peaceful days,after   作:楡野 透

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還る、想い 4(終)

いいタイミングだ、と思った。

別に、過去と決別しようとか、そんなことを思った訳じゃない。

だけど、このままでいい、と吹っ切れていた訳でもなかった。

どんなに足掻こうとも、新しい記憶は鮮明で強烈だし、古い記憶は少しずつ掠れ、ぼやけていく。

今を共に生きている者達に癒されてしまうことは、別段、罪でもない。

静香のことを忘れるのではなく、過去のこと、思い出とすることで、新たな系譜を作る伴侶を迎える。

少し前までは、そんなことを考えただけでも、心にある傷から血が滴った。

今は、ちょっと違う、気がする。

それを確かめるのに、いいタイミングだと思った。

静香が一番喜んでくれそうな、小さな花束を携えて、俺は自分の意志でここへ戻った。

ここは、零の始まりの場所。

そして、銀牙と、静香の死んだ場所。

結構、経ってるんだけど、なんだかまだ、うまく整理がつかない。

バイクでここへ向かっている間はそうでもなかったんだけど、バイクから下りて玄関へ向かう道すがら、急に頭ん中がごしゃごしゃになった。

俺は何をしに来たんだろう。

魔戒騎士としての務めを果たすことには、何の疑念もない。

当たり前のことをしているだけだ。

道寺はそう望んでいるだろうし、彼の為にも、そうしたいと望んでいる。

彼女だって、そんな俺をきっと許してくれている。

だから、俺は今、こうしている。

けれど、何かが引っかかる。

俺は何も間違っていない。

間違っていないのに、俺は魔戒騎士以外のすべてから、背を向けて立っている。

だから、ここへ戻って来た。

俺がどうしたいのか、何を望んでいるのか、その答えがあるとしたら、ここしか考えられないから。

俺のすべてが、ここにはある。

 

 

 

玄関扉は、意外と平気だった。

エントランスに足を踏み入れ、階段を前にして、立ち止まる。

道寺の遺体があったところで、あの夜を思い出す。

ここで静香の悲鳴が聞こえ、階段をかけ上がったんだっけ。

少しためらったけど、俺はもうあの頃のガキじゃない。

ゆっくり昇りきって、俺は正面に設けられた小ホールと向き合わないまま、静香の部屋へ向かう。

あそこは、最後でいい。

しかし、静香の部屋で、俺はあっけなく動けなくなる。

俺は俺を試せるほど、何も吹っ切れてなんかいなかった。

このドアを開けて、何も感じないことも、何かを感じることも、俺には怖いことなんだと思い知る。

ゾッとして動けなくなった俺の背中を、シルヴァの声が押した。

「絶狼?」

ふ、と身体の緊張がとける。

何やってんだろ、俺。

静香に会いたかったんじゃなかったのか。

どんな静香であったとしても。

そう思い直して、勢い任せに踏み込んだ。

明るい陽射しが、窓から差し込んでいた。

がらんとした、誰もいないこの部屋を見回す。

おぼろげになっていた記憶が、みるみるうちに鮮明さを取り戻していく。

ぼんやりと、机の上に花束を置いて、以前はよく使っていた言葉を、一応呟いてみた。

「…ただいま、…かな。」

見覚えのある机。その小物たち。

静香の気配が、ここには確かに残っていた。

机に向かっていた彼女の姿。その横顔。

彼女がこの部屋で、どんな顔をして、どんなことを言っていたか。

様々な年齢の静香。

様々な感情の静香。

笑ったり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり。

ぽつぽつと思い出していく。

陽だまりの中で降る、光りの雨のように、淡く頼りないまま、止まない。

止まないことに、心は震え、胸がいっぱいになる。

「よかった…。」

俺は、忘れていない。

静香を忘れてなんかいない。

身体ごと振り向いて、静香のベッドを見下ろす。

何度、このベッドで彼女を抱き締めただろう。

苦しいほど強く抱き締めたこともあったのに、彼女は何も言わず、ただひたすら、優しかった。

華奢でたおやかな腕で抱いてくれたり、淡く色づいた唇で頬を撫でてくれたりもした。

俺のためだけに、幾度となく涙を落とし、

『好きよ、銀牙。誰よりも、好き。』

 晴れて魔戒騎士となったものの、守りし者としての務めを果たす過酷さは、想像以上だった。

辛くて、苦しくて、だけど彼女には何も言えなくて。

口を噤んだまま、それでも甘えてしまう俺を、彼女はひたすら優しく、受け止めてくれた。

甘えでも、許しでも、求めれば、彼女はいくらでも与えてくれて、それがどんなに救いだったか。

籍を入れ、改めて妻として迎えるまではと、肌を求めることはしなかったが、俺が求めるなら、彼女はそれすら許してしまっていただろう気さえする。

そんな彼女を、忘れろという。

過去にしろという。

今を生きる、優しい人達が。

「まだ、…嫌だ。」

静香を思い出にして、新たな伴侶を迎え、新しい系譜を作る。

いつかは、そうなる?

いや。

俺はそんな真似、殺されたって嫌だ。

道寺には悪いけど、新しい系譜なんて、くそ食らえだ。

そんなの、他の奴らが勝手にやればいい。

誰であろうと、これ以上、俺から静香を奪うことだけは、絶対に許さない。

例えそれが俺自身であっても。

 

 

 

道寺の書斎で、シルヴァがお節介をする。

以前撮っていた家族写真の在り処を教えてくれた。

懐かしい姿に、苦く笑う。

久し振りに、記憶の中じゃない、静香の顔を見る。

幼い頃の彼女は、まだ元気もあって、一緒によく遊んだ。

静香と同じ誕生日となってからは、毎年その祝いの席で家族写真を撮ることが、四人での約束事のひとつとなった。

きっと一番新しいものなら、あの夜とさほど変わらない姿の静香が微笑んでいるはず。

見たい、と思いながらも、指はその写真を取ろうとしない。

あの時の彼女の隣には、あの時の俺がいる、からか。

と、突然、意識を奪われる。

今度は過去を見せられる。

写真を撮りたい、と静香が言い出した時の情景らしい。

視点が、シルヴァのいた道寺の胸元だったから、この現象は恐らく彼女の仕業なのだろう。

幼い静香が懐かしくて、胸が痛む。

道寺の意地の悪い台詞に泣かされながら、それでも静香は告げる。

『銀牙がいなくて寂しい、って、ずっと泣きたい。

寂しいって泣く、ってことは、一緒にいて楽しかったことを忘れてない、ってことでしょ?

私、銀牙のこと、少しだって忘れたくない。』

耳にした瞬間、息がつまった。

あの夜以来、胸の奥深くでずっと涙が止まらない俺を、静香が優しく抱き締めてくれた気がした。

静香の気配に、ふわりと包まれる。

また、……だ。

俺の、死にかけた心の欠片を、静香はまた、そっと抱いて癒してくれた。

と、同時に、心が深く裂けて、血が噴き出す。

何もかもが真っ赤に染まるほどの痛み。

やっとわかる。

静香の記憶が掠れてきたのは、時が経ったから、だけじゃない。

忘れたかったからだ。

そして俺は、忘れてしまうよりも残酷なことを望んでいるのだと思い知る。

俺は罪人。

全てを、命すら彼女に捧げ、彼女を守ると約束したのに、何ひとつ守れなかった。

そのくせ、俺はまだ生きていて、未来を求めるようにあがいている。

俺の両手を染めるこの赤は、静香の血。

決して拭えやしない、美しい命。

罪だとか、罰だとか、そんなんじゃなくて、そんなことよりも、俺は望んでいたはずなのに。

今の俺は、間違っている。

そんなことを認めるだけで精いっぱいだなんて。

バカな男だ。

そして、安堵する。

「でもね、お父様、私は、ずっと泣きたいの。」

世界に取り残されたのが、俺でよかった。

俺に先立たれた静香の痛みと苦しみは、きっと俺以上に違いなかったろうから。

別に、うぬぼれでも、のろけでもなくて、俺は寒気がするほど薄情な奴だし、彼女は本当に優しい女(ひと)で、何より寂しがり屋だったから。

帰り際、俺は静香の死んだ場所をわざと自分に見せつける。

謝罪したところで、仇を討ったところで、何も変わりはしない。

湿った黒い土に横たわる、静香の白い顔がふいに浮かんだ。

本当に最後の、彼女の面差し。

俺はその後、あの黴臭く汚らしい黒い土を彼女の上に落とし、埋めて、閉じ込めた。

苦しくて、何度も胃液を吐きながら。

あの時は、仇を討つことばかりを頭の中で燃えたぎらせていたから、そんなこともできたのかもしれない。

愛車のところまで戻った時、突然、シルヴァが謝った。

あの夜のことは、自分にも責任がある、と。

以前の彼女なら、絶対そんなことは言わなかっただろう。

魔導具としてのプライドが、そんな真似を許すはずがない。

変わったのか、ホラーでも。

でも、俺は感謝する。

相棒として。

愛車は来た時と同様、ご機嫌に俺を振り回して、すんなりと現役の魔戒騎士としての日常に連れ帰ってくれる。

殺伐とした、戦いの黄昏へと。

まずは、そう、雷牙だ。

奴はまだ、脆く儚い、何も知らない子供。

損な役回りだと、つくづく思う。

後でちゃんと、俺が自ら望んで師匠になったんじゃないと言ってきかせよう。

奴の父である、鋼牙の頼みだから引き受けたんだ、って。

でなければ、誰が、引き受けるものか。

笑顔を奪う役回りなんて。

静香だけでなく、雷牙までも、俺が闇に引き入れる役になるとは。

いや、そうじゃないか。

そうは、させない。

彼は鋼牙の息子であり、カオルちゃんの息子なんだ。

あの二人の息子なら、きっと叶う。

本当の笑顔を失うことなく、牙狼となれる。

俺が、叶えさせてやる。必ず。

それが俺にとっての、道寺への手向け。

ゆっくりと、また傷が裂けて、熱い血が滴る。

いつまでも、いつまでも、俺は無力なままだ。

あいつには、何ひとつ届きやしない。

俺は安心して、にやりと笑う。

ようやく、還ってこれた気がする。

全てから色が消えたこの世界こそが、俺の生きるべき世界。

俺に光りなどいらない。

光りに満ちた世界を一度は手にした。

そして、もう二度と得る事はない。

それでいい。

それでやっと、俺は彼女と同じところに立てるのだから。

バイクのエンジンを軽くふかして、その爆音で思考を断ち切る。

小気味よく疾走する愛車にまで感謝しながら、俺は自身の管轄地へと急いだ。

 


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