peaceful days,after   作:楡野 透

3 / 4
還る、想い 3

瞼を上げつつある自分に気づいて、絶狼はさっきまで見ていた光景が、現実ではないんだと知る。

目覚めるような緩慢さで、彼は我に返った。

虚ろだった瞳に、急速に光が戻って、尖る。

「絶狼?」

銀色に輝く賢女が、柔らかく響く。

「どうかした?」

何事もない普段通りの彼女の口振りに、絶狼は答えない。

仕立てのいい椅子は、仰向けに寝そべるように背中を押し当てると、柔らかく受け止めてくれる。

椅子にすべてを委ねたまま、彼は何もない虚空を冷えた眼差しで見下げた。

口を軽く結び、一点を見据える絶狼の表情は、淡い青に翳っているようにも見える。

懐かしい静けさに耳をすませているのか。

それとも、天井に映っている影を眺め、前にこれを見たのはいつだったろう、と思い返しているのか。

風ひとつ入って来ないこの書斎もまた、時が止まっているかのようだ。

だが、絶狼は唐突に椅子から立ち上がり、思い切り伸びをしながら、

「さぁて、帰るかぁ。」

軽やかな口振りで、絶狼はあっけらかんと呟いた。

それから、あの夜のままに、きちんと片付いている机を見下ろし、

「シルヴァ、」

呼ばれて、魔導具は丁度、机の上に置かれた手の甲から、主を見上げる。

「何?」

「この引き出し、元の通りに、封じておいてくれ。」

明るい表情の絶狼にそう言われて、魔導具は意外そうに眉を浮かせると、

「あら、ひとつくらい、持って帰らないの?」

すると絶狼は、彼女を胸元まで持ち上げ、

「これは、道寺のものだ。俺が持ち出していいものじゃない。」

「そう、ね。」

彼の言い分に、銀の貴婦人は冷たい瞼をわずかに下げて頷く。

彼女の様子に憂いを感じたのか、絶狼は続けて、

「見たくなったら、また来ればいい。付き合ってくれるだろ?」

悪戯っぽい笑みでそう告げる彼に、魔導具は艶然とした声で、満足気に頷く。

「ええ、勿論よ。」

それから、銀の貴婦人は主の命に従い、道寺の机にあった封印を再度施し、絶狼は書斎を後にする。

廊下に出て、間もなく、彼は階段前の小ホールとも呼べる開けた空間に差し掛かる。

さっきは視線すら向けることなく、絶狼はここを素通りしたのだが、今度は足を止めて見渡す。

窓にかかる白いカーテンが、緩やかな風に絶え間なく揺らめいている。

絶狼は、こつ、こつ、と艶やかなフロアを進み、止まる。

足元の床には、何の痕跡も残されていない。

見下ろし、囁く。

「ごめんな、静香。」

そこで初めて、魔導具は気づく。

絶狼は、守れなかった静香に向かって、今まで一度も、謝罪の言葉を口にしていなかったことに。

おもむろに踵を返し、彼はその場に背を向け、立ち去る。

階段を降り、エントランスを抜け、玄関から外に出た。

まだそれほど、陽射しは傾いてはいない。

けれど絶狼は、他のどこも見ることなく、愛車の元へと戻った。

本当に、これで帰るつもりなのね。

銀色の輝きを放つ賢女は、迷って、でも口を噤む。

彼が岬へ寄ることもなくここを去る理由なんて、私が尋ねたところで、意味すらない。

けれど、今なら言えることは、ある。

「絶狼、」

「何だ?」

停めてあるバイクに跨がり、彼は腰を下ろすと、彼女と向き合う。

魔導具は、かちかちと睫毛を震わせてから、

「ごめんなさい、絶狼。

私があの夜、もっと早く、奴の気配に気づくことができていれば、きっと違う結果になっていたはずだわ。」

私にだって、言えないでいたことくらいある。

あの時はプライドが言わせなかったが、今なら、言える。

私ではどうすることもできない、絶狼の悲しみや苦しみを、ずっと間近で感じてきたからこそ。

魔導具の言葉に、絶狼はびっくりした顔で目を丸くしたが、そのうち僅かに首を傾げ、

「もしかして、シルヴァ、俺がお前のこと、実は内緒で恨んでるって、思ってた?」

軽やかな口調の彼に合わせ、私は見透かすような余裕の笑みを浮かべながら、

「フフ、まさか。」

私の答えは、絶狼に気に入ってもらえたらしい。

彼は嬉しそうに微笑むと、早速、手に下げていたヘルメットを被る。

エンジンを軽く噴かし、絶狼は愛車で、来た道を戻り始めた。

一方、美しい魔導具は瞼を閉じ、ついさっき絶狼からもらった台詞を、意識の一番深いところへと秘める。

彼からの、たった一言。

「…ありがとな。」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。