蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江

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張り巡らされる糸

 

 

 

「首尾は上々のようですね、叔父上」

「我が甥どのは本当に人使いに容赦がない」

 

灯りの絞られたエリアスの執務室。落ち着いた調度品で固められた室内は闇に覆われ、応接のためのソファーとローテーブル、その上にある二つのグラスだけが淡い光に照らされている。

聞き耳を立てるものが居たとすればその呼吸音すら響くだろう静寂の中、今夜の夜会の報告がされていた。

 

「ナインズ君はもうボロボロだったよ。 あれだけ事前に宣伝したんだから、こうして色んな貴族が詰めかけるなんてわかりきっていただろう? 久々の王国の社交界で僕も彼をフォローしきれなかったし、明日はゆっくり休ませてあげたほうがいい」

「帝国で十分経験を積ませたつもりだったが、まだ早かったか」

「よそ者扱いの帝国の社交界と一緒にしちゃあ駄目でしょ。 レエブン家の縁者っていう設定なんだからそれはそれは大変だったよ。 次からは虫除けにレイナースさんを連れて行った方がいいね」

「それはそれは。 随分と“蝶”が蜜を吸おうと集まったようだな」

「今までレエブン侯爵家は王派閥色が濃かったんだ。 それが貴族派閥に近づいてきたんだから貴族派閥のご令嬢たちが縁を作ろうとやってくるのはわかっていたことだろう。」

 

イエレミアスはそう言ってグラスをとり、中の液体で喉を潤す。 本来は酒がいいのだが、連日の社交で豪華な食事に胃が疲れているため中身は紅茶だ。

 

「で、貴族派と仲良くなってどうするというんだ? まさか、ボウロロープに与するなんて。 今は亡き父上は嘆き悲しんでいることだろう」

 

ボウロロープ侯爵は王国一広い領地を持つ貴族であり、貴族派の旗頭になっている人物だ。

年齢はイエレミアスの少し上くらいであり、イエレミアスが貴族令息として王都にいた頃は何かと目の敵にされていた記憶がある。

今は第一王子とボウロロープ侯爵の娘が婚約しており、その権力は揺るぎがないものだと言われている。

 

「与する? 冗談はおやめください叔父上」

 

エリアスは冷たい目でイエレミアスを睨み、組んでいた足を入れ替える。

 

「そも、今や我が家の兵力はボウロロープの数倍。 与するのは向こうの方ですよ」

「全てナインズ君個人の力だ。 彼が心を移しただけで簡単に覆るものをあてにしてはいけない」

「はあ……やはり貴方に政治は向いていない。 大局を見れず、人心掌握も未熟なんですから大人しく子爵夫人の心配でもしていればいいんです」

 

モモンガ──今や名実ともにレエブン家のナインズになっている──はすっかりエリアスにも心を許している。確かに仲がいいのは叔父であるイエレミアスの方だろうが、仮に自分と叔父が仲違いをしたとしてもすぐさまどちらかに味方するということはないだろう。きっと仲を取り持とうと行動するはずだ。

そんな身内に甘い男が簡単に心変わりなんてする訳がない。

モモンガの力は、今や正しくエリアスの力である。

 

「なんで今彼女のことが話題になるんだい? 確かに今日の夜会に参加した理由は彼女だけど、心配する必要なんで全然なかったよ。 いつでも美しく聡明な、あの頃のままだ」

「確かに子爵夫人は変わらず高潔なお方でしょう。 しかし、子爵家の財政が思わしくないのですよ。 先月、冬籠に失敗した魔獣のせいでいくつもの村に被害が出たそうで、すぐにまとまった金額が必要だと夜会では末娘の“いい”嫁ぎ先を探しておられましたよ」

「なんだって……。 そんな」

 

そう言って俯きイエレミアスはぶつぶつと独り言を言いながら考え込む。

そういった姿を見るたびに、本当にこの叔父が施政者に向かないことがわかる。

 

「本来なら国から支援が来ても良さそうなものですが、今の王家には何も期待できないですからね。 私はそんな不条理が嫌なのですよ。 だから王を目指したい。 叔父上はもし自分がこの国の王なら、と思ったことはないのですか?」

「王位簒奪なんて考えてはいけないよ。 王とは尊く、侵してはいけない存在だ」

「現王と乳兄弟同然に育った叔父上がそう教育されていることは父上から聞いています。 しかし、今回王都までの道で見た光景を思い返してほしいものです。 現王は一個人としては好人物なのでしょう。 穏やかで、慈悲深く、なんとか善政を敷こうとしている。 しかし実態は統治者としては並、派閥間の調整能力はさらにその下。 今や人心は離れつつあり、貴族間の派閥は浮き彫りにされている。 その皺寄せは一番弱い平民にきている」

「それは……」

 

民の生活、格好、顔つき。

そのどれもレエブン領の領民の方が上だった。

そのことにエリアスは自信をさらにつけた。自分のやっていることは何も間違ってはいないのだと確信すら持てる。

 

「何も弑虐しようというのではありません。 穏便に譲位してもらえばいいのです。 王家の血が必要だというのなら第一王子であるバルブロの子を私の子と番わせても良い」

 

組んだ足を解き、身を乗り出すように前のめりになる。

 

「このままではどうせ帝国に飲まれます。 向こうは優秀な皇帝の下、国を立て直した。 来年か再来年かいつ開戦してもおかしくない状況です」

「そんなことは──」

「あります。 ナインズに聞いても同じように言うでしょう。 社交の腕はともかく、戦いに関することは彼も十分詳しい。些か個人戦や小規模な集団戦に素養が偏りがちですがね。 今度時間を作るのでその時に詳しいことを決めますが、叔父上」

 

「あなたが選べるのは二つの道しかありません。 一つはこのまま王国の一家臣として帝国に飲まれる姿を見るか。 もしくは新しい王家の一員として多くの国民を幸福に導くかだ」

 

柔らかな光の中でもギラリと野心に光る目。

その光の強さにイエレミアスは言葉を飲み込んだ。

 

 

 

覇気がないイエレミアスがエリアスの部屋を出たのはそれからまもなくのことだった。

どうしてこうなってしまったのか。なんでこうなってしまったのか。

 

目を閉じると浮かぶのは過ぎ去った若い日々。

侯爵家の次男として、かつて王子だったランポッサの右腕となるべく共に過ごした過去は確かにあった“輝かしい過去”だった。

 

しかし、かつて輝いていたその思い出は、今やすっかり色褪せていた。

 

 

 

 

すっかり日の昇った朝。

王都のレエブン邸は家人の朝食の準備で忙しくしていた。

外の空気は季節柄もあり暖かく、手入れされた庭の草花はいきいきと茂っている。そんな景色を窓越しにみられる朝食室は明るく、10人ほど座れる長テーブルは汚れのない白いテーブルクロスが敷かれ、人数分の食器が並んでいる。

席についているのは館の主人であるレエブン侯爵夫妻。その叔父であるイエレミアス、遠い親戚であり客人である俺、そして俺の弟子ということになっているアルシェと婚約者候補のレイナースの6人だ。

6人中2人が帝国の人間ということもあり、私的な食事の場としてはいささか緊張感がある、気がする。

本当は食事ができないので──なんと言ったって骨の体なのだ!──朝食の場にいるのは抵抗がある。しかし、ここに居る人は朝から俺がお茶の一杯も飲まないのにすっかり慣れている。

なんなら俺が残した手付かずの朝食を巡って使用人の間で熾烈な戦いがあるらしい。

 

使用人が給仕を終え、エリアスの祈りの言葉に続いて祈りを口にする。皆で揃って唱え終わると、主人であるエリアスがカトラリーに手を伸ばす。

それを見届けて、他の面々も食事を始めるのがこの家での決まりだ。

 

「なるほど興味深い。 レイナース嬢から見てどうでしたかな?」

「私も驚きました。 こう言っては失礼なのですが、準決勝までに騎士の皆様が負けてしまうなんて。 私も敗退した側なのでなんとも言えないのですが、王国の底力を見た気分ですわ」

「確かに、ここまで多くの出場者が優勝を競うことになるとは思わなかったな」

「ええ。 決勝も素晴らしかったですが、準決勝まで勝ち上がっていたモモンという冒険者が抜きんでていました。 不注意で敗退されましたが、実力は参加者の中でも一番でしょう」

「確かに、魔法詠唱者である私から見てもすごく強いんだと一目でわかった」

 

話題の中心となるのは決まってイエレミアスである。

今日はつい昨日終わった御前試合の感想が話題に上がり、帝国民であり自身も出場したレイナースが自分の立場から見たものを話している。 アルシェも興奮気味に話に加わっている。

俺もモモンとしてその場に居たわけだが、帝国籍であるレイナースやアルシェの手前会話に参加することはできない。

 

「そんなに面白い試合だったとは、私も見てみたかったな」

「派閥違いの夜会の準備で忙しかったから仕方ないさ。 むしろ私の仕事を代わってもらったお礼を言うのが筋か?」

「気にしてないさ、エリアス」

「“派閥違い”の夜会ですか?」

 

エリアスの言葉にアルシェが小首を傾げる。

 

「昨夜イエレミアス様とナインズ様が参加された夜会は親聖王国派の夜会なのですよ。 レエブン侯爵家はトブの大森林に近いため今まで遠くの貴族の方々との交流はあまり多くなかったのですが、木材の輸出を始めるのでしたら様々な所に繋がりを作っておかねばなりませんからね」

 

シェスティンが補足すると、アルシェは納得したようにうなずく。

 

「木材の輸出……師匠が制作するアンデッドの活用実験の成果ですね」

「ああ、アンデッドを単純な労働力として開墾を進めることができれば、もっと領地が潤う」

「シェスティン様は領地の運営にも明るいのですね」

「ええ。 夫を支えるのが良き妻ですから」

「私もナインズ様を支えられるように精進いたします」

 

レイナースはちらりとこちらを見ながらニコリと笑う。

 

そんな会話をしながらテーブルの上の食事も食べ終え、後は食後のお茶だけになる。

この時間になるとシェスティンは昼食会の為の身支度に入るためお茶を少し口にすると席を立つ。

本来なら社交の場には夫婦揃ってでるのが普通であるそうだが、今年はレエブン侯爵が代替わりしたこともあり多忙を極める。その為、レエブン侯爵夫人であるシェスティンも独自に動いて社交をしているのだ。当然その忙しさは侯爵の叔父であるイエレミアスにも、また、新しく登用された侯爵領筆頭魔術師である俺にも当てはまる。

 

「夫人も忙しそうだがエリアス、みんな休息はきちんと取れているのか?」

 

ふと、モモンガは最後に会ったギルドメンバーのヘロヘロさんを思い出す。

実際に私生活を見ていた訳ではないが、王都に来てからのみんなの働きぶりは過労死という言葉が頭によぎるくらいには凄まじいものがある。

 

「その言葉はそのままナインズにお返ししよう。 昨晩遅くまで夜会に出てもらっていたからな。 しかし今日中に片付けたい仕事がある。 これは魔術師である君にしか頼めないことだから最優先で対応してくれ」

 

エリアスがそう言って執事に持って来させたのは一枚の紙だった。

くるりと巻かれた質のいい紙は一度封が解かれていた。おそらく事前にエリアスが確認しているのだろう。

手にとり中身を見ると、装飾文字でびっしりと中身が書かれており、王国語検定初級の俺にはとてもではないが解読はできない。

当然それはエリアスもわかっているので、少しだけ意地の悪そうな顔をすると詳しい中身を教えてくれる。

 

「我が領で行っているアンデッドを使った伐採活動について実地で見せてほしいという王からの希望だ。 バルブロ第一王子と近衛兵、そして冒険者の立ち会いの下召喚したアンデッドの安全性を確認したいとのことだ」

「あー。 あれか」

 

思い返すのは数ヶ月前。最初にこのアンデッドによるトブの大森林の開拓案を出した時のエリアスの渋い顔だ。

厳正にして厳格なるさまざまな実験の後、1ヶ月の試用期間を経てやっと廃村になっていた村でお試し運用が始まった。

あの確認作業を思えば大したことはないだろうし、術者である自分が行かなければならないというのも頷ける。

 

「付き人としてアルシェとレイナースを連れていくといい。 まだ貴族の作法には不安があるだろう」

「そうだな。 助かる。二人ともそれでいいか?」

 

自分の対面に座っていた二人を見ると、笑顔で頷かれる。

帝国の貴族令嬢として一通りの教育を受けている二人がいれば、自分が多少ヘマをしてもうまくフォローしてくれるだろう。

いくらか肩の荷が降りた気分だ。

 

「師匠との外出楽しみです」

「私もたまには社交以外の外出をしたいと思っておりましたの。 ナインズ様のエスコートを楽しみにしておりますわ」

「エスコート……」

 

リアルでは一切縁のなかった行為。貴族の儀礼的なものは昨日の失態を思い出し頭を抱えたくなる。

 

「それと、ついでに冒険者組合と貧民街の教会に行って領民の募集関係の依頼を出してきてくれると助かる」

「依頼書か……。 書式がわからないが、口頭で言えば書いてもらえるものなのか?」

「王国の平民の識字率は高くないから書いてはもらえるだろうが、従者のアランに既に書いて渡してある」

「そうか、引き受けよう」

 

アルシェとレイナースがお茶を飲み終わり一息ついたのをみてから俺は席を立つ。 これから外出用の服に着替えなければならない。

 

 

 

(貴族って優雅なものだと思っていたけど、意外と忙しいんだよなぁ……。 服だって一日に何回も着替えなきゃいけないし。 従者なんて最初いらないって思ってたけど、これなら必要だって納得だよ)

 

ユグドラシル時代のように一瞬で着替えることができない。現実世界なのだから当たり前の事だというのに、ひどく不思議な感覚をこちらにきた当初は覚えていた。

他人に身の回りの世話を頼むのも、骸骨の体である事を除いても抵抗があったのだが、今ではすっかり慣れたものだ。

できるだけ威厳が出るようにゆったりとした歩調で自室まで足を進める。

広い屋敷なこともあり、自室まで行くのにかなりの距離を歩くのだ。ついつい小市民な体が早歩きになるのを抑えつつ廊下を見渡す。

王都についてから目まぐるしい日々が続いていたのであまり気にしなかったが、見るからに価値がある調度品が壁に並んでおり、磨かれた窓から入る日差しが廊下を照らしている。

外はとても気持ちよさそうな春の陽気だ。

きっとあの中で深呼吸をしたら癒されるんだろう。俺に肺はないけど。

 

「今日も忙しい一日になりそうだ」

 

そう呟いた声は調度品が置かれた廊下の壁に吸い込まれていった。

 

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