日本は良い国だな、とリルナはこの国の夜景を眺める度に思う。
夜の中で輝く電気の灯は即ちそのまま人々の営みの証であるのだから。勿論不夜の街というだけならば世界中の色々な所にあるけれど、重ねて安全であるということに関してはこの国がリルナの知る限りは最も良い国だった。
リルナ・ツツは中東の紛争地域出身だった。
別に珍しくもないよくある話だ。宗教だか何だかよく解らないけれど小難しそうな理由で国が一年中内乱をしていたのだ。両親なんかはリルナが物心ついた辺りには死んでいて、幼い彼女は当時住んでいた地域の自警団の様な――或は盗賊集団――で育って、生きて、殺されかけたり、殺したりしていたが、結局頭の悪い向こう側の馬鹿が此方側にも被害を出してリルナ以外は全滅。また別の人間に拾われて、そこから向こう側は此方側になって、よく解らないものと一緒に育って、生きて、殺されかけたり、殺したりしてきた。それから結局師とか親代わりの人間も死んで、そこそこ強くなってから『宿り木』に所属していた。
やっぱりよくあるくそったれの話。
まぁリルナの生い立ちなんでどうでもよくて、そんなしょうもない人生を送ってきたからこそリルナはこの国が好きなのだ。
命の価値が――重い。
かつての世界大戦から不戦の為に闘争から離れているからこそ、争いに極めて敏感なのだ。誰かが死んだ殺されただけで大事だし、ちょっとの喧嘩だって騒ぎになる。
平和ボケ、と蔑む者もいるのだろう。実際、危機に対する瞬間的な処理能力は平均的に低い。
それでも――命がパン一枚よりも軽いよりもよっぽどマシだ。
人を殺すのが仕事のリルナに言えたことではないだろうけれど。
「リルナ」
背後からの聞きなれた声に振り向く。
リルナがいたのは街の中心部にある高層ビルの一つ、その上層部だった。どこかの会社のオフィスで改装中だったらしく、ほぼ空っぽで潜入しやすかった。警備員やカメラは魔術で適当に誤魔化しているので、一時的なアジトとしては悪くない。
振り返った先にはやはり見慣れた姿の吉城がいた。投斧を大量に仕込んであるローブはなく軽装で、手にはお握り数個とジュースが入ったビニール袋が。
「おう、お帰り」
「ただいま、はいこれ」
「さんきゅ」
学校への襲撃からはそれほど時間は経っていなかった。日付が変わった程度だ。幾らか負傷を受けたが大したことのないものだったし、直接勝負すれば勝ち目がゼロだった長光カンナとの戦闘も避けられた。疲労に関しては微々たるもので、軽い運動の後の腹ごしらえ程度の休息である。
包装をやや乱雑にはぎ取りながらリルナは吉城に話しかける。
「んで、これからどーすんだ?」
「予定に変更はないよ。腹ごしらえが済んだら、彼の下に行こう。あまりだらだらするのもまずいしね」
「ふぅん、でもお前今日はもう引くみたいなこと言ってただろ?」
「言ったね。言ったし、実際引いた。そして――もう日付は変わったから行っても問題ないね?」
「うわ屁理屈ー」
呆れた言葉とは裏腹に顔に浮かぶのは笑みだ。
ケケッと笑って、
「うちの大将が言いそうだ」
「あの人真似てみたからね。最も我らがリーダーならば僕らが思いもつかない性格の悪い策を持ち出しそうだけれど」
「違いない」
二人そろって苦笑し、
「んじゃどうするよ」
お握りを乱雑に食べながら再度問う。先ほどの様な方針や予定ではなく、より具体的なことを。
「こっちはあたしとお前。まぁいつも通り。んであっちはアイツにさっきの『神憑』。白詠のお嬢は戦闘不能だろうし、『一騎刀閃』は勘定入れたら割に合わないから一先ず省くとしてだ」
どっちがどっちをやるか。
つまるところ彼ら彼女らの相談なんてそんなものだ。
傭兵、それも戦闘行為専門。
誰を壊して、誰を殺して――誰を終わらせるか。
「地味に困った話だね」
「だな」
基本的にリルナと吉城の総合的な戦闘力は然程差はない。吉城の方が少しだけ上な程度だが、得手不得手や得意不得意は勿論存在するのであまり変わらないだろうというのが二人の認識だった。
だからどちらがどちらをやってもあまり変わりがない。
ただ面倒なのは、
「新しい方の『神憑』の少年。どうしようね」
「さっき落とせてたら楽だったんだけどな」
荒谷流斗。
先ほど落とし損ねた方の『神憑』。リルナが少し交戦した感じ、動きは素人に毛が生えたくらいで技量自体は相手にならない。
それでも――『神憑』であるという一点がどうしようもなく無視できない。
此方側において彼らへの印象は人それぞれだろうが、リルナは嫌いだ。
嫌いというか、関わりたくない。
関わったら、碌なことがないのだから。
かつて一人と関わったどころかたまたますれ違った程度で思い出したくもない目にあったのだから直接戦闘だって本当なら願い下げだ。
仕事だから仕方ないけれど。
仕方ないから敵であることを想定し、計算しなければならないのだが、
「計算なんて意味がねぇ」
そもそも『神憑』という存在に対しセオリーや戦力計算なんてものは意味がない。すればするだけ無駄。
価値観や善悪の基準が自己の中で完結しきっている。
敵か味方か、判断できない。
ふとした勢いで敵になるかもしれないし、ふとした勢いで味方になるかもしれない。
だから、リルナは彼らが嫌いなのだ。
素直に気持ち悪い。
「でも、ま。アタシが相手するかね」
「その心は?」
「特にねぇ。強いて言うなら完全物理タイプぽかった、同じタイプのアタシの方がまともに戦うなりあしらうなりしやすいだろ。ま、これもオシゴトだ。仕方ねえ」
「別に、二対二に持ち込んでもいいんだけど」
「それこそ冗談じゃねぇ。『神憑』を気にしながらあの野郎と戦えるか?」
「確かに。……解った、君がいいならそれでいこう」
「おうよ。って、場所は?」
「さっき買い出しに行った時に彼の住居に果たし状を出してきた。いざ尋常になんとやらって奴。この場所も書いていたからそのうち来ると思うよ」
「相変わらず卒がねぇな」
リルナは素直に感心し、
「それはどうも」
吉城は気にした様子もなく受け流す。
それで話し合うことは終わりだ。
あまり作戦会議というには杜撰であるが、そもそも戦術は考えても、戦略を考える二人ではない。リルナは学というのは無縁の人生を送って来てたし、吉城も人並みではあるがその程度。基本的に戦略の類を考えるのはちゃんと『宿り木』に別枠でいることだし。
というわけで、
「オシゴトの時間だぜ。楽しい楽しい殺し合いだ。相手は裏切り者にくそったれ神頼み。こっちは人殺しのろくでなし。いやはや最高に最低だぜ」
皮肉気にリルナは笑う。
笑わないと、やってられないから。
口端つり上げ、皮肉を飛ばしてなければ、あんな様と戦うことなんてできない。
●
――信じることは何よりもの禁忌だった。
信じてはならない。
裏切るから。
愛してはならない。
裏切るから。
頼ってはいけない。
裏切るから。
森羅万象は背反から発生し、森羅万象は背反に帰結する。
他人との間結ばれるものは裏切りを前提としているが故に、そこに真実と呼べるものなど築けるはずもなかった。言うまでもなく全ては色あせている。誰もが、何もが、彼が裏切りの徒であることを知っているのだから、向こうから距離を縮めることなんてするはずもないし、彼もまた己の持つ理を知っているから同じことだ。
この世は総じて虚構である。
それが彼が得た世界への価値だった。
それでいいとやがて悟り、或いは諦めたのだ。
そんなものが、この世界だと。
そして――そんな下種の価値観を
結局その彼女も裏切ったのだけれど。
「……くくっ」
喉が引きつるような、嘲るような笑みを遼は漏らした。
向けられていたのは果たしてかつての自分か記憶の中の
多分どっちもだ。
そんな笑みを引き出したのは記憶の回帰だけではなくて、
「よう、さっき振りだな」
「えぇ、さっき振りです」
現れたクラスメイト、羨ましいくらいに己に正直である少年のせいでもある。
●
「……なんだかなぁ」
「? どうかしました?」
「……」
わりかし意気込んで来たというのに飛籠遼は驚くほどに自然体で流斗を出迎えていた。自然体というか、アパートの二階部への階段に座り込んでいた。
遊びに来るであろう友達を待っていたくらい。
それでも、脇に置かれた長物の違和感は拭えない。
なんと口を開こうか迷った流斗だったが、先に隣にいたカンナが口火を切った。
「あたし等は先週振り。早速やらかしてるみてぇだな」
「えぇそうですね。最もこうなるのを望んで日本に来たから望む所なんですけど」
「そのせいであたしの友達が殺されかけたんだぜ? ちゃんとお前の揉め事ならお前が引き受けろよ」
「返す言葉もないです」
「あー、おい、お前らさ俺もお話に混ぜてくれよ。置いてけぼりは辛いぜ」
「勿論、聞きたいことがあればお好きにどうぞ。僕で答えられることだったらいくらでも」
やりにくい。
本当に。
ここまで明け透けだと逆に何を聞くか困る。
いやまぁ聞くことなんて一つしかないのだが。
「なんであの幼女とインディアンは先輩に喧嘩売ってたんだよ」
ちなみにインディアンというのは投げ斧を使っていたという流斗の偏見である。
それはスルーされて、
「僕のせいでしょう」
「じゃあ俺はお前をぶん殴ればいいのか?」
「そう望むのなら仕方ないですね」
「いやいやお前らどういう会話してんだ」
いやだって遼の方から自分のせいとか言ってるのだから。
それが真実だとしたら落とし前は払ってもらわなければならない。
「遼、おめーちゃんと話せよ。この馬鹿言われたこと鵜呑みしてエクストリームな答えしか出さねーだろうが」
「……やはりそうですよねぇ」
「アンタらその人を面倒臭い奴みたいな扱いやめてくんね?」
これでもかなり解りやすいつもりなのに。
「解り易過ぎるのが問題なんだよ単純脳筋馬鹿が」
「くっそこの人もセメントかよ」
「僕の話は」
区切るように、遼は言う。
「僕の話は、あまり聞いてて気持ちの良いものじゃないですよ?」
「知るかそんなもん」
気持ちの良い悪いなんかどうでもいい。
そんなことを言ったらこちとら
後はどこに拳を向け、走り出すか。
「俺の感情は俺が決めるんだぜ。お前が自分をどう思ってるかとか興味ないんだよ。さっさと話せ、んでお前が悪かったら俺はお前をぶん殴ってからあの連中もぶん殴る。お前が悪くなかったら連中をぶん殴る」
「……君の実力では難しいですよ?」
「んじゃ手伝えや」
「くくっ」
遼が笑う。
引きつったようでも、嘲るようでもない。
笑っているけれど、怒っているような、疲れているような、楽しんでいるような、それら全部を混ぜてしまったような、そんな顔。
数時間前にも見た仕方なさそうな苦笑だ。
「僕、君のことが好きになれそうです」
「そりゃどうも。なら、お前の話を聞かせてくれ。それでお前が悪くなくて、俺もお前を好きになれたら――一緒に喧嘩しに行こう」
大分飽きましたが申し訳ない。
あと一か月くらい不定期ですが、感想評価お願いします。