斯く想う故我在り   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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サバイバル

 

「やれやれ一体全体俺は何をやってるのかねー」

 

 そんなことを呟いたのは夜の街を歩き続けて四時間以上たった頃だった。学校が終わったのが六時前だったので既に十時過ぎだ。学校を出てすぐに鞄を駅前のコインロッカーに財布以外を預けて手ぶらで歩き続けていた。特に目指していた場所はない。適当に歩いていればそれでいいという風に言われていたから、馬鹿正直に街を歩いていたが四時間もあるけばいい加減面倒になって来た。

 何度か駆に連絡をして、妖魔の位置が見当付かないか聞いてみたが答えは芳しくなかった。

 

「いや、本当なのかどうか怪しいけどなあの人の場合。知っててもはぐらかしそうだし」

 

 夜の街を歩きながらの独り言というのは頭おかしい人のようだが、これだけ長時間歩いているのだ。これくらいはしょうがないだろう。

 いや、そんなことはどうでもよくて。

 

「四時間……そんだけあるけば結構な体力自慢でもそれなりに疲れるはずだけどな」 

 

 それなのに今の流斗は精神的な疲労はともかく、肉体的には全くと言っていい程に疲弊していなかった。おかしいと思う。いや、これで当然だという納得を感じてる自分におかしさを感じてるのだ。つまりそれは自分がそれだけ変質し始めていること――だと思う。

 よく解らないけど。

 そのはずだ。 

 頭をくしゃくしゃと掻く。

 

「ん……もうこんなところか」

 

 いつの間に大分遠いところまで来ていた。町の北の端、大きな川がある地域だ。普段の行動範囲からは外れている。別に来たことがないわけではないし、学校の知り合いも何人かこのあたりに住んでいるはずだ。まぁだからどうしたといううわけではない。今のような状況ならばなおさらのこと。

 

「……帰っていいだろうか」

 

 もう十時過ぎ。普段ならば家に帰って風呂にでも入っている時間だ。母には駆経由から連絡が言ってるだろうし、メールもした。話がもめることはないだろう。

 それでも帰りたいのが正直なところ。

 肉体的な疲労はこれっぽちもないが、それにしたって精神的な疲労があることに変わりないのだ。自分がそれほど我慢強くないどころか、飽きっぽい性分なわけで自分でもよくまぁこれだけ徘徊したなと思う。

 川にかかる橋を通って、それからどこかで折り返して戻ろうとして橋に足を踏み入れて、

 

「――」

 

 ソレはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――」

 

 絶叫しなかったのは多分先週の駆と澪霞の戦闘を僅かながら見ていたからだ。一端とはいえ向こう側の世界における高位の戦闘、術者たちを知っていたから。もしなんの予備知識もなければ泣き喚きながら逃げ出していただろう。或は、何もできずにすぐに食い殺されたか。

 ソレは灰色の狼だった。

 三メートルはあろう巨体。橋の真ん中、点滅する街灯に照らされる灰の体躯には傷が少しあり、また各所に黒い靄のようなものがあった。特に、顔半分はそれで大きく覆われいている。率直に言って気持ち悪い。目にしただけで吐き気を催すほど。明らかに人間の精神を汚染している。

 そんなものを見て叫ばなかったのは向こう側の世界を知っていたからで――即座に飛びかかられて飛び退けたのは連日の訓練のおかげだった。

 

「っう、おおおおおおおおおお!?」

 

 自分でも驚くほどに体は即座に反応した。灰オオカミを目にした瞬間に地面を蹴りつけ、橋から落ちる。跳躍したのにわずかに遅れて灰狼がそれまで流斗がいた空間に喰らいついていた。欄干を飛び超えるほどに跳ねたのは予想外だったが、しかし灰狼から少しでも距離を取れるのならば何でもよかった。

 一瞬の浮遊感。

 直後に川へと着水した。

 

「……!」

 

 それなりに深い。落ちて幾らか沈んだが足が地面に付くことはなかった。何年か前に溺れて死者が出たなんて話があったはず。水温は冬故に冷たく、衝撃が全身を叩くが今の流斗ならば苦にはならない。問題は不自然な体勢で飛び込んだせいで上下感覚が曖昧になり、浮上するの十数秒を有したこと。最早言うまでもなく、その数秒が生死を分けるのだ。

 

「――ブハァッ! ッ……ゼハァー! ハァー!」

 

 水面から顔を出し、荒い呼吸もそこそこに頭上を見上げる。夕方に駆が近づけば解ると言っていたのは納得だった。なるほど確かに解りやすい。

 なんだか(・・・・)よくわからない(・・・・・・・)がそれが明らかに異物であるということが理解できる。

 

「くそったれ……!」

 

 吐き捨てながら振り返った(・・・・・)

 そこに灰狼はいた。

 水面に立っている。流斗が水中に浮かんでいるのに、水上に四本の脚で直立しているのだ。

 

「ファンタジーだかモンスターパニックだかはっきりしてくれよ!」

 

 叫ぶのと同時に灰狼が再び跳ねた。がるるっ(・・・)という吠え声と共に巨大な顎を開き飛びかかって来る。浮かんでいる身に選択肢は一つだ。

 

「んぐぅ……!」

 

 潜った。息を吸い直す暇もなく水中に体を沈めるしかない。いくら流斗でも海女の真似事をしたことはなかった。深度にしても一メートル行ったかどうか。幸いにも灰狼は水中にを嫌ったらしい。あるいは水中に跳び込むまでもないと判断したのか――知性があることを前提としてだが――、とにかくなんとか流斗は難を逃れた。

 勿論一瞬である。

 

「……!」

 

 得た一瞬の間にさらに水中に潜る。数度水中を書いてさらに沈んだがそれでもまだ底にはつかなかった。内心歯噛みしつつ、さらに水の中を進む。視界はほぼゼロで直観のみで泳ぎ進み、一分も行かずに息が切れて再び浮上せざるを得なかった。

 

「っづァー! ゴホッゴホッ、――くそがっ!」

   

 悪態を付くだけ余裕があると見るべきなのかとにかく吐き捨てた後に再び潜水。直後にまた先ほどと同じ気配。寒さや冷たさではない寒気が全身を襲っている。幸いなのはなんとか川岸の方向は確認できた。それほど遠くない。川自体の幅がそれほどに広くない。確か十数メートルもなかったはずだと今更ながらに思い出す。

 我武者羅に水の中で体を動かして――足が地面に触れ、蹴りつけた。

 

「ガハッ、ガハッ、ガハッ……ハァー、ハァーッ!」

 

 水中から脱出し、川岸を何度も転がった。一足飛びで、水中にいたことも考えればかなりの距離を跳躍したがそんなことを気にしている余裕はなかった。

 

「……ッ!」

 

 横転中に灰狼が飛びかかって来た。直前の跳躍が少しでも弱かったらどこかで喰らいつかれていただろう。

 

「――」

 

「はぁ……はぁ……なにがちょっかい掛けろだよ……」

 

 濡れ鼠になりながらもなんとか立ち上がり灰狼を睨みつける。今度はいきなり飛びかかられることはなかった。不気味に輝く金色の瞳が流斗を見ていた。意思や感情はともかく、知性の類はあるらしい。

 勘弁してほしい。

 

「どうする……どうする……落ち着け俺……」

 

 睨みあっている間がチャンスだ。このわずかな時間を有効に使わなければ死ぬ。

 

「――笑えねぇ」

 

 今いるのは流斗が来ていた方からさらに南、つまりは川の向こう側。ズボンの重みから財布とスマートフォンの存在は解るがあれだけ派手に水に浸かったのだからスマートフォンで救援呼ぶなんてことはできない。足場は少し固めの砂利。気を付けないと滑る。見える範囲で民家はない。この場合はなくてよかった。下手に来られても被害が増えるだけだ。

 そしてこのままでは自分もそうなる。

 

「……」

 

 打つ手がない。

 何度か運よく突撃を回避したとはいえあんなものは所詮ただの偶然だ。何度もやれと言われてできるものではない。

 こちらに視線を向ける狼を対処する手段を流斗は持ってない。

 澪霞のことを横合いから覗くだけだったつもりが随分と見当違いである。そしてここで都合よく彼女が現れるなんて都合のいい展開があるとは思っていない。

 ならば自分がどうするべきか――答えは一つしかない。

 

「『神憑』――」

 

 この場でそれを身に着けるしかない、いや確かにこの瞬間にだって自分はそうなのだ。だから、あるべき形で体現させる。生き残るためにはそれしか手段はないし、ここで死ぬわけにもいかない。

 やり残したことはある。

 山のようにあるわけではないが一つは確かに。

 だから死んでいられない。

 駆は精神の在り方が全てだと言っていた。それを完全に具現するには己の抱いた祈りを明確に抱く必要がある。自分の祈りなんてものはそれこそ一つしかない。それは何時だって胸に抱いている。

 それでも未だに至らぬというのならば何かが足りないのだ。

 

「っ……!」

 

 汗が噴き出る、指先を動かす余裕もなく恐ろしく喉が渇いていた。灰狼という解りやすい死を前にして脳内麻薬は大量に分泌されて時間は引き伸ばさ、思考は加速する。そうでもなければ体感的にはとっくの昔に殺されていたはずだ。

 未だ灰狼に動く気配はない。

 喘ぐように呼吸をし、しかし思考は巡る。記憶を、感情を、意思を、渇望を。荒谷流斗という存在へと潜航し、ソレ(・・)を探す。頭の中にこれまで自分が過ごしてきた体験や関わって来た人たちが浮かんでは消える。

 荒谷奈波、荒谷功哉(イサヤ)、津崎駆、雪城沙姫、白詠澪霞、雨宮照――。

 両親とここ数日で関わり初めた三人、幼馴染の親友。彼ら彼女らの姿がほとんど同時に脳裏を過った。

 ガチリ(・・・)と歯車が噛み合い始める音がして、

 

「――え?」

 

 ――右肩に灰狼の咢が食い込むのを反応することすらできずに意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それらの一連の戦闘とも言えない蹂躙が終わり、灰狼が成りかけ(・・・・)の人間を捕食しようとした直後に白詠澪霞は現れた。間に合ったのか遅かったのか、どちらでもあってどちらもでないそんな絶妙なタイミングだった。もしこのタイミングが少しでもずれていたらこれから先に展開を大きく変えていた――かもしれないほどに。

 意識を失って灰狼に喰らいつかれた流斗を見た澪霞は確実に動揺した。この少年がいるなんてことは欠片も予想していなかったからというだけではない。

 

「……っ!」

 

 そしてその隙を灰狼が見逃すはずもなかった。

 最早言うまでもなくそれには知性がある。妖魔という人ならざる、人の負の感情より生み出され、よく解らない(・・・・・・)化物になってしまい、しかしだからこそ思考を可能にしていた。

 灰狼は澪霞を目にした瞬間に口にくわえていた流斗を投げ捨てていた。これは知性ではなく本能。なにやら食べにくい(・・・・・)餌よりも、より上等な質を求めた故だ。

 そしてそれは図らずとも澪霞の更なる隙を生んだ。

 

「荒谷君ッ」

 

 投げ捨てられた体が地面をバウンドし、川に落ちるよりも早く澪霞が流斗の身体を受け止めていた。当然言うまでもなく体格的には澪霞のほうが小さく、流斗を受け止めれば両手や視界は制限される。

 見逃さない。

 

「くっ……!」

 

 流斗を前にしていた時とは明らかに質が違う咆哮と共に灰狼が飛びかかった。澪霞の腕をよりも太そうな巨大な爪。それが迫る。回避は間に合わない。右腕で流斗を抱えつつ、左手で袖に仕込んだ符を抜いた。

 『守護』。

 掲げ、白い膜の様なものが眼前に出現し、

 

「――!」

 

 激突。一瞬停止し、弾かれ合う。灰狼と流斗を抱えた澪霞が互いに距離を取り、川を挟んで対峙する。

 

「……」

 

 灰狼が唸りをあげ、それを睨みつけながら脈を取り呼吸を確かめる。

 無くなってはない。

 意識はないし右肩の出血は少なくないが、それでもアレに喰らいつかれたと考えれば軽傷だ。身体も冷えているが、問題ない。仮にも『神憑』なのだ。

 死んでない。

 少なくともまだ。

 

「――させるわけが、ない」

 

 死なせるわけがない。

 ポーチの中から『治癒』『結界』『守護』と書かれた符を取り出し三枚重ねて流斗の身体に貼り付ける。そうすることで彼を中心にして傷の治癒と外敵からの守護、どちらの効果をも持つ結界が張られた。これなら数回程度ならばあの灰狼の攻撃を喰らっても完全に防ぐだろう。

 

「Gruuu……!」

 

 その間にも灰狼が新たな動きを見せた。身を沈めたが、飛びかかったわけではない。全身に浮かぶ黒い靄。それが口の中に集まり、

 

「Gaaa!!」

 

 弾丸として射出した。それ自体が音速を軽く超え、車の一つや二つならば容易く粉砕する威力を持った獣の咆哮。大きさはバスケットボールより二回り程も大きく、それが五つ。

 全て澪霞へと降り注いで川岸の大地が炸裂し、土や水が巻き上がった。灰狼の感覚ですら見失ったが確かに必殺の威力を持つ。

 当然それは相手が唯の人間の場合はである話だ。

 

「揺蕩え――月讀」

 

 眩い白光が周囲の全てを薙ぎ払う。夜の世界を染める白い閃光。灰狼すらも怯んだように目を伏せ、身を縮めるほど。発生源は言うまでもなく澪霞だ。純白の、明るく輝く月の様な光。服や髪マフラーには帯電するようにスパークが弾け、周囲に旋風が吹き抜ける。右手には灰狼の咆撃を断ち切ったであろう小太刀。黒い漆塗りの柄に、白く染まった刀身。そして右手は無手。

 何も握っていないが、だらりと下がった左手とは対照的に灰狼へと淡く開いた平手が向けられ――握りしめるのと同時に、川の水が槍襖のように形を成して飛散した。

 

「……!?」

 

「――」

 

 驚愕を浮かべ瞳を見開く灰狼に言うことはない。

 必要ない。

 どうせ殺すのだから。

 

 




台詞がないのが決め台詞。
珍しいのだろうか。

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