「ってことがあったんです! 酷いと思いませんか、イエレミアスさん!」
場所は王都のレエブン侯爵邸。その一室にイエレミアスの部屋がある。
部屋の主人の趣味を反映した派手で豪華な内装。その中でもレッドボアの毛皮を鞣して張られたソファに今夜の客人は座っている。黒いローブに剥き出しの骸骨の顔。モモンガ──公式にはナインズ・オウン・ゴールと名乗っている──イエレミアスのアンデッドの友人だ。
本来なら夕食後、就寝までのまったりと過ごす憩いの時間。予定らしい予定がない時間にモモンガはイエレミアスの私室へと押しかけた。
普段なら夕食を食べ終わったらそそくさと保護している元婚約者母娘のところに顔を出すイエレミアスだったが、いつも穏やかな友人の荒ぶっている姿に流石に友人を優先した。が、その自分の判断を少し後悔している。
「ま、まあ。そんなに怒らないであげてよ。エリアスはモモンガ君が初めての友人になるんだし、少し大目に見てあげてほしいな」
「今、俺は友人としてのエリアスさんに怒っているわけじゃないですからね。エリアスさんの上司としての差配に疑問を呈してるんです!」
「うん。そうだったね……」
以前モモンガはアンデッドになったせいで精神的な昂りを感じると、良いことでも悪いことでも冷静になると話をしていた。しかし、正直今の姿を見るととてもそんな風には見えない。
激昂まではいかないが、憤慨はしているだろう。座っているのに地団駄を踏むという器用な真似をやってみせる。
「夜会でモモンガ君を試すような行為は酷いけど、これを糧にして成長してもらいたいってエリアスは言っていたよ。エリアスもやり方は良くないけれど、君の事を思っての行動だってことは理解しているんだろう? モモンガ君も自分が成長しなきゃいけない分野だって自覚があるからそんなに心が穏やかじゃない、違うかい?」
「それは! そうですけど………。 ダンスなんて100%庶民の俺には縁がなかったんで、これから成長していかなきゃいけないって思っていたんです。それは本当です。貴族の社交での立ち回りも、いっつもパートナーのレイナースさんや一緒に参加してくれてるエリアスさんやイエレミアスさん、シェスティンさんにお世話になりっぱなしで、ちゃんとしたいって思ってました」
「うんうん」
そこでモモンガは言葉を探すように眼窩の赤い光が彷徨う。きっと優しい彼のことだから、あまり強い言葉にならないように言葉を探しているんだろう。エリアスの叔父である私に対する遠慮もあるんだろう。
なんと言葉にしていいか迷っている彼に少し助け舟を出してあげたい気持ちが働く。
「だけど自覚して少しずつ慣らしていってて、少し自信がついてきたくらいの時にエリアスが大きな壁を用意しちゃったんだよね。しかも、越えるのがとても難しい高さの壁を」
これはイエレミアスの感想だ。もし自分ならどう感じるのか。それを少し言葉に出した。
こういう決めつける言い方をすると不思議なもので、自分の気持ちは違うと言葉にしやすくなるものだ。
「いえ、そんなに難しい壁ではなかった、はず、なのに。……俺ってダメですね、あんなにアルシェに事前準備が大事だぞって言ってたのに、俺自身は夜会の情報収集を疎かにしていました。シェスティンさんか、せめてアランに聞いていればあそこまで動揺することはなかったと思います」
深い、深いため息。
かなり自罰的な思考に陥っているモモンガだが、イエレミアスはそんなに落ち込まなくてもいいと思っている。今まで全てのお膳立てをエリアスがしていたのだから、些細なサインでその引いていた手を離されれば戸惑ってしまうだろう。
「改めて考えてみるとイエレミアスさんのいう通り、慢心していたのかもしれません。自分はちゃんとできてるんだぞ! って。 それに気づいたエリアスさんが荒療治をしたのかも。エリアスさんに頼りっぱなしだったんですね、俺」
先程までの勢いを無くしたモモンガは行儀良く揃えられた足の上で指を組む。来客用の背の低いソファに浅く腰掛けた彼は躊躇うように何度かその髑髏の顔を上げ下げする。ウロウロと定まらない赤い眼光はたまにこちらをちらりと見る。
恐ろしげなアンデッドの姿だというのに、こういうところから人の良さと親しみやすさを感じる。
考えがまとまるまでゆっくり構えた方がいいだろう。夜に飲む用の優しい香りの茶葉にほんの少し酒精の強い酒を垂らしたお茶を飲む。
「イエレミアスさんには俺の友達のことって結構話してますよね?」
「ん? そうだね。よく聞くのは鳥人と悪魔の、世間でいう悪友ってヒト達のことだね。後はとっても強いっていう憧れのヒト。彼に救ってもらえたから今の自分があるんだって言っていたのを覚えているよ」
「ふふ。ペロロンチーノさんとウルベルトさん、そしてたっち・みーさん。俺って皆の事をそんなに話してたんですね」
「まだまだいっぱいいるだろう? アルシェ嬢の事で相談に乗っていた時には教師をしていたっていう女性とぴーぶいぴーだっけ?を教えてくれたっていう頭のいいヒトの事は聞いたかな。戦いのことは門外漢だって言ってるのに、君ったら僕相手に戦闘で気をつけなければいけないことを力説するんだもの」
「ははは。 すみません、あの時はつい熱くなっちゃってましたよね」
「面白い話だったからいいんだけどね。他にも何人か聞いているけれど、話を聞くだけで羨ましいよ。貴族社会だと交友関係はとても狭いものになるし、立場や派閥によって完全に対等な関係なんて望めないからね」
「なんか、そういう事聞くと俺って本当に恵まれてるんだなって思います。少なくとも友達関係は」
声色に喜色が浮かぶ。イエレミアスは素直にモモンガが羨ましい。立場も考えも、種族すらも違うモノたちが集まって一つの事で共に遊ぶ。それは話を聞いているだけのイエレミアスでも眩しさを感じるほど輝かしいものだ。
視線は自然と窓へ向かう。はっきりと決別したわけではないが、自分はもう唯一とも呼べる友と袂を分ってしまった。その原因は自分自身の振る舞いと選択であるし、目の前の彼であるし、ここにいない甥だが、だからと言って恨む気にはなれなかった。イエレミアスは頭がよくないし、流されやすい。
何より忘れっぽいから。
きっとこの悲しい気持ちもすぐに忘れてしまうに決まっている。
「そんなわけで、こうやって色々言ってますけど、エリアスさんの事が嫌いになったわけじゃないですからね! 心配しないでください」
「……うん。大丈夫だよモモンガ君。大丈夫」
少し考えごとをしていたせいで彼の言葉を聞き逃してしまった。
誤魔化すように、生まれてからこのかたすっかり板についている微笑みを顔に浮かべれば、純朴な彼は「良かったです」と言ってくれる。なるほどこれは確かにエリアスが心配するのも無理はない素直さだ。自分程度の笑顔で誤魔化されてくれるなんて。
得難い彼の性質だとは思うのだが、少しばかり鍛えなければならないのはそうだろう。
「さて、もう随分と遅い時間だけれど部屋に帰るかい? 私は明日の夜会まで予定がないからもう少しくらいなら付き合えるけれど」
部屋に置かれている豪奢な時計に目を向ければ日付が変わっていた。
思えば久しぶりにこうして彼とゆっくり話をする。このままお開きにするには惜しいので相手の予定を確認すると、彼は嬉しそうにまだ話していたいとやわらかい声を出す。
こうして話していると、本当に八本指の一部門を簡単に壊滅させた人物とは思えない。
「今度こそ失敗が無いように、まずはイエレミアスさんに話を聞いておきたくって。第三王女殿下、ラナー殿下に対する立ち回りなんですけど──」
すぐに反省を生かして行動する彼に自然と笑みが溢れる。本当に素直で勤勉な人物なのに。
(なんで彼の友人は彼と疎遠になったんだろう)
自分だったら季節ごとに手紙を出すだろうし、たまになら遊びに行くだろう。
話を聞くに、モモンガのような強大な力を持った存在でも生きるのが大変な国だということなので、それが原因なのだろうけれど。
「改めて、この歳になってモモンガ君のような得難い友人を持てた私は幸せ者だね」
そう言葉を零せば、モモンガは一瞬動きが止まって、照れたようにワタワタと動き、ピタッと止まって揶揄わないでください、と冷たい声色で言われる。
「本当にもう。ちゃんと俺の話聞いてくれてました?」
「もちろんだよ。 ただ第三王女殿下は社交にほぼ姿を見せない深窓の姫でね。領地にいた私では力になってあげられないと思うよ。女性のことだから同じ女性のシェスティンか……そうだね、ビクトアの娘のリエーネリアなら王宮に勤めていたことがあると言っていたし。何か知っているかもしれないね」
「じゃあ二人を朝食が終わってから訪ねてみようと思います。相談に乗ってくれてありがとうございます、イエレミアスさん」
「二人のことでは私の方がモモンガ君にお世話になったからね、なんてこと無いよ」
「名残惜しいですけど、そろそろ時間も遅いですし俺は帰りますね」
モモンガはそう言って席を立つ。ほんの少ししかおしゃべりしていないと思っていたが、時計の針は一回転していた。
遅い時間なのもあってすでに従者は下がらせているようで、代わりに屋敷の夜番の衛兵が彼を自室まで案内するようだ。
友人を見送って一人すっかり冷めた酒入りの紅茶を飲む。
そして彼と出会ってからの一年を思い出す。この一年で彼の行動範囲も交友関係も少しずつだが広がっている。知り合ってすぐの領地にいた頃は毎日のようにこうして話をしていた。あの頃の彼はまだ人間だった時の話をよくしていて、友人やその友人との日々が話題の中心だった。
じきにそれはこちらの世界に慣れるための礼儀作法や立ち居振る舞いの愚痴になり、あまりモモンガは友人たちのことを話さなくなった。それでもたまに話題には出していたと思う。
帝国から帰ってきたあとはだんだんと二人きりで話す機会が減っていき、代わりにエリアスを交えて三人で話をするようになった。これはモモンガ自身がレイナースやアルシェといった交友関係が広がったためであり、そんなに心配していなかった。すっかり縁が切れてしまった友人の話をするより、新しい出会いを大切にする方が健全であると思ったからだ。
明確にイエレミアスがこれはまずいと思ったのは元婚約者とその娘を助けるためにモモンガを頼った時だ。あの時の彼は、同じ人間と思えなかった。とても冷酷な人間に見えたし、非情さが目立っていた。いつの間にか自分の友人はアンデッドになってしまったんだと思った。それを直視したくなくて、ここ数週間はモモンガと話す機会を減らしていた。今思うと完全な逃避だし、完全に悪手だと思う。
それでも、あの時の、彼の言葉が感情的に受け入れられなかったのだ。人間を使って魔法の実験をしたい、だなんて。
「こんなんだから政敵に貶められるし、婚約者も救えないし、ランポッサとの縁も切れちゃうし、領地でぼんやりと過ごす穀潰しになっちゃうんだろうけれど。やっぱり私には貴族社会は向いていないし、政治はわからないんだ」
それでも。
それでも今なら大丈夫。モモンガの根っこは変わっていないと確信できた今なら胸を張って彼を友人だと言える。
だが同時に、気づいたことがある。
「このままモモンガ君に命を奪わせる仕事をさせちゃいけない。このままじゃあ身も心もアンデッドになってしまう」
あのあと、大勢の人間を使って魔法の実験をして、多くの人間を殺めただろうモモンガは変わらなかった。
2、3日留守の期間が空いた後、戻ってきて朝食に姿を見せた彼は相変わらず穏やかで、控えめで、イエレミアスが振った話題に快く乗ってくれた。
イエレミアスなら、普通の人間なら、人を沢山殺して平気でいられるはずなんてないのに。
モモンガがアンデッドになることが本当に彼にとって悪いことなのかはわからない。身も心もアンデッドになった方が、彼は幸せになれるのかもしれない。
でも、出会った時の彼は確かに人間だった。正体を打ち明けられて初めて気づいたくらい、ついこの間まで人間だったという言葉を信じられるくらいに人間だった。
自分が人間だから、彼にも人間のままでいてほしいなんてひどく自己中心的なわがままだとは思う。それが正しく彼の幸福につながるなんて思えないけれど。
「エリアスはきっとモモンガ君の感情的なことはわかるだろうし、内面のこともわかっているとは思うけれど。内面の幸福のことまで考えているとは思えない。ここは年長者である私がしっかりしないと」
だから、明日にでもエリアスと話をしよう。
策謀をめぐらせることに長けている優秀で自慢の甥はそれでも変わらないかもしれないけれど、一人でできることなんて少ないのだから。エリアスがダメでも他の協力者を探せばいいのだ。それこそ一番弟子であるアルシェや何度もダンスのパートナーを務めているレイナースなら、モモンガも気を許しているはずだ。
そう決意して、ベッドへと向かう。随分と気持ちが昂っている自覚がある。うまく眠れそうにないから枕元に置いている酒精の強い酒を呷る。
喉を焼く熱さと鼻を抜けるアルコールに脳まで酩酊感を感じる。そのままベッドに倒れ込んで布団を被る。
気絶するように眠る一瞬前、頭に浮かぶのはやっぱりモモンガのことだった。
彼は誰もが寝静まった夜を、寝れない体でどう過ごすのだろうか。
豪奢な天幕で覆われた寝台からはすぐに寝息が聞こえはじめた。