斯く想う故我在り   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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クラブ・ヒストリー

 

 

 椎名海の記憶喪失は所謂エピソード記憶の消失というものだった。

 今が何年なのかは知っている。基本的な計算や社会常識は弁えているし、日常生活も問題ない。だが、自分にまつわる記憶だけが完全に抜けていた。名前以外、自分のことが何も解らない。

 病院には行けなかった。空に拾われた時点で海は何も身分を証明できるものがなかったから。着の身着のまま。そんな様で病院に行ったらどうなるかは空も海も展開がどうなるか解らなかった。警察に行くのが一番だったかもしれないが、何故か海にはその選択肢に抵抗があった。

 そうして、結局海は空の家に居候していることになっていた。というより、碌に動けない海はそれ以外の選択肢はなかったのだ。

 幸いにもというべきか葵空は心優しい少女だった。

 見ず知らずの、身分もない上に記憶すらない海を泊めてくれて世話までしてくれたのだから。

 記憶喪失の海でも自分が怪しい人間であるということや、そんな奴の世話をするのは普通ではないということは解ったのだから。

 最初の三日間は碌に動けず、寝た切りで過ごした。食事は空が用意してくれたレトルトのおかゆを手ずから食べさせてくれたりもした。

 四日目の朝、ようやく海はなんとか動けるようになっていた。

 

「大丈夫?」

 

「……あぁ。もう、大丈夫だ」

 

 この三日間何度もも聞いた大丈夫という言葉に応えながら、貰った濡れタオルで顔を拭く。

 

「ふーん、顔色も大分良くなったね。よかったよかった。お粥以外も食べれそうじゃん」

 

「……あぁ」

 

「よっし! じゃあご飯にしよう、元気になるには食べて寝て、運動できるようになったら運動だよ!」

 

「あ、あぁ……」

 

 自信満々に言い切って台所に向かう空の背中を見送ってから、改めて部屋の中を見回す。キッチンとトイレ風呂付の六畳のアパートの一室。畳の上にはカーペットが敷かれていて、整理そのものは行き届いているが箪笥や机の上に飾ってある特撮ヒーローのフィギアやらグッズのせいで雑多な印象を拭えない。

 こういうのは多分男子の趣味だったはずだ。

 勿論空はれっきとした女の子であるが。

 記憶が曖昧な海にはどうにも判断ができなかった。

 一人暮らし、だと思う。

 意識は曖昧な三日間だったが、その間彼女以外この部屋に自分以外の人間は入ってこなかったと思う。少なくとも三食食べさせてくれたり、身体を拭いてくれたり、包帯を変えてくれたのは全て空だった。家具や調度品を見てもまず間違いなく一人暮らし。

 大人数で暮らすのならもっと多くの物がいる、と海は漠然と判断していた。

 そんなことを考えていた間に空が戻ってきた。

 右手にタッパを載せて――左手に炊飯器を抱えて。

 

「……えっ」

 

「さぁ食べよう、海君。あ、悪いけどたくあんと卵しかおかずにないから。一応缶詰とかあるけど食べられるようだったら教えてね。あー、海君はまだ少なめでいいかな?」

 

「あ、あぁ……そうだな。少な目で」

 

「おっけー!」

 

 茶碗山盛りに白米が盛られた。

 

「……」

 

「いっただきまーす!」

 

 見れば空のは茶碗じゃなくてどんぶりだった。茶碗三杯分くらい有る奴。

 それをそれこそ漫画みたいに掻き込んで、数分も掛からずに食べ終ってまた同じ分だけ食べ始めていた。炊飯器の中を覗けば五合くらいの米が炊かれていた。五合って普通にやれば十人分くらいになるはずなのだが。

 

「ん? どうしたの食べないの? まだ調子悪い? あー、まだやっぱ顔色悪いしねぇ。隈も酷いなぁ。はい、手鏡。凄いよー」

 

「……」

 

 言われて渡された手鏡を見る。そこに自分の顔が写っている――が、どうにも違和感がある。自分の顔であるという自覚とこれが自分なのかという疑問が半々くらい。

 まず思うのは目つきが悪い。黒目がやたら小さくて、白目部分が多く三白眼どころか四角目で、小さい黒目もやたら濁っている。おまけに目の下の隈もひどく髪も肩辺りまで伸び放題なせいで非常に人相が悪い。

 そんな海がフリーサイズの特撮ヒーローのプリントがされたシャツを着ているのだからシュール極まっている。ちなみに海のは白字に根性の文字だった。

 

「……髭も、濃いな」

 

「だねぇ、悪いけど流石に男の子用の髭剃りはないから。あとで買って来るよ」

 

「あぁ……悪いな」

 

 応えながら白米を食べ進め始める。米とたくあんだけで食べ進められるかどうかは心配だったが、案外に普通に食べ進められた。椎名海は質素な生活に慣れている人間らしい。

 

「……」

 

 たくあんをポリポリ齧っていたらふと我に返った。

 普通に流されているが、今のこの状況のままでいいのか。

 

「……なぁ」

 

「あ、そうだ。今日私学校行くから出てくんだったら戸締りはお願いね。物盗られるとちょっと困るけど。残る時も戸締りはしっかりね」

 

 呆気カランと彼女は言った。

 

「……お前……それでいいのか」

 

「ほえ? 何が?」

 

「いや、お前…………」

 

 言葉に詰まった。

 俺みたいな怪しい奴を置いておいていいのか? なんて三日も世話になってから聞くなんて今更過ぎてなんと言えばいいか解らなかった。自分はあまり口が上手くないらしい。

 

「あー、うん。まぁ言いたいことは解るよ。まぁいいんじゃないかな」

 

 解っていると空は言うけれど、対応はあまりにも適当だった。

 

「いいんじゃないかって……」

 

「いや、海君拾ってきたのは私なわけだし。それで私が何か被害被ったら私の自業自得だし。まー、いいかなって」

 

「……お前、それは、いや……」

 

「あはは、気にしなくていいよぅ」

 

 笑いながら空は丼を置いた。五合あった米は完全に消えていた。

 

「それにそんな風に悩んでくれるなら心配要らないよぅ。夕方には帰ってくるから、それまでよろしくね」

 

「……あぁ」

 

 空がどういうつもりかは解らない。自分の立場すら解らない。

 けれど、彼女の想いくらいには報いようと椎名海は思った。

 少なくとも、今の海には彼女の好意に甘んじるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に拙かったかなー。大丈夫かなー大丈夫だと思うけどなー」

 

 葵空は家に椎名海を残して学校に行って午前中の授業を受けて部室で昼ご飯の購買の弁当を一人で食べてお腹一杯になって食後のオレンジジュースのストローを咥えた所で今更思い返し、

 

「んでもなぁ……夜明けにあんな風に家の前で生き倒れられてたらなぁー。助けちゃうよなー。特撮ファンとしてはなー。仕方ないよねー、うん。間違いないや」

 

 飲み干す頃には思考が終わっていた。

 椎名海は口が下手と自己判断を下していたが、葵空は頭が下手だったのである。

 

「さってあと放課は二十五分しかないし、一話分何を見ようかなぁ。部室に置いてある分のDVDもVHSも全部見ちゃったし、ネットでも使うかな」

 

 昼放課の間の少しの時間をどう有効活用するか考えていたらドアがノックされた。この部屋にそんな風にノックするような知り合いには心当たりがなかったから不思議に思いつつもドアを開けた。

 

「あ、ども」

 

 軽く頭を下げたのは一人の男子生徒だった。

 二月も終りかけ、春になりつつあるといってもまだ結構な寒さであるにも関わらずブレザーや防寒具も着ないシャツ一枚という軽装。長めの黒い髪と大人っぽい顔立ち、あまり特徴のない顔だが空は彼のことを知っていた。

 

「……荒谷、流斗君?」

 

 生徒会庶務職荒谷流斗。

 年末にいきなり生徒会に入った一年生。それも生徒会に入る前から校内でも有名人である『どこかにいる風来坊』。色々なアルバイトやらボランティア、サークル、部活に複数掛け持ちし続けていることで有名な彼が一か所に腰を落ち着けたということは結構な話題になった。

 落ち着いた場所の先に主が学園のお姫様ということも含めて。

 

「はい。えっと……ヒーロー研究会の会長の葵空さん?」

 

「あ、はいそうです。どもども」

 

「ど、どもども。えーっと、来月の部費申請書貰いに来たんですけど。昨日が期限だったんですけど、葵さんここ三日休まれてたから」

 

「おお! 忘れてた! ごめん、今書きますから五分くらい待って!」

 

「了解っす」

 

「書類は……あぁ、ここだここだ。えーっと……」

 

 海を拾ったせいで完全に忘れていた。最も空の所属するヒーロー研究会に掛かる費用なんて光熱費くらいだ。書くことは少ない。

 

「風邪、もう大丈夫なんですか?」

 

「ん、あぁまぁねー。御免よー、面倒掛けて」

 

「いえ、別に大したことないですけど……てか凄い部屋っすね」

 

「ん。そう?」

 

「いや……そっちの所狭しと並んだDVDとかビデオの棚はともかく、こっちのショーケースの武器やら防具が並んでるっていう光景は中々見ないと思いますけど」

 

 流斗が視線を向けたのはショーケースに並んだ竹刀や防具や黒帯、弓矢、ボクシンググローブ等々が飾られていた。

 一年前の戦利品である。

 

「あーそれね。別に私は要らなかったんだけど、どーしてもっていうから貰ったんだよね。一応偶にメンテもしてるけど、卒業しちゃった人もいるから返そうにも返せないんだよね」

 

 ヒーロー研究会を創設した時、格闘系の部活全員を相手に回したのはいい思い出だ。

 いい思い出だからこそ場所になるこれらを取っておいてあるわけだ。

 

「あの話、本当だったんですね」

 

「あはは、噂で聞いたことあるんだ?」

 

「まぁそりゃ……格闘技歴長いんですか?」

 

「長いと言えば長いし、ないと言えばないかな」

 

「? ……どういう?」

 

「人から格闘技を習ったことはないね。あとは独学」

 

「まじっすか」

 

「ホントだよー」

 

「……あぁ、だから研究会か」

 

「そういうこと。はい、書けた」

 

「どうも」

 

 必要なことを書いた紙を流斗に手渡す。受け取った流斗は軽くチェックしてから一つ頷き、

 

「はい、大丈夫です。なんか不備があったら生徒会までお願いします。それと、風邪には気を付けて」

 

「あはは、ありがと。てか、君こそ大丈夫? そんな薄着で」

 

「暑がりなんすよ」

 

「ふぅん」

 

 そんなレベルではないと思うけれど。そういう人もいるのだろう。自分だって大概変わってるとは思うし。そもそもこの学校で有名であるという時点で常識に当てはめるのは馬鹿らしい。

 

「んじゃ失礼しました」

 

「いえいえ――あ、ねぇ。荒谷君」

 

「はい?」

 

「あの白詠さんと一緒に仕事してる君にちょっと参考にしたい所があるんだけど」

 

 流斗がなにやら複雑そうな顔をした。

 多分何度も聞かれているようなことだと思う。しかし後輩の都合に無遠慮に踏み込んでも聞きたいことがあったのだ。うちの居候に比べればあの人形の如きお姫様はずっと接しにくいはずだし。

 

「最近ちょっと訳ありの友達ができてさぁ。仲良くなるにはどうしたらいいかなーと思って」

 

「……? 仲良くなるとか、やろうと思ってすることっすか?」

 

「おおっとそれは全世界の人付き合いが苦手な子を敵に回す発言だよー」

 

 誰とでも仲良くなれるらしい彼だからこその発言であるかもしれなかったが、参考にはならない。

 

「それに俺は先輩と別に仲良くしようと思ってないしなぁ……まぁでも敢えて相手が訳アリなやつっていうなら」

 

 少し考えながら頭を掻いて、風来坊は答えた。

 

「――全部ぶつけちまえばいいんじゃないすかねぇ」

 

 

 

 

 

 




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