気持ち良い初夏の晴れの日。
燦々と輝く太陽がエ・レエブルの街を照らしている。昼を過ぎて太陽からの光は一層輝きを増し、その光を全て吸い込む黒いローブを着た異様な人物が行き交う人並みを割っていた。側には街で有名な元冒険者。勘の良い者ならそのローブの人物が領主であるレエブン家と懇意にしているとわかる程、街の英雄の一人は腰が低い。まるで観光案内の様に側に付き添って、通りの名前から店の名前、その由来まで説明している。説明を受ける方も頷いたり逆に質問をしたりと、良好な関係を築いている事がうかがえた。
「領主の屋敷から続くここがエ・レエブルの本通りだ。あっちが街一番の商人が経営するワランプール商店。蝋燭一本から馬車の一台まで自由自在に揃えてもらえる。反対側は街一番の宿屋。モモンガ殿が気に入ったのなら今日からこっちに泊まってもらってもいいですよ」
「いやいや。今で十分よくしてもらってますからお気遣いはいいです」
「そうですか? まあ、興味がわいたら言ってください」
領主暗殺事件から三日。モモンガは現在エ・レエブルに滞在していた。
本来は領主暗殺事件が終わったらすぐにでも街を出る予定だった。モモンガがこのゲームに来て二十四時間が経過した今、いつ現実世界の鈴木悟は死んでもおかしくない。むしろなぜ今まで平気なのかがわからない状態だ。
このゲームを純粋に楽しんでいる様子のエリアス達の邪魔をしたいわけではないから、自分がいきなりログアウトして心配をかけたくなかった。それに、言ってしまえばたまたま出会っただけの人間に看取られるのは申し訳なかった。
しかし熱心なエリアスの説得に負け、正式にエリアスが後を継ぐまでこの街にいる約束をしてしまったのだ。明日に迫った式典が終わればエリアス特製の通行証で領地を行き来する税金と身分を保証すると言われてしまったら、後ろ盾のない今のモモンガは逆らえなかった。そこまで言ってもらっているのに辞退しては逆に何かあるのではと思われてしまうからだ。
それにもしかしたら、いつのまにかダイブ中の体感時間を引き延ばす方法が発明されたのかもしれないのだ。それはこの世界にいる多くの人がログアウトをしている様子が無い事からの予測である。
何はともあれ、この街にしばらく居る事になったモモンガだったが、約束はしたは良いがこのゲームの知識など何もない。やった事があるゲームが自由度を売りにしていたユグドラシルだったとは言え、流石に右も左も目的もできることもわからないままでは時間を潰す方法すらわからない。そんな時間を持て余していたモモンガに声をかけ、街を連れ回しているのは元オリハルコン級冒険者ロックマイアー。
出会った時はオリハルコン冒険者だったのだが、彼と彼の仲間たちは年齢を理由に冒険者を辞めたらしい。その後正式にエリアスの部下にと雇われたそうだ。
本当は冒険者を辞めるのはもう少し後の予定だったらしいのだが、今回の事件を受けていざという時の戦力となる事を選んだのだと聞いた。
「東西の大通りと南北の大通りが交わるここがこの街の一番賑やかなところだな」
先導していたロックマイアーが止まる。今までも街中と言うことで背の高い建物が多かったが、ここは輪をかけて高い建物が多かった。歩く人々は身だしなみをきちんと整えており、澄まし顔で歩いている。通りを見回すと服屋や道具屋などの日用品的に使うものの店の他に、宝石店や何故か家具の見本を飾っている店まである。
「武器屋とかは無いんですか?」
「ん? モモンガ殿は武器に興味があるんですか?」
「いや、お恥ずかしいですが結構なコレクターなんですよ。珍しい武器やアイテムはついつい集めてしまって」
「ああ。俺としちゃあ武器や防具は使い勝手が一番なんですけど、そういった需要もありますわな。ここは基本的に豪商や貴族様用の洗練された区画ですからね。そういった粗野なものはもっと奥まったところにありますよ」
こっちです、と、東西の大通りをロックマイアーはぐんぐんと東に進む。
東に進むにつれて街の空気が変わる。
レエブン侯爵家の屋敷から先ほどの通りが交わるところまでは綺麗に舗装されていた石畳もただの地面になり、汚れが無かった壁はすっかりひび割れて煤で黒ずんでいる。一本道を入った所にいる人々はギラつく目でこちらを見た後、ロックマイアーの姿を認めて皆視線を逸らして路地裏に消えていく。
「……貧民街ですか?」
「いや、そういうわけじゃあ無いが、治安は良くないな。特にモモンガ殿なんて目立つ服着てるから余計注目を集めちまう」
「ええ……よくわからないですけど高レベルの盗賊なんて潜んでないですよね? 盗難対策はバッチリしていますけど盗まれて良い気持ちはしないですよ?」
「はははは! 俺の顔を知らない潜りがこの街にいるとは思えないな。それにこの街で一番の盗賊は俺なんで、モモンガ殿は警戒するなら俺をどうぞ。もっとも、この国でモモンガ殿以上に強い人間が居るとは思えませんよ」
「はははは。それもそうですね」
モモンガも複雑な気持ちで笑う。
システムを無視した最強になんの意味があるのだろうか。昔、ユグドラシルで運営お墨付きのぶっ壊れアイテムであるワールドアイテムを使ってワールドエネミーになったプレイヤーが居た。そのプレイヤーはしばらく他のプレイヤー相手に無双した後、有志からなるトッププレイヤー達にキャラデータごと消去されたらしい。男はそんな倒される側にはなりたく無い。他の仲間達と力を合わせて強敵に向かう魔王なら兎も角、一人で戦い独りで消える魔王などにはなりたく無かった。
人通りの少なくなった道にモモンガの声は良く反響した。
路地裏に身を潜めていた者が、その笑い声に反応して顔を上げたが、すぐにまた俯く。その生気のない表情と行動はモモンガにリアルを思い出させた。
(ここのモーション作る人はきっと貧困層なんだろうな……)
あまりに身近に溢れていた反応に現実を思い出して落ち込む。ログアウトできたら、自分も彼らの仲間入りだ。
ロックマイアーの後に続いて歩いていたモモンガは、古びた木製の看板の店で止まったロックマイアーに合わせて足をとめた。
「で、だ。ここが俺のおすすめの武具屋だな。魔法の付与はないから体にしっかり合わせるには鍛冶屋に行かなきゃいけないが、飾ったりするんなら直す必要は無いですよね?」
「まあ、全身鎧とかは着れないでしょうし問題ないですよ。他にも珍しいマジックアイテムがあればそれも見たいです」
「了解。まあ任せときな」
窓のない店の扉を何回かリズミカルに叩くと、鍵の開く音とともに内側から扉が開けられる。
中から現れたのは干からびた様な老人で、ロックマイアーの顔を見た後、抜けた歯を見せながら笑った。
「なんじゃロックマイアーか。プレートがない所を見ると本当に冒険者は廃業したのか?」
「久しぶりですドグラーンさん。もう歳ですし、若いもんに任せようって事になったんですよ」
「それで貴族の使いっ走りになったんじゃあ反感を買うかもしれんぞ? まあ、エリアス様ならましじゃがな。一時はイエレミアス様が領主になるのかとヒヤヒヤしたもんじゃ!」
はっはっはっ、と、大声で笑いながら老人は二人を中へ招きいれる。最近親しくなった人物を悪く言われて、モモンガは内心ムッとなった。
「して、そっちの魔法詠唱者は何者じゃ?」
「はじめましてご老人。ユグドラシルから来たモモンガと言います。ユグドラシルや私の名前に聞き覚えはありませんか?」
「はてな。長い事生きておるが、聞いたことのない不思議な響きじゃな。旅人さんかね」
「そんな感じです。失礼ですが運営の方でもないんですよね?」
「この店をやっているという意味では運営しておるとも言えるが……」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
がっくりとしているモモンガを痛ましそうにみたロックマイアーが店主にフォローを入れる。
「遠くの国から気がついたらトブの大森林にいたらしくてな。帰る手段を探しているそうなんだ。なにか分かったら是非教えてほしい。報酬はだす」
「ふうむ。そうじゃな。ユグドラシルか。……まあ、聞いた時はお主のところへ声をかけよう。で、今日は何を見にきたんじゃ?」
「感謝しますドグラーンさん。今日はモモンガ殿が武具を見たいそうなんで連れてきたんですよ。それとマジックアイテムの珍しい奴とかありますか?」
「客なら早くそう言わんか」
ばんばんとモモンガを叩いた後で店内をのっしのっしとドグラーンは歩く。すっかり曲がった背骨の為身長はロックマイアーの胸までしかない。そんな小柄な老人が雑然と物が並べてある無秩序な店内を歩き回る。すっかり変色した巻物や磨かれていないせいですっかり曇った鉄のヘルム。
固定具の皮がすっかりボロボロになった盾など、モモンガの目では本当にここがロックマイアーのいう穴場なのか疑問が残る。
息を吹きかければ年単位で積もった埃が舞い散るだろう暗い店内は魔法の灯りでなんとか視界を確保されていた。
モモンガは暗闇も平気であるし、盗賊であるロックマイアーも暗い所でも目が利くので僅かな灯りでも問題なかったが、普通の客は暗くて何があるのかよく見えないだろう。
「ドグラーンさんも昔は有名な冒険者だったんだ」
「今ではしがない武具屋の店長じゃよ」
「拠点にしていた街の冒険者組合長とチームが揉めたらしくてな。今ではその時の人脈を使ってこうして良いものを手頃な値段で卸してもらってる」
「随分昔のことじゃがな、うちのチームのリーダーが組合長を半殺しにしてのぉ。まあされて当然の人間のクズだったんでリーダーを恨むつもりはないが、流石に組合にはいれなくなったのでなぁ。チームは解散になったんじゃ。それで一人引退して故郷のエ・レエブルへ戻ってきたんじゃよ」
探し物が見つかったのか戻ってきたドグラーンの手には木製の箱。他の物と比べても丁寧に扱われているらしく、ニスで光を照り返すその箱の蓋は傷が見えない。その蓋を老人はゆっくりと開ける。
中には人の顔があった。
秀でた額と通った鼻筋。薄い唇は微かに微笑んでいる様に見える。その唇はうっすらと開き、両目と同じく穴があけられていた。美しい顔だった。線の細さが女性を思わせる。
「まあ一応の。遥か昔に居たと言われる凄腕の職人の作じゃ。命中率をあげる効果と遠くまで見通せる力が宿っておる。少し前まで帝国のある貴族が呪いに爛れた顔を隠すのに使っていたそうじゃ。モモンガ殿は仮面に興味がお有りのようじゃから毛色は違うが勧めてみようと思ってのぉ」
モモンガの奇妙な仮面のつけられた顔を見ながら言うドグラーンにモモンガは苦笑する。別に好きでつけている訳では無いのだが、気を使ってもらったのを無碍にするのは失礼だろう。
布が敷かれた箱の中から仮面を取り出してモモンガが良く見える様にと手に乗せる。手に乗せられたそれをモモンガは興味深く観察した。
「失礼。鑑定魔法をかけても?」
「構わんよ」
「では。〈道具鑑定〉……えっ? 嘘、だろ……」
鑑定魔法をかけたあと、店主の方を向いたモモンガは明らかに様子がおかしかった。詰め寄るモモンガに気圧された店主が後ろに数歩下がる。
「ど、どうかされたかな?」
「店主さん! これを作った人はどこですか!? いいえ、いつ作られたのか詳しく教えてください!」
「それは分からんよ。伝え聞く分には随分昔だったそうだ。まだ王国も帝国もない頃だと言っていた気もするが、流石に眉唾じゃろう」
「王国も帝国も無い? それは正確に何年前なんですか?」
「正確にと言われても……200年以上前になるかのう」
モモンガはドグラーンの言葉を聞いてふらつく。
手に持った仮面をロックマイアーへ渡すとフラフラと店の外へ歩きだす。
二人の制止する声も無視して店の外へ出てしまったモモンガを追ったロックマイアーは、目の前で霞んでどこかへ転移するモモンガを見た。
製作者、みるきぃ。制作日 西暦2139年。中風月2日。
二度と会えない恋人、山里薫の顔を再現したマスク。
命中率ボーナス4%。射程強化プラス14。
「たとえもう一度君に会えずこの地で死ぬとしても、君の顔を覚えているうちに」