SIDE・D
刀が振り上げられる。
自分よりずっと大きな相手の斬撃を躱せるほど、彼に速さはなかった。
この黒い衣装は――――
ザンッ……
熱 痛 苦 辛
目の前の赤色が増えるほど、その四つが大きくなっていく。母さまが駆けてくる。自分を斬った男は、母さまを止めようとはしなかった。
震える手で抱えられる。冷たく、透けるように白い手が彼の頬をなぞった。
「惣右介ッ‼ しっかりなさい‼」
「諦めんか。可哀相にのう、しかしこれも掟じゃ」
「嫌です! 惣右介、あなたは生きるのです‼」
かあ、さ、ま……?
「必ず、生き延びるのですよ。生きていてくれれば、それだけで私たちの喜びなのだから」
「まさか、お主……止めんか! それは禁術! そんな事をすればお主まで手に掛けねばならんようになる‼」
「構うものですか。――〈時間停止〉」
そこから先の記憶は、墨を零したように真っ黒に、途絶えてしまっている。
「――――、そ――け! おいっ! しっかりしろ、惣右介!」
鬼気迫る顔、という奴だ。竜太郎がそういう顔で自分を見降ろしていた。肩を掴んで揺すっていたのか、ちょっと右肩のあたりが痛い。
「竜たろ、さん…………」
「どうした? ひどくうなされていたぞ?」
「昔の、夢を見て……」
竜太郎はひどく驚いた風だった。何にどう驚いたのかは分からなかったが……
段々冴えてきた意識を裂いて、惣右介は頬のあたりに纏まった髪を摘まんだ。汗をかいていたのだろう。髪が顔に張り付いて気持ち悪い。
起き上がろうとすると、竜太郎が背を押して補助してくれた。礼を言おうとすると、その前に湯呑みを差し出された。
「ほら、さっき汲んできた井戸水。冷たいから、ゆっくり飲むんだぞ」
「ありがと、ございます」
惣右介は水を飲みながら、やはりあれは自身の過去なのだということを確信した。
自分は殺されそうになっていて、あの時、もしかしたら、母さまも……
小さな溜息が出そうになるのを無言で噛み殺すと、竜太郎が心配そうに惣右介を覗き込んだ。
「真っ青じゃないか。そんなに怖い夢だったのか」
「…………えっと、その……」
「――いいよ、無理に話そうとしなくたって。誰だって胸に仕舞っておきたいことの一つや二つはある。でも、背負い過ぎるな。ちょっとずつで良いから、分けてくれよな」
今度は、いつぞやのように力強くではなく、そっと惣右介の頭を撫でてくれた。
聴いてほしい。でも、言いたくない。
我儘だ。分かってる。でも、それでいいと、彼は言ってくれた。
「は…………い……」
「ン。今日はセンセのとこまで送ってってやるよ。ごめんな、今日はどうしても討伐任務に行かなきゃならないんだ」
フルフルと首を横に振る。
そこまでしてもらっては申し訳が立たない。
でも、送ってくれなくても大丈夫だと笑えるほど彼は気丈でもなかった。
そういうことを知ってか知らずか、竜太郎は惣右介を優しく抱きしめてくれた。
乱れた呼吸音がして目が覚めた。
隣で寝ている惣右介が脂汗を垂らしながら
「なんで…………はい……う、う……」
彼がこの家にきてから、何度も彼は魘されていた。いつもはそれもうやむやなまま、少しずつ小さくなっていた。
いつも、頭撫でてやったり汗拭いてやったりした方が良いのか迷う。結局いつも、起こしちゃ悪いってことでそのままにしとくんだが……
けど今日は勝手が違った。
二、三口をもごもご言わせるように話していたそれは、急にはっきりしたものになった。
「い、たぃ! ……かあさまっ――痛、です……こんな……」
小さな手が宙を仰ぐ。
体が仰け反る。
「惣右介?」
「駄目、ですっ…………にげて、かあ、さまッ!」
「それは夢だ! 起きろ、惣右介! おいっ! しっかりしろ、惣右介!」
惣右介の目が大きく開いた。肩で息をしている。
瞳だけが竜太郎を捉えた。
「竜たろ、さん…………」
「どうした? ひどくうなされていたぞ?」
「昔の、夢を見て……」
驚いた。
惣右介が怖い夢を見ていたことは明らかだ。それも、もしかしたら母親が死にかけるような場面だったのかもしれない。
それを彼は受け止め、存外冷静な口調で言ってのけたことに竜太郎は驚いた。
顔色が悪いから動揺していることはしているのだろうが、これ程小さな少年にしては大人び過ぎている。
――色々抱え込み過ぎちまうタイプか?
黙り込んだ惣右介を見て、それもそうかと思い直した。
なんだかんだ言って彼と竜太郎が苦楽を共にしてきたのはほんの数週間なのだから。
そんな事をホイホイ話してもらえるほど、惣右介に心を開いて貰えているとは思い辛かった。敬語外れないし。
「背負い過ぎるな。ちょっとずつで良いから、分けてくれよな」
今日はいつもより、そっと頭を撫でた。
今にも砕け散りそうな少年を、壊してしまわぬように。
で、マソラ宅前。
「じゃあ、惣右介、行ってくるな」
「行ってらっしゃい、竜太郎さん」
「マッタク、いつもいつも……」
センセの嘆息ももう何度目だろうか?
何だかんだで惣右介のことを気に入っているようだから心配はいらないだろうが、問題は惣右介の方だ。
何か、胸騒ぎがする…………
竜太郎は走りながら顔を歪めると、加速する脚に力を込めた。
今日の座学は、虚という存在についてだった。
いつも竜太郎が戦っている相手がそれらしい。
虚とは、心を失って堕ちた魂の慣れの果て。
死神によって尸魂界に送り損ねられた魂たちが、他の魂魄を喰らい始めるがために死神によって打ち倒され、その罪を雪がれる。
傲慢だ、と惣右介は思った。
死神の失態によって心を失った魂魄に、何の罪がある?
他の魂を喰らう事? そんなの、そうさせた死神だって同罪じゃないか。
罪を雪ぐ?
ナニサマだよ、ソレ。
「――い、聞いているのかね? 私の授業中に意識を飛ばすとは良い度胸だよ、小僧」
「はっ!」
ゴチンッ
火花が目の前を真っ白に染める。
この細腕のどこにそんな力が有るのか……
「~~~~‼」
「フン、次に呆っとしたら拳骨一発じゃ済まさんよ。じゃ、教本の次、読ンデみなさい」
「…………マソラ先生」
「何だね?」
「私は、死神になるべきなのでしょうか……?」
「知らんよ、ソンナモノ」
心底どうでもよさそうに言われて、惣右介は顔を上げた。腹も立たないくらい清々しく一蹴された。マソラの方はというと、愉快そうに片眉を上げて惣右介の方を見降ろしている。
「何だね、ソノ目は? ソンナ事、誰かに言われて決めるようなことかね? 自身の手で親を探すならそれが一番確実ってだけで、無理になる必要なんて無いだろうよ」
ごもっとも。
自分で決めたことだというのをすっかり失念していた。でも――
今度は思いがけず、スルリと言葉が喉を通った。
「…………私を斬ったのは、死神かもしれないのです」
「――ナニ?」
「今朝、夢で見たんです。竜太郎さんがいつも着ている服を着た人物が私に斬りかかってくる夢……もし死神になったら、あのヒトにこれから会うかもしれないって思ったら……」
ふ、と彼女の噴き出す声が聞こえた。
マソラが大声で笑うのは珍しい。
「あ~っはっは! コイツはケッサクだね。モウ怖気づいたのかね? 結構結構、ならそうだとサッサと
「“分かってたって”……?」
「ソウとも! アレは小僧が負った刀傷が死神によるものだと既に知っているよ。私が治療したんだ、気付かないはずないだろう?」
「――‼」
「ヤレヤレ、とんだ腰抜けだね、小僧。マ、恥じることはない。お前には学者の才能が有るから、後で恩はいくらでも返せるだろうからね」
惣右介はマソラの言を最後まで聞くことなくその小屋を飛び出した。
胸に渦巻いていたのは、驚き、悲しみ、悔しさ、寂しさ――
(あんな死神、怖いものか! 私だけで、母さまたちを見つけてやる!)
彼は真っ直ぐに、瀞霊廷へ駆けていった。
あっという間に戸を開いて出て行った小僧の背を目で追うと、マソラは大きく溜め息をついた。
出るなら出るで、チャンと戸を閉めて行きたまえよ……
「マッタク、だからガキは苦手なんだよ。サッサと連れ戻すとするかね」
教本を机に置いてマソラが立ち上がると、開いていた戸から近所に住む女性が駆け込んできた。尋常ではない量の汗をかいている。
「先生! ウチの旦那が倒れたんです! 診てやって下さいませんか⁉」
「…………オヤ、チョット不味いかね?」
その言葉を言葉通りに捕らえた女性の顔が蒼白になったのは言うまでもない。
(小僧……マサカ、門を突っ切ろうなんて馬鹿な真似はしないだろうね……あそこは少々マズイよ)
焦燥に駆られながら、取り敢えずマソラは女性にすぐ行くと伝えて用意を始めた。
流魂街から線を引いたように急に街並みが変わっているところがある。
あれが、瀞霊廷――母さまがいらっしゃるところ……
全速力で走る。あと一歩で入れる、という所で目の前に壁が落ちてきた。
「白昼堂々、通行証も無しにここを通ろうとするなんて、オラを嘗めてんだべか、小僧?」
壁の前には、およそ人の大きさとは思えない大男が立ちふさがった。
彼が着ているのもまた、竜太郎と同じ黒い着物だった。その姿に惣右介は数瞬怯んだが、気が立っている惣右介は引かなかった。
「嘗めてなんかない! でもここを通してよ!」
「駄目だ。オラはここ白道門の門番だべ? どおしても通りたいなら、オラを倒すしかねえ。だがこの
「無礼者! 相手と戦わずして分かったような口をきくな!」
「…………確かにそうだべ。後悔すんじゃねえぞ、小僧。いや、侵入者ァ!」
自分に斧が振り上げられる。その姿が夢と重なった。
足がすくんで動けない。
どうしよう
おの が―――
ガキィィィンン………………
力強い手。
生暖かい液体。
「…………⁉」
惣右介は最初、何が起きたのか分からなかった。
気が付いたら、自分は誰かの腕の中に居た。
その誰かは―――
「竜、太郎さん…………!」
「ばか、なに、やってんだ」
力なく笑った彼は、目だけで惣右介の方を向いた。
片目は滴った彼自身の血のせいで閉じられており、その筋から落ちた紅い雫が惣右介の頬を生暖かく染めていく。
「竜太郎さんっ、ち、血が…………そんなに、でて……」
竜太郎は、兕丹坊の斧をその小さな斬魄刀で受け止めていた。
逃がし切れなかった力が彼の肉を裂き、骨を砕いた。
兕丹坊が斧を上へ離す。
同時に竜太郎が片膝をつき、斬魄刀を杖代わりに片手で身体を支える。フラフラの筈なのに、竜太郎は惣右介を放そうとしなかった。荒い息で切れ切れに彼は口を開いた。
「だい、じょぶだ。ハハ、センセに、また、診てもらわなきゃ、な」
ふわりと竜太郎が笑うのと同時に、兕丹坊が凄い剣幕で上から声を出す。
「竜太郎、オメエ、侵入者を庇い立てするべか? だったら容赦せんど?」
「ちが、う」
「何がだべ? オラの斧を受けきったのはオメエが初めてだ! 言い訳くれえ聞いてやんど」
「こいつは、オレの、弟分、なんだ。オレに、会いにきて、くれようと、したんだよ。侵入者、じゃ、ない」
尚も流れ続ける血に再び惣右介はすくんでしまった。どうすれば良いのか、思考が止まる。
その恐怖は、突然鳴り響いたサイレンのような音で吹き飛ばされた。何が起きているのか分からないままに身構えて竜太郎の着物の端を掴む。
「な、何の音……⁉」
「あ~、こりゃあ……」
苦笑して竜太郎が見上げた先を惣右介も見ると――兕丹坊が号泣していた。
「――え? 何で?」
「兕丹坊、いい奴、なんだ。今の、きいて、きっと、かんど、して……」
ぐらりと竜太郎の体が揺れた。
「竜太郎さん!」
「オラが悪かっただ! 理由も聞かねえでこんな優しいちびっ子に怪我させようとしちまっただ。オラはいってえなんてことを……」
「兕丹坊、だいじょぶ、だから、も少し、静かに、して。バレるの、マズイ」
「何が不味いのですか?」
門の方から、一人の女性が歩いてくる。
彼女は黒い着物の上からもう一枚白いものを羽織っていた。その人物を見て、兕丹坊と竜太郎が同時に目を剥いた。
「う、卯の花隊長だべか⁉ なしてこげんとこさおられる?」
「偶々討伐任務の方々の手当てを近くで行う予定だったものですから。そこの傷だらけの貴方、所属とお名前は?」
柔和そうに微笑んだ彼女を見て、惣右介の背筋が震えた。
何か嫌な感じがした。
竜太郎の着物の裾を掴む手に力が籠る。
竜太郎の方はというと、強張った表情で惣右介を強く後ろに引いて彼の後ろへ隠すように構えた。
「五番隊、無席、藍染、竜太郎、です」
「出撃任務に出ていらっしゃった方ですね? 大変な傷を負ったようですね」
「…………」
「
「「…………⁉」」
見逃してくれる、という事だろうか?
ちょっと無理があるとは思うが、変なことになるよりずっとマシだ。
二人はそこで分かれて、一方は救護詰め所へ、もう一方は暫くしてからマソラの所へ、それぞれ保護された。
――勿論惣右介の脳天にマソラから落ちた拳骨は、一つや二つではなかった。
「ったく、心配させやがって……」
竜太郎は、二週間ほどで帰ってきた。ピンピンしていたのにホッとしたが、それでも惣右介は真っ先に頭を下げた。
「竜太郎さん、ごめんなさい! 私が余計なことをしたせいで、あんな大怪我させてしまった……」
惣右介が震えているのを見た竜太郎は、一つ溜息をつくと再び口を開いた。
「―――本当に反省してるなら、一つ、オレの願いを聞いてくれるか、惣右介?」
「はい!」
「じゃあ今から敬語はなしだ。オレのことも兄貴と呼んでくれ」
「…………えと、二つあるんですが」
「纏めて、弟みたいに接してほしい! どうだ!」
比喩ではなく惣右介は目を丸くした。
竜太郎の方は歯を見せてニッカリ笑っている。
自分に与えられるべきは罰の筈だ。それなのに、ちっとも惣右介に不都合なことが無い。
「…………そんなことで、いいんですか? だって――」
「い~の! ほら、敬語になってる!」
「あ……そんなことで、いいの? ――兄上」
言ってみて、結構これは恥ずかしいかもしれないと思いなおした。頬が仄かに熱を帯びる。俯きがちに竜太郎を見上げると、彼は満足げだった。喜んでもらえるなら、これくらい訳ない、と惣右介は照れ隠しに微笑んだ。竜太郎の方も、どこかこそばゆい、という感じだ。
「あっ、あにうえ……いや、そんな仰々しくなくていいって。兄さんとかそんな感じで」
「はい、じゃなくて……うん!」
「…………ま、急にじゃなくて良いから、ゆっくり自然にな。へへ、いいねえ、家族って感じがして! 改めてよろしく、惣右介!」
苦笑した竜太郎は、わちゃわちゃッと惣右介の頭を撫でた。
竜太郎の膝枕で寝てしまった惣右介の頭を撫でていると、マソラが部屋に入ってきた。竜太郎たちが話している間、診察だ何だと理由を付けて家を空けていてくれたのだ。
「御迷惑をお掛けしました、センセ」
「フン。今回は私にも非がある。お前が謝ることはナイよ。それで、向こうの反応は?」
チラチラと彼女の視線が揺れる。意地を張って惣右介の方を見ないようにしているようだ。竜太郎の代わりに惣右介を叱ってくれたセンセは、相当彼にきつく当たっていたらしかった。その収め処を見計らっているのだろう。
「特に何もありませんでした。惣右介の外見は一部では囁かれたようですが、何か調書を取りに来たりなんなりということはありませんでしたよ。卯の花隊長が庇って下さったんです」
「ホウ? マア、そういう反応だったなら一先ずは安心だね」
「はい…………」
惣右介の命を狙っていたものが干渉してこないということは、今のところは喜ぶべきことだ。だから竜太郎の表情が晴れないのは別の理由からだった。
「追手がこないのは大歓迎です。でも同時に、親も動かないというのは……」
「バカだね」
「酷い! 何でですか!」
肩に掛かった青い髪の束を面倒そうに払うと、目を細めた彼女は溜息を吐いた。
「動かないのか
「う……気を付けます」
結論を出すのはまだ早い、とセンセは言った。
そして彼女は惣右介を見た。
その瞳は、母が子を見つめるときこんな風なのだろうなと竜太郎に思わせるような、見てるこっちがむず痒くなるような温かい光を宿していた。
作者が書きながら思ったことに対する言い訳
――”母が子を見つめるときこんな風なのだろうな”って、マソラ先生子供いるよね。そういう顔したこと無いの? 如何でしょう、竜太郎君。
「あ~、まあ、記憶には無いかなあ。センセってば、出産後すぐに仕事仕事で、子育て結構雑だったし」
え、マユリさん可哀相……
「だよなあ……オレと伊織さん(マソラ夫)でおしめ取り換えとかやってたんだ……今となっては懐かしいぜ」
マユリさんがひねくれたのってそのせい?
「ん”ん”っ⁉ いや、オレからは何とも……あ、でも教育はセンセがやってたかな。親子の触れ合いだってあった筈なんだ! な?」
狂科学者気質はそのせいか……
「あっ……」
ねえ竜太郎君さ、先生に惣右介の教育任せて良いの? 大丈夫?
「作者さん、うしろ……」
え、何?
「余程紅い華が好きなヨウだね?」
い、嫌あああぁぁぁッ‼
「何でオレまでええェェ‼」
――――お粗末
後書きが無駄話しか無くてすみません。
何故か書きたくなりました。
そういう回もあります。
マソラさんたちの過去の話は気が向いたら書こうかなと思っていますが、今の所その予定は有りません。そろそろ話が動いてくる頃ですので……
次回は少し時間が経ちます。
霊術院をあっという間に通り過ぎます。早い所展開を動かしたいのですが、そうもいかないもどかしさ……
気長に待っていただけると幸いです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!