思った通りに、或は思わぬ通りに彼女は流斗の前に現れた。
特に何かをしていたという自覚はない。結局駆に言われるがままに、帰宅してから家族二人と居候二人と食卓を囲み、夜も更けきってから家を出てこの公園に訪れたが、それだけだ。何かしらの気配とか波動とか周波数とか、そういう自分の存在を察知させるようなものを発しているつもりはなかった。やり方が解らなかったというのもある。荒谷流斗が発言させた異能とやらはそういう類の応用が使えない。だからそもそもできない、というのもあった。でもそれ以上に来てほしくなかったというのもあるかもしれない。このまま誰も来ず、何も起きず、ただ時間が過ぎてくれればいいとさえ思っていたかもしれない。それでよかった。気温は低くても寒さは感じないし、何時間か立ち尽くして、朝になって、家に帰れば母親しかいなくて当たり前の日常が帰ってくる。最もほんの僅かといえども流斗は踏み込んでしまった。
もう向こう側はこちら側で。
もうこちら側は向こう側なのだから。
昼にでも生徒会に行って、先輩に頭を下げればそれなりの処遇を受けさせてくれただろう。こうしておあつらえたように他人に整えられられた場を超えれば、通り過ぎてしまえば、感情が抑えることができて普通に会話ができるかもしれないと。あるいはそれを切っ掛けにして自分が少しくらいは大人になれていくのかもしれないと。そんな淡い希望すらもあった。何が変わるのか、そもそも変化があるのもかもすら解らないけど、タイミングというのは重要だし、それを逃してしまえば有耶無耶のうちに流れていくかもしれない。例えそんな風でも過ぎてしまえばそれでよかった。受け入れて、受け流していくことが大人になることではないのだろうか。よく解らないけれど。
少なくともこの時を流せば、流斗は我慢を覚えたはずだった。
けれど彼女は現れた。
荒谷流斗は白詠澪霞と邂逅した。
いつもと変わらないように見えた。人形染みた、人間離れした銀色の少女。学校のブレザータイプの制服に口元を覆う白いマフラー。それに加えて腰にはウェストポーチと細長い棒状の物が背には見えた。木曜日の深夜にあの狼の化物と戦っていた時と同じ恰好だ。
その表情もまた何の色も見せない。一昨日までは彼女がなにを考えているのか流斗には何も解らなくて、何かを考えているのかも疑問だった。勿論人である以上全くないなんてことはなく、単純に流斗の観察眼の問題だっただろう。それを責めるのは酷な話だ。白詠澪霞の精神を読み切っている存在などそうはいない。実の祖父でさえ――面白がってその気がないというのが大きいが――彼女がその根底を理解しきれていない。精神の外壁、側の強度ということに関しては澪霞は十代の少女には有るまじき在り方だった。
でも、今の流斗には解ってしまう。
「……なぁ、先輩」
ポツリと漏らした声はそれまでよりも随分と砕けた口調の言葉だった。流石に苗字や名前を呼び捨てするのは気が引けたが、もう気遣う余裕なんてなかった。爆発しそうな思いを整えるので精一杯、可能な限り抑揚を押さえ、言葉は平坦になってしまう。
呼びかけから言葉を続けようとして、
「…………あぁ、くそ。言葉が出てこねぇよ」
結局相応しい言葉なんて見つからなくて悪態しか付けなかった。思わず髪を掻き毟る。自分でもらしくない仕草だと思う。こんな動きを普段の自分はしなかった。それでもそういう普段のことなんて
そんな様の流斗に対し、意外にも澪霞が口を開いた。
「……君は」
「あ?」
「君はどうして来たの?」
「……」
問いかけとしてはあまりにも今更な問いだった。それに意味なんてあってもなくても同じことは二人とも解っているだろうに。それでも澪霞が問いかけたのはなけなしの理性だったのだろう。
クールダウンを試みたというわけだ。
「……あぁ、そうっすね。来た理由は、まぁ時間稼ぎって奴かな。ここでアンタを引き付ける間に駆さんたちがこの街を脱出する。大体そんな感じの筋書きらしいすよ。今頃街で出てんじゃないすかね」
「……そう、そう。そんなことだろうかなと思った」
目を伏せながらの頷きはただの確認だった。この公園で彼が待ち構えているのは明白だった。異端の存在は往々にして自ずと自分の存在を隠すような術を身に着けていく。先日の妖魔にしても発生してそれほど時間は経っていないはずだが気配を隠していて町中を駆け巡る羽目になったのだ。しかし今の流斗はそんな術を持っていない。異端であるが故に周囲との齟齬が生じるが、それを誤魔化せていない。一般人ならばともかく、裏側の人間ならば解りやすぎる。
おびき出されているのは解っていた。
解っていたが――来た。
「一応聞いときますけど、あの人たちはどうなるんすかね」
「この街から出れば白詠の力は届かなくなる。少なくとも今日明日までは『護国課』の介入はないだろうけど、街の外は別。高位の陰陽師が捕縛に動くはず……意味があるかはともかく」
「あぁ、やっぱ無理っすかね」
澪霞は小さく頷き、
「『天香々背男』って知ってる?」
「……聞いたことないっすね」
「あまり有名ではないけれど日本神話、日本書紀に出てくる神格。細かい話をすればキリがないけれど、芦原中国平定において最後まで屈服しなかった星の神。武御雷や経津主のような軍神や剣神が最後まで倒すことができなかった日本における最強の神格で、まつろわぬ金星なんて呼ばれていた」
「……恰好いいすね」
「最も実際はそういう星を信仰する人々が当時の政権に服従しなかったことが表わされているということらしいけれど」
「夢の無い話になりましたね」
「神話なんてそんなもの――それでも、そういった信仰は確かにあった。決して屈せず、負けず、己の意思を貫き通し戦うことを諦めてないという神は確かに信じられていた」
そしてそれこそが、
「津崎駆、その神威こそが『天香々背男』。あれを戦闘で降すのは不可能に近い」
「? でもそういう神様の種類とか本人の強さにはあんま関係ないって話じゃあ」
「その通り。憑いた神と憑かれた人間の強度は比例しない。彼の場合は彼自身と神格の両方が規格外だっただけ」
「うわー思い切りチート存在、てかそうやって解ってるのに手出すんすか?」
「……少なくとも今は最弱状態だから」
「ふぅん」
まぁ流斗には知らないことが色々あるのだろう。正直もう関係のない話だ。もう二度と会うこともないだろう。そう考えると変な気分だが、別に執着もない。
ただ、今の話で気になること自体はあった。
「なら……その神様の種類は関係あるって?」
津崎駆が『天香々背男』が他者に屈しないという共通点があるのならば。
流斗や澪霞もまたそうであるはずだ。
「だったら――なんでアンタは
思い返されるのは二度だけ、それもまともに見ていたのは一回だけという情報量として実に少ないがそれでも目に焼き付いている。刃に纏う雷。槍衾のように動く水。身体を押し出す風。効果が一定していない。精神に直結する『神憑』に於いて二つ以上の特性を持つのは非常に稀だ。なぜならばそれが表わすのは根源的な精神がそれだけ派生していること。能力が変化していくのは無きにしも非ずらしいが、最初から複数の能力であるということは、それだけ精神が一定していないということ。
「ふざけんなくそったれ」
おいおい、それはおかしいだろ。それは違う。俺の知ってる白詠澪霞はそんな存在じゃないはずだ。そんな訳の分からん力を何種類も持っていて、定まっていないようなキャラじゃないはずだろう。あの時見て、感じて、解ってしまった、アンタが求めていることを。知りたくなかった。知って愕然とした。馬鹿げてる。ふざけんなと叫びたい。だってそんなの、
「――
そう、荒谷流斗は白詠澪霞に憧れていた。
彼の願いは揺らがない人間でありたいということ。周囲の環境や関係がなんであろうとも、絶対に揺らがない信念が欲しかった。そう思ってこれまで生きて来た。そう考えずに生きる自分というのは今の自分では考えられないほどで、その在り方を変えていく気なんてなかった。
勿論、それは自分にはないもので、無い物ねだりということは親友に指摘され思い知った。
自分ではない。
ならば誰か。
それが――彼女だったのだ。
流斗の知る限り誰よりも自分というものを持っていた。白詠という大きな家の娘として生まれ、その役目を自分の意思でまっとうしていた。生徒会長を務め、見事学園を率いている。会話と呼べる会話をしたのは一週間前が初めてだったが、その存在自体はずっと前から知っていた。整い過ぎた容姿の中で支持は集めていても人望や人気は少ない。流斗はその少数派だった。
だからこそ許せなかった。
澪霞の異能の発現を通して、そこに込められた彼女の祈りに気づいた時。
感情の蓋が消え、抑えていた精神の箍が外れていく。そしてその激昂はそのまま現実を浸食し始める。感情が高ぶれば昂るほど『神憑』としての性質故に存在強度は上がり、周囲の空間とのズレは加速していく。それによって周囲に旋風が巻き起こり髪や服を揺らし始めた。勢いは加速度的に増していた。
そして世界のズレはもう一つ。
「……いで」
「……ないで」
発生源は言うまでもない。
「……ふざけ、ないで」
言葉に初めて解りやすいほどの感情が乗った。怒り、憤怒、拒絶、嚇怒――表わす言葉は数あれど、感情の高ぶりには変わらない。感情を見せない人形のような少女。そんな風に呼ばれ、見られ、口にされてきたけれど、そんなわけがなく、その証が今明確に表れていた。
「私は――」
澪霞もまた、流斗と同じだった。
「私は――自由でありたかった」
自由気ままな人でありたかった。白詠の家として生まれたことは疎んでいたわけではない。それでも、あくまでそれは用意されていたレールであって、自分が選んだものを自分の自由で選びたいと思っていたのだ。
「ふざけんなもくそったれも私の台詞。何よ、それ。憧れなんて馬鹿みたい。私のほうが、貴方に憧れていたのに――!」
それを彼女が知る誰よりも体現していたのが荒谷流斗だったのだ。何事にも囚われず我が道を往く風来坊。色んなことを好きなように行って、それを楽しんでいる姿は澪霞にとっては堪らなく眩しかった。それなのに、彼の願いは知った。知ってしまった。
誰よりも確かな芯を持っていた人がそれを否定していた。
誰よりも自由だと思っていた人がそうであることを嫌っていた。
裏切られたと思った。理不尽な感情だと自覚していてもその想いを止めることはできない。互い理想を押し付け合って、現実と理想が違ったから癇癪を起すなんてまるっきり子供のよう。それでも感情はブレーキを知らなかった。最早互いの言葉なんて耳に届いていない。
自分に憧れていた? なんだそれは馬鹿じゃないのか。自分みたいに憧れていたんて、そっちの方がずっと凄くて綺麗で素晴らしいのに。こんなどうしようもない俺/私なんて、アンタ/君に比べれば塵芥に等しいのだから――!
二つの感情はあまりにも容易く臨界を迎えた。
「我は羽々斬る叢雲の颶風――」
「其は囚われぬ惑いの灯――」
『神憑』を指して誰かが言った。
それはまるで奇跡のような存在だと。
それはまるで哀れな自殺志願者だと。
それはまるで出来の悪い悪夢だと。
それはまるでこの世で最も愉快だと。
例えば、家族を守るという願いを持った『神憑』がいたとしよう。そして彼ないし彼女が、その家族と世界をどちらかを犠牲にするという選択肢を迫られたとしよう。この場合大抵の場合は当然世界を選ぶ。場合によってはどちらも選ぼうと画策するだろうが、現実的に考えて世界を選ぶしかない。もしもそれがドラマや小説だったならばヒーローが現れ何もかも解決してどっちも救ってくれるかもしれない。
しかし『神憑』の場合、選択の余地はない。
一切の呵責も、全ての迷いもなく、『神憑』は自分の大切なものを選ぶ。選ぶことができる。良心とか倫理とか常識とか、本来加味されるはずの今の世に生きる人間ならばあってしかるべき要素がごっそり抜け落ちている。選べる選べないではない。選んでしまうのだ。行動してしまうのだ。自分のしたいことをそのまま実行する。
例え相手が自分の理想であろうとも、その理想が間違っていると思ったのなら――止めようとしてしまう。
そして叫ぶ神の名にはありったけの感情と激情を込めて。もうお互い以外の何もかもはなかった。『陰陽寮』も『護国課』も津崎駆も雪城沙姫も知ったことか。己にとって目の前の相手程掛け替えのない存在はいない。
暴風が吹き荒れ、閃光が弾けていく。
「荒べ、素戔嗚――!」
「揺蕩え、月讀――!」
流斗に外見上の変化はない。それでもただひたすらに存在の強度が上がっていくことで周囲の空間は軋み、風が吹き荒れる。澪霞もまた全身が白光に包まれ、各部にスパークが弾ける。それ自体はそれまでと同じ。
ただ、それまでとの強度が違っていた。
目の前に流斗が、澪霞がいることでかつてなく魂は絶叫しているのだから当然だ。
流斗の握りしめた拳は金剛石よりも硬く、あらゆる干渉を拒絶する。纏う雷光は留まらない。雷だけではなく、時に風に、時に液体となって澪霞の意のままになる。
「知らないなんて言うかよ。白詠澪霞――アンタだけには絶対に言わない。俺みたいな石ころに憧れてるなんて、放っておけるかよ」
足を踏み出しながら放った言葉に澪霞も応える。
言葉は必要だ。他の誰でもない、彼に対してだけは。
「それはこっちの台詞。荒谷流斗――私みたいな人形に憧れてるだなんて言わないで。訂正するまで、許さない」
好感度なんて最初からMAXが私の基本だ!(
一応最初からそれっぽいのを入れてきたのでそのうち晒したい。
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