アルシェにとって、ソレはあまりにも強敵だった。
ソレに気づいた時、アルシェの視界に広がったのは大きな火の玉だった。
街道に沿うように続く森。その森から何かが近づく音が聞こえた気がして目を向ける。私よりも場慣れしているレイナースさんは先に気づいていたようで、森に対して盾を構えながら向かおうと駆け出したその時────。
赤々と燃える火の玉が森の中からわたし達の方へ飛んできたのだ。
幸い先生が真っ先に気づいて何か魔法を使ったようで、先生に触れた火の玉──死者の大魔法使いが使った<火球>──はかき消えた。
<火球>の来た方向を見ると、そこには恐ろしいアンデッド。
事前に情報をレエブン侯爵子飼いの元冒険者から聞いていなかったらきっとその恐ろしい骸骨の姿を見ただけですくんで動けなかっただろう。
古びたローブから憎悪に満ちた目でこちらを見つめる死者の大魔法使いがいた。体から負のエネルギーを立ち上らせたソレはレイナースを見、こちらを見、最後に先生を見た。
すると地面を滑るように移動して距離を空けつつ、再び<火球>を放ってくる。
「<衝撃波>!」
迫り来る<火球>に慌てて魔法で迎撃するが、少しタイミングが遅れたせいでレイナースの近くで<火球>は爆発してしまう。
その爆風だけで離れているアルシェは顔に熱風を感じ、ローブはバサバサと大きな音を立てて揺れる。余波の余波でこれならレイナースはどうなっているのか。アルシェは血の気が引き前方を見る。幸い傷は大したことがないようで、念の為にと持っていたポーションを飲む姿に、胸を撫で下ろす。
自分よりもよっぽど経験を積んでいる彼女がしっかりと装備を整えているのにここまでダメージを負っている。そんな相手に、こんな恐ろしい化け物に本当に自分は勝てるのだろうか。
ぎゅっと持っている杖を握る。皇帝に見出され、留学をする餞別に父が買ってくれた杖は、小さいながらもいくつかの宝石が埋め込まれたものだ。魔法を使う訓練をする時、太陽の光でキラキラと光る杖を見るのが好きだった。そんな大切な、大事な杖なのにあの魔法を見て頼りなく思ってしまう。
今までは見るだけで、杖を握るだけで勇気をもらえたのに、見た目重視で大した効果がないと先生にも元冒険者のルンドクヴィストにも言われたことを思い出して悔しさと怖さに目が潤む。
戦いの場を知らない父だから仕方ないのだ。父は貴族としての体面が大事で、第一だ。皇帝に見出された娘に見窄らしい格好はさせられないと精一杯準備してくれただけだ。そして、そんな父の選んだ装備を喜んでいた自分も本当の意味で戦いの場を、命がかかっている事を理解していなかった、それだけだ。
「作戦通りだなアルシェ。うまく迎撃できている」
きっとそんな心を読んだのだろう。落ち着かせるように背中に手を添えた先生は補助魔法を全員にかけていく。
その言葉に励され、また死者の大魔法使いが撃ち込んできた<火球>を迎撃する。
再び魔法同士がぶつかり<火球>が弾け、その爆風がアルシェを襲う。くるだろう熱い風に身構えるが、さっきよりも遠くで迎撃できたことを考えても感じる威力が天と地ほども違う。その理由は先生の使った補助魔法である。
(先生の魔法すごい!)
爆風だけで肌を焼く熱さだったのに、暖炉にあたっているほどの熱も感じない。
それはレイナースも感じたようで、わたしと先生に攻撃がいかないようにさらに一歩、死者の大魔法使いへと踏み出して盾を構えた。レイナースの盾はここについてから先生が貸してくれたもので、なんと火に対する耐性があるという。<火球>を主に使ってくる死者の大魔法使い相手にはとても心強い装備だ。
「何者だ人間ども、邪魔をするな」
遠くから響くのは平坦な、しかし強い苛立ちのこもった声。その声の主が死者の魔法使いであることに気づいたアルシェは攻撃魔法を練りながら言葉を返す。
「邪魔じゃない。人間を襲うアンデッドは討伐されるだけのこと! <魔法の矢>!」
「……っ。<飛行>! 人間なぞに後れをとるとは腹立たしい。それもこれも──」
ちらりと後方を確認した後、ふわりと再び死者の大魔法使いの体が浮いた。かと思うとものすごい速さで遠ざかっていく。
さらに何発もの<火球>が撃ち込まれる。
わたしが<衝撃波>を撃つよりも早い速度で連発されるせいで迎撃が追いつかない。
「レイナースさん!」
「<大地の束縛>」
わたしと先生に<火球>が当たらないように盾で防いでくれていたレイナースさんに急いで指示にもならない叫びをあげると、打ち合わせ通りに<大地の束縛>を使ってくれる。死者の大魔法使いは彼女の魔法によってのびた土に体を拘束され地上に引きずり倒される。うまく作戦が決まったことに喜びつつ、次の一手のために杖を構えて集中する。殴打属性のある魔法を頭に浮かべてしっかりと相手を睨み据える。
「<地面揺ら──>」
「小癪な。 <火球>」
しかしアルシェが魔法を発動するより早く死者の大魔法使いの魔法が炸裂する。
しかしそれは拘束する土を自分ごと吹き飛ばすものだった。当然正面から炎を浴びた死者の魔法使いはそれまで以上にボロボロの姿になる。が、宙に浮いたことでアルシェの攻撃から逃れ、そしてそのまま高速で森に遠ざかる。
「逃げられちゃう!」
先ほどから相手が逃げを徹底している。まるで他にも警戒するべき敵がいるような慎重さだ。てっきり激昂してこちらに襲いかかってくると思っていたのに。
計算違いにアルシェは焦りを募らせる。このままだとまずい!
「<火球>による自傷ダメージよりもあのまま拘束されて攻撃を受けることを嫌うとは、知性があるアンデッドというのは本当なのだな」
死者の魔法使いを追いかけるために全員で走っている最中に先生はそう呟く。
あっという間に息が上がってしまったアルシェと違って随分と余裕そうだ。
「先生っ! <早足>をっ、お願いします!」
「ああ、わかっている。<集団早足>ついでだ<集団自由>」
息も絶え絶えにお願いすると、すぐに先生は叶えてくれる。
歩き慣れない森の、木の根やぬかるむ足元がまるで舗装された道を往くようにずっと走りやすくなる。きっと追加でかけてくれた魔法のおかげだ。
しかし死者の大魔法使いの姿はどんどん小さくなる。
<大地の束縛>から逃れるために放った<火球>で穴が空いたローブの隙間から皮膚の張り付いた骨の体がちらりとのぞく。それにも構うことなく、いっそ清々しいほど見事な逃げ姿に先生が感心した声を出す。
「これは面白い。潔いほどの逃げっぷりだな。随分と逃げ慣れているし、初戦の相手としては手強かったか」
「先生感心している場合じゃない!」
立てた作戦は完璧だったはずだ。はずなのに!
相手に感心する先生の冷静な声に感情的に叫んでしまった。
アルシェは自分の未熟さに唇を噛む。レイナースが再び<大地の束縛>を使ってくれたみたいだが、警戒されておりうまく拘束できていない。
アルシェたちも必死に追いかけているが、木々の密集している森ということもありやはり<飛行>を使って逃げている死者の大魔法使い相手には分が悪い。どんどん距離が離されていく。
このままでは見失って、また襲われる犠牲者が出てしまう!
自分の考えが甘かったせいで出るだろう新しい犠牲者のことを思うと戦いで熱くなった頭から血の気が引く。
わたしはなんて事をしてしまったんだろう。自責の言葉が次々に湧く。しかし、そこで一つ思い出した魔法があった。
「先生、わたし達も<飛行>を使えば追いつける?」
自分たちも相手と同じ魔法を使えば少なくとも逃げられることはないはずだ。
そう思って隣を走る先生を見上げる。
「それはどうだろうな。私は<飛行>に慣れているが、アルシェとレイナースは違うだろう? 初めて使うなら逆に遅くなってしまうだろう。慣れないこと、やっていない事をぶっつけ本番で行うのは止めておいた方がいい」
アルシェはそう言われて足許に目線を下げる。帝国の魔法学園に通っていた時に<飛行>については聞いたことがある。
第三位階の魔法であり、使えるようになったら魔法詠唱者として一人前と言えるだろう事。
消費魔力が多く、あまり長い時間は維持できない事。
そして、──使いこなすには訓練が必要な事。
「心配するな。こういう時のために私が一緒にいるのだ」
「先生……」
「さてと、魔法の実験といこうか。 距離があるからな、<魔法距離延長化骸骨壁>」
先生の言葉と共に地面から禍々しい骸骨でできた壁が生える。
行く手を阻まれた死者の大魔法使いは急いで壁を迂回しようとするが、悍ましい骸骨の壁は各々その手に武器を持っており、それを振り回す。
予想外の出来事にバランスを崩した死者の大魔法使いはなんとか攻撃を回避しようとした。が、壁の骸骨の中の一体が武器を捨てて逃げを打つローブの端を掴む。骸骨の腕は次々と武器を捨てて伸び、アルシェたちが追いついた時には拘束された死者の大魔法使いが抵抗も諦めてただ磔にされていた。
「<骸骨壁>は本来なら防御と同時に攻撃ができる効果があるのだが、興味深いな。指示さえ出せば拘束も可能とは。本来なら拘束に特化した<肋骨の拘束>の方が良いかとも思ったのだが、あれはダメージが入ってしまうからな」
機嫌よく先生が骸骨の壁について話している。わたしが見たことも聞いたこともない魔法が今日だけでいくつあっただろうか。すっかり麻痺した感覚で、上機嫌に喋る先生を見つめる。
普段の様子からは冷静で冷徹な魔法詠唱者といった印象のある先生だが、魔法の話題──それも実戦的な使い方──になると饒舌になる。その落差に慣れるまでは驚いていたが、慣れた今では微笑ましいと思っていた。
しかし、こんな実戦の場でも変わらない調子に、本当に自分が師事する人物が超級の魔法詠唱者であることを確認してしまう。彼にとって今回もきっとアルシェのために手加減に手加減を重ねた、ちょっとしたピクニック程度の行事なのだろう。
「さて、────」
「待ってくれ、なんでもいうことを聞くから助けてほしい! お前の配下になろう。殺さないでくれ!」
「アルシェ、とどめを」
命乞いをする死者の大魔法使いに対し、先生の声は平坦なものに戻っていた。
声だけを聞いたらどちらがアンデッドなのかわからないくらい感情を感じられない。
さっきまでの機嫌の良い声は幻ではないのだろうかと思ってしまうほどだ。
「っ。はい。<魔法の矢>」
言われるままアルシェは磔にされた死者の大魔法使いに<魔法の矢>を撃ち込む。
拘束された状態ではただの的であり、行為だけを見ると侯爵の庭で的相手に魔法を練習しているのと変わらない。しかし相手はアンデッドの中でも上位に位置する死者の大魔法使い。アルシェが弱いことを差し引いても、今まで使ったどの的よりも頑丈だった。
二度、三度と何度も撃ち込む。その度にアンデッドの口から命乞いの言葉が出る。
命乞いが恨み言に変わるころ。自らの<火球>で大きな傷を受けていたのだろう死者の大魔法使いは五度目の<魔法の矢>でやっと骨も残さず滅んでしまった。
「さて、反省会をしようか」
先生のその言葉でアルシェは胸がギュッと苦しくなる。
場所はレエブン侯爵に貸してもらった馬車の中。今はゆっくりと街道を王都に向かって進んでいる。外は陽の光も弱くなり、涼しさより寒さを感じる風が吹く。西陽を浴びて新緑の雑草がその色を黄色く染める光景は、一瞬ここが麦畑かと勘違いしそうな程に美しい。
この馬車はアルシェの実戦訓練のために王都の外に行く必要があると聞いた侯爵が用意してくれたもので、街道から外れた所に先生が召喚したスケルトンに護衛を任せて置いていたものだ。旗章も紋章も入っていない簡素なものであるが、中の内装はしっかりとしている。座面にはクッションが置かれ、内側は手触りの良い布が隙間なく貼られている。
そんな馬車の中はアルシェの先生であるナインズが向かいに座り、アルシェの隣には今回協力してくれたレイナースが座っている。
しっかりと準備したにも拘らず、最終的には一から十まで先生に助けられてしまったことにアルシェは自分の不甲斐なさを強く思う。
実際に相手を見るまでは、実際に戦うまでは計画から外れるなんて思ってなかった。
自分の立てた作戦で勝てると思っていたし、もし少し予想外のことが起きても十分対処できると思っていた。
なのに────。
「私の総評から言うのがいいか? 随分とアルシェは落ち込んでいるようだが、私は今回の訓練は十分以上の成果だったと思っている」
「そんなことない。先生がいなかったら死者の大魔法使いには逃げられていた。作戦は失敗して、次の犠牲者が出ていたはず」
「そう、そこがいいのだよアルシェ」
「え?」
「アルシェ、今回、君は作戦をきっちり立てて、シミュレーションもしっかり行なって必勝のつもりで臨んだ戦いだった。しかし、それでもこれは初戦だった。初めてだった。そうだろう?」
「うん」
先生は両手を広げて力強く言う。
「ならば大戦果だ! 自分の課題がたくさん見つかった、素晴らしいことだ。 次に死者の大魔法使いを相手にする時には今回の失敗を沢山活用できる。いや、死者の大魔法使いだけではなく知性あるモンスター相手に対する経験ができた。だろう?」
「そう、です。次は絶対に失敗しない」
「うんうん。実はなアルシェ、私が今回一番恐れていたのはなんの問題もなくアルシェの作戦がはまって勝ってしまうことだった。そうなっていたら君は慢心してしまう。このくらいやっておけばいいと、これだけやったんだから今回も問題ないと。それはとても怖いことだと私は思う」
「怖いこと? 失敗しないならそれがいいんじゃ」
「できるうちに失敗するのはいいことだ。慢心は怖い。慢心とは自分がするものではなく、相手にさせるものだ」
命は一つしかないのだから。大切にしないとな。
先生は優しい声色でそう言葉を区切った。
じんわりと心に言葉が染み込んでくる。暖かいそれにギュッと縮んで固くなっていた心が少し楽になる。
「さて、色々言ったが、総評では成果はあった。しかしそれだけではなく、成果があったからこその課題も多い。それについて話をしようか」
「はい!」
もっともっと学ばなければ。
そう自然と思えた。そして次こそは完璧にこなしてみせる!
真剣な目で仮面の奥にある先生の目を見る。
仮面の奥で先生の目が笑った気がした。
先生と生徒、二人が笑いあう馬車を見つめる影が複数。森に潜む彼らは物々しい装備を身にまといガタゴトと進む馬車を見送る。
「奴らを調べろ。噂のアンデッドを倒したかもしれん奴らだ。俺の邪魔をするなんて許せねぇ」
影のうち一際大きな男がそのスキンヘッドに西陽を反射させて悪態を吐く。
「このゼロ様の邪魔をしようなんて後悔させてやるぞ」
男の全身に刻まれた刺青がゆっくりと波打った。