皆様も気をつけてお過ごしください。
ある王女の誤算
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「今回のすべては貴女の掌の上になりましたね」
場所はリ・エスティーゼ王国の王都、その中にある王城の広場。春の最初に御前試合のあったその広場は、今は何台もの馬車が並び、国家を挙げた式典が開かれていた。聖王国への支援を送る使節団の団長は第二王子であるザナックで、副団長として国王の側近の一人が並んでいる。広場に設置された簡易王座で王からの勅命を受け、参列する貴族の拍手を受けながら馬車に乗り込んだところで、ゆっくりとその隊列は進みだす。
その馬車の最後尾にはレエブン侯爵家の紋章が入った馬車が並んでおり、中には凄腕の魔法詠唱者と言われているナインズ・オウン・ゴールが乗っている。彼は式典には姿を見せず、目立たない存在になってしまっている。今回用意された物資は、王家、ボウロロープ侯爵家と並んでレエブン侯爵家はかなりの量を用意しているにもかかわらず、だ。
使節団が掲げる王家の旗、隊列を組む馬車の多くにはボウロロープ侯爵の紋章。それが誰の思惑が絡んでいるものなのかなど火を見るより明らかだった。
そんな茶番の結果を主賓席で見送りながら、横に座るラナー第三王女とエリアスは会話をする。もちろん会話が聞かれないように気をつけながらだ。今回エリアスは聖王国の支援の五分の一の物資の用意と自分の部下の魔法詠唱者の派遣をしている。その功績あっての招待であり、ホストとしてラナー王女がつけられているのも政治的な思惑があってのことだ。
王は妾腹であり第三王女という後ろ盾の弱い末の姫を可愛がっている。今回の件でいよいよ王太子が第一王子に決まる中、王女直々に侯爵を接待させることで後ろ盾になってもらおうとしているのだろう。
「あら、そうでしょうか? 私としては全て貴方の思惑通りになったと思っていたのですけれど。王もザナックお兄様を選べないまま他国に送る決断をさせられましたし、ボウロロープ侯は完全にこの国は自分のものだと思い込んでいますもの」
今回の使節団を見れば多くの貴族がこう思うだろう、『王は第一王子とボウロロープ侯爵に国の今後を任せ、第二王子は聖王女の王配か、外交官として派遣された』と。王派閥はその中心となる第二王子を失い、貴族派閥が婚姻によって王家に強い権力を持つようになる。さながら王派閥と貴族派閥の呼び名が入れ替わってしまう事態に、それぞれの派閥の貴族たちは蠢動した。
その中でレエブン侯爵家は第一王子派を中心に第二王子と第三王女に近づき、蝙蝠のように派閥を行き来していた。それはどの派閥が主力となってもいいような動きであり、派閥の長はともかく、下っ端には忌避される振る舞いだ。それが許されているのは、六大貴族と言われる大きな領地とそれに伴う権力と権威があったからだ。
「そう感じるのだとしたら我々が思い描いていた未来の光景が似ていただけでしょう」
「でしたらそれぞれに目的のモノを手に入れたのですから良いではないですか」
ふふふ、と上品に笑う美貌の少女にエリアスは冷たい視線を送る。
この美しい仮面の下を知っているエリアスとしては、随分と上手に化けているものだと感心するほどだ。
「でもよかったのですか? 帝国からの客人もなく、筆頭魔法詠唱者の居ない今のレエブン侯は随分と守りが薄いので心配です。せっかくこうして協力者になれたのですもの、暗殺などされては困ります」
「ご心配には及びませんよ。 ナインズはきちんと“護衛”を残しておいてくれていますから」
「まあ。慎重なあの方らしいですね」
レイナースとアルシェが帝国に一時帰国し、モモンガが聖王国へ行くことでレエブン侯爵家の戦力が減る事を最後まで心配していたのはモモンガだった。心配いらない。不穏分子を釣るためだと言ったのだが、いささか過剰と思える護衛をつけてくれた、らしい。
(死体を使って召喚時間の縛りをなくした上級アンデッドというのはゾッとしないが、まあ、視界に入らず気配もないのだったら居ないのと同じか)
八本指を使った実験の成果だと随分と得意気に提案され、断るのも悪いと受けたが、間違いだったかも知れない。自分と叔父であるイエレミアス、そして妊娠がわかったシェスティンにそれぞれ一体ずつつけているらしい。
妊娠。
妊娠、か。
自然と上がる口角を手で隠す。シェスティンから告げられるまで自覚がなかったが、自分の血を受け継ぐ後継の存在とはこんなにも嬉しいものなのかと最近噛み締める。いずれは自分の後を継ぐのだ。厳しく、しっかりと躾をしなければならない。
「随分と嬉しそうですね。 この国を手に入れたも同然ですから、長年の夢が叶ってよかったですね」
「まだ道なかばですよ。いつ計画が崩れてもおかしくない」
「そうですか? 貴族派の三分の一、王族派の四分の一、中立派の半分。それぞれ表面上は現状維持に見せかけていますけれど、今、王国の最大派閥はレエブン派でしょう? 私でもここから盤面をひっくり返すのは難しいと思います」
どこからそんな情報を集めるのか。一度本人に聞いてみたが訳がわからない。『メイドや侍女の噂話や行動を見聞きしていればわかる』などと。
その程度の情報をかき集めて正解に行き着けるのだとすると、政治に携わりもっと膨大で正確な情報を手に入れたらどこまで見通せるようになるのだろうか。
ラナーが言った通り、エリアスは今回の春の社交で自らの地盤がためはほぼ完了したと言っていい。王派閥、貴族派閥に燻っている有能なものを口説きおとし、派閥における自分の地位に不満を持っているものを唆し、エリアスの指示で爆発する火種をいくつも持っている状態にできた。
後は今回の聖王国の件でモモンガが聖王女の協力を取り付けてくれたのならいつでも新しい国として生まれ変われる。
「それで。私はもうすべて手札を見せているのですから、レエブン侯もそろそろ私の処遇を教えていただいても良いのではないですか? 国外追放……は後々の禍根になるでしょうし、皇帝に渡すにしても王国の正統として担ぎだされ戦争の口実を与えるようなものなのですから、国内で飼い殺しにするのでしょう? できれば長閑な田舎町で平穏に暮らしたいものです」
「国内にとどまる事になると予測できているのでしたら問題ないのでは? 私が何も言わずとも十分でしょう」
「確かに結婚相手のことを考えると随分と絞ることはできますが、どれも決め手に欠けるお相手しかいません。 まだ決まっていないのはわかりますが、候補者のお名前だけでも教えていただきたいです。心構えができますもの」
エリアスは深いため息をつく。
上品な笑顔を浮かべたまま決して引かないラナーを見やる。きっとこの答えすらも読まれているのだろうと思いつつ、言ってしまってもいいかと考える。王家の詳しい内情や王宮の勢力図についてなど、情報をもらったのだから、協力の対価は過たず支払うべきだろう。
「王女殿下には元王族領の領主になっていただく予定です。そうですね、エ・ランテルなんていかがですか? あそこの都市長は王家に忠義が厚いですし、腹心にするにはいい人材でしょう。結婚相手を指定するつもりはありませんが、もし子供が産まれたのでしたら私の子と婚約を結んでいただく事になるでしょう。それとも貴女の希望の相手を指名した方が良いですか?」
「エ・ランテルですか……三国の要所ですし地理的に帝国にとても近いですよ? 王国再建の為に他国と手を組むかもしれないのに、そんなところを任せて大丈夫ですか?」
「貴女の希望を考えると王家の復興なんて興味がないでしょう? ありえないことを持ち出して時間を浪費するのはおやめください」
「……随分と平凡でつまらない答えですね。この春に王都で暗躍していた方と同じ方とは思えません」
「平凡で結構。愚王に国を統治させるよりは万倍いい」
ランポッサ三世の事は本気で愚王だとは思っていないが、長年の王国の腐敗を覆せる賢王でもなかった。
しばらく無言の時間が続き、最後尾の馬車が王城の門を抜け坂を下っていく。やがて見えなくなったところで主賓席の入り口に控えていた侍従がこの後の昼食会の準備ができたことを告げる。
「王女殿下、お手を」
ラナーは目の前に差し出された腕に掴まってしとやかに立ち上がる。閉まりゆく王城の門を一瞥した後、エスコートに従って昼食会の会場へ歩き出す。
思い出すのは最後に見送った馬車に乗っているだろうナインズという男のことだ。
最初に部屋に入ってきたその男を見た時に感じたのは少しの違和感だった。
男の服装はお茶会にふさわしいジャケットとスラックスの準礼装でダークグレーの上下にモスグリーンのシャツ。ふんだんにフリルがあしらわれ豪華さを出しているそれは細身な彼に存在感を持たせていた。クラバットは艶のある藍色で同じ色の金属製のタイピンはジャケットから覗くカフスボタンとお揃いだ。白いのっぺりとした仮面で顔を隠しているため人相は分からないが、全体的に洒落者の雰囲気があり、第一印象としては悪くない。
にもかかわらず、最初に覚えた違和感は消えない。
「本日は急な呼び出しを受けていただきありがとうございます。私の願いを聞き入れていただいて嬉しく思います」
「いえ、こちらこそお誘いいただきありがとうございます」
身分が上のものとして先に挨拶をすると、男も礼儀的に正しい挨拶を返してくる。緊張からかややぎこちなさはあるが、護衛役をお願いしているラキュースを椅子に座らせた後に自らも椅子に座るそつのなさはきっと教師が優秀なのだろう。確か父である王の側近候補として前レエブン侯爵の弟の名前を聞いたことがあった。不始末を起こし、領地で飼い殺しにされていると聞いていたが、きっと現レエブン侯爵の叔父にあたる彼なら目の前の人物が教育を受けるのに問題ないだろう。
お茶を手ずから入れて二人に差し出すと自分の分を飲む。お茶菓子のクッキーも一口齧り勧めるとラキュースは遠慮なくそれを口にする。
「どうぞ召し上がりください」
「ありがとうございます。事前におことわりしておりましたが、飲食を制限しているため香りだけ楽しませてもらいます」
そう言ってカップを持って顔に近づけるとゆっくりと揺すってソーサーに戻す。
所作に間違いもなく、何も知らなければきちんと育てられた上級貴族の子息だと思うだろう。
「私は魔法詠唱者なのであまりこういった社交には顔を出さないのですが、ラキュースさんもラナー殿下も華やかなドレス姿で目を奪われてしまいます」
「ありがとうございます、ナインズ様」
「お上手ですね。ありがとうございます」
ラナーの今日の格好は持っているドレスの中で唯一と言っていいお茶会用のドレスだ。露出と装飾が少なくコルセットの締め付けも緩めでも許させるので動きやすくて気に入っている。ラナーはお茶会をあまり開かないし招待もされないので滅多に着る機会はないが、だからこそ新鮮なのだろう。今日は後からの視線を強く感じる。
「クライム、そんな顔をしてはお客様が驚いてしまうわ。ごめんなさいね、私が滅多に人を招かないものだから護衛も気を張りすぎているみたいで」
「いえ、職務熱心なのは素晴らしいことだと思います」
しょんぼりと顔を伏せる姿が可愛くて表情が崩れそうになるのをなんとか我慢をする。
しばらく当たり障りのない話題が続き、相手の出方を見ながらラナーは思考する。
このナインズ・オウン・ゴールという人物は名前からの予想に反して法国の出身ではない。性格は穏やかで人と話す事にあまり抵抗がない様子がうかがえる。これは魔法詠唱者にしては珍しい性質だ。それに、こうした場にある程度慣れている印象を受ける。たまに買い物の為に城に招く商人に近い会話の展開の仕方だ。
一方で女性関係には疎く、社交の経験はとても浅い。ラキュースを使って接触させた夜会での舞踏会での不始末──ダンスの途中に立ち止まってしまう──から私かラキュースに婚約を申し込まれたのではないかという噂が流れている事に随分と慌てており否定している。
そこで、最初の違和感の正体がわかる。
自分を見た時の反応だ。
多くの男は自分を初めて見た時、この美しさに見惚れる。しかしこの男は緊張しながらもごく自然に対応した。恋愛対象が女性ではないのかとも思ったが、違うらしい。
(まるで精神性が常人と違うみたいに感じるけれど──)
これが魔法詠唱者としての普通なのか、それともこの男が変わっているのかは比較する魔法詠唱者の知り合いが少なくて分からない。
しかし、ラナーがこれまで集めた情報を総括するとこの男に気に入られるかが今後の生活を決定すると言ってもいい。その手段の一つである容姿での有利が彼に効かないとなると、別の方向から攻めなければならない。
王位簒奪を隠しもしなくなったレエブン侯がその拠り所にしている三つのもの。
一つが自分の能力。
一つがレエブン侯爵としての権力。
そしてもっとも大きな拠り所がこのナインズの武力だ。
「ザナックお兄様から聞きましたけれど、結婚式のために天気を変えたのですよね。朝まではしんしんと雪が積もっていたのに、素晴らしい冬晴れの結婚式だったと晩餐の席でおっしゃっていました」
「ザナック殿下からそう言っていただけて恐縮です。かなり無茶をしたので、少しでもエリアスの役に立てたのならそれ以上の喜びはありません」
「そうなのですね。私も見てみたかったです」
帝国と違って王国では魔法詠唱者に対する価値が低い。王国では戦士こそが誉であり、魔法などというものは所詮子供騙し、奇術師の下手な手品くらいの価値しか置かれていない。信仰系魔法詠唱者はその限りではないが、ラナーもその全てを認識しているわけではない。ラキュースが冒険者になったことで何人かの話を聞くことができたが、天気を変えるなどというのはとても大掛かりな魔法だということがわかっている。それを事もなげに話す彼は正しく最高位の魔法詠唱者なのだろう。
「そのザナックお兄様から聞いたのですけれど、バルブロお兄様が大変な失礼をしたとか」
自然と家族の話題に移ることができたのでラナーはカップを置き、正面に座るナインズをまっすぐと見る。
相手も重要な話題が始まるのだと姿勢を一層正したところで、ゆっくりと頭を下げる。
「まずは謝罪させてください。第一王子であるバルブロお兄様が大変不快な思いをさせました」
「え、あの。顔を上げてください。王族が頭を下げるだなんて大事になってしまいます」
「いいえ。こうした非公式の場でしかできませんから」
「確かにあの時は少し腹が立ちましたけれど、妹である貴女に謝られることではありませんよ」
焦って首と手をブンブンと振る姿はクライムと重なる。付け焼き刃の貴族の振る舞いが剥がれたことで初めて彼の素の姿を見れた。
「いいえ。私はこれからナインズ様にお願いをする立場ですので、まずは謝罪を受け取ってほしいのです」
「わかりました、受け取りますから頭を上げてください」
「ありがとうございます!」
天真爛漫な王女に見えるようににっこりと微笑む。
横で成り行きを見守っていたラキュースは少し眉間に皺を寄せているが、口を出すことはない。きっと『いつものラナー』だと思っているのだろう。世間知らずな優しいお姫様。皆が望む第三王女の姿だ。
「それで、お願いとは? 今日呼ばれた本題がそれですよね」
「それは……とても図々しいお願いになってしまうのですけれど、今度聖王国に行くザナックお兄様についてです」
「ああ。使節団団長として聖王国に行かれるんですよね」
「レエブン侯爵からナインズ様も聖王国に行かれると聞きました」
「ええ。まあ……そうですね。そうなると聞いています」
ラナーは両手を組み上目遣いでナインズを見る。眉根をよせ、不安に瞳を揺らす。
「ナインズ様にはザナックお兄様を守っていただきたいのです」
「それは当然です。私が同行するのは使節団の護衛の意味もあるのですから」
「違うのです。その、身内の恥を晒すようで気が引けるのですが」
席を立ち、ナインズの側による。そっと耳元に口を寄せて囁く。
「使節団の副団長はボウロロープ侯と懇意にしています。聖王国派遣の機会に暗殺される危険が高いのです」
顔を離すと仮面に正面から見据えられる。表情のないその面の向こう側で、相手が困惑する気配を感じる。
「ラキュースさん、護衛の方、とても混みいった話になりそうですので少し距離を取っていただいてもいいですか? 盗聴防止の魔法をかけたいと思います」
ラキュースに窺うように見つめられて頷く。振り返ってクライムを見つめると仕方ないと言った表情をされた後、ラキュースと共に部屋の入り口近くまで下がってくれる。
ナインズが何かを呟くとあたりが隔絶されたかのような不思議な感覚があり、窓の外に聞こえていた鳥の声や兵士の訓練の音が聞こえないことに気がつく。
「さて、ラナー殿下。話し合いの続きをいたしましょう」
座るように促されて席につく。会話が聞かれることがないという安心感からか、それともこれこそが彼の本性なのかは分からないが、少しだけ態度がぞんざいになる。
「私は今回エリアスからある程度貴女の事情を聞いています。貴女の希望は護衛である少年と平凡に暮らすことだと聞いています。間違い無いですか?」