「ふふ、ふふふ」
「随分と上機嫌ですね」
夫婦の寝室。
ともに広いベッドに横たわるシェスティンの髪を触りながら、エリアスはつい漏れてしまう笑い声を隠そうともしなかった。
連日の激務に疲労の溜まったシェスティンとしてはできるだけ早く寝たいのだが、珍しく機嫌の良さそうな夫は話を聞いてほしそうだ。
「ふふ。 いや何。 思った数段良い結果を得られたからな」
「それはよかったですわ。 もしよろしかったら、どんな良いことがあったのか聞きたいのですけれど」
「もちろんだシェスティン、君にも、というか今後の我が家に関わる重要な出来事だからな」
これだから謀はやめられない。
そう呟くとエリアスは寝物語の代わりにと今朝の出来事をシェスティンに語った。
今日という日の目覚めは最低と言ってもよかった。
日付が変わってから帰宅したあと、先に眠っていた愛おしい妻を抱いて深い眠りに落ちていたところをモモンガに叩き起こされたのだ。
しかも用件が叔父の不始末だという。
すぐに来てほしいと言われたが、正直全てほっぽって寝ていたかった。
状況が飲み込めていない護衛官を下がらせ、側仕えに服を整えさせているところに再び現れたモモンガは、叔父と女性二人を伴っていた。
女性の顔はどちらも見覚えのあるものだったから驚きはなかったが、予定よりも随分と事態の進みが早いことには驚いた。
(昨日の今日で行動に移すとは。 あの子爵、随分となりふり構っていないようだな)
二人の女性の一人は叔父のイエレミアスの元婚約者。残念ながら婚約はエリアスが生まれる前に解消されており直接的な関わり合いはない。
もう一人は元婚約者が後妻として嫁いだ先でもうけた娘だったはずだ。嫡男は前妻の息子が二人もおり、どちらも後継者として十分な素質を持っているが、好色な子爵はしっかりと手を出したのだと社交界で囁かれていた。
「ナインズ、その女性達は?」
「エリアス、これには深いわけがあって──」
「叔父上には聞いていません。 ナインズ、説明を」
青い顔で脂汗をかきながら目を泳がせている愚か者は視界から追い出し、静かに佇む友人を見る。
仮面にローブという組み合わせは見慣れた姿だが、これは最初にあった時の服ではないだろうか? 威厳のあるその姿と比べると、エリアスの部屋でさえ格が相応しくないものになってしまう。
普段は主従関係がわからなくなることもあり、イエレミアスが見繕った服を着てもらっていたはずだ。本人も友人の見立てだとまんざらではない様子だったが、今回は叔父を助けようと張り切った結果の姿なのだろう。
「イエレミアスさんが夜会から帰っている途中で暴漢に襲われているところを助けて匿ったそうです。 しかし、本人たちに話を聞くとどうやらその暴漢は元夫である子爵が手配した八本指の下部組織のものだったらしく、現在もまだ狙われているだろう、と」
予想通りの答えに頭が痛い。これだからあのパーティへの参加を渋っていたのだ。きっと貴族に相応しくなく情の深い叔父は元婚約者の母娘を見捨てられないことはわかっていた。深いため息が自然と口から漏れる。
(しかし、モモンガに何かしら揺さぶりをかけることには成功したようだな)
さりげなくだが、イエレミアス側に立って話をするモモンガにエリアスは目を細める。些細な違いだが、表情から感情がわからない相手にはこういった細かいいつもとの違いは重要な判断材料だ。
(叔父上のように考えなしに救ってくれとは言い出さないとは思うが、わからないな)
とりあえずしっかりと話し合うために部外者である女性二人を別の部屋に移さなければ。エリアスは呼び鈴で呼び出した執事に客室に案内させて三人で話し合えるように場を整える。
寝室だと防音などの対策もされていないので、自分たちも執務室へと向かった。
しっかりと扉を閉め、モモンガに盗聴防止用の魔法をかけてもらうと、やっと本題に入った。
「それで、今回の厄介ごとの相手は八本指と言うのだな」
「確か、王国の裏にいる犯罪組織でしたよね」
「そうだ。 正直、いま手を出すのは厄介で避けたい。不幸な行き違いということで二人を差し出せば解決する。後味は多少悪いが、もとはと言えば元夫である子爵のせいだ。こちらがそこまで責任を負う必要も面倒を見る必要もない。それで良いですね、叔父上」
有無を言わせない調子でイエレミアスの目を見ながら言う。
普段はそれで済むのだが、今回は違ったようだ。
「!! それは!」
否定の言葉を使うイエレミアスはいつもすぐにそらす目でしっかりと見つめ返してくる。
張り詰めた空気を破ったのはモモンガだった。
「エリアスさん少し二人の処遇を決めるのは待ってください。 実は俺に考えがあるんです」
「考え?」
モモンガはそう言うと胸の前で握り拳を作る。
「その八本指の下部組織、人身売買部門らしいんですが、そこで商品になっている人を開拓村で使いたいんです。ですので、その部門だけ俺の力で潰そうかなって。そうすればイエレミアスさんの元婚約者の人と娘さんも助かりますし、こっちはすぐに必要な人手が増やせるじゃないですか」
突飛な提案に眉根を寄せる。モモンガの言いたいことはわかる。
これがもっと表に出せない事業に使う人手ならそれでも一向に構わないが、トブの大森林の開拓は領を挙げての一大事業であり、王都での社交で大々的に宣伝をした。
派閥傘下の貴族を筆頭に他領にも広げていこうと考えている。であるので、いずれは視察などを受け入れる予定だ。
それなのに住民が元人身売買の商品であり、組織を潰して拐ってきたなどと外聞が悪すぎる。
「今、王都でも広く人を募っているのにわざわざ危険を冒してまで八本指に手を出すメリットがない。確かに犯罪組織にいる奴隷を使えばすぐに人手を用意することができるだろうが、あまりにもリスクが高すぎる」
「そうですよね、メリットの割にリスクが高い」
「その通りだ」
「でも、そんな非合法な働かせ方をさせられていた人間は、救ってくれた我々に多大な感謝をしてくれるのでは? それに彼らは親や身内なんかに売られて働いているんだと聞いています。そんな彼らに帰る場所を用意してあげれば、それに救うときにこちらの“力”を見せつければ反抗しようなんて思わないでしょう」
救ってもらった人間が感謝するというのは流石に考えが甘い。
川の氾濫。飢饉。魔物の暴走。
そういった災害から救ってやった領民がこちらに恨みをぶつけるのはよくあることだ。そう口にしても良かったが、なぜか開きかけた口を噤む。
力を見せつけて抵抗する気力を削ぐという方が何倍も確実性がある。エリアスの理性的な部分がモモンガが後半に挙げた方法ならまだ領主として受け入れてもいいだろうが。
「それに、これはあまり聞いていて気分のいい話じゃないと思うんですが、俺の力の実験も少ししたくて。流石に領民や悪い事してない人間相手に試すのは気が引けるので、悪者だったらいいかなと思ってですね」
「実験? エ・レエブルにいた時にはよく一人で森に抜け出して色々していたんじゃないのか?」
「ああ。あれは動物やモンスター相手ですから。 次は人間でやってみたいんですよ」
『人間で実験をしたい』
それは恐ろしげな仮面の下の素顔に相応しい発言だった。
急に今までのモモンガと乖離した言葉選びに自然と喉が鳴る。やはり彼は────。
「それに────」
そこでモモンガは芝居がかった仕草で両手を広げた。
「私の望みを叶えてくれるのならばエリアスよ、この国をお前にやろう!」
普段からは考えられない威厳のある声。その仮面に隠された素顔に相応しい低く、響く邪悪な声だ。仮面の奥で赤い光が強くなる。
それは現在の格好を含めて、魔王の誘惑のようであった。
「なーんて。 ダメですかね?」
すぐに声色はいつもの彼に戻る。落ち着いた青年の、少し優しげな、しかし感情が薄い平坦な声に。
どこか戯けた口調も、一足とびにきた魅力的すぎる提案にエリアスには構う余裕がない。表情を取り繕えず、目を見開いたまま、じっとモモンガの仮面の奥の赤い眼を凝視する。
ひょっとして彼は骸骨ではなく悪魔なのでは?
普段は高速で回転する頭が空回りしている自覚があるが、どうしてそうなったのかがわからない。いや、原因はわかりきっている。
モモンガが急に自分の欲しい言葉以上の事を言ったからだ。しかしこの提案に本当に乗ってしまっていいのだろうか。その少し前に彼が言った言葉を考えれば、この提案にのってしまったら、同族である人間を差し出して権力を手に入れる非道な権力者ではないか?
「え、ちょっと! モモンガ君何言ってるの!!」
「いや、イエレミアスさんちょっとしたおふざけというか。いえ、内容は本心なんですけど……」
同じく固まっていた叔父のイエレミアスの方が回復が早かったようで横槍を入れる。
モゴモゴと言い訳めいたことを言い出したモモンガが提案を引っ込めないうちに早く肯定しなければ。そうだ、何を躊躇う必要があるのだ! 自分は彼がこう言ってくれるために色々動いてきたのだ。
「悪くない提案だよモモンガ。実に、悪くない」
「え?!」
上がる口角を隠さず、しかし、きっと自分の目は少し怯えに染まっているかもしれない。
エリアスは自分を落ち着かせるためにできるだけゆったりとした言葉でモモンガの提案を受け入れた。
「是非とも私はこの国を手に入れたい! 弱いものが挫かれるこの国を変えたいと思っていたところだ! そのためならモモンガ、君の提案がたとえ悪魔の甘言だろうと受け入れよう」
そうだ、自分は確かにモモンガの友人になって、彼の力を自分のものにしたいと思っていたではないか。もしここで肯定しなかったのなら、王位簒奪の計画は十年単位で遅れるだろう。
だから、モモンガに自分の野望を打ち明ける。
この国の腐敗。
それを見過ごしてきた無能な王族。追従する貴族。
自分の成したいこと。それに対するアプローチ。
「──と、いうわけなんだが。モモンガ、君は私のこの思いを手伝ってくれるということでいいのだね」
「もちろんですよエリアスさん! 俺は、ここに来る前は現実で弱い立場でした。だから、もし救える人がいるなら救いたい。この国を見てそう思ったんです。エリアスさんが治める国なら安心です。 だって、エ・レエブルはあんなにも栄えているんですから!」
「えっ!? ちょっと! モモンガ君ダメだよそんな! エリアスが国を治めるってことは今の王族と争うってことなんだよ!? 国を二分する事になっちゃう! そっちの方が酷い事になっちゃうよ!」
「いいえ、イエレミアスさん。これは必要なことです。その為には少しの犠牲は仕方ないんです。だって──」
「この国を不幸な人がいない国にしたいじゃないですか」
その声色はまるで無邪気な子供のようで。
今まで感情の起伏が少なく特別な欲を見せてこなかったモモンガを、人間相手に自分の力の実験をしたいと言ったアンデッドを、普通の人間のように感じさせた。
「さて、それではまずどうするかだな。 とりあえずいい機会だから八本指の奴隷販売部門は潰しておきたい。去年から我が家は八本指との折り合いが悪いからな、きちんと潰しておかねば面倒なことになるだろう」
「ああ、エリアスさんのお父さんを暗殺した犯罪組織の大元でしたっけ? でもしっかり潰すなら事前にしっかりと情報を手に入れてからじゃないと」
「そこは心配ない。 子飼いの元冒険者たちがしっかり調べてくれている。君もロックマイアーの調べだったら信用が置けるだろう?」
「ロックマイアーさん? そういえば冒険者って言ってましたね。どの程度の情報があるのか聞いてもいいですか? 必要なら追加で情報を調べないと」
エリアスはモモンガの言葉を聞いて執務室の机にある隠し引き出し、その中に厳重に入っている箱を取り出す。
これは王国の王になるためにエリアスが日々集めていた情報を精査したものであり、その中には虎の巻とも呼べるモンスターや魔法、アイテムの知識をまとめたものもある。
その中から八本指の資料を探し、それを見せながら説明する。
組織図と懇意にしている貴族、未だに文字に不自由なモモンガを気遣って指を指しながら説明していく
エリアスの横で、イエレミアスは瞼を閉じかけてうつらうつらとしていた。
助けた元婚約者とその家族が見捨てられるのではないかという心配事が解決したためだろう。過激なことを言い合ったエリアスとモモンガを二人にできないと目をこすりながら睡魔に耐えている。しかし元々こういった事には興味がない叔父は昨晩は寝ていないこともあって疲労が限界に達しているようだった。
「はあ。 叔父上は一旦自室に戻って休まれてください。今日は昼に同じ派閥──レエブン派とも言える者たちを集めてガーデンパーティをするのです。夜にも大きな夜会をホストとして執り行うのですから、そんな眠そうな顔をされては困ります」
「え、いや、君たち二人を放っておけないよ。王家の簒奪なんてダメだ」
「はぁ。今日はもうその話はしない、元クラウディア子爵夫人とその元令嬢を救うための相談だ」
「イエレミアスさん、エリアスさんもこう言ってくれてますし、俺も勝手に話が進まないように気を配っておきますから少しの時間でも休んでください」
「あ、うん。 ごめんよエリアス、モモンガ君。ちょっと休ませてもらうね」
そう言ってふらふらと執務室を出る叔父に深いため息をつきたくなる。
本当に、本当に貴族に向いていない。もし家督をイエレミアスが継ぐことがあったら、我が家は一気に没落していただろう。
今生きているのは全てモモンガのおかげである。あの時、領地を取り戻す手伝いをしてくれたモモンガに感謝の気持ちを新たに向き直る。
「さて。モモンガ、続きを説明しよう」
「はい。よろしくお願いします」
再び資料に目線を戻して、モモンガへの説明を再開した。
「私が寝ている間にそんな事になっていたのですね。 起きたらあなたがいないから、きっと大きな問題が起きたのだろうとは思っていましたが……」
「大きな問題が起きたことは間違いないが、大きな前進でもあった。彼が早めに決意してくれたおかげで今日の昼と夜の社交で随分と根回しが進んだよ」
「それはよかったです。随分とこの王都に来てから気を張っていらしたので、少し肩の荷が降りたのではなくって?」
そうシェスティンが言うと、喉を震わせる笑い声。
夜だからと抑えられたそれは獣が機嫌良さげに喉を鳴らす音に似ていた。
翌朝。
昨日の夜会が大規模だったこともありレエブン家の朝は随分とゆっくりしたものだった。
昼過ぎに起き出したエリアスは側仕えを呼び、顔を洗う準備をさせる。
そして着替えて執務室に向かうと文官に招待状や手紙などで急ぎの用事が入っていないかの確認だ。
案の定、二つ返事を急いだほうがいい手紙があると言われた。
一つは王家の紋が入ったもの。
差出人は第二王子で、おそらくだが昨日のことに対する探りだろう。しっかりとモモンガから聞いたわけではないが、第一王子は随分と目に余る行動をとっていたと聞いている。
不出来な兄を持つ弟は大変だと鼻で笑い、続く手紙を見る。
もう一つは神殿の紋が入ったものだ。
差出人の名前には心当たりはないが、その肩書きは随分と立派なものだった。
ペーパーナイフを取り出しすぐにあけ内容を確認する。
エリアスは確認した内容にニンマリと口元を歪めた。
(随分と大物がかかった)
内容はエ・レエブルの神官の異動についてだ。
これだけならなんの変哲もないと思う内容だが、時期が明らかにおかしい。
(去年交代したばかりの神官をまた異動させるのはおかしい。何か問題を犯したのならばともかく、真面目に職務をしていると報告を受けている人物だ。 しかも後任の紹介をエ・レエブルに帰った後ではなく今、この王都でしたいというのがきな臭すぎる。これはモモンガについて探りを入れてくるのだろう)
神殿勢力──その中でもこういった政治的な問題に首を突っ込んでくるのは宗教国家であるスレイン法国からの圧力だろうと見当をつける。
法国のことだ、何か問題が──たとえば敵対することが──あったとしても、エリアスが自由に動かせる戦力が多い領地よりも王都に来ている時の方が与しやすいと思ったのだろう。
一人で軍にも匹敵するモモンガがいる以上、相手のそういった目論見は全て無駄だ。
ニンマリと上がる口角が抑えられない。
指定されている日付は明後日と、なかなか急な招待ではあるが神殿との関係は良好にしておきたい。エリアス個人にはモモンガという心強い味方がいるが、領地の民は神殿に助けられている。けして軽視できる存在ではないのだ。
相手が何を望むのか、どういった用件で来るのかの裏はしっかりと取っておかねば後手にまわってしまう。
(法国か、情報はあまりないがしかたあるまい)
相手が国だということを差し置いても、法国は情報を得ることが難しい勢力だ。
もちろん表面上のことはわかっている。四大神ではなく光と闇を加えた六人の神を信仰しているだとか、領土の広さ、周辺国との関係性などはちょっと調べようとしたら簡単に情報が入ってくる。
しかし、主に軍事力を中心としたものが見えてこない。探れはするし、見当がつかないこともないが、何か裏がありそうだ。まるで裏社会で囁かれている特殊工作部隊が本当に存在しているかのようだ。
(さて、どこから手をつけるか)
兎にも角にも、モモンガの明後日の予定を考えなければならないだろう。
そのほかの手紙にも一通り目を通し、領地からの報告書を読む。焦らなくても彼とは今日はお茶の時間を共にする事になっている。
いくつかの問題点を洗い出したあと、領地の代官へと手紙を出す。
そうしていくつかの指示を出し、一息ついたところでモモンガとの約束の時間となった。