斯く想う故我在り   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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プロミス・マイ・ハート

 

 その日、流斗は学校を休んだ。

 昨夜巨大な狼の化け物と少年漫画的展開を繰り広げ、一度は死にかけた経験をしつつ、終わってみればほとんど外傷はなかったけれど、精神的な疲労は確かに存在していた。喧嘩をしたことがないというわけではないし、ここ数日は駆に稽古を付けてもらっていたのでそれなりの心構えはあったつもりだったが実際にああいう死地に立つというのは筆舌にし難い経験だった。

 怖かったと今更震えてくるかと思えば、あんなものかと物足りなく感じる自分もいる。

 目を閉じればあのなんだかよくわからない化物の姿が瞼の裏に浮かぶ。凡そ自然界の存在するはずがない巨体、さらには口から破壊の塊を吐きだすという異常。できることなら二度と遭遇したくない。

 できることなら。

 できないと思うけど。

 昨日までのこちら側は既に向こう側で、昨日までの向こう側は既にこちら側なのだから。

 後戻りは――できない。

 

「……はぁ」

 

 そんなことを流斗はずっと考えていた。考えすぎてて堂々巡りしている。 

 昨夜家にたどり着いたのは真夜中で、それからあったことを駆に話して眠ったのが一時前。目が覚めた時は十二時を過ぎていた。母親には駆と沙姫が話を付けてくれていたらしく――どんな話かは聞いていないが――起こされることもなかった。つまり駆の欠席は自発的なものではなかったが、例え朝いつも通りに起きていても学校に行くことはなかっただろう。

 そんなコンディションではない。

 目覚めてから飲まず食わずでベッドに寝転がって天井を見上げながら、ひたすら思考を繰り返すだけだ。人生でこれ以上ないというくらいに混乱している。

 いやそれ以上に学校に行けば彼女と顔を合わせるかもしれない。

 彼女と会えば今流斗の心中を占める感情が爆発してしまいそうで、そんなことになったら自分は全正気でいられなくなるであろうということを自覚している。自覚してしまった。少なくとも学校で会う訳にはいかない。

 そう考えると金曜日が過ぎれば土日休日なのはありがたい。三日もあれば少しくらいは収まるはずだ。

 そうして葛藤し、混乱し、動揺している流斗であった。

 

「や、暇そうだね青少年」

 

 しかしそれは沙姫のように第三者から見れば昼昼に起きて、学校をさぼって、何もしない暇人にしか見えなかった。沙姫も駆も流斗に思うところがあるとは解っているが、しかし今の彼程度の悩みなどこの二人からすれば悩みですらない。

 

「……」

 

「無視は酷いね」

 

「……駆さんは」

 

「ん、お風呂掃除」

 

「……は?」

 

「だからお風呂掃除してるよ。タオル頭に巻いて、君のお父さんのタンクトップにジャージ姿でお風呂掃除中」

 

「なんでまた」

 

「そりゃあ一宿一飯というか一週宿一週飯の恩だからね。掃除くらいするというか、解りやすいお礼が掃除だからね」

 

「……あの人掃除得意なのか」

 

「掃除が得意という訳じゃないけど集中力と根気は人何十倍だから。今頃体を動かしつつも次の行動とか考えてるんじゃないかな」

 

「ふうん……」

 

 家が綺麗になるというは悪いことではないので、むしろ歓迎したいのでいいけれど。ただあの男が先の言った通りの恰好で風呂掃除をしていると思ったら少し笑えてくる。

 

「それで? 何をどう悩んでるのかな、おねーさんに相談してみたら?」

 

「……」

 

「なにその嫌そうな顔」

 

「……半年くらい前に人の悩みを中二病の思春期だとばっさり斬り捨ててくれた俺の大好きな親友と全く同じような顔をしてるからだよ」

 

「それは私の知ったことじゃないなぁ」

 

 けれど流斗からすれば軽いトラウマだ。

 正直な所放っておいて欲しいのだが、言っても聞かないだろう。というか既に椅子に座って話を聞く気全開である。

 

「ほんと、いい性格してるよ……」

 

「褒め言葉として受け取っておくよー。それで?」

 

「それでって、言われてもなぁ」

 

 話すようなことではないと思う。態々他人に話すような話ではない。今流斗が抱えている感情は、流斗自身にしてみればどうしようもない衝動ではあるが、それが他人には理解してくれないものであろうことはよく解っている。実際、これまで何にでも手を出すという流斗の悪癖が奇異の目で見られたのは少なくない。

 元々『神憑』として自覚するまでがそうだったのだ。

 今となってはこの心象を他人に吐いてどうこうなるものではない。

 

「今、自分の気持ちを他人に話しても意味ないとかそんなこと考えなかった?」

 

「……」

 

「あぁ、別に顔に出てるとかじゃないからそんな嫌そうな顔しない、あ、こら、顔を逸らさない」

 

 色々嫌になって寝返りを打って背中を向けようかと思ったが、先に言われたので渋々動きを止める。ついでにこれはもう会話無視なんてことはできなさそうだから起き上がって胡坐をかく。そんな流斗に沙姫はよしよしと頷きながら言葉を続けた。

 

「やっぱり男の子ってことなのかな。駆君も昔そんな風だったからね、なんとなくわかるんだよ。あとはそうだね……男が女に弱音を吐くの恰好悪いとか思ってるんじゃないかな」

 

「……」

 

 腹の立つことに――間違っていない。

 くすくすと沙姫は笑う。

 

「確かに、私に君の葛藤なんか話されても理解することなんてできない。ううん、私だけじゃなくて、地球の、宇宙の誰であろうと今の君の心境を理解することができる人なんて永遠に現われることはないだろうね。それが『神憑』っていうものだから」

 

 笑みを浮かべながらも沙姫は知ったようなことを流斗へ語る。

 それは初めて会った時に流斗が感じた印象とはかけ離れていた。あの夜、月に照らされたぞっつするくらいな瑠璃色の彼女を見て、美人薄命という言葉が脳裏を過った。今だって雪城沙姫が驚くほどの美人であることには間違いない。

 儚げな、今にも消えてしまいそうな季節外れの遅雪の様な雰囲気だって消えていない。

 それなのに、どうしてだろう。

 雪城沙姫という存在が恐ろしいほどに底知れない、例えば自分や白詠澪霞なんて比べ物にならない心象を抱えているのではないかと思った。

 知ったようなことは、知りすぎていて彼女からすれば下らないものではないかと言わんばかりで、表わしにくい感情が流斗の中に生じてくる。

 

「……っ」

 

「ん、どうかした?」

 

「な、なんでもない」

 

「そう、じゃあ話を続けようかな。まぁ、つまり君はこれから先何年生きようが永久に一人ぼっちだ。同類なんてのは存在しない。『神憑』なんて括られてるけどそんなのって一人一人が哺乳類とか爬虫類とかそのくらいの差異がある。『神憑』っていう括りは世界中に何十人くらいしかいないらしいけど、その何十人は一人一人が全然違う生物なんだよ。現時点で成り立ての君でさえナンバーワンではないけどオンリーワンではある」

 

「……何が言いたいんだ」

 

「でもね、そんなのは誰だって同じなんだよ。矛盾するようなことを言うけれど『神憑』だとしてもただの人間だとしてもそれ以外だとしても皆が皆がオンリーワンなんだ。同じ存在なんていない。それは相似であっても同じじゃない。誰かと誰かが当たり前のように一緒だなんて、幻想なんだよ」

 

「……」

 

「だからね、流斗君。もし君が誰かと関わろうとした時は自分の気持ちを全部伝えなきゃだめだよ。解ってくれるだなんて傲慢だ。解ってもらいたかったら、歩みよならきゃいけない。心を繋げたかったら、せめて自分から手を差し出さなきゃいけない」

 

「自分から、手を――」

 

「と、いうわけで流斗君」

 

 名前を呼んで椅子に座っていた沙姫は身を乗り出しながら手を差し出した。

 手、正確に言えば小指である。

 

「約束しようか。いつか君が心を繋げたい相手に出逢えた時に躊躇わないって」

 

「……え、なんで」

 

「なんでもないから。別にちょっとした口約束だし気にしないでいいよ。今この場でして明日には忘れてもいいしね」

 

 それは約束を行う意味があるのか激しく謎だったが、そこまで言うくらいならと自分の小指を差し出した。

 自分の無骨な指と沙姫の細い小指が絡まるのを見て正直ドキっとした。びっくりするくらいに柔らかい。こんな所を駆に見られたら殺されるんじゃないかなぁとぼんやり思った。

 

「んじゃ、指きりげんまん嘘ついたら――五臓六腑をまき散らしながら生まれてきたことを後悔する苦痛を無限味わいながらも約束を果たすまで死ーねない!」

 

「こっわ!」

 

 そんな風に軽いノリというか冗談半分で交わされた約束であったがしかしこの時流斗はもう少し考えるべきだった。澪霞から津崎駆の人間離れした戦闘力を聞き、彼に護られながらも、共に護国課に追われている雪城沙姫という存在についてもう少し思考を巡らせるべきだったのである。

 そんか彼女がただの美人であるわけがなく、異常性を見せないことについてこの時、自分のことについて掛かりきりだった流斗は考えられなかった。もしこの時彼が雪城沙姫という存在について質問し、例え答えが得られることはなくても少しでも不審に、或は疑問を持てばその約束は有耶無耶のうちに回避できたかもしれないのだから。

 少なくも。

 その約束はそれから先の荒谷流斗の人間関係について確実な影響を及ぼすことになるのである。

 それを荒谷流斗は気づかない。

 それを雪城沙姫は――解っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 白詠澪霞は肩までたっぷりと湯に浸かりながら息を長く吐きだした。熱めお湯は澪霞の肌を赤く染めている。元々の肌が白いからこそ解りやすい。同じく純白の髪もしっとりと濡れて彼女の肌に張り付いていた。人形のように整った顔立ちの彼女であってもこうして顔や体を火照らせた姿は人間のものだ。異性も、同性でさえも思わず息を呑むであろう。

 彼女の家の浴室はそれほど広くはない。小柄な澪霞には余裕はかなりあるし、大柄な成人男性が足や手を伸ばしても余裕はあるが、屋敷の全体から見れば以外と面積を取っていないのだ。漫画や小説に出てくるお金持ちの家の何人もが一度に入れる広さは出ない。

 三人四人くらいの親子がゆったりできる家族風呂、そんな風に澪霞は思う。

 澪霞にはそんな風に一緒にお風呂に入る両親はいないのだけれど。

 広さはともかく、浴室自体の質は高い。浴槽は檜製であり、純和風の家ではあるが水道の設備などは最新式のそれだ。一級の旅館の風呂と言っても通じるだろう。

 だからこそ澪霞にとっては数少ない気を抜ける場所だった。昼間ならば使用人の類は何人かいるし、夕方でも食事を作る人は何人か残るが流石に風呂場まで介入されることはない。一人で考えことをする環境には持って来いなのだ。

 

「……疲れた」

 

 そんな風に自分の疲労を漏らすのも場所故である。少なくとも彼女は他人の前や学校では弱音や泣き言、もっといえば感情を表すようなことは絶対に言わない。そもそも感情表現自体が苦手なのだから。

 澪霞もまた今日は学校は休んでいた。

 それ自体は珍しいことではない。対外的にはアルビノ体質で体が弱いことになっていて、体育も見学が基本だし体調不良ということで休むことも多いが実際は白詠家の長女としての仕事や護国課から依頼された妖魔の討伐依頼をこなしている。当然、『神憑』であるので普通の人間とは比べ物にならないほどに頑丈である。

 それでも今日の疲労は普段の比ではなかった。

 まず昨夜の妖魔について態々数時間かけて――澪霞自身は車に乗っていただけだが――護国課本部まで赴き報告を行った。事前の情報よりも明らかに強度を増し、高度な学習能力までも備えていたあの灰狼は通常の妖魔では在りえない生態であったからこそ、実際に対峙した澪霞の直接報告が必要だった。そのせいで今日一日が潰れたわけであり、彼女の疲労の半分ほどもそれが原因だった。護国課は白詠海厳にとっては古巣の様なものだが、嘱託扱い――つまりは正規の所属ではない澪霞からすれば居心地がいいというわけではないのだ。どうしたって必要以上に精神を消費してしまう。祖父の七光りで我が物顔でいられるほど彼女は恥知らずではない。

 おまけに現在澪霞が津崎駆と交戦中ということもあってかなりの好奇の目で見られた。注目することは慣れている、或は慣れざるを得なかった彼女だが目立つのは好まない。それもまた疲れの一因だ。

 津崎駆というのはそれくらいに有名なのである。

 有名どころか知らない者はいない。

 護国課では危険度戦闘力最大の『イ級』であるし、日本以外の各国勢力に於いても同様の格付けがされている。もし地球上で手を出すべきではない者を選ぶとしたら三本の指に入るではないかというのは専らの噂だ。

 そんな相手に自分は手を出しているのだから笑えないのだが。

 元より自分がどうにかできる相手でもないというのは解っている。

 自分の津崎駆の討伐捕獲の任を課した祖父だって、まさか澪霞がそれを完遂できるとは思っていないはずだし、自分の経験の為ということのはずだ。実際、自分よりも遥か格上の相手に対してどのように戦うのかということ関しては得難い経験になったと思う。

 それは思う。

 ありがたいとすら思っている。

 それでも――こんなことに関わらなければよかったとも思っていた。

 

「荒谷――流斗」

 

 思わず緩んでいた口から彼の名前が零れ、

 

「っ」

 

 風呂水を顔に叩き付けた。

 

「…………」

 

 滴り落ちる雫は形のいい顎を通って、再び水面へと落ちていく。

 どうにも抑えきれない感情が胸に中に溢れているのを自覚する。感情表現が苦手だとしても、それはつまり感情がないというわけではない。寧ろ――他人は絶対に同意などしてくれないだろうが――自分は感情が強い方だと思っている。感情を見せないだけで、ないことはない。雪城沙姫が荒谷流斗に語ったことはまさしくその通りなのだ。

 そして今、確かに存在する感情が暴れている。

 あの彼と顔を合わせれば、それが抑えきれずに爆発するということも。

 正直護国課の本部行くことになった時は流斗と会わなくていいからほっとしてしまった。

 勿論こんな安心はなんてものは時間稼ぎに過ぎないのは解っているのだが。

 海厳から与えられている期限はもうない。明日か、せめて明後日までには彼を説得しなければならない。

 

「やらな、くちゃ――」

 

 どんな無理難題であろうとも白詠の娘としての役目を果たすというのは幼いころから、誰に言われることもなく定めた規律なのだ。これまで一度も背いたつもりはない。だから今回だって同じようにすればいい。

 いいはずだ。

 いいはずだけれど――。

 

「……あぁ」

 

 無理だろうなぁと澪霞は他人事ように思った。

 他の誰でもない、自分のことなのに。

 




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