先生と生徒
「渡していた巻物の解読は合格に達したと言っていいな。そろそろ、アルシェにも実戦の経験を積んでもらう時期だな」
モモンガは自分の目の前で緊張した顔で立っているアルシェを見ながら前々から考えていたことを口にした。
場所は王都のレエブン侯爵の所有するタウンハウス。その中でもモモンガのために貸し出された一室だ。
時間は昼手前。エリアスが主催した大規模な自派閥の夜会以降、社交は随分と控えめになった。
代わりに神殿との話し合いだったり、レイナースの相手だったり、こうしてアルシェの学習進度を確かめたりと、エ・レエブルにいた時と似た生活が始まった。
正直、王国の裏社会の一角を潰すのはかなり呆気なかった。
しかし、人間相手の実験ではしっかりとその必要性を改めて思い知らされた。これからエリアスを手伝って彼を王にするのなら、今後相手をするのは人間だ。ならば人間に自分のスキルや魔法、知識がどの程度通用するかを調べるのはとても重要である。実験の結果に確かな満足感を感じるとともに少しだけ拍子抜けすることもあった。
それはエリアスの事だ。てっきり今回の裏組織を潰した事を皮切りにエリアスが王様になる為にどんどん行動するものだと思っていたのだが、あの日以降、平穏すぎる毎日をおくっている。
どうやら原因は数日前にあった神官との話し合いらしい。モモンガは同席できなかったのだが、エリアスが言うには向こうの要求を一つ呑めば、エリアスが王位につく口添えをしてくれるという話をしたそうだ。
どうやら神官の姿で現れたのはお隣のスレイン法国という国のお偉いさんだったようで、国際情勢などを考えたら“法国のお墨付き”というのは非常に魅力的らしい。
そんなわけで、今日もモモンガはまるで領地にいるようなゆったりとした時間を過ごしていたのである。
(楽しみにしてた御前試合も終わっちゃったし、この国の王子には目をつけられちゃったし、できれば早くエ・レエブルに帰りたいんだけどなぁ……)
そんな思いを声に出さないように努めて、目の前の生徒を見る。自分にやまいこさんみたいな先生役なんて務まるはずがないのだからアルシェの師匠として振る舞うのも頭が痛い。
それでも、いい加減巻物の解読だけでは息が詰まるだろう。
そう考えての提案だったが、アルシェの顔色はすぐれない。
「どうした、不安なのか?」
「はい。帝国の魔法学院でも実戦は経験してない。ので、少し不安です」
「なるほど、大丈夫だ。護衛代りに私が召喚したモンスターをつけよう。いざとなったらすぐに繋がりで異変に気づける」
「先生の召喚したモンスターって、エ・レエブルの館にもいるスケルトンの事?」
アルシェはあまり変わらない表情と声色で首だけをこてんと傾ける。感情表現が苦手で言葉も拙い少女なので分かりにくいが、きっと弱すぎて護衛にならないと言いたいのだろう。
「あれは雑用をさせる為に呼び出した弱い奴だ。そうだな、魔法詠唱者の護衛なら前衛が最適だな。その中で考えれば死の騎士だろう。優秀な能力を持っている」
「死の騎士?」
「そうだ、レベルで言えば35くら……。いや、なんでもない。今のは忘れてくれ」
危ない危ない。
モモンガは内心冷や汗をかく。この世界において死の騎士は強すぎる。
この前八本指の人身売買部門を潰した時にロックマイアー達に言われた言葉を思い出し慌てて口を閉じる。あの時は軽い小手調べで呼び出しただけなのに王都の本拠地を一体で制圧できてしまった。しかもある程度自由意思があるらしく、厳命すれば味方に酷いことはしないだろうが、それ以外の人間に対しては“命令されていないから”と襲いかかる可能性が高い。実際、娼婦たちが抵抗した際は危うく従者の動死体が量産されるところだった。
「……そもそも召喚モンスターの召喚時間を考えると護衛として貸し出すのは危険だったな。途中で居なくなっては護衛の意味がないな」
慌ててそれらしい理由をつける。
これについては実験により人間の死体を使えば半永久的に召喚されたままなことがわかっているが、今は知らないふりをするのがいいだろう。同族の死体を使って呼び出されたアンデッドを幼い女の子の護衛にするのは流石に気が引ける。
逸らしていた視線を戻すと、アルシェは相変わらずじっとこちらを見つめる。
「どうしたのだ、アルシェ。座学を今までやったのだから、次は実践をするのが魔法詠唱者の正しい成長の仕方だろう?」
これはロックマイアーの仲間の魔法詠唱者から聞いた知識である。
この座学と実技で魔法を習熟していくのはただモンスターを倒してレベルを上げるだけで済むユグドラシルと全然違う。その違いに頭を悩ませることも多かったが、今回は助かる。
モンスターを倒す実戦訓練なら常にモモンガがつきそう必要がない。アルシェの母国である帝国でも実戦訓練の時は何日も学校から離れて兵士とチームを組んで行っていると聞いている。
今でも十分自習が多いアルシェだが、今後はさらにこちらとの時間を減らしたい。
なぜならば、近々モモンガは従者のアランと二人で聖王国に向かうことが決まっているからだ。
事の発端は二日前に遡る。
法国の神殿関係者との面会を終えたエリアスは、その後何度か神殿に出向いて色々と活動していたようだった。
そんなある日、内密な話があるとモモンガを執務室に呼び出した。
「急な話だがモモンガ。聖王国に人道支援をすることが決まった。その護衛を頼みたいのだが、できるだろうか?」
じんどうしえん? せいおうこく? すぐには意味が掴めない単語の羅列にモモンガの頭の中にははてなが浮かぶ。
せいおうこく……聖王国! モモンガはそれが王国の周辺国の一つであり、レエブン領にとって木材の販路の一つだと思い出す。ついこの間までトブの大森林の開墾で手に入れた大量の木材の販路を確保するために色々とパーティに連れ出されていた。その中に国境近くの聖王国貴族がいた気がする。
「人道支援とは? 聖王国って確か亜人と領土が近いからしっかりと対策を打ってるって話でしたよね。大きな被害が出たってことですか?」
聖王国についてはすぐに必要になることはないからとザッとしか学んでいない。
国家のトップが宗教の象徴も兼ねているとかで神殿勢力が国の方針にかなり関与している事。国土は海に面したコの字型の半島で北と南で大きく派閥が違うこと。すぐ隣に亜人の住むアベリオン丘陵というなだらかな起伏が連なる人外の地があり、度々亜人の侵攻に悩ませられている事。
そして、モモンガの心をくすぐるのが“九色”という存在だ。九つの色を冠した国家の名誉職らしい。基本的にはその戦闘力──強さによって与えられるらしいが、忠勤や文化的な功績でも叙されるらしい。
(ウルベルトさんあたりだったら絶対に興味津々だろうなぁ)
ずっと前にペロロンチーノ達と魔王と四天王と勇者というシチュエーションで撮った写真を見せた後、“俺が考えた最高の魔王軍”の写真を撮る遊びをしたっけ。あの時はこだわりが強いウルベルトさんによって装備から指導が入って結構大変だったなぁ。
『どうせならワールドチャンピオンも一捻りの最強の四天王を目指しましょう』
そう言って建御雷さんとPVP談義しながら二人で盛り上がっていた。
ユグドラシルでのかけがえのない友人達を思い出してモモンガは少しくすぐったい気持ちになる。
自分が作ったNPCに三魔将という側近をつけていた彼のことだ、きっと目を輝かせて食いつくに違いない。
「一般国民に被害は出ていないが、城壁の一部が破られて兵士に結構な数の犠牲が出たらしい。犠牲になった兵士は国民から徴兵された者たちも多かったようで、正式に王国に対して食糧の支援を求められている」
「王国に対してなら一領主であるエリアスさんが気を配る必要はないのでは?」
国として求められている支援に一領主であるエリアスが対応するのは越権行為のはずだ。
言うなれば会社の社長同士で話し合って決めた内容を課長が任されてもいないのに取り仕切っている感じだろうか?
「そうでもない。本格的に事を構えるまでは現在の王族に従っているフリが必要だからな。今回は“黄金”と名高い末の王女の発案らしい。どの領地も数年前の飢饉から脱せていないと理由をつけていたが、領主交代とともに派手な行動を取り続けているからな、帝国のフールーダと並ぶと言われている“ナインズ・オウン・ゴール”を王国のために派遣できるのかどうかで忠誠心を試されていると思っていいだろう」
エリアスは呼び付けられた謁見の間でのやり取りを思い出す。
王はこちらの忠誠心を試す行いに乗り気ではないようだったが、第一王子とその後見人であるボウロロープ侯爵、第二王子、それに今まで何度も民の為にと政策を打ち出してきた末の王女全員からの進言には従わざるをえなかったようだった。
「それに今回は聖王国側からの要請もあった」
「聖王国からも?」
「ああ。 今の聖王国の元首は聖王女カルカ・べサーレス。彼女の友人に最高神官のケラルト・カストディオという女性がいるのだが、彼女からこちらに根回しがあった。『王国からの支援物資の護衛という名目でレエブン侯爵家のナインズ・オウン・ゴールを聖王国に連れてきてほしい。その際に城壁を修理する間の護衛を頼みたい』と」
「つまり、実質的に向こうの王様から直々の指名で俺にきてほしいって事ですか? 王族の相手なんて俺には荷が重いですよ。それにそこまでお膳立てされてたらもっと危ない裏がありそうで……」
「そんなに構えなくても心配いらない。求められているのはトブの大森林で行っている開拓と変わらないことだ。おそらくだが法国の神殿経由で情報が流れたのだろう。身構えなくても君が心配するぷれいやーとやらの罠ではないよ」
「うーん。それはそんなに心配してないです。本当にプレイヤーが相手ならこんな回りくどい事しないですもん」
「それに何よりこの話には我々にとっても得があるのだよ」
「得、ですか?」
「ああ、最高神官殿は『もし件の魔法詠唱者殿が来国されたのならこの恩は王国ではなくレエブン侯爵家に対してのものである』と言ってくれていてね」
「ということは、法国に続いて聖王国もエリアスさんの後ろ盾になってくれるってわけですか?」
「その通りだ! まあ、モモンガがあまり乗り気ではないのなら仕方ないが、個人的にはぜひ協力してほしいと思っている」
酷薄に見える顔に笑顔を浮かべるエリアスがモモンガをじっと見つめる。
一年ほどの付き合いしかないが、きっと彼はモモンガが断るはずがないと確信している。それに苦笑が漏れる。ギルドメンバーにもよくチョロいと言われていたが、仕方ないじゃないか、大切な、大切な友人のお願いなのだ。
「仕方ないですね。その代わりしっかりと準備は手伝ってくださいね!」
もちろんだとも。
そうさらに笑みを深めたエリアスはモモンガのささやかなお願いを快諾した。
詳しいことは追って決まると言っていたが、それはいつ聖王国に行くかわからないということだ。
正直、今のモモンガは何ら責任のある立場ではない。確かに凄腕の魔法詠唱者として、レエブン侯爵の親戚として社交の場に出ることはあるがそれだけだ。いつ聖王国に旅立っても領内外での政治的、業務的、象徴的に困ることはない。
ただ二つ、アルシェとレイナースのことを除けば。
(いや、どう考えても一緒に連れて行くわけにはいかないでしょ)
二人が帝国の人間ということもあってモモンガの正体──アンデッドであること──は告げていない。モモンガとしては二人には色々と助けてもらっているし、窮屈な思いもしているのでバラしてもいいんじゃと思っているのだが、もし正体を明かすことがあるのならばその時はモモンガと正式な婚姻を結ぶ時だと言われている。
そんな扱いに困る二人だが、簡単に置いていくという選択も安易には取れない。
エリアス曰く、二人は帝国からの監視なのだ。別行動を意味もなくとれば、それは自分に後ろ暗いことがありますと言っているようなもの。検閲にどれだけ力を入れたとしても確実にその情報は帝国に伝わる。だからこそアルシェは実戦の為に戦闘訓練に、レイナースにはその補佐についてほしいとモモンガは考えている。
(理想は俺が聖王国に行く期間中──エリアスさんの見立てだと半年ほどって言ってたっけ──その間だけでもなんとか二人でやってもらうしかないんだよなぁ)
ともかく、どんなに不服だろうがアルシェにはこの条件を呑んでもらうしかないのだ。
そう決意して思考に沈んでいた視線をアルシェに戻す。
「!?」
目の前にあるのは久方ぶりに見たアルシェの涙。
こぼさないように必死に目を見開いているが、大きな目から今にもこぼれ落ちそうだ。
「アルシェ?」
「せ、先生は……っ」
「先生は、……一緒にっ、ついて来てくれないのっ……ふっ」
瞬きした瞬間に大きな粒が頬を滑り落ちる。
慌てて腰のポーチからハンカチを取り出してアルシェの頬を拭い落ち着かせようとそっと肩に手をかける。しかしその間にもどんどん涙は溢れてきてハンカチを濡らす。
自分が女の子を泣かせた動揺に精神が安定化する。
「アラン……」
助けを求めるように自分の後ろに控えていた侍従を見やるが、軽いため息を吐かれるだけで終わる。
このモモンガ付きの従者はモモンガの女性に対する扱いに苦言を呈することが多い割にこうして困っている時にはほとんど助けてくれない。全て終わった後にお小言のようにダメ出しをしてくるのだ。
助けが来ないことがわかったモモンガはすぐにアルシェに向きなおり背中を優しく撫でる。
「すまない、不安だったよな。配慮が足りなかった。普段アルシェが大人びているから失念していた」
「っ、っふ。 しっ、しょすみません。すぐに泣き止む、……から」
「そんな必要はない、ゆっくり気持ちを吐き出していい。とりあえずこちらに座ろうか」
執務机の手前にある休憩スペースも兼ねたソファセットにアルシェを座らせると、落ち着かせる様に声掛けを続ける。
本当は向かい合って座りたかったのだが、アルシェが服にしがみついているためそれも叶わない。正直骨の体がバレるんじゃないかと生きた心地がしないが、そんなことを気にしているのは俺だけみたいでアランなんて飲み物の準備をするために部屋の外に出て行ってしまった。
「ぐすっ……ぅぅ」
「すまないなアルシェ、本当はこういう時ちゃんと慰めてやれればいいんだが……。とりあえず実戦については最初の何回かは一緒に行こう。他に何か希望はあるか?」
「ひっく、ひっく。 せんせ、いの、手を、煩わせてしまって……」
そうアルシェに言われて、自分の中にアルシェに対する苛立ちの気持ちがないことに気づく。むしろ、そう。初めてしっかりと師として頼られたくすぐったさがある。
「心配するな。実は、……少し嬉しい気持ちがある。師として頼られて嬉しい」
驚いたようにアルシェが顔を上げる。
今まで気が付かなかったが、こうして師として慕われるのは、重圧もかなりあるがほんの少しだけ嬉しい気持ちがある、気がする。小さな子供に慕われるというのも悪くないと思えるくらいの、ささやかな感情だが。
(これがやまいこさんが言っていた先生心ってやつなのかな?)
「先生は、わたしのことが迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないさ。ただ、前も言ったが接し方がわからないんだ。今までこんな小さな子の相手なんてしたことがなかったからな」
「わたしが先生の一番弟子って聞いてる」
「そうだ。だからアルシェが魔法詠唱者の卵なように、私も先生の卵なんだ」
そうおどけてみせると、やっとアルシェの顔に笑顔が浮かぶ。
「卵同士」
「そう、一緒に成長していこう」
「はい!」
そうと決まればエリアスにいい感じの狩場を聞かなければ。
新たな課題を前にもモモンガの心は軽かった。