晴れやかな天気。空気は澄んでおり、遥か遠くの丘陵まではっきりと見渡せる。服をはためかせる風は冬の始まりを感じさせる冷たさだ。
場所は城塞都市カリンシャから馬車で5日ほどの場所にある聖王国の城壁、その砦の一つ。そこへと続く通路の見張り台。今は人払いされモモンガとザナック、レイモンドと遠くに控えているアランだけの半分私的な空間となっている。
「知ってるかナインズ。 公共事業とはとてもめんどくさいものなんだ」
そう話を切り出したのはリ・エスティーゼ王国の第二王子であるザナック。この砦について働き手であるスケルトンを召喚──とうい名目で転移させた──してから口数が少なかったが、何か深く思うところがあったようだ。
「すみません殿下、流石のエリアスも私にそこまでの実務を教える時間はなかったので全くわかりません」
モモンガは素直に自らの無知を訴えるが、ザナックの言葉は止まらない。
「なぜかというとな、それはとんでもなく金と時間がかかるからだ」
「あ、これって止まらないやつですか? レイモンドさーん! 助けてー!」
「殿下、貴重な友人を亡くしますよ」
「うるさい!! お前はなんとも思わないのか?! このふざけた状況を見て!」
亜人と人の領域を分けるために作られた長大な城壁、その崩された場所の一つに立ち眼下を見下ろす。そこには千を超えるスケルトンの人足が穴を掘り城壁の手前に堀を作ることで守りを厚くし、そのスケルトンを守るように魂喰いが亜人側を見張っている。
その内側では人間の人足が石を積み上げ、魔法詠唱者が崩れた城壁を補強して再建していた。スケルトンの掘り手が掘り終えた土はそのままモルタルとして建材に利用されており無駄がない。
その様子を見回して、モモンガはザナックへと向き合った。
「ふざけた状況とはなんですかふざけた状況とは。 詳しくはわかりませんけど、私は決めた方針通りに仕事をしてるだけです」
帝王学を学んでいたザナックは責任者としての立場に偏りがちである。協議の席でも、やれ人手が食料が時間が予算がと厳しい意見を交わしていたが、そんなもの結局はモモンガ一人でどうにかなってしまうのだ。
人手は亜人の死体で作ったスケルトンを使えばいいしスケルトンは食事を食べないから食料の心配をしなくていい上に疲労しない。疲労しないということは一日中仕事ができるということだ。
スケルトンの確保としてはほぼ開墾が終わったレエブン領から連れて来てもいいし、亜人を使って実験した分もある。足りなければ一日に勿体無い上に作れる上限はあるものの、召喚したっていい。
そしてこの人海戦術──実際は人ではなく骨だが──を使えば、時間と予算は圧縮の上に圧縮できる。
素敵に完璧で誰も不幸にならない素晴らしい計画だとモモンガは得意になる。
最も、このアイデアのほとんどはレエブン領で行っている開墾計画をもとにしているので、自分一人の手柄と言うよりはエリアスとの共同の手柄と言える。こちらの事情に疎いモモンガにとってはどう言ったことに気を配ったらいいのか、どんな部署の人とどんなことを調整したらいいのかはわからない。前回はエリアスが、今回はザナック達が担当した各部署との調整には本当に頭が下がる思いだ。
「はー。 これはさぞレエブン侯も手を焼いただろうな。 普段の行動に卒がないだけにやらかすタイミングがフォロー不可の場合が多すぎる」
「うぐぅ。 なんでそんなまるで見てきたように言えるんですか」
「言えるわこんなん!!」
「殿下、言葉遣いが乱れております」
「ふー。 ともかく。 王国では長い実験期間と権力・発言共に力あるレエブン侯が持ち込み、王族が確認したから認められたが、本来根回しもせずにいきなり提案すれば反発される行為だ。 それほどに死者と生者の溝は深い」
ザナックの口調が強く咎めるものから言い聞かせるものに変わった。この的確にこちらの罪悪感を刺激する言い方をするのは教育の成果なのか生来のものなのか謎だが、ぐうの音も出ない正論ばかりである。言葉が痛い。
「聖王女陛下に救われたな。 陛下の後押しがなければ発案は却下されていたところだ」
「聖王女陛下が実をとってくれる方で助かりました。 そうでなければあそこで異端審問にかけられてもおかしく無かったですから」
「それは、はい。 深く反省してます……」
紛糾する会議に業を煮やしたモモンガの発言は当然のように反発を生んだ。特に聖騎士団長のレメディオスをはじめ聖騎士の多くが激しく拒絶し、一度落ち着くために休憩が挟まれたほどだ。本来ならば先に根回しが必要だったのだと叱られるのは何回目だろうか。そうは言われても、本来ならモモンガは口を出す気は無かったのだ。ではあるが、作戦会議だけで3日目になると流石に飽きてしまい、つい口出しをしてしまった。
何も知らない魔法詠唱者が出張ってしまったと後悔した時には、モモンガの発案を美しい顔に深い決意を秘めたカルカが肯定し、とりなした。そしてようやく建設的な話し合いになったのだ。
「しかし、大幅に時間と予算を抑えることができたことは聖王国にとってとても助かることだろう。 私から直接話をするとナインズ以上に反発されることは確実だった。 よく発言してくれたなナインズ。 同じ王族として民を思う気持ちは同じこんなものの負担は少なければ少ないほどいい。 少しでも早くこの地の民が心安らかな時間を過ごせるといいのだがな……」
目を細めたザナックが見るのは勤勉に働く聖王国の民だ。城壁を直し炊き出しをし、柵を設け、物見櫓を作る。
そして遥か向こうにはすっかり荒らされた畑を耕す人々と踏み躙られてなお実りを手放さなかった麦を収穫する農夫ら。
「私が元いた国では、」
気がついたらそうモモンガの口が動いた。じんわりとしたものが、内側から湧き上がる。心が穏やかな幸福感に包まれる。
「直接人の営みを感じることは少なかったんです。 その、なんというか、皆自分のことに手一杯で、例えるなら、今日飲むための一杯の水のことを考えながら生きてきた気がします。 かけがえのない友人と会って何かを成し遂げても、行ってしまえばそれは水差しだったりそれを汲む井戸だったりのほんの少し世界が広がっただけで、本当の意味で広い世界を知れていたとは言えなかった」
ギルメンのみんなから聞かされる話は面白く、博識だったり一芸に秀でていたりしたメンバーにはよく話をねだっていたと思う。それが学問的な興味からではなく、人となりを知るためのコミュニケーションの一環だとしても、モモンガにはかけがえのない思い出だ。
そんな自分を取り巻く世界はあの頃と大して変わらず、ほんのちょっと広がっただけかもしれないけれど。
「でも貴方は。 殿下はもっと広い視野をお持ちなんですね。 そしてその眼差しは暖かい」
エリアスやイエレミアスもたまに見せるその目がきっと人を統べる者の目なのだ。
ザナックのそれはもう二度と王国に向けられることはないのだろうけれど、きっと人並みの甘さがある彼のことだから、きっとこれから王国で起こることに胸を痛めるのだろう。
「だからこそ王国に二度と戻れない貴方を一人の王国に住む者として残念に思います。 そしてこれを。 エリアスから貴方に向けての書簡です」
不可視化した隻眼の屍に周囲を探らせ、こちらに向けられる監視がいないことを確認してからローブに手を入れる。
モモンガが取り出したのは厚みのある封筒にレエブン侯爵家の封蝋がされたものであり、この旅に出る前に渡されたものだ。
ザナックの穏やかな眼差しはそれを見て凍りつき、ほんの少し震える手で受け取る。そしてゆっくりと封蝋を手で剥がし開けると、上質な紙に書かれた美麗な字体をゆっくりと追う。
正直モモンガに王国文字の綺麗さなんて欠片ほどしかわからないが、それが見慣れたエリアスの字だと言うのはわかる。
ザナックはしばらく字を追い、最後まで読んだ後三分の一ほど読み返してからゆっくりと息をはく。
「侯にしては随分と甘いな」
「内容に驚きはないのですか?」
「それほど私は無知でも不明でもない。 レエブン侯の動きについては注目をしていた。 ああ、レイモンド、お前も読んでみるといい」
そう言われレイモンドはザナックから書簡を受け取ると三度読み返した後に頽れた。彼の家はもともと第一王子の派閥に属している。彼だけがザナックに仕えているのは、もし王座に立ったものが違っても一族の助命嘆願をできるようにだという。もっとも、普段の様子を見る限りではとっくに主人への情は芽生えているのだろう。でなければここまで行動を共にしない。
出立前に覚えた情報と実際の動きの違いをモモンガはそう結論づけた。行動や言動の端々から、島流しめいたザナックに最後まで付き添うつもりであるのが伺えたからだ。
「二年ほど前か? 侯の結婚式に行く前に一度だけ妹から忠告があった。 レエブン侯爵と友誼を結べ、とな。 遠回しでわかりにくいが、あれがあいつなりの家族の情だったのかもしれんな」
書簡の中身はエリアスが今から王国で行う王位簒奪についての告白だ。数年内に起こるだろう内乱に乗じて王家を簒奪しレエブン侯爵は王になる。そのための聖王国への根回しをザナックが手伝えば色々と便宜を計ってもらえることが書いてある。そうで無かった時については特に書いてないはずだ。そこについてはモモンガに一任すると言っていた。
「聖王国への根回し、か」
エリアスとしてはザナックに王配になってもらいある程度聖王国とのやり取りをスムーズにしたい。そのための援助は惜しまないといったことだろう。確かに簒奪ともなれば周辺国からの厳しい目は逃れられない。もし自分の息がかかった人物を他国の中枢に入れることができるのだとしたら、それはとてつもない利益になる。
「ナインズ」
「はい、殿下」
「もうちょっとタイミングはどうにかならなかったのか? なんで見合いを断った後にこれを見せるんだ。 義務感以外であの王女様の王配に収まるのなかなか無謀だぞ。 あれだけ美人なんだ。 きっと想い人の一人や二人いるに決まってる」
「ですよね!? 私もそう思います殿下!! こういったものはもっと前もって渡しておくものだぞ!」
「えっ? そんなやばい内容ですっけ? あ、でも安心してください。 万が一ダメでも事前に言っておいたでしょう? 逃亡のお手伝いはしっかりしますから!」
胸を張って拳で叩くとザナックとレイモンドから深いため息をつかれる。
「逃亡の手伝いではなく、できれば聖王女陛下との仲を取り持って欲しい」
「いや、だって事前の調査でも聖王女陛下に男の影はないですよ? 確かにちょっと幼馴染の重臣二人との仲は噂されてますけどどっちも女性ですし」
「ほう。 なるほどなるほど。 こちらよりも随分と情報を持っているようだ。 ならば包み隠さず全て教えてもらわねばな! 作戦会議だレイモンド!」
「かしこまりました殿下。 ほらナインズ殿もこっちだ」
「え、あ、ちょ、アラン! 来てくれ!」
これ以上失点を増やさないために従者のアランを呼び寄せると二人の眉間に皺がよるが、これだけは許してほしい。羞恥心やらで精神状態が先程から乱高下しており一人では対処できそうにない。気持ちは飢えた獣の前の野兎だ。
「ナインズ様いかがされました?」
「ザナック殿下を王配にする作戦会議に参加してほしいのだ!」
あ、すっごい。アランの眉間にも皺が……。
「私が見聞きしたことは基本的にレエブン侯爵閣下に報告されますが、それで本当によろしいんですね?」
聞く対象がモモンガではなくザナックとレイモンドなことに少し寂しさを感じるが、それ以上に自分のやらかしをエリアスに報告されるということに待ったをかける。
「私はどちらでも構いません。 ナインズ様が報告を恐れて失点を積み重ねるのか、事前にストッパーを入れて報告されるのか」
「……一旦持ち帰らせて考えます」
つい営業職時代の口癖が出るがそれに対して非難の声。
わかってる。次はいつこうして身内だけで話し合いができるかわからないんだからこうして言い合っている時間も本来なら惜しいということは頭ではわかってる。それでもなかなか成長しない自分が情けなく、落ち込みたいのに落ち込みきらない我が身が歯痒い。
「仕方ありません。 今回の話し合いに限り報告はしません。 ただもし閣下から質問された場合には包み隠さず答えますのでそれを落とし所にしましょう」
結局はアランが大幅に折れる形で参加を表明し、本当に少ない時間ながらもなんとか方針をまとめることができたのだった。
カリンシャの離宮に設けられたカルカの執務室。歴代の王が使っていたそこは無骨な調度品でまとめられており、柔らかい曲線美を持つカルカはその中で浮いた存在であった。
これがホバンスの執務室ならばある程度自分の趣味、使い勝手で揃えるのだが、残念ながら聖王国の財政は年に数度しか利用しない離宮まで賄えるほど潤っていない。この部屋の調度品をカルカの趣味に合わせるくらいならば、隣国から民が飢えないように食料を買う。
そんな気高い意志を持ったカルカは文官の報告書を読みながらため息をつく。
それは決して呆れや失望ではなく、どちらかというと感嘆の色が強い。それほどまでに半月前から着手した城壁の修繕・改築作業は順調だった。
「最初あの魔法詠唱者殿が労働力にアンデッドを使うと言い出した時には正気を疑ったが、この調子で進めば予定していた1割程度の予算と工期で終わりますな」
「王国は本当に凄まじい人材を貸してくれたものです」
「陛下、浮いた予算はどうされますか? 念の為に他国からの輸入をもう少し増やしましょうか?」
「いや、それよりも田畑を荒らされた農民と孤児院に使いましょう。 そろそろ今の生活への不満が出る頃合いです」
「ならば亡くなった兵士、働けなくなった民兵への見舞金としませんか? 生活が立ち行かなくなったとの陳情が多く寄せられています」
浮いた予算。それは嬉しく、また悩ましい議題だ。
これをどう使い国家を運営していくかが今後10年、20年先の聖王国を作る。
「ザナック様はどう考えられますか?」
カルカはそう言い、部屋の隅で予算の計算を手伝ってもらっていたザナックへと水を向ける。
あの密談の後、カルカ、ケラルト、レメディオスからなる首脳陣で今後のザナックの扱いをどうするのか話し合った。
結果は現状維持。
確かに今後の王国との仲を考えると早く切り捨てた方がいいが、ケラルトが独自に手に入れた情報によるとその決断も慎重にしたほうがいい、と言う結論になった。
よって、今は王国が携わる復興予算の計算や資料をまとめてもらっている。ここで十分な働きが見えるのなら王配か、最悪でも市井に降った後で文官として仕えてもらうことになるだろう。それも難しければ本人が言ったように法国へ亡命してもらうしかないが。
「私は聖王国の政治に口を挟むことはできません。 これでも王国の王族なのです。 自国の有利になる発言をしてしまうでしょう」
「それでも構いません。 最終的な判断はこちらがいたしますから」
「そうですか……。 では僭越ながら──」
ザナックは一度唇を閉ざすと息を整えて深く吸う。そして朗々たる声で語り出す。
「私でしたら食料を買い付けます。 幸い今年の王国はレエブン侯爵による農地改革によって大幅な小麦の増産に成功しております。 今ならば輸送の手間を考えても多くの食料を買い付けることができるでしょう。 また、負傷兵やその遺族、孤児院や農民の補償はその食料を元手に行えます。 食の安定は人民の心を安定させますし、人民の心の安定はそのまま国としての強固さに現れます」
「確かに、一考の余地はありますね」
「しかし、本来は商人が行う行為ですので反発が予想されます。 ですので陛下はある程度まとめて仕入れた後は余程酷くない限りは聖王国の商人に任せるべきかと。 陛下はその値動きを見守るだけ、というのが理想です」
最後にザナックは微笑む。
「聖王国をよく知らぬ外様が語りすぎてしまいました。 陛下は私の意見は参考程度にされますよう。 聖王国には聖王国のやり方がございましょう?」
「そうですね。 貴重な意見ありがとうございます。 どうするのかはもう少し作業が進んでから考えます。 まだ何もかも予定ですから」
そう言ってカルカは文官たちとの話し合いに戻る。
報告書を見ていた目がもふとザナックを盗み見る。長旅を終えて少し落ち着いた生活になったからか最近は少し肉がついてきた矮躯。
釣書を見た時も初めて会った時も心はときめかなかったが、こうして真剣な様子で机に向かう姿は好ましく思う。民のことを考え、より良い方向へ導こうとする姿。
この人ならひょっとして自分とともに歩んでくれるのでは、────。
「カルカ様、次のページに詳しく金額が載っております」
「今日仕入れた石材の価格ですね」
これが恋なのかはわからない。ただこういう、穏やかな恋もあるのかもしれない。
年若いカルカはこの心に灯る想いに名前をつけられずにいた。
一方その頃、城壁の修復をスケルトンが行っている事に異変を感じた亜人が集結。
原因を探るため派遣された多数の種族からなる先遣隊はただ一匹の魂喰いによって壊滅させられていた。
「と、彼らはとても強大な力を持っていますし、万が一魂喰いがやられたとしても私自身が処理しますので、皆さん安心して作業をされていただいて結構です。 そう砦の兵士から通達お願いします」
「すごい! ナインズ様すごい!! わたし魔法使いになります! そして強いモンスターで悪い奴らを倒します!」
「待ちなさいネイア! パパと一緒に弓! 弓の訓練をしよう?! お前にはその方が絶対に向いてるから!!」
「まあまあバラハさんこのくらいの年の子供はその時の気分で将来の夢を決めるので心配しなくても大丈夫ですよ」
「そんなこと言って可愛い娘を誑かすつもりでしょう。 兵士と民への通達はともかく、父として娘に悪い影響を与える者を放ってはおけない。 一度白黒はっきりつけましょう」
「ナインズ様! 弟子にしてください!! お願いします!!」
「あ、ちょっと待って、親子でこっちを見ないでください、なんかすごい圧。 圧を感じます主にその目から!」