「それでは、親愛なるリ・エスティーゼ王国のレエブン侯爵からもたらされた多くの恵み、人材、そして貴重な縁を言祝ぐための宴を始めましょう」
『乾杯!』
王国からの使節団が到着して一月と二週間。明後日の早朝には使節団が帰国するということで、聖都ホバンスでは盛大な祝宴が催されていた。
白く輝く大理石を優しく照らすのは<永続光>であり、それはまた集まった招待客の服や宝飾品を煌めかせる。その光景はまるで美しくカッティングが施された宝石のようだった。
本日のゲストである王国の使節団はただの荷運びの平民も皆、着慣れない衣装を着せられて慣れない空間の空気に酔っている。祝宴に際して平民も参加させるということに難色を示す国内貴族はもちろん居たが、それは被害が少ない南部の者が中心であった。それを一喝したのは聖王女で、今まで貴族の反発を恐れていたのが嘘のように凛々しい出立をしていたことを思い出す。
そうして、本来なら給仕側や主人の側に控えるアランも今日だけは他の平民と同じように歓待される側となっている。念の為に夜会服を持ち込んでいて良かったと胸を撫で下ろしたものだった。
乾杯後は自由に歓談となっている為、使節団には様々な思惑で人が集っている。アランは娘を連れた夫婦や訳知り顔の神官達を適当に受け流しながら、視線は主人であるナインズを常に意識している。
(あの方は本当に自分の魅力に無自覚だからな。本当にいろんな人に慕われて、トラブルを引き寄せる)
そう心の中で独言つつ、今日までの短いながらも濃密な一月を振り返る。
アラン達王国からの使節団が聖王国に迎え入れられた後に開催された歓迎式典は恙なく終わった。それに一息ついた後、問題は亜人に破られた城壁の修復作業を話し合う場で起こった。
レエブン侯爵がナインズを派遣すると言った時にはアランも驚いたが、それ以上に驚いたのは侯爵領で行っていた農地改革──と言う名のトブの大森林の開墾作業──と似たようなことを聖王国の会議の場で提案した時だ。あれはナインズのことを信頼するにあたると確信していた侯爵が、自分の領地に対して行うことだから大した反発もなくできたことだ。それを他国の、しかもかなり信心深い聖王国で提案してもとてもではないが受け入れられるないだろうと思っていた。
しかし実際は騒然とする側近たちを聖王女その人が説得し、それぞれ思うところはありながらも表立っての批判は無くなった。その後、長い話し合いでも完全には調整できないままスケルトンによる城壁再建計画と城壁の外側に堀を作る増強計画は決行されたようで、今現在も何人かの貴族から厳しい視線を受けている。
「おや、アラン殿もそうみると立派な貴公子だな」
「これはこれはバラハ殿ご機嫌麗しく。 本来ならばこちらから参じなければならないところをわざわざご足労をおかけいたしました」
「かしこまった挨拶は無しにしよう。 それにしてもナインズ殿を一人で歩かせて大丈夫なのか? 随分と令嬢たちに囲まれて困っているようだが」
「ご心配には及びませんよ。 あれくらいはご自分でなんとかされますから」
凶相を歪ませて近づいてきたのは以前あった時と違い盛装姿のパベル・バラハだ。自らを表す色はそのままだが、城壁で身につけていた高価なマジックアイテム類と革鎧は外され、隠されていた口元も顕になっていた。“凶眼”などと揶揄される目つきに似合の細面の顔つきに薄い唇はぎこちなく口角が上がっている。命を狙われているのかと思うほどの鋭い目つきと表情だが、おそらく親愛の笑みの形なのだろう。
あれで小心者の気のあるナインズが最初は苦手に感じていた程、彼の見た目には凄みがある。
「そうか、ならばよかった。 この国は南北で貴族の気質が違うので不安だったのだが……。 見たところ本当に心配無いようだな」
パベルは城壁を守る兵士の指揮官の一人であり、滞在するナインズとアランに不自由がないようにと早い段階で顔見せまで済ませていた人物だ。監視の役割もあったのだろうが、それより異国の貴族にして凄腕の魔法詠唱者だというナインズに他の者が気後れしていたのが一番の理由ではないかと考えている。
実際彼が友好的に接してくれたことでアンデッドを操る怪しい魔法詠唱者とその従者はすんなりと受け入れられた。最初に受け入れてもらえれば後はただ実績を積み上げるだけでその信頼は強固なものとなり、城壁を去る頃には皆に惜しまれるまでになっていた。
「本日ネイア嬢は伴っていないのですか?」
「ああ。 随分とごねられたが、ナインズ殿から出立前に個別で時間を設けると約束してもらったからな」
「あー。 我が主人は慕われる者拒まずですからね。 特にネイア嬢と近い歳の弟子をとっておりますのでつい甘い対応になってしまうのでしょう」
父親の凶相を受け継いでしまったネイアは聖王国九色に数えられるパベルの娘だ。
出会いは聖王女とともにカリンシャへと戻るザナック達と別れて本格的に城壁の修繕指揮を取っていた時だった。聖騎士として聖王女を護衛する母親と共に城砦に来て、後数日で休暇に入る父親と共に家に帰る予定だということで紹介された。後で家族イベントと聖騎士への適性検査を兼ねた小旅行だとパべルから説明された。まだ幼い少女に行軍の真似事をさせるなど意味が分からないのだが、聖王国では常識なのだろうか?
「そうか! ナインズ殿にはもうすでに弟子がいるのか! 流石にこの年頃の弟子が二人は大変だろうからな、うん。 それは良いことを聞けた」
おそらく晴々しい笑顔なのだろう。声だけを聞くとそう聞こえるのだが、いかんせん視覚情報も合わさると『ならば心置きなくお前を拷問にかけられる』と宣告されている気分になる。完全に快楽殺人者の目だ。
ともかく、そんな父親に付いてきてはナインズとアランの世話を焼いていたネイアであったが、ナインズの召喚したモンスターが亜人を一掃したことに深い感銘を受けて以降は父親と家に帰るまでナインズに付き纏っていた。
「ネイア嬢の説得はよろしくお願いします。 彼女、このままでは荷物に紛れ込んででも王国についてきそうで心配で……」
「わかる。 わかるぞ。 まあ、そう言った積極的に行動できるところもネイアの可愛いく魅力的なところではあるが親としては心配でな。 それに娘に魔法の才能があるとは思えん。 私と同じ弓の才能ならともかくこのまま自分の不得意な道に進むのはやはり親としては止めるべきだと──」
「バペルさんお久しぶりです!」
娘の話になり饒舌になり始めた男を止めたのはアランの主人であるナインズだった。少し気疲れした様子ながらも堂々とした出立だ。
本日の服は聖王国に合わせた白色を中心にした色でまとめており、ローブから中のシャツに至るまで質感の違う白でまとめられている。差し色が紫なことと顔に被る仮面さえなければ聖王国の貴族と間違われてもおかしくないだろう。
「ナインズ殿。 この度の多大なる支援に深い感謝を。 あれ以降亜人がきても安全に蹴散らせるようになりました。 砦の兵士らも来たがっていたのだが、流石に城砦を空にするわけにはいかないからな」
城壁の修復作業と並行して行われた外堀を掘る作業は城壁が破られた部分だけではなく城壁全体、聖王国の付け根を縦断する規模で行われた。つまり、とてつもない長距離を守る兵士が皆、ナインズに別れの言葉をかけようとしているわけで、そんなものは当然国防上許されるはずもない。
「その言葉だけで私には十分です。 しかし、簡単にこれる距離ではないので別れが寂しく感じますね。 残る人もいますし」
「ああ。 ザナック殿下とカルカ陛下の婚約か。 ナインズ殿と殿下は随分と親しい間柄のようだったからな」
「ええ。 困難の多い旅を一緒に過ごしてきましたし、旅の途中で兄と慕われたこともありました。 私自身に兄弟はいませんが、いたらこんな感情なのかと胸が温かくなりました。 不敬かもしれませんが」
ザナックとカルカであるが城砦での作戦会議は功を奏し、なんとか二人の婚約まで漕ぎ着けることができた。
主に暗躍したレイモンドは婚約が成立するまでは随分と荒んでいた。心労の為に老け込んでいたが、今は随分と元の気力を取り戻していた。そんな彼は今、並んで挨拶をするザナック達を疲れ果てた虚な目で見つつ、横に立つケラルトと会話をしている。時折きつく目を瞑る様は今だに多くの問題を抱えているのだろうと簡単に察せられた。
あの城砦での話し合い。あの時にたてた作戦は大きく二つあった。
一つ、ザナック自身がその優秀さ、有用さをカルカに示しつつアプローチする。
優秀さ、有用さの面では心配はいらなかった。もともと王としての器は第一王子とは比べものにならないほどだったのだ。生まれた順番と後見についた貴族に王座を追われたようなものだった。
カルカに対するアプローチも、些細な目配せだったり微笑みだったり、口を滑らせたなどと言って甘い言葉を零したりと随分とこなれたもので、カルカ自身の心は早々にザナックへと傾いていたと聞いている。
問題は二つ目の外堀を埋める方だ。
レエブン侯爵家と最初に密通した重臣にして権謀に長けた神官長であるケラルト・カストディオとその姉であり聖王国最強の聖騎士であるレメディオス・カストディオを説得、納得させることが難しかった。
妹のケラルトの方はナインズの書簡とレエブン侯爵家の後援の確約によって思ったよりも早く説得できたが、姉のレメディオスは「自分よりも強い奴じゃないと認めない」などととんでもない条件を提示してきた。
「俺は直接見てはいないが、レメディオス聖騎士団長との決闘でザナック殿下が使っていた装備はナインズ殿から貸し出されたものだったと聞いている。 随分と弟思いの兄だな」
「ははは。 いやぁ、レメディオス聖騎士団長が引いてくれなくてですね。 でもやっぱり初恋は応援したいなって」
陰で「リア充爆発しろ」などという物騒な呪詛を吐いていたことなど噯にも出さず朗らかな受け答えをしている主人には呆れてしまう。おそらく軽口の一種なのだとは思うが、言った人物が人物だっただけに物騒極まりない。効果がありそうなほど陰鬱な声だった。
レメディオスとの勝負はナインズに貸し出された装備とアイテムによってなんとかザナックが勝利を納め、その姿にカルカも強く心を動かされたようでその後はトントン拍子に話が進んだ。勝負がついてもゴネ続けるかと思われたレメディオスもほんの少しとはいえザナックを誉めていたので何かしら感じるものがあったのかもしれない。
「あらナインズ様にアラン様。 楽しんでおられますか」
柔和な声色と長い髪がさらりと立てる音。
アランが顔を向けた先には胸を張って神官服の美女をエスコートするレイモンドが立っていた。
「楽しませていただいておりますよ、ケラルトさん、それにレイモンドさんも。 それは式典用の神官服ですか? いつもよりも生地の光沢がありますし、刺繍の色が鮮やかですね。 貴女の楚々とした柔らかい雰囲気を引き立てる良い仕立てだ」
「まあ。 ナインズ様は随分と服飾に造詣が深いのですね。 レイモンド様は見た目や服を誉めてくださっても表面的ですのに。 そんなことではザナック殿下を共に支えることなんてできませんよ」
「ただの文官に過剰に期待を寄せないでいただきたい。 それに本来なら私はレメディオス嬢をエスコートするはずだったのですが?」
「姉様は護衛としてカルカ様と共にありますから。 それにこれからの人脈を広げるためには私を伴っておいた方が何かと有利ですよ?」
「でしたらせめてドレスを着ていただきたい。 神官服の女性をエスコートするのは悪目立ちがすぎる」
「あらあら。 そんなことをした暁には面白おかしく脚色された噂が飛び交うことでしょうね。 見出しは、そうですね、“王国からの貴族、美人姉妹と重婚か!?”なんていかがですか?」
終始苦虫を潰した顔のレイモンドという珍しい事態にアランは何度も目を瞬かせる。
止めてもらうために振り向いたが、アランの横にいたはずのパベルはいつの間にかいなくなっていた。おそらく面倒ごとを察知して距離を取ったのだろう。こんなところで彼の斥候としての優秀さを感じることになるとはと頭を抱える。
「えーと。 レイモンドさんも聖王国で結婚するんですか?」
「現時点で私に婚約者はいないからな。 今後ザナック殿下と共に聖王国に留まるなら当然選択肢として入ってくる」
「え、じゃあ未婚になるの俺だけ……?」
「ナインズ様、私も未婚ですよ」
元気付けるつもりで言ったが、倍近い歳の差があるから、と逆に消沈させてしまった。
それにしても、最近貴族の所作について口うるさく言う者がいないせいか随分と身振りや声に感情がでている。このまま王国へと帰ればレエブン侯爵であるエリアスには怒られるだろう。多くの時間を費やしてやっと貴族的な所作や言葉遣いを学ばせたのに所作はともかく言葉遣いが砕け切っている。
それでもアランが止めないのは、そのエリアスからナインズの精神面のケアを任されているイエレミアスから今回の旅についてナインズについて厳命されたことがあるのだ。
“感情の自由を奪わないように”と。
最初に聞いた時には顔を強張らせてしまった。それは必死で貴族社会に馴染もうとする主人の努力を踏み躙る言葉だからだ。異国から来た元人間の、その真摯な努力は教育係であるイエレミアスこそ知っているはずなのに。
アランはナインズの正体を打ち明けられている。様子見でつけられた従者のうちで残っているのはアランのみだ。それは信用に足りると判断されたのがアランだけだったことを意味する。そして従者としての仕事内容的にも彼の正体を隠し通すことはできないとの判断から打ち明けられた。この重い秘密は、墓場まで持っていくつもりだ。
「あら。 でしたらナインズ様にもご紹介いたしましょうか? 丁度いい歳まわりの未亡人がおられますよ」
「いえ、ご心配は無用です もうすぐ婚約が整う予定ですので」
「え? ひょっとしてレイナースさんのことか? あれって進展してるのか?」
なぜ当事者が1番驚いているのかわからないが、レイナースが帝国に一旦帰国した理由の一つが婚約に向けての準備だというのは聞いていないのだろうか?
アランは本人から直々に教えてもらったのだが、ひょっとしたら変に動揺させないために気を使っているのかもしれない。
「それはとても喜ばしいことですね。 私も良い相手がいるといいのだけれど……」
悲しそうに目を伏せる姿は思わず支えたくなるほどに儚いが、これでいて高位の信仰系魔法詠唱者であるので普通の男よりもよっぽど強い。ここにいる全員がそのことを知っているので、当然慰めの言葉を発するものはいなかった。
「少し疲れてしまったようです。 失礼ですがレイモンド様、近くの椅子までお願いできるかしら」
「もちろんですケラルト様。 さあお手をどうぞ。 ……一旦失礼させてもらう」
連れ立って去っていく二人を見送り、残されたのはナインズとアランの二人だけ。
お互いに顔を合わせると苦笑いの空気になる。そういった空気を察せられることにアランは少しだけホッとした。
『彼の人間性が危ない。 このままでは近いうちに完全なアンデッドに、生者の敵になってしまう』
何をもとにイエレミアスがそう断じたのかはわからない。
信頼されているとはいえ一介の従者であるアランが知る情報は少ない。
しかし1番身近で、そして人の機微に敏感なイエレミアスにそこまで言わせた何かが王都にいた頃のナインズにはあったのだろう。
それがアランにはとても恐ろしく、そして無常を感じさせた。
「アラン。他に聖王国で接触するべき人間はいるか? 居ないならば最後に殿下と聖王女陛下に挨拶をして部屋に戻りたい」
「北部の主な貴族には挨拶をしましたし、特に思いつきません。 ナインズ様はどなたか目を引いた方はおられましたか?」
「いや? ああ、ただ、一人。 ザナックさんを嘲った奴がいたからアレの領地は知りたいな」
「承知いたしました。 何か特徴はございますか?」
「胸に大きなブローチをつけていた。 確か緑の宝石を中心に据えた、薔薇のブローチだったはずだ」
「すぐに確認いたしますね。 お二人のところへは一人で行かれますか?」
「そうだな。 ではよろしく頼む」
先程までとは違う、平坦な声は何も知らない者が聞いたら影武者にでも入れ替わったのから訝しむだろう。
社交での取り繕いは完璧だ。言葉遣いが甘くなっているが、そこが親しみやすさになっている。
貴族としての立ち居振る舞いもまた、丁寧さの上に洗練された動作はすっかり板についている。そして時折見せるだらしなさを隙と見るものもいるだろう。
しかし、どれだけ親しみを向けられようと、彼自身を侮られようと、ナインズはナインズの価値観でしか動かない。
気に入った者には巨大な感情を向けて力の及ぶかぎり万難を排し。
逆に敵対する者には直接的・間接的を問わず絶大な力を振るうことを躊躇わない。
(イエレミアス様はきっと友人の立場でナインズ様の歪さを感じて、でもまだ取り返しが効くと考えていらっしゃるようだけれど──)
もう壊れてしまったのだから遅いのだ。
今やっているこれは彼が完全に壊れるのを遅らせる延命治療で、でもそれは薄氷の上にある。何か一つでも今の彼の世界を取り巻く大切な者が欠けるだけで、それは簡単に崩れ去るだろう。
そして、アランの懸念は遠くない未来に現実とものとなる。