龍門に登る   作:みーごれん

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第十六話 嵐のマエに

 白い羽織を着た十三名が、沈黙したまま状況が動くのを待っていた。

 ただ一人腰掛けていた一の字を背負う死神が立ち上がる。

 

「事は決した! 皆に伝令で伝えた通り本日より二十日の後、滅却師の殲滅戦を開始する」

 

 彼は――山本元柳斎重國は、ゆっくりとその面々を見回した。

 

 或る者は辛そうに。

 或る者はいつも通りに。

 また或る者は面倒そうに。

 

 この事態に各々が折り合いをつけるのに割いている時間はない。

 

「此度、現世にて指揮を執ってもらうのは、五番隊隊長・志波寒鴉、八番隊隊長・京楽春水、そして十三番隊隊長・浮竹十四郎じゃ」

 

 室内の空気が一層緊張を大きくした。

 

 八百年――

 

 数万の歴史を有する尸魂界から見れば、ほんの一瞬と言えるような時間。それがこの護廷十三隊の歴史だ。されどその存在は、瀞霊廷や、延いては尸魂界において、より歴史の長い――例えば中央四十六室の様な――組織と同等か、もしくはそれ以上に大きい。

 その理由はたった一つ。 

 

 圧倒的な武力を有しているからである。

 

 霊力と斬魄刀を駆使し、現世で言う所の”人外”の戦いをする者達――死神。彼らの殆どは、護廷十三隊・隠密機動・鬼道衆のいずれかに所属する。

 祭事や戦闘の補佐である後方支援に徹する鬼道衆に戦闘力はほぼ無い。同胞に対する刑の執行や虚への尖兵を行う隠密機動においては、第一分隊”刑軍”が高い戦闘力を有した粒揃いの兵たちを有しているが、その数は護廷十三隊に比する迄も無い程に劣る。

 後方支援である四番隊を除き、戦闘に特化した実働部隊――それが護廷十三隊だ。六千もの死神を統括・運用し、瀞霊廷の守護や虚の討伐、現世で人間の命を守るといった仕事を一手に引き受けるこの組織がどれ程の力を有するのかは想像に難くないことだろう。そんな組織の最上位十三名、それが護廷十三隊隊長という存在だ。

 

「総隊長、それ程の規模で動かれるという事ですか⁉」

 

 十三番隊隊長・浮竹十四郎が声を上げた。

 

「確かに、ちょっと大規模すぎやしませんかねえ? 特殊な力があるとはいえ相手は人間。それ程の戦力をぶつける意味があるのかい?」

 

 十二番隊隊長・曳舟(ひきふね)桐生(きりお)もそれに同調する。

 それ程までに隊長三名の動員は信じがたいことだった。下手をすれば一隊丸々を圧倒するチカラを隊長一人で有しているとさえ囁かれる、死神(人外)の中の隊長(化物)。余程の事が無い限り、同一の任務で隊長を二人以上派遣することは()()()()()。いや、する()()()()()と言った方が正しいだろう。下級大虚(ギリアン)――所謂、虚の上位種――を嬲り殺せるような存在を二人以上も投入せねばならぬような案件など、そう易々と起きてたまるかという話である。

 

「たかが人間と侮るなんて珍しいねえ、お二人さん?」

 

 愉快そうに八番隊隊長・京楽春水は首を傾げた。

 それに浮竹は強く反発した。

 

「そうは言っていないだろう⁉」

「同じことさ。“それ程の規模”ってヤツは一体何を基準にして言ったんだい? 滅却師に関しては山じいが一番分かってる、そうじゃない? それに口を挟むなんて軽率だよ。桐生ちゃんも慎みなね」

「―――そうだな、お前の言う通りだ。すまない、京楽。申し訳ありません、総隊長」

「わかったよ……話を遮ってすみません、総隊長」

 

 二人の反省に総隊長は一つ頷きで返すと、杖で床を叩いた。

 

「加えて各隊の伝令業務を二番隊、救護に四番隊、予備の戦力として一番隊を各四分の一派遣する。異論のある者は居るかのう?」

 

 沈黙をもって答えた十二名に総隊長は頷いた。

 

「うむ。隊の編成は追って沙汰する。これにて解散じゃ」

 

 

 

 

 

 

 隊首室を出た五番隊隊長・志波寒鴉は、立ち止まるなり大きなため息を吐いた。それを見越していたかのように後ろから喜色ばんだ声が聞こえた。

 

「おんやァ、寒鴉クン! それは何の溜め息かな?」

 

 八番隊隊長・京楽春水が上に羽織った女物の着物をはためかせながら片手を上げた。後ろには副隊長の松方(リン)と十三番隊隊長・浮竹十四郎が続く。

 

「折角いい気分だったのに、酔いが冷めちゃったんですよ。飲み直す気分にもなれやしないでしょう?」

「まだ飲むつもりだったのか? 程々にしないと体を壊すぞ、寒鴉」

「そうですよ志波隊長。貴方お酒弱いんですから。あ、浮竹隊長、ついでに京楽隊長にも言ってやってください! ”職務中に飲むな”って!」

「僕は飲んでも、ちゃぁんとその後に仕事してるでしょ~? 寒鴉クンみたいに酔いつぶれるわけじゃないんだからいいじゃない」

「良くない! 良くないですよ! 席について筆だけ動かすことを“仕事”って言いませんよ⁉ 訂正しなきゃならない書類が多すぎるんです! 素面(シラフ)に見えて実は酔ってるんですか、隊長!」

 

 そう言うと凛は京楽の首根っこを掴んでずるずると引きずって行った。ワタワタと暴れる京楽の両腕が空しく空を切る。

 

「ちょっと、凛クン⁉ 大丈夫だって、歩けるから~!」

「駄目です! そうやって真面目そうにしてる時が一番脱走してるんですから! 今日こそは残業して仕事を片付けて行ってもらいます!」

「勘弁してよォ~!」

 

 グダグダで去っていく二人を苦笑しながら見送った浮竹と寒鴉は、暫くして深いため息を吐いた。双方ともこれから始まる戦いを憂いてのモノであるのだが、その本質は全く違った。

 あくまでも戦いを避け、無用な殺生を行いたくない浮竹。対して、怠惰一直線な寒鴉。

 

「サボりたい……」

「相変わらずだな。しかし絶対に元柳斎先生の前でそれを言うんじゃないぞ? 拳骨と説教を喰らうのはきついからな」

「どっちもどっちで勘弁っス」

「ええこと聞いたわ」

 

 ”ぴゃ⁉”と情けない声を挙げた寒鴉が恐々とした顔で振り返ると、腕組みして仁王立ちした死神が立っていた。

 彼は派手な金髪を腰のあたりまで伸ばしている。しかしストレートな筈の其れは、彼の放つ殺気と怒気の為か重力に反して浮き上がって見えた。

 

 組織に所属する者というのは、理不尽と常に戦わねばならぬものである。上司は部下を選べても、部下は上司を選べない。上司が例え脱走癖があり、仕事をせず、それを何かと押し付けてくるどうしようもない仕様だったとしても、部下は涙と血反吐を呑んで耐えねばならぬのである。

 だがそれはあくまで一般論。例外というモノは存在する。この場に於いては、上司である寒鴉と部下である彼――五番隊副隊長・平子真子の立ち位置は逆と言っても良かった。まるで(ゴミ)でも見るかのような虚ろな瞳で真子が寒鴉を見つめている。

 

「し、真子……」

「総隊長に告げ口されとうなかったら隊長、アンタも仕事に戻ってもらえます? なんや飲み会て訳分らん理由で休まれると部下がアンタのケツ拭わなあかんねんぞ、コラ⁉」

「アフンッ⁉」

 

 直属の上司にラリアットをかましてそのまま寒鴉の首を絞める様に抱えた真子は浮竹の方を向いて会釈した。

 締め上げられている寒鴉が高速で真子の腕をタップして降参を示しているのだが、真子の方は完全にそれを無視する構えだ。

 一般的な上司と部下ならこんな光景は有り得ないだろう。そういう関係の認知が甘い寒鴉だからこそ真子がこういう形で憂さ晴らししても咎めることはないのだが、元凶が寒鴉であるだけに真子は複雑である。

 

「スンマセン、浮竹隊長。お話切ってもォて……隊長(このアホ)連れて帰ってええですか」

「ああ、構わないよ。……折檻も程々にね」

「こン人はこれぐらいや足らへん思いますよ。ウチの隊長、甘やかしたらつけ上がるんは浮竹隊長たちの方がよォ分かっとるんちゃいます?」

「うーん……それでも、程々にね」

 

 話しながらも寒鴉を締め落とそうとしている真子に浮竹が苦笑する。それを見て真子はニヤリと不敵に笑いながら去っていった。

 

「副官、か……」

 

 前任の副隊長が引退してから、浮竹のいる十三番隊の副隊長は欠員となっていた。暫くそこが空位であるのは、元々病弱で臥せりがちな浮竹が率いている分副隊長の責任と負担が大きく並の隊士では務められないのも理由であるが、一番の理由は浮竹の性格からであった。

 他者に思いやりが深い分感傷的になりやすい彼は、副隊長が引退したからとすぐに切り替えられずにいた。

 

「元々皆で仕事を分担する体系が出来ているから何とかなっているけれど、やっぱり負担が掛かってしまうよなあ。もういっそのこと、乱鴉君みたいな子が来てくれたらいいのに……」

 

 志波家当主として公務を一人で仕切る寒鴉の兄・乱鴉は相当優秀だ。彼は家で一杯一杯だろうが、彼のような人材が自隊にいればと思うのは浮竹だけではない。

 実際、勧誘は幾度か行われたが、浮竹の時は”浮竹隊長は私を過労死させたいのですか?”と黒い笑みと共にやんわり断られた。浮竹家もまた貴族であるが、下級であるうえに数多いる兄妹たちが家を護ってくれているため、家の業務というものを彼自身がやったことは殆ど無い。その為、浮竹は乱鴉の事を同情できても共感できないのが残念でならなかった。貴族には貴族なりの苦労と仕事を抱えているのだろう。志波ほどの大貴族ともなれば猶更だ。

 

 ――今度乱鴉君に、差し入れ(お菓子)を持って行かなくちゃな。

 

 そういえばさっきの真子の瞳は、当時の乱鴉そっくりだったなと浮竹はふわっと思いつつ、彼もまた自隊の方へ歩みを進めるのだった。

 

 

 

 

 某邸宅にて――

 流水の如く奔る筆が、ピタリとその動きを止めた。ほぼ反射的に持ち上げられた筆先が生き物の尾のように静かに垂れる。

 

「ッくちッ!」

「父さま、かぜですか?」

「いや、悪寒はしないからただのクシャミかな。心配してくれてありがとう、海燕」

「どういたしまして! ……もしかしたら、誰かが父さまのこと噂してるのではないですか?」

「まさか! そんな冗談みたいなこと中々起きるものじゃないよ」

 

 ……という会話があったりなかったり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 SIDE・Q

 

 

「お帰りなさいませ、あなた。…………何かあったのですか」

 

 心配そうに首を傾げた妻に、彼はどこか柔らかい表情になった。

 

「ああ、少し。客間を用意させてくれ」

「承知いたしました。しかし何故客間を? ――あら」

 

 彼女は彼の後ろに居る人物を見て、委細承知したという風に礼をした。

 その視線の先には、宗弦の後ろで、眠っている愛娘を抱いて破顔した咲秋がひらひらと片手を振っている。

 

「兄様、いらっしゃいませ。今日は御嬢さんもご一緒なんですね」

「ウン! 久しぶり、(ゆい)~! いつも真咲を可愛がってくれてありがとねぇ~!」

「勿体無いお言葉でございます」

 

 “少々お待ちください”と言って彼女――石田(ゆい)は召使に客間を整えるよう命じに行った。

 キッチリと着こなされた藍色に薄桃の桜の花弁を散らした着物が、流れる様に優雅な仕草で廊下を進んでいく。その後ろ姿を見ながら、既に相当だらしのない顔になっていた咲秋の表情筋が一層緩む。

 

「やっぱ結は可愛いな~! 何でこんな堅物と結婚したんだろ」

「何でもなにも、私と結との婚姻を結んだのは黒崎家当主のお前だろ。というか我らに恋愛結婚など無いだろう。現にお前とてそうだったはずだが」

「そんな寂しーこと言わないでよぉ……でもでも、僕らは結局はデレデレになったでしょ?」

 

 咲秋は、第一に娘、次に嫁、その次に妹に弱い。こう書くと女に弱いのかと訊かれそうだが、実を言うとそうでもない。黒崎邸にも女性は多く居るし、候補生にも多くは無いが、気の強い女性がちらほらいる。だが、彼女らに対しては紳士的でこそあれ、弱いというほど言いなりというわけでもない。再度誤解を生む書き方をしてしまったが、別に咲秋は妹らの尻に敷かれているわけではない。咲秋とて何だかんだ譲らない所ははっきり言うし、そもそも彼女たちは芯は強いが我儘を通すような女性ではないという事だけはっきりさせておく。

 兎も角、そんなこんなで大家の当主としてあるまじき顔の緩み方をしている咲秋の顔に裏拳を一発沈めるのが宗弦の常なのであるが、今日に限っては疲れからそれをせず、大きく眉を寄せただけであった。

 

「“僕ら”ではなくお前単体だろう。見ているこっちが恥ずかしいくらいだった」

「そうだったの~? そーちゃんって恥ずかしがってるのとか分かりにく過ぎだよぉ。全然気づかなかった!」

「恥ずかしいって事は否定しないんだな」

 

 宗弦が露骨に溜息を吐くと、結がクスクスと華のある笑顔で歩いてきた。

 

「準備が整いました。お待たせして申し訳ありません」

「そんなことないよー! さっすがそーちゃん家、準備はいつでも万端って事だね」

「客間とはそういうものだろう」

 

 再び溜息をついた宗弦は結が自分を見て微笑んだことに反応して視線を逸らした。こういう話の後だと、変に意識してしまう。

 その様子を見て咲秋がニヤニヤ笑った。

 

 

 

 

 

 

 二人を客間へと案内した結が部屋を出ようとするのを宗弦が制した。

 

「おまえに話がある。座ってくれ」

 

 その真剣な表情に結はその胸が不安に満たされていくのを感じた。

 

 もし……もし、自分の頭にちらと過った言葉を宗弦が口にしたら、自分はどうなってしまうだろうか。取り乱し、無様を晒してしまうだろうか。

 

「何でございましょうか……?」

 

 おずおずと聞いたその言葉にうなずくと、宗弦が口を動かした。

 もしもに体が備えるように両の掌をきつく結ぶ。

 

「これから、死神との大きな戦いが始まる」

「…………はい」

 

 驚いて返事をするのが遅れてしまった。

 思わず“そんなことか”と(こぼ)しそうになったのを表に出すことなく、表情を動かさぬよう努めた。

 

 嗚呼、良かった。

 てっきり離縁を申し付けられるのかと思った。

 

 夫婦仲は良くも悪くもない、平凡な家庭だと結は思っている。自分たちの存在そのものを平凡とするかどうかはさておき、滅却師の純血を絶やさぬように用意された相手に、互いに特筆すべき不満もなく上手くやれている。しかし最近、何だかわからないが胸の動悸が大きくなることが多くなった。宗弦が自分を呼ぶ度、話をする度、自分の胸は心地良く高鳴るのだ。

 

 けれど今日のものは違った。動機と共に感じた不快感に押しつぶされそうな気持になる。

 先程だって、宗弦と咲秋の会話に思わず笑ってしまった後、宗弦に目を逸らされてしまった。それだけのこと。たったそれだけのこと、今まで幾らでも有ったはずなのに、自分の胸は警鐘のように大きな音を立てた。

 

「驚いたな。そこまで動揺しないとは」

 

 宗弦の声で我に返る。驚いたというよりかは結の反応が興味深そうに彼女を窺う彼に、結は不敵に微笑んだ。

 

「ふふふ、女の噂話を馬鹿にしてはいけませんのよ。その位死神との関係が悪化していること、それを御二人が正そうとしていらっしゃったこと、全て存じております。……非常に残念です」

 

 ”人の口に戸は立てられぬ”とはよく言ったものだ。どこそこの家がいついつに出陣しただとか、誰々の弱味は何だとか、ひょっとすると機密事項なのではと思うような話がツルツルと女中間の井戸端会議で話されていたりする。一度不安になって咲秋に尋ねたところ、

 

『まあ、ある程度は仕方ないよぉ~♪ 黒崎(ウチ)やそーちゃん家では、ホントにヤバい情報は分けてるし、何なら色々()()()情報を流してたりするし~。あ、これ内緒ね!』

 

とのこと。咲秋がそう言うのなら大丈夫なのだろうと割り切った彼女は、現在節度を弁えつつその内容を家の女中から伝え聞いている。そうして噂話や与太話を耳に入れていると、嫌でも彼女の夫と兄の話は挙がった。

 当然の如く良い噂など殆ど無く、”奴らは死神に迎合せんとする腰抜けだ。考え方が古すぎる”という悪意を剥き出しにした流布が多かった。

 

 ――何も、知らないくせに。

 

 そんな瞋恚を包み隠して、彼女はいつも彼らに思いを馳せていた。二人は何も間違った事を言ってはいない。きっと事実無根の噂など、早々に聞こえなくなるだろう、と。

 しかし叶わなかった――敵わなかった。其処に悲しみは在れど失望など有ろうはずもない。そしてこうなってしまった以上、彼女のすべきことは決まりきっていた。

 

 二人共の力に、と言えるほど彼女は自身の実力を奢ってはいない。けれどせめて、自身が添い遂げると決めた人が、少しでも安らかであるために彼を支える。静かに、けれど確かに、彼女は腹を括った。

 

 結の瞳が強い熱を帯びたのを感じた宗弦は哀し気に頷くと、再び口を開いた。

 

「すまない。――そして今回、星十字騎士団団長(ハッシュバルト閣下)から我ら二人がその大将となるよう命じられた」

「! ――酷なことを為さる方……」

 

 他の家に比べれば、結と宗弦との夫婦生活は一瞬と言えるほど短い。それでも彼女は宗弦が殺生の類を忌み嫌っていることをよく承知していた。彼の気持ちを考えると、胸が締め付けられる思いだ。

 

「っ!」「⁉」

 

 思わずこぼした涙に、結のみならず宗弦も驚いた。というか彼の方が余程動揺していて、”普段は冷静沈着な彼のそんな姿は初めて見たかもしれない”と落ち着いていくのが結自身で分かった。

 

「いや、状況から考えるなら、これ以上の手はないほど素晴らしい一手だ。私でもそうする、筈だ。何の不思議も「ふふ」――⁉」

 

 知らぬ間に込み上げた結の笑みに、宗弦の双眸が大きく開かれる。

 

 嗚呼、何て深くて綺麗な色。

 黒く、そして純粋な色。

 

 ――あまり見つめては、はしたないかしら……

 

 そう思いなおした彼女は、僅かに頬を染めて口元を手で隠した。

 

「取り乱してしまって申し訳ありません。私のことはよいのです。あなたが無事でさえいて下されば、それだけで……」

「甘ーーい!」

 

 笑みを含んだその声に、互いに見つめ合っていた宗弦と結は肩を揺らした。

 結は驚きを以て、宗弦は気まずそうに咲秋の方を見ると、彼はニマニマといたずらっ子のように笑って二人の方を覗いている。

 

「咲秋……」

「なーにが“見ているこっちが恥ずかしいくらいだった”さ。甘い、あンまァ~い! 何、僕の場違い感凄くない?」

「す、すま」

「あ~~、真咲が寝ててよかった! こんな情景真咲にはまだ早すぎるもんなーー! 年齢層上がっちゃうよ、まったく」

「だから“スマン”と言おうとしたんだろう! 最後まで話を聞け!」

 

 顔をやや赤らめて咲秋といい合う彼はいつもの彼より少し幼くて、そのせいかは分からないけれど息子――竜弦――と共にいる時とはまた違う、けれどどこか似通った温かい気持ちを結は感じてまた微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ()ねているのか揶揄(からか)っているのかわからない咲秋との口論がひと段落して、宗弦はホウと一息ついた。

 肝心なことをまだ結に伝えられてはいないのだ。

 

「今回の戦いは滅却師と死神が全面戦争をすることになる。現世戦力総出で当たれとのお達しだ」

 

 結の顔がやや引き攣ったのが分かった。

 そう。この戦いで“見えざる帝国”からの軍派遣は無い。

 

()のお方は、あなたに死ねと仰っているのですか」

 

 凛としたその声に魅せられる。

 時偶垣間見える彼女の気丈さに引っ張られぬよう、宗弦はゆっくりと首を振った。

 

「そうではない。なにも全滅してまで戦えとは仰らなかった」

「しかしそれでも圧倒的に不利です! 現世戦力と護廷十三隊では、あまりに……」

 

 そこまで言ってから結は青褪めて頭を下げた。

 

「申し訳ありません! 差し出がましいことを申しました。あなたと兄様が発たれるのです。そのようなこと――」

「構わない。私達もそれはよく分かっている。だが案ずることはない。この戦いで我々が求めることは勝利ではないのだから」

 

 そっと頭を上げてこちらを上目遣いに見た結の瞳が悲しみに染まる。

 

「なら、一体何を求めるというのですか。あなたをそれ程苦しめる目的とは何なのですか」

 

 心臓が跳ねる。

 それ程自分の顔は分かりやすかったのだろうか。

 いや、咲秋が分かりにくいというほどだ。自分はかなり表情が分かりにくい方のハズ。

 

 ――本当に、彼女は自分をよく見ている。

 

 宗弦が殺生を嫌う事、今の彼が迷っていること、他にも恐らく色んな事を悟らせてしまっているのだろう。彼女は聡い人だ。そして(つよ)い人だ。だからこそ、頼ってしまう。任せっきりになってしまう。

 

「…………機密事項だ。それを伝えることは出来ない」

「そう……ですか……お日取りは如何様(いかよう)に?」

「今日より二十日の後だそうだ」

「分かりました。私も支度を整えます」

「――その必要は無い」

「…………え?」

 

 僅かな涙に濡れて赤らんだ結の瞳が揺れる。

 (あで)やかな(つや)を孕んだ其れはガラス細工のように澄んでいて、脆く砕けそうだ。

 

「団長閣下の計らいで、この戦いが終わるまで妻子を“見えざる帝国”に連れ行くことを赦していただいた。おまえは竜弦を連れて“見えざる帝国”に身を置きなさい」

「そんな! わたくしも共に戦わせてください!」

「駄目だよ~♪」

 

 結の必死の懇願を、咲秋は呑気な声を出して一蹴した。宗弦は咲秋を睨んだが、彼は一向に気にする素振りも見せずに口を回す。

 

「大将の妻子ってゆーのは、その存在そのものが敵にとって利用価値の在るモノだ。結達は敵には格好の狙い目って訳。そーゆーのは隠すのが定石だよ☆」

「なら竜弦だけをお預けください! わたくしも――」

「結だけなんだ」

 

 咲秋の真剣な声音に結が肩を揺らす。

 結の気持ちを考えると発言できない自分の卑怯さを恥じながら、それでも尚、宗弦は口を(つぐ)んでいた。

 

「“見えざる帝国”は戦闘要員しかいない。か弱い子供を一人置いて行けると思う?」

「ッ……ですが……」

「それは真咲にも言えることだ。結、どうか二人と共に“見えざる帝国”に渡り、二人を護ってやってくれないかい? こんなことを頼めるのは君しかいないんだ」

 

 そう言うと咲秋は結に頭を下げた。

 

「頼む」

 

 咲秋の妻は数年前に他界した。元々体の弱いヒトだったが、真咲を生んだことがきっかけとなって一層体調を崩し、とうとう亡くなったのだ。今は育ての親代わりに、召使の混血滅却師に彼女の教育を任せているらしいが、そういった者達は“見えざる帝国”には連れて行けない。

 

「――顔をお上げください、()()()

 

 結は淡々とそう言うと、咲秋が顔を上げきるのを待ってはっきりと言った。

 

「分かりました。責任を持って二人を護ると誓いましょう。ですから御二方、必ず()()()()()()()を受け取りに戻っていらっしゃるとお誓いくださいませ」

 

 一息にそう言うと彼女は二人を見つめた。

 次に発言すべきだと理解のおくれた二人の男は、期せずして同じことを同じ時に述べた。

 

「「必ず」」

 

 たったの一言。

 しかしそれを聞いた結は泣き顔とも笑顔ともとれる不思議な顔をした。

 その顔は今まで見たいつの彼女よりも儚げで、そして美しかった。

 

 

 

 

 

 

「いやあ、やばかった。妹じゃなかったらクラッときてたね。そーちゃん、ちゃんと手綱握っとかないと駄目だよ? ほっといたら、結をほっとかない奴なんて五万と居るよ」

「余計なお世話だ」

「どーかなー? ま、結の方は大丈夫そうか。そーちゃんも大概だけど……」

「何の話をしている?」

「さあ? ふふ、なんだ、自覚が無いのは二人ともか。いやあ、じれったいねェ! ムズムズしちゃうよぉ」

 

 帰り道、咲秋がいつも以上にニヤニヤしながら帰って行ったのを宗弦は白い目で見送った。

 

 

 

 

 

 それは、動乱の前の、ささやかな幸せの日のこと。

 

 

 

 

 




人物紹介
・松方凛
 八番隊副隊長。「第五話 学び舎にノゾム」で出てきた”松方さん”の兄。当人ではないという事を参考までに。
 やや垂れ目で短く髪を切り揃えた温厚そうな外見に反して、放浪癖のある京楽をグイグイ引っ張っている。部下や他隊の人に対して優しく、自分と隊長には厳しい。

・石田結
 黒崎家から石田家に嫁いだ女性。宗弦の妻で竜弦の母。この頃は長髪を後ろで結い上げている。
 咲秋の事を”兄様”と呼んで慕っているが、彼女が物心付いた頃から咲秋は候補生であり今の見た目のままなので、実の妹というわけではない。候補生あるある。


 お久しぶりです。
 気付いたら二週間以上経ってました。
 最近忙しかったんです。本当に。
 なので読みに徹してたんですが、とても面白い作品が多く自信無くなって余計PCから離れてましたすみません! こんなメンタルよちよち作者の作品でも、呼んでくださる方がいるというのに感謝して今後とも掲載させていただきます。投稿がゆっくりなのは……ご勘弁を……

 今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
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