蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江

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沢山の再開をお祝いしてくれるコメントありがとうございます。
三連休で筆が乗っていた為、少し予定よりも早いですが次の話です。




願いは叶う

 夜会が終わり、日付が変わろうとする時間帯。

 帝都にある皇帝の居城の一室は未だに灯をともしていた。

 その一室に居るのは主催した夜会の後処理をしているジルクニフ。既にこの部屋での作業を始めて二時間程経過している。

 何枚目かの書類に目を通していた彼は、机の上に向けていた目を休めるために壁に掛けられた絵を見る。

 魔法の光に浮かぶのは先代皇帝の肖像画だ。父親と言うよりは先任者としての意識が強い。尊敬するべき先達にして乗り越えるべき壁である。

 

「降ると思っていたのだがな……」

 

 人払いのされた室内は昼間と違って伽藍堂だ。

 側仕えの文官は夕方の執務の後に家に帰している。無理をするのは自分だけで良いし、たまには一人でいたい。もっとも、扉外の護衛は当然いるが。

 

「持っている切り札は同じ。そしてその他はこちらが圧倒的に有利のはずだ。しかし何故奴は従属の意を示さなかった?」

 

 今日の夜会で最も重要な要素であった王国貴族、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵との接触は予想された結果とは違うところへ落ち着いた。

 フールーダをナインズ・オウン・ゴールで釣り出し、魔法を使った踊りを躍らせる事で作り出したレエブン侯爵に対する揺さぶりで、本来であれば圧倒的な総力の差に早々にこちらに寝返っても良い筈だった。

 現に先に揺さぶりをかけていた王国のブルムラシュー侯爵は、今後大きくなるであろう国力の差と多少の金でこちらについた。聞いていた人となりに合わせて揺さぶりをかけたつもりだったが、どこかで詰めを誤ったのだろうか?

 違う、あの時に感じたのは相手の余裕だ。

 ならば確かめるべきは──。

 控えめなノックの音に引き戻される。思っていたよりも深く考え込んでいたようだ。

 この時間にくる人物などわかりきっているので許可をだすと、現れたのはやはり予想通りの人物であった。

 

「夜遅くに失礼いたします陛下」

「珍しいな。ここには二人だけだ、いつもの呼び方で構わないぞ」

 

 白く長い髭をしごきながら、片眉を跳ね上げすぐに柔和な笑みを浮かべる。引き摺りそうな程長く白いローブで近づいて来たのは帝国一の魔法詠唱者、フールーダ・パラダインだった。

 

「ジル、夜更かしは感心いたしませんな」

「魔法のこととなると昼夜を忘れる爺に説教されるとは意外だ」

「侍女長からの伝言です。この帝都で最もジルの身を案じているのは彼女でしょうな」

「そうか。リーナリーに言われては流石に寝なければならないな……。そういえば爺、一つナインズの事で確認したい事がある」

「……何ですかな?」

「ナインズが使えるのは本当に第六位階までなのか?  爺の異能ならばわかる筈だが報告があがっていなかった。隠している訳ではあるまい?」

 

 フールーダの持つ異能は、魔力系魔法詠唱者の扱える魔法の位階を視認できるという能力だ。

 つまり魔力系に限り、見ただけで相手の強さがわかる。この強力な異能は珍しく、現在発見されているのは優秀な人材を集めた魔法学院においてもたった一人だけだ。

 

「それがわからないのです」

「なんだと?」

「今日の踊り中に聞いてみたのです。すると、もともとゴール殿がいた国では自分の実力を知られる事が生死に繋がる土地だったらしく、探知系の魔法やスキルを阻害するマジックアイテムを常に身につけていると言うのです。ですから彼が一体どのレベルで魔法を会得しているのかは私も頭を悩ませているのです。彼はもしかしたら────」

「第七位階に届いている、と?」

「その可能性が大変高いでしょう。なのでジル、何としてもゴール殿は帝国に引き止めなければなりません。私は魔法の深淵に一時でも早く近づきたい!!」

 

 爛々と光るフールーダの目。狂気をたたえたそれに、ジルクニフは六代の皇帝に仕えた魔法詠唱者の悲願を見る。ドラゴンの尾を踏むとはこの事だろう。このままではこちらの切り札までも失いかねない。

 

「爺、焦る気持ちはわかるが落ち着け。現状ナインズを帝国に引き止める事は難しいし、お前がナインズの側に居るのも難しい」

 

「貴方に私が止められるとでも?」

 

 底冷えのする声は、普段ジルクニフの前で好々爺然としていた人物と同じ人物が出しているものなのかと疑う程冷え切っている。一つの受け答えを間違うだけで、この魔法詠唱者はあっさりとこちらを見限るのだろう。

 

「私にお前を止められる訳がないだろう。私が言っているのはナインズの政治的な立場の話だ」

「立場?」

「そうだ。いきなり隣国の重要人物が側に居たいと言ったらナインズの立場はどうなる? 王国の貴族連中に帝国との繋がりを隠そうともしないと言われ、仕えている主人共々国を追われる事になる。それでこちらに来てくれるのだったら爺をつける意味もあるが、そんな事になったら、原因を作った爺は決して相手にされる事は無くなるだろう。だから“今”お前がナインズの側に居るのは難しいと言ったんだ」

 

 苦々しい顔で黙りこくったフールーダ。

 それを見てジルクニフはフールーダに最善の手を示す。

 

「爺と同じ異能を持った娘がいただろう?  彼女をナインズに弟子入りさせる事はできないのか?」

「彼女をですか?」

 

 自分が直接出向きたいのに、何故他人にその座を渡さなければならないのかと不満が顔に出ている。

 

「最善は爺が直接ナインズにつくことなのは変わりない。しかし相手は仮にも貴族の親類という事になっている。政治的にそれが難しい以上、より警戒されにくい者に行ってもらうべきだろう」

「しかし──」

「その時にその娘の事を“将来有望な期待の弟子”とでも言っておけば、ナインズの事だ、代わりに魔法の道具の一つや二つくれるかもしれないぞ?」

 

 未だ不満を隠さないフールーダ。彼を我慢強く説得するジルクニフとの会話は、日付が変わった後も続けられた。

 

 

 

 

 

 

 帝都を囲む城壁の外、街道を行き交う多くの人に対して、街道から少し逸れたその一画は不自然な程人がいない。

 街道を挟んだ反対側には都市へ入るため長い列に並ぶ人々の為の出店や屋台があり、威勢のいい呼び込みの声がひっきりなしにかかっている。そんな喧騒を遠くに聞きながら、レイナースはここへ自分を呼び出した人物を待つ。

 まだ呼び出した本人は着いていないらしく、辺りに人影は無かった。

 レイナースが今日ここへ来たのは、先日ナインズに約束された報酬を受け取る為だ。

 この醜い呪いを解呪してくれると、そうあの魔法詠唱者は約束してくれた。未だ果たされない約束に顔が歪み、合わせて不快な感触が顎を伝う。懐から膿を吸いすぎて変色したボロ布を取り出すと顔にあてがう。ジワリと布に染み込む膿の、その不快な臭いが鼻についた。

 

「ああ、こちらでしたか。すみません気づくのが遅れてしまいました」

 

 突然の声はレイナースの前方から聞こえた。そこには先ほどまで確かに誰も居なかった筈だ。にもかかわらず、聞き慣れつつある平坦な抑揚の持ち主は数歩程しか離れていない場所にいる。

 

「い、え。構いませんわ」

 

 所領を守る騎士として自負のあったレイナースにしてみれば、自らがこの距離まで存在を気付かなかった男の存在は不気味である。だが、相手が凄腕の魔法詠唱者、それもあのフールーダ・パラダインと並び立つ存在であるのならば何の不思議もないかもしれない。

 彼の実力の一端は、つい昨晩見たばかりなのだから。

 

「それで、ゴール様。私はどうすればよろしいのでしょうか?」

 

 今日も今日とて怪しい仮面をつけた魔法詠唱者──ナインズ・オウン・ゴール。その仮面を真正面から睨むようにレイナースは見据えた。

 この顔の呪いはただの神官では治せなかった。

 まだ貴族だった時、帝都まで来て神官長に診てもらったのだ。そこで無情にも処置無しと言われたレイナースは、その醜さと不気味さの為に全てを失った。

 だからいくら凄腕の魔法詠唱者だからと言って、呪文一つでこの顔が元に戻る事はないのだろう。

 

「えっ。えーととりあえずはこちらに来てください」

 

 言われるまま従うと、緩やかな丘陵で陰になる場所に着いた。そこには冬枯れした草の上に敷かれたシーツと、その側に立つ神官らしき大柄な男がいた。

 

「そこの布の上に寝て貰って目を閉じてください」

 

 ナインズの指先はシーツを指す。そこに腰を下ろしながら、柔和な顔で見下ろすもう一人の男の事を聞く。

 

「そちらの神官様はどなたでしょうか?」

「ああ、ロバーデイクさんは今回少しだけ手伝ってくれる神官の方です。身分の確かな方なので安心してください」

 

 短く揃えられた金髪に整っているが無骨な印象の輪郭。灰色がかった青の目は誠実さを感じさせる。歳はレイナースと一回りは離れているだろう。

 

「レイナースと申します。よろしくお願いしますわ」

「いえ、こちらこそよろしくお願いします。はは、貴女は覚えておられないようですが、一度帝都の神殿にいらした時に拝見した事があるのですよ。あの時は力になれず申し訳ない」

 

 貴族として人の顔を覚えるのは得意だと思っていたが、男の顔には覚えがなかった。しかし、会ったのが呪いを受けた前後なら納得だ。あの時の記憶が混濁している。

 もっとも、レイナースにとっては男に会った事があろうがなかろうがどうでも良かった。

 ただこの顔の呪いを無くし、自分を捨てた家族や婚約者に復讐したい。その為に必要ならば拒否するつもりもない。

 目の前に近づく復讐の機会に、自分を裏切った連中をどんな目にあわせてやろうかという妄想で頭が埋められていく。

 

「じゃあ紹介も終わりましたし早速始めさせてもらいますね」

 

 黙り込んだレイナースにナインズは気を取り直すようにそういうと、もう一度指示をだした。レイナースは指示通りにシーツに横になると目を閉じる。

 ただ、次に目を開けた時に自分の顔が元に戻っている事を願いながら。

 

 

 

「<睡眠>」

 

 ナインズの魔法によってレイナースは穏やかな寝息をたてはじめる。

 吹き付ける風に、彼女の長い髪が踊る。

 

「ナインズさん。今日は穏やかな冬晴れとはいえ、女性を吹きさらしの所に長時間寝かせるのは体調を崩しかねませんよ」

 

 風上に移動したロバーデイクの言葉にナインズは頷く。

 

「確かにそうですね。手早く済ませましょうか。……それではロバーデイクさん、改めてよろしくお願いします」

 

 そう言ってナインズは彼に一つの巻物を差し出した。中には<大治癒>が記録されている。レイナースを呪ったモンスターの強さはわからないが、カースドナイトの効果から推測しても専門職の高位魔法が必要という程ではないだろう。

 

「この巻物は?」

「今からレイナースさんの顔の呪いを解きたいと思っています。この巻物の中身は<大治癒>。怪我や異常状態を回復できる信仰系の魔法です。残念ながら私は魔力系魔法詠唱者ですので使えないので、今回ロバーさんに来ていただきました」

 

 結局、帝都での人脈で信仰系魔法詠唱者を手配できなかったナインズ達は、大人しく神殿に足を運んで喜捨する事により神官を呼んだのだ。

 

「<大治癒>……浅学なもので聞いたことのない魔法ですが、そんなものが?」

「ええ。第六位階くらいの魔法ですから。この巻物は私の友人から万が一の時の為に、と渡されたものなのですよ」

「だ、第六位階……!」

 

 巻物を握ったままわなわなと震え出したロバーデイクにナインズは不審な目を向ける。優しく握ったままガバリと顔をあげると、そのまま口の端に泡をつけてナインズに迫る。

 

「そんな貴重な物を簡単に使ってはいけません! 第六位階の魔法など我々からすると死者を蘇らせる以上の奇跡です! ナインズさん、この巻物をどうか我々神殿に預けてはいただけないでしょうか! 必ず習得し、民達の幸せにつなげます!!」

「え、いや、それは…………んん。それはできません。一つ、私は彼女の呪いを解くと約束しました。その約束を反古にするのは嫌です。二つ、神殿に預けたからといって、それが本当に民達の幸せになるとは思えません」

「いえ、そんな事は!」

「習得できないとは言っていません。第六位階でしたら私も使えますし、帝国にはフールーダ殿も使い手としている。魔力系魔法詠唱者がいるのならば、信仰系魔法詠唱者の中にも第六位階まで到達する人物がいてもおかしくない。でも、私が言っているのはそこじゃないんです」

「それは……」

「将来私がこの巻物を渡した事で使える者が出てきたとしましょう。しかし、その治療が受けられるのは貴方達神殿に多額の喜捨をする事ができる者だけでしょう」

 

 最初の勢いは何処へやら、すっかり勢いをなくしたロバーデイクは顔を俯かせる。

 ナインズにとってはイエレミアスやエリアスからの聞きかじりの知識を披露して大ごとになるのを防いだだけなのだが、ロバーデイクにとってその葛藤はこの数年毎日悩んでいる内容だった。

 即ち、結局はお金のある貴族が恩寵を受け、本来真っ先に救うべき人々を救えていない神殿の現状である。それに憤りを覚え、喜捨を受け取らずに何人もの経済的に恵まれない人々を救ってきた。神殿本来の方針から外れた行動は、発覚すれば職を追われるだろう。

 しかしそうなっていないのは、心を同じくしながらも行動に移せない多くの同志が見逃してくれているからだ。行動を起こさない彼らに苛立ちを覚える日もある。しかし、全ての神官が自らの人生をかけて取り組める問題でない事は自覚している。

 だから、もしここでナインズから巻物を受け取っても、きっとナインズが予想した通りになるだろう。

 

「それも、そうですね。すみません」

 

 無念さがありありとわかるその声はナインズの心に小さなしこりを残した。

 

 

 その後、ロバーデイクによる治療は完了し、レイナースの顔の半分に及んでいた呪いは消え、美しい少女の顔が出てきた。<大治癒>の効果で<睡眠>の効果も治療され目覚めたレイナースは、懐から取り出した手鏡を見て喜びで涙を流す。

 

「ナインズ様、本当に、心から感謝いたしますわ。これで好きな服も、やりたい事もできますもの」

 

 そう言って笑ったレイナースの顔には陰惨な笑顔が浮かんでいた。

 そんな顔を見た二人の祝福の声は空虚で、しかしレイナースはそれには気づかない。頭の中にはもう二人の事などなく、自分を追放した家族と婚約者への復讐で占められている。

 二人のおかげだと何度も繰り返す彼女の手の中で、彼女の顔を映していた手鏡は砕け散った。

 

「えっ!?」

 

 突然の事に驚く三人。

 地面に落ちた鏡の破片は、その小さな鏡面にレイナースの顔を複雑に映すのだった。

 


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