蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江

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投稿再開です。


死の支配者は異邦人7

 

初夏の日差しの中にあるレエブン侯爵家の屋敷、その奥にある執務室は爽やかな外の様子と違って重く淀んでいた。原因の一つは部屋の持ち主の地位に似合わず手狭だからだろう。これは盗聴、透視対策の為に何重にも魔法と鉛による防御をしている為であるが、今この時はそれが煩わしかった。建物内のひんやりとした空気はこの部屋に限って部屋の主と同じ陰鬱さをもっていた。というのも、領主の暗殺とそれに伴う急な代替わりの為に部屋の中は連日、人で溢れかえっている。そして一日中部屋に詰めたままの淀んだ空気がその場を支配していた。

部屋の主人であるエリアス・ブラント・デイル・レエブンは重くなった瞼を開く為にゆっくりと眉間を揉み込んだ。近々予定していた事とはいえ、式典に呼ぶ貴族の名簿作りや詳しい日取りから料理の内容まで全てを取り仕切るには圧倒的に手足が足りない。もっとも信頼して居た部下に裏切られたエリアスはそれでもなんとかこのゴタゴタを片付け終わろうとしていた。

 

「レエブン殿!」

 

その緊張の糸が張り詰めたエリアスの執務室に大声と共にノックをする人物が一人。

徹夜三日目の、いつもの2割増しで陰惨な顔を苛立たしげに向けたが、声の持ち主に気づき入室の許可を出す。入ってきたのは大切な客人の相手を任せていた元オリハルコン冒険者のロックマイアーだ。額には常とは違って汗が浮き、その顔は何故か憔悴している。朝、揚々と出て行った時との呆れるくらいの違いに普段人を気遣わないエリアスも心配の声をかけた。

 

「一体どうした?」

「それが……、モモンガ殿のことです」

「……そうか、わかった。一時間休憩にする、各々仮眠をとるように。…………ロックマイアー、話を聞こう」

 

疲れ果てた男達の煤けた背中がもったりとした鈍重さで出て行く。最後の一人が優雅とは言えない礼をして出ていった後、二人だけの部屋の中でエリアスとロックマイアーは対面する。

こうして二人きりで話すのは三日前の事件解決後以来だ。

三日前に解決できたレエブン侯爵暗殺事件の後、打診していた冒険者を辞めて自分の部下についてくれたそのままに、モモンガの世話を頼んでしまった。それ以来時間が合わずに何度か人を通してのやりとりをしていた。こちらが忙しいと気を使っていたのか簡単な報告とそれに対する指示だけでまわっていたのだが、こうして直接来たという事は緊急事態なのだろう。

 

「それで。どうしたロックマイアー」

「まずは謝罪させてください。すみません、モモンガ殿を見失いました」

「なんだとっ! こちらの意図に気づかれたのか?」

「いいえ。エ・レエブル内の案内の途中、モモンガ殿が武具やマジックアイテムに興味があるという事で馴染みの店に案内したのです。そこで店主の持ってきたアイテムを魔法で鑑定した途端、突然様子がおかしくなって。そのアイテムがいつ作られたものなのか聞いた後で転移の魔法を使われたみたいで。近くを探して見たのですが、見当たらず」

「そうか……モモンガ殿は故郷のヘルヘイムを探していたからな。そのアイテムに何かヒントがあったのかもしれないが、姿を消したか」

「はい。今鑑定のできる魔法詠唱者を探してモモンガ殿が何に気づいたのか調べている途中です。一番危惧していた敵対行動はないとは思いますが、どうなるのかはわかりません」

「惜しいが、転移の魔法を使われたらどうする事も出来ないからな」

 

転移魔法〈次元の移動〉も一流の中でも選ばれた者しか到達できない第三位階だ。それにしても死霊系に特化していると言っていたが、専門外であるはずの魔法まで習得しているとは。エリアスの中でモモンガの評価がまた一つ上がった。

 

「……わかった。モモンガ殿の事は保留にしよう。誠実な性格のようだからいずれ連絡があるかもしれないしな」

「わかりました。モモンガ殿がいなくなりましたが、イエレミアス殿の処分はそのままで?」

 

逃げた魚は大きいが、あまり固執しても今後に差し支える。後ろ髪を引かれる思いでロックマイアーに指示を出したエリアスは、次は叔父の今後についてたずねられた。

エリアスの叔父であるイエレミアスは、父の故レエブン侯爵の暗殺を目撃した。

その後犯人グループに操り人形にされようとしていたところをなんとか既成事実化される前に間に合ったエリアス達に救い出された形になる。はっきり言って政治的には腹芸も出来ない無能なのだが、その分隠れ蓑には良いと判断されたのだろう。なり行きでエリアスと敵対する事になったイエレミアスは事件解決後、酷く怯えていた。自分の甥の冷酷さを良く理解していたからだ。事実、モモンガの進言が無かったら後腐れのないように殺していただろう。

生かしているのはイエレミアスがモモンガに気に入られていたからに他ならない。ロックマイアーからの報告書にも日に一度は部屋に訪れていると書いてあった。アダマンタイト級冒険者と同等と言われる強者を魔法の一撃で仕留める強者の機嫌をとるためならば、無能の一人や二人位命を救ってやってもいい。

 

「いや、一度助けた命を摘んでは信用に関わる。万一モモンガ殿が戻って来た時に居ないのでは問題だろう。害にならないうちはそのままにしておけ」

「了解です。それじゃあレエブン殿、俺はこれで失礼します」

「そうだな。……念のためモモンガ殿に贈る予定だった屋敷の準備は続けろ。礼をするという約束は果たさなければいけないからな」

「じゃあそう伝えときます。…………あと、30分程とはいえ時間があるんですからしっかり休んでくださいよレエブン殿」

「努力しよう」

 

聞くつもりの無い時の返事だとばれてロックマイアーに渋い顔をされる。その表情が面白くて三日ぶりにエリアスは笑った。笑い事じゃあないですからね、ともっと酷くなった顔で怒られ、もう一度同じ言葉を重ねると、諦めて帰っていった。その背中を見送った後でエリアスは椅子に深く座り直して考える。

モモンガが居なくなった事で目下の問題の優先順位が変わってしまった。

 

「八本指に早めに話を通さなければな」

 

生かしたイエレミアスからの情報で、今回なぜ八本指がレエブン侯爵を暗殺したのかがわかった。理由はどうしようもない程俗なもので、簡単に言うとエリアスの父であるレエブン侯爵の態度が反抗的だったからだ。

八本指は長年の暗躍で王国貴族の多く、そして帝国にまで根を伸ばそうとしている犯罪組織である。その歴史の長さに相応しく、大きな利益を裏社会であげている。しかし、殺されたエリアスの父はそんな彼らの利益をあげる妨害をしていた。貴族としては善良な行為なのだが、悪い事に目をつけられてしまったらしい。八本指の組織の一つ、金融部門の主導で暗殺部門と警備部門が動いた大規模な作戦は、見事その目的をやり遂げたと言える。ここまで派手に脅され、対抗する力を持たないエリアスではとても父の様に逆らう気は起きない。ゆくゆくこの国を手に入れた後にゆっくりと解体するのが関の山だろう。

しかし今回、相手側には誤算があったはずだ。警備部門の最強格──六腕の一本を失ったのだ。

裏社会では面子と言うのは時に命よりも重い。

面子を潰されたと向こう側が思ったのなら、残りの五腕全員でレエブン侯爵家を潰しにくる可能性もある。そうなったらエリアス達に勝ち目はない。警備部門最強と言われる六腕はそれぞれ人類の守り手とも言われるアダマンタイト級冒険者と互角に闘えるという話だ。虎の子とも言えるロックマイアー達元オリハルコン級冒険者では基本的に太刀打ちができない。

その為に必要なのが話を通す事だ。

今回八本指側について中で手引きをしたドナテウロを通じて敵対する気は無い事と、与えた損失のある程度の補填をせねばならないだろう。裏切り者であるドナテウロの手を借りなければいけないのが業腹だが、背に腹はかえられない。

 

「モモンガさえいればこんな事に気をまわす必要は無かったのだが、まあ仕方がない」

 

自分の命を狙った人物を殺しただけなのに何故損害の賠償をせねばならないのか。

世の不条理を感じながら、エリアスはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

イエレミアスは自分に与えられた部屋で上機嫌にお茶をだす準備をしていた。

本来ならこんな雑事はメイドに任せるのだが、三日前に知り合った友人は特別な存在だ。できれば自分の手で一から十までもてなしたかった。金箔で美しい鳥の模様が描かれた純白の柱時計はもうすぐ彼が来訪する時間だ。

彼──モモンガという青年は怪しい見た目の魔法詠唱者なのだが、イエレミアスにとっては命の恩人である。魔法詠唱者など手品師と変わらない大道芸人に毛が生えた程度の人間だと今まで見下していた。しかし話してみると気さくで気負わなくてすみ、こちらの話を聞いてくれる。

優秀な兄とその息子の陰に生きてきたイエレミアスにとってモモンガと過ごす時間は酷く楽しいものだった。

 

最初は化け物だと思った。

なんと言っても六腕を魔法の一撃で殺したのだ。あまり魔法に詳しくないイエレミアスでもそれが異常な事くらいはわかる。ひと睨みされただけで足が震えるほど彼女は強者だった。その彼女を一撃だなんて……。ぶるりと体を震わせる。

しかし、そんな強者でも弱点はあるものだとホッとする。イエレミアスは優秀な兄や甥と違って政治には疎い。元々次男でスペア扱いだったという事もあるが、権謀渦巻く政治の世界は苦手だった。そんな中、全く違う分野でイエレミアスの才能は開花した。それは社交界での才能だ。事実、スマートに礼服を着こなし、教養のあったイエレミアスは人気があった。ダンスなど踊れば皆の注目を集める程だ。

そんなイエレミアスが今一番関心があるのがモモンガの服装だった。着ているものこそ見たことのない程素晴らしい服や装備だが、顔の仮面はいただけない。不気味で奇怪で、いかにも偏屈な魔法詠唱者だ。いずれは家長となる甥の許可を貰って相応しい仮面を作らなければならないと決心した程だ。

しかし、怪しい格好に抱いて居た警戒も、甥であるエリアスに直々にイエレミアスの助命を請うてくれた事で無くなった。利用されたとは言え首謀者であるのだからと腰の剣に手をかけたエリアスをモモンガは諌めてくれた。

その言葉が、行動が、どれほど嬉しかっただろうか。

それから日に一回、人目を忍んで様々な話をする為にモモンガはやってきた。最初はモモンガの質問に答える事が多かったのだが、昨日などは完全に聞き役に回ってくれた。モモンガという聞き役ができた事で、自分が今までいかに鬱憤をためていたのかがわかった程だ。

 

「今日は少し遅いのか?」

 

いつもの時間を過ぎても訪れない待ち人に、せっかく入れたお茶が冷める前にと口をつける。

両親にはお茶汲みの様なメイドの真似事などと、と眉をひそめられたが、好きでやっている事だ。口に含んだ茶葉は爽やかな酸味が加えられた初夏に相応しい清涼感があった。残念ながらモモンガ殿は一度も口をつけてはくれないが、その香りだけはしっかりと堪能してくれる。その時の嬉しそうな声を思い出してイエレミアスは満足の息を吐く。

お茶が冷める前に早く来てはくれないだろうか。

時計の針と扉を見比べながら待つ男のもとに、結局その日、モモンガが来る事は無かった。

 

 


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