白詠澪霞は自分がコミュニケーション障害であることを自覚している。
他人が嫌いとか人間不信とかではないし、人付き合いを煩わしいと思って言るわけでもない。学校では他の生徒から距離を置かれている自覚はあるが、自分から遠ざけたこともなかった。確かに『護国課』からの依頼や市内の妖魔討伐のせいで交流が持てなかったり、『神憑』としての過剰な身体能力で――勿論制御は完璧だが万が一の為――他の生徒を傷つけない為に体育の授業は控えている。それに澪霞自身身体を動かすのは嫌いではないので、無理にセーブするのは結構なストレスなのだ。
ただそれでも、やはり人付き合いが下手なのは否めない。生来会話が苦手だし、騒がしいのも得意ではなかった。それに他人が嫌いではなくと必要でなければ、いなくてもよかった。その上で大分器用だったし、要領も良かったので大体ことは一人でできた。その上で表情がほとんど変わらないから距離を置かれ、それでいいやと思うからまた距離が空き、その距離のせいでまた交流が減るという悪循環のせいでコミュニケーション能力は実に低い。此方側関係になれば数人程度の友人知人がいるのだけれど。
だからこそ、
「あ、そっちの梅干取ってくれるかな?」
「……」
距離感を無視しながら笑いかけてくる雪城沙姫に戸惑っていた。道場を後にしてから母屋にある風呂で軽く汗を流し終ってから調理場に行けば、既に彼女はいた。そうしたらあれよあれよと朝食を作るのに参加していたのだ。別に難しいものを作っていない。汗を多く流す激しい動きの後には食べ物は喉を通りにくい。だから少し塩分強めの握り飯を幾つか。具は適当にあるものを。使用人もいることはいるが、自分でもできるので問題ない。
なのに、今沙姫が隣で自分と同じように米を握っている。
外見は和風の屋敷だが、勿論キッチンまでもが囲炉裏や竈で作っているわけではない。普通にオール電化のシステムキッチンである。そこに二人並んでいたのである。
「……どうぞ」
「ありがとー」
雪城沙姫。
彼女について思うことはない。
澪霞自身、彼女がどういう存在かは知っている。津崎駆と同等、ある意味ではそれ以上に此方側の世界で名を知られている沙姫のことは知らないわけがなかったし、先月の時点で元々知っている上で、もう一度調べたのだから。
季節外れの新雪のような女。
まつろわぬ星光に守護される歌姫。
それらを知った上で、澪霞は特に思うことはない。『神憑』なんてそんなものだ。他人がどうであろうと、自分の在り方に干渉してこないのならば稀代の聖人であろうと大罪人であっても変わらない。
だから駆と海厳の契約において、彼が自分に鍛錬を付けるというのは寧ろ望むところだった。けれど、雪城沙姫に関しては――どうにも解らない。思うところがないというよりは、どう接していいか困惑しているという所。
距離はあるはずなのに、彼女はそれを無視して近づいてくる。こうして、朝食を作っている時に乱入してくるのも初めてではない。
別に困っているわけではないのだが。
ともあれ会話は最低限、無言のままに白米を握り、
「そういえば流斗君とどこまで行ったの?」
そのまま握り潰した。
「あらら」
「……なにを」
掌の中で米粒が潰れたのかべちゃりとした感触があるが、そんなのことは気にならなかった。今言われたことの方が問題だ。
「一体、何の話を」
「え、付き合ってるんじゃないの?」
「……」
手の中でなにやら形容し難い形状になってしまったが気にしない。
「どこで、誰が、そんなことを」
「保健室登校の子とかその子に会い来る委員長キャラの子とかよく怪我するやんちゃな子とか結構いるからね。冬休み挟んだから実際に努めてたのはひと月分もないけど、二人とも有名人だから噂はあるよ。聞く?」
「…………結構です」
まぁ確かに。
自分たちの事情などは、学校の生徒は知らないのだ。何人かは関係者はいるにしても、ほぼ全ての生徒は向こう側の一般人。
その上で考えてみる。
これまで役員を必要としてこなかった自分がいきなり彼を庶務に任命し、冬休みの間や三学期始まってからも昼や放課後行動を共にしていれば
「別に、そういうのじゃありませんから」
「でも流斗君のことすっごい憧れてたんでしょ?」
「……」
「それは……それは」
聞かれたくないことをあっさりと聞いてくる。
確かにそうだ。結局先月の一件はその想いが全てだったと、今更ながらに澪霞は思っているし、彼だって同じようなものだろう。駆や沙姫の存在はただの引き金でしかなかったと思う。
だとしても、
「それは、違います。憧れを抱いていたのは事実でも、そういうのとは別ですから」
「……ふぅん」
「なんですか」
「なんでもないよ。ほら、手を動かそう? そろそろ駆君たちも来るんじゃないかな。……それにしてもここでその無表情崩して顔真っ赤にしてくれたら面白いんだけどなぁ」
「聞こえてます」
「あははー」
結構面倒な性格をしている、と澪霞は思った。つかみどころがないというか強かというか。そのあたり、流斗の沙姫に対する評価と同じである。
勿論それは澪霞も、沙姫だって気付ていないが。所か、駆以外は大体そんな評価なのだが。
「話は変わるけどさぁ、今週末……というかもう明後日だよね? テスト」
「そんな学校の感覚みたいに言われると困りますけど、そうです」
等級考査。読んで字の通り。日本の此方側に所属するほとんどの人間が受けている等級を決める試験だ。『護国課』や『陰陽術』に所属する者ならばある程度の制約があるが任意で受けることができる。所属していなければ実績や戦闘力、危険度から概算されることになる。
それを澪霞はすぐ近くに控えていた。
「自信のほうはどうかな?」
「問題ありません」
即答だ。
淀みのなく答えながら、新しく手の中に白米を載せ、鮭の切身を押し込みながら形を作っていく。もう十を超えたが、それほど大きいわけではないし、男二人がいるのだから二十近くはいるだろう。
「言い切るねぇ」
「自信はあります。元より、『ハ級』程度の戦闘力はあるつもりでしたし、その上で津崎さんからの教導を受けているので戦闘分野に関しては万全です。学科に関しても先月から準備してます」
「……あぁそっか。そういえばペーパーもあるんだっけ」
「えぇ。場合によってはどちらかだけということもあります。それに『護国課』では倫理感に関する試験もあります。私は『神憑』なので倫理は免除ですが」
学科は学校でやるような英語や数学ではなくて、ある状況下においてはどのような選択をするのか、以下のような現象の原因の候補にはなにがあるか、というマニュアル的なもの。倫理は一般人に手を出さない、国を護る為のにはどうするべきか、というのが問われる。
「私の友達も、昔学科とかで苦労してたかなぁ。倫理は……どうだったろう」
「まぁ、学科は覚えておかないと死ぬレベルがほとんどで、等級が上がれば上がるほど意味のないものになっていきますけどね。倫理に関しても、まともに受けて実戦している人は極稀です」
「じゃあなんでそんなものを? ぶっちゃけいらないよね、こっち側にいる時点で道徳なんてあってないようなものじゃない、私が言うのもなんだけど」
「お爺様が言うにはそういった規範がなければ『陰陽寮』と同じになってしまうからと。それに……」
「それに?」
「……ありもしないからこそ、尊ぶべきだと。そう言っていました」
「――なるほど、達見だ」
澪霞もそう思う。『神憑』の自分は猶更。だから、例え倫理の試験があったとしても合格に問題ないようにはしている。倫理や道徳に従う気は欠片もないが、そういうことを知っておくことこそが肝要だと、今は思う。
「でも、試験の合格自体は確定なわけだ」
「……直前に基準が変わらなければ。津崎さんやお爺様にもまず間違いなく行けるとは言われましたし」
「だったら――ご褒美を考えないと」
「……は?」
「ご・褒・美」
ちょっと艶っぽく言われても女同士では困る。
というか言われた意味が解らない。
「ご褒美……?」
「そう、ご褒美。だってせっかく試験があって、合格が目に見えてるんだからそれよりも前に合格祝いの約束を取り付けておかないと。何か欲しいものないの? お祖父さんとか、駆君は微妙だと思うけれど――流斗君にもね」
「だから、そういうのじゃあ」
「え? 後輩からお祝いもらうのなんて普通だよ。あれ、もしかしてそういう感じで意識しちゃってる? このこのっ」
ニヤニヤした顔で横合いから肘で小突かれてイラっとし、その行いに思い出したくもない魔女が思う浮かんでさらにイラッとして手の中のお握りの形が崩れかけた。しかしいい加減白米が勿体ないので何とか立て直した。
精神を落ち着かせながら、
「ご褒美なんて……別に欲しいものはないですし」
「いやいや、何もないこともないでしょう。なんでもいいから適当に。機会を逃さないのは大事だよ」
「……」
何の機会だ。
もう色々無視したくなったが沙姫ならば無視しても突っ込んできそうなので、手を止めて考えてみる。
それでも、
「やっぱりないですよ」
元々物欲が大きいわけでもないし、必要なものも大体揃っている。あえて言うならば先月、流斗ととの戦いで消費した符や武器の類だが、それも既に予約済みで、等級考査の時に受け取りに行くのだから問題ない。
それにそういうことを強請るようなキャラクターではないことも自覚している、のだが。
「えー、面白くないよー? なんか考えようよ!」
「……」
この妙に慣れ慣れしいキャラクターは一体どうなっているのだろうか。
美人だからそう簡単には許されない。
作られたお握りも十五、澪霞たちが握っているのも含めれば十七になった。このくらいでいいかなと思い手を止めながら、止められなさそうな会話を続けていく。
できればこんな話も止めたいけれど。
彼にも聞かれたくない。
「……雪城さんだったらこういう時どうするんですか?」
「私? んー、試験に合格くらいのご褒美……高校時代に持ち掛けた時はデート一回だったかなぁ。試験というかピアノのコンクールだったけど」
「…………参考にならないですね」
「微妙に間が長かったのは突っ込まないであげよう」
コメントに困る気づかいだった。下手に否定すると茶化してきそうだし。
手を洗って、具や皿を片付けていく。既に七時十五分ほど。普段家を出ているのが四十五分程度でだからまだ余裕はあった。表向くは病弱ということになっているので車で送迎しているのだ。
「ひのふのみの……十七個か。ちょっと多いくらいかな。そういえば昼のお弁当とか作らないの? 流斗君に作って上げたんだよね」
「そんなこと言ってませんがっ」
「否定はしないんだ」
「……違います」
「あはは」
「っ、最近は購買で菓子パンを買うことが多くなりました。貴女たちがいると時に一般の人は入れたくないので」
所謂使用人も、皆が皆此方側というわけではない。本来ならば此方側のことにも向こう側にもどちらにも適応した人物はいるのだが、その人は現在休職中で半年前程から白詠家を開けている。駆や沙姫が一般人に手を出すとは思っていないが念の為だ。
いなくても問題ないことはないし。
「どこに持ってく?」
「居間に。お茶汲むので、お握りの方持ってもらえます?」
「了解。それと、前から言おうと思ってたけど、沙姫でいいよ。敬語も無しで。流斗君だってそうでしょう?」
「……ん、解った」
向こうからそう言われたのならそうする。相手が何かの組織のお偉方ならば考えるが、あくまでも彼女は無所属なのだから。冷蔵庫から麦茶を取り、四人分のコップをお盆に乗せる。
そのまま二人で炊事場を出て、
「あ」
「……」
「よう」
「おお」
流斗や駆と遭遇した。
先ほどと服装は変わっていないが、駆が魔術で瞬間洗濯と乾燥までやったらしい。地味に澪霞も知りたいが、それは今はどうでもよくて。
「……」
「え、なんすか」
先ほど沙姫に言われたことを思い出し、
「…………はぁ」
「なぜにため息……!?」
「いろいろあるんだよ女の子には」
「あ、経験で言わせてもらうがこれは男に反論権がないパターンだな」
「えぇ……」
次話からちょっと動きます。
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