖が叩きつけられる。

悪霊犬のもつ厄介な能力、<鎖の大旋風>である。

<鎖の大旋風>は近接攻撃の手段しか持たない悪霊犬にとって中距離まで届く必殺技と言うべきものだ。その射程はおおよそ半径20m。金級冒険者も注意しなければ大打撃を受けるその攻撃を、粗末な鎧しか持たないレイナースに防ぐ手段はない。回避が間に合わないと悟って<不落要塞>を合わせたものの、その姿は悲惨の一言だ。

身体中に打ち身と傷。どれも大事には至ってないのが救いだろう。

鎖に絡まっていた剣は振り回された事で抜け、レイナースの近くに転がっている。

勝つためには絶対に武器は必要だ。そう判断し、素早く武器を拾い構える。大技を使い、息をあげる悪霊犬に正眼に構えて飛びかかる。

<流水加速>

武技を使い流れる水の如くしなやかに悪霊犬との距離を詰める。

走ってきた勢いそのままに大きく振りかぶった剣を振り下ろす。

瞬間。

パキリと軽い音と共に剣が半分に欠け、砕ける。

思わず唖然とする観客。

レイナースもこのタイミングで砕けるとは思っておらず、一瞬の隙ができた。

それを見逃さなかったのは相手である悪霊犬だ。一息に詰められた為に角で貫く事は出来ないが、その脚力でレイナースを地面へと押し倒す。

一気に形勢は変わり、観客の歓声も一気に低くなる。

悪霊犬はその角に目がいってしまうが鋭い牙も持っている。誰もがレイナースが噛みちぎられると予想した。

しかし一向にその時は訪れず、奇妙な程静かな両者が睨み合うだけの時間が過ぎる。

 

「一体何が……?」

 

モモンガ達のいる貴賓席は闘技場全体を見渡せる位置にある。その為大きな動きは見る事が出来るが、今回の様に両者が重なって動かないと何が起こっているのかわからない。特にアランは幼少からの魔法の勉強の為に目が悪く、そろそろ眼鏡をかけなければならないと思っていた位だ。なのでレイナースの表情までを見る事はできなかった。

 

「興味深いな。最後に一手追いついた様だぞ?」

 

モモンガの言葉を証明する様に悪霊犬の体は大きく傾き、どうっと地面へ倒れる。立ち上がったレイナースは全身悪霊犬の血まみれで、その醜悪な顔半分と相まってとてもおぞましい。

そんな事は気にしないとでも言うように、入ってきた入り口に帰る彼女に、やっと我に返った司会者は試合終了の合図を出す。

 

倒れた悪霊犬の首元には深々と突き刺さった短剣。

会場に響く重い笛の音が、闘技場の一演目の終了を告げた。

 

 


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