A New Hero. A Next Legend   作:二人で一人の探偵

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長らく間を空けてしまい申し訳ありません。快復こそしていませんが、調子を取り戻しつつ投稿していきたいと思います。


溺れそうな夢の中で

「なあなあ陸人! お昼一緒に食べないか? この前教えてくれたおかず作ってみたんだ。食べてみてくれよ」

 

「ん……分かったよ、杏ちゃんも一緒だけどいい? 昨日から約束してたんだ」

 

「む? あんずめ、タマに内緒で……抜け駆けか?」

 

「そんな人聞きの悪い。そもそも料理だって一緒に教えてもらったじゃない、上達の程を見て欲しいって思うのは自然なことでしょ?」

 

「あらあら、楽しそうですね。そういうことなら是非私達もご一緒させていただきたいです。ね、若葉ちゃん」

 

「う、うむ……偶然今日は私も手作り弁当でな……良ければ、交換なんかどうだろうか?」

 

「へえ、それはもちろん構わないけど……珍しいね、若葉ちゃんが自分で作ってくるなんて初めてじゃない?」

 

「うふふ、偶然なんて言っていますけどね。若葉ちゃんったら球子さんと杏さんが陸人さんにお料理教わったって聞いて急に私にレクチャー頼んできたんですよ。対抗心でしょうか……可愛いでしょう?」

 

「こっ、こらひなた!」

 

「盛り上がってるじゃないの。オフコース、私も参加させてもらうわ! 愛を込めて育て上げた野菜達をふんだんに盛り込んだマイ弁当の前に平伏すがいいわ。ね、みーちゃん」

 

「うたのん、なんで悪役みたいな言い方するの……もちろん私も行くけど、この人数じゃ教室だと邪魔になるかもね」

 

「確かに……あっ、千景ちゃんもどう? 最近は弁当だったよね」

 

「…………そうね、迷惑じゃなければ……いいかしら?」

 

「迷惑なんて、みんなで食べた方が美味しいよ。じゃあ天気もいいし、屋上に行こうか」

 

 男子1人に女子7人の集団がゾロゾロと教室を出ていく。中学生としては異様な男女比だが、この教室では珍しいことでもない。

 

「あいっかわらずねー、あの子達……というか陸人は。なんだってアレで誰からの気持ちにも気づかないんだか」

 

「ホントに……東郷先輩に園子さんに友奈さん……両手の指じゃ足りなくなっちゃうよ」

 

「風、樹……今その話題はやめてくれる? ウチの爆弾娘がピリピリしてんのよ」

 

「うふふふふ……お友達が多いのはリクの美徳だもの。私はなにも気にしてないわよ?」

 

「ん〜、そういうわっしーの笑顔が黒い、黒いよ〜。黒わっしーだ〜」

 

「あはは、園ちゃんもちょっとご機嫌ナナメに見えるけど……」

 

 友奈が授業中に妙な夢を見たあの日から1週間、友奈は未だにこの日常に違和感を抱きながらも平々凡々な毎日を過ごしていた。

 

(なんだろう、時々目の前にいる人が誰か分からなくなる……それに)

 

 何より不思議なのは、陸人の笑顔を見るたびに泣きたくなるほどに胸が痛む。彼はいつも通りの彼のままなのに。陸人が心から楽しそうにしていることが、何よりも尊く思えて切なくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、帰ろうか。美森ちゃん、友奈ちゃん」

 

「ええ」

「は〜い!」

 

 今日もまた賑やかな1日が終わり、日も暮れた頃。陸人、美森、友奈の3人で家路に着く。最近はどこにいても違和感が拭えない友奈だが、この3人でいる時だけは自分の中で何かがしっくりくる感覚があった。

 美森と話している間は最も心落ち着ける時間。陸人と寄り添う帰り道は何より胸が暖かくなる時間だ。

 

「ねえ東郷さん、りっくん──」

 

「あー! 陸人いたー!」

 

 そんな安息の時間も長くは続かない。陸人が結んだ人との縁は学校の外にも広がっている。

 曲がり角の奥から元気な声と複数の足音が近づいてくる。揃いの練習着を着た10人程の園児の集団──その中心にいた少女が、陸人の姿を捉えた途端全速力でその胸に飛び込んできた。

 

「──っと、海花にみんなも。そっか、今日はレッスンの日だったな」

 

「そうなの、陸人聞いて聞いて! この前お手本見せてもらったステップ、私たちみんな出来るようになったのよ!」

 

「おれがいちばんはやかった──」

 

「──わたしせんせいにほめられて──」

 

「ぼくも──」

 

「あたし──」

 

 他の子供たちも陸人を囲むように近くに寄って我先にと話しかける。彼らは近所の……陸人の家の近くにあるダンススクールに通う幼稚園児達。陸人が近所付き合いでスクールの手伝いに行った際、あっという間に懐かれて以来の縁だ。

 特にグループでも年長組の海花という少女の懐きっぷりは凄まじい。本物の兄妹のようなやり取りに、美森は少しずつ歳上の余裕という仮面が剥がれそうになっているくらいだ。

 

「あ〜待った待った。一斉に話されても分からないって……週末のレッスンには行く予定だから、そこで今日の成果を見せてもらうよ。今日はもう遅いし、まっすぐ家に帰りな」

 

「仕方ないわね……みんな、陸人もデート中っぽいし今日はお邪魔しちゃダメ! 帰るわよ」

 

「でーと?」

「でもおねーさんふたりいるよ?」

「ウワキ〜?」

「ふりん〜?」

「いけないんだーりくとってば」

 

「はいはい分かった分かった、いいから早く帰りなさいっての」

 

『バイバーイ!』

 

「気をつけて帰れよ〜……っと、まったく最近の子供はどこでああいう言葉を覚えてくるんだか……なあ?」

 

「あ、あはは……困っちゃうよね〜」

 

「ま、まったくよね……まだ私達には交際の事実は存在しないというのに、気が早すぎるわ」

 

 ぎこちなく笑顔で返す友奈と、なにやら早口で捲し立てる美森。少し頬を赤らめている2人の様子に、陸人は何かを悟ることなく首を傾げるだけだった。

 ……ちなみに、今の子供達もまた友奈にとっては違和感の対象だ。陸人が老若男女問わず仲が良いのは知っていたが、勇者部ではなく陸人個人で親交がある園児がいたかどうか、その辺りの記憶が曖昧なままなのだ。

 

(なんなんだろう……あの子達と一緒にいる時のりっくんは、昔からの仲のように自然体なのに)

 

「──あら、陸人。おかえりなさい、ちょうどいい時間だったわね」

 

 うんうん唸りながら歩いていると、陸人の家……()()()()()()()"()()"()()()()()()()家の前で、妙齢の女性と顔を合わせた。

 

「ああ、()()()。ただいま、それ夕飯?」

 

 問いかけながらあまりに自然な所作で荷物を引き受ける陸人と軽く礼を言って袋を渡す母。紛れもなく理想的な母子のやりとりがそこにあった。

 

「友奈ちゃんと美森ちゃんも、おかえりなさい。本当にいつ見ても仲良しよね」

 

「あっはい! こんばんはです、おばさん」

 

「おば様、こんばんは……母がまた料理を教えてほしいと申しておりました。良ければ機会を作ってあげてください」

 

「あらら、この前のレシピ気に入ってくれたのね。分かったわ、予定合わせてまたやりましょう」

 

()()()()()()()()()()()()御咲家は、それぞれ家族ぐるみで親交があった。特に母親同士は度々一緒に食事や買い物に出向くほどだ。

 優しい微笑みを絶やさない彼女は、息子とその友人2人を見比べると、内緒話をするように静かに首を近づけてきた。

 

「……それで、そろそろ陸人に告白する気にはなったのかしら? どっちがウチの子になっても私もお父さんも大歓迎よ」

 

「えっ⁉︎」

「……おば様、あまりご冗談は」

 

「冗談なんかじゃないわよ? 親バカかもしれないけどあの子はなかなかの優良物件だと思うの。それに、話聞く限り2人だけじゃないんでしょ?

 陸人が選んだ相手なら私は反対しないけど、どうせなら昔からよく知ってる友奈ちゃんや美森ちゃんだとおばさん余計に嬉しいんだけどなぁ〜」

 

「えっと、あの、その……あぅぅ……」

「それにつきましては、息子さんがいないところでいずれじっくりお話しさせていただければ」

 

「あらあら、それは楽しみね」

 

「……母さん、なにしてるのさ?」

 

「うふふっ、なーんでも。それじゃ友奈ちゃん、美森ちゃん、続きはまた今度、ゆっくりとね?」

 

「えっ、あっ……はーい……」

「楽しみにしています、それでは失礼しますね」

 

 中学生の子供達相手に嫁入り後の話はさすがに飛躍が過ぎるが、それだけ彼女達を気に入っているということでもある。

 息子の恋愛事情を楽しみながら戯れの範囲で口を挟み、彼ら彼女らを優しく見守る。そんな理想の母親像を体現したような女性が()()()()()()()()()()()。それが友奈にはどうにも首を傾げてしまう事実だった。

 "昔からよく知ってる"相手だというのに、友奈の違和感はずっと思考の片隅で警鐘を鳴らしている。家族と共にいる時の陸人の幸せそうな笑顔が、どうしても頭から離れてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて事のない日々の中、友奈はふとした時にこことは違うどこかの光景がフラッシュバックする生活を続けていた。妙な気疲れを覚えた彼女は心配そうに見てくる親友達を笑ってやり過ごし、1人部屋で横になっていた。

 

(……何かを忘れてる? 違う、みんなが忘れてるのかな……いや、そもそも……)

 

「もしもーし、大丈夫? 聞こえてる?」

 

 らしくなく考え込む友奈の思考に、聞き慣れた声が割り込んできた。誰もいないはずの部屋から聞こえた声に飛び起きる友奈。気づくと目の前には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が覗き込んできていた。

 

 

 

 

「……ぇ……あれ?……あの、あなた誰?」

 

「えへへ、顔を合わせるのは初めてだね。私は友奈、高嶋友奈だよ……よろしくね、結城ちゃん」

 

 同じ顔が正面から向かい合う。一方はベッドの上で目を丸くして驚愕し、もう一方はその素直な態度を見て柔らかく微笑む。

 人の心の隅の隅で、時代を経て2人の友奈が邂逅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勇者パンチ、って決める時には一呼吸置いてから──」

 

「ふむふむ、私の場合は連撃に繋ぎたいから腰元で──」

 

 自分と同じ顔と対面した衝撃も、結城友奈にとっては数分で無くなる程度のものだった。かつての陸人の仲間だと分かれば、微かな警戒心も霞と消える。同じ勇者であり、同じ友奈であり、同じ想いを持つもの同士。共通の話題にも事欠かない2人、気が合うのは当然であった。

 

「そうなんだ、りっくんは変わらないんだね」

 

「そうそう、出会った時からりっくんはずっと──」

 

 その中でも最も話が弾むのは、2つの時代を跨いだ英雄のこと。

 

「誰かのために命を削ることが自分の幸せに繋がる……伍代陸人くんは、そんな苦しい生き方を貫いた人だったよ」

 

「人が笑っているのを見れればそれだけでいい……御咲陸人くんは、迷いなくそう言い切れる人だね」

 

 お互いの認識は共通していた。あのどうしようもなく自罰的で向こう見ずな彼を、どうしようもない程大切に思っていた。

 

「……結城ちゃん。この世界が何処なのか、あなたは覚えてる?」

 

「ううん。おかしいなっていつも思うのに、肝心な所は何も分からない。何かやらなきゃいけないことがあって、ここにきたはずなのに……」

 

「やっぱり……私も同じだった。誰もここのことに疑問を持ってない。ここにいる私とあなた以外はこの世界……りっくんの心の中の住人なんだよ」

 

 陸人の精神世界で広がっている四国。ここで今を生きる全ては、陸人の潜在的意識が生んだ存在……語弊を恐れずに言えば、この世界の全てが妄想の産物だ。

 

「結城ちゃんは外から飛び込んできた。私もそう。神樹様の中から仲間の力を借りてりっくんの心に干渉している……この"掌"を持ってる私達だけが、この世界の異物として存在していられるの」

 

 高嶋が拳を握ると、勇者としての装備である籠手が現出する。それは結城が戦う時に使う武器と、非常によく似ていた。

 "天の逆手"は聖を集めて邪を払う特攻兵器。罪爐の力で成立しているこの世界の理……記憶や意識の改変から逃れることもできる。

 

「りっくんが自分を諦めた時、あの人ならきっとこうなると思って準備してたの。だけどいざ飛び込んだら私も罪爐の力に完全には抗えなかった。結城ちゃんが来るまで、りっくんの隣の席で違和感に首を傾げながら毎日過ごしてたんだ」

 

「じゃあ、高嶋ちゃんがあの教室に居なかったのって……」

 

「そう。私がいた位置にそっくりそのまま結城ちゃんが配置された……このまま停滞することを望んでる世界にとって、イレギュラーである私達への対処としてできることがそれしかなかったんだろうね」

 

 外部からやってきた最初の例外、高嶋友奈に対して罪爐の闇は全力で干渉して認識をずらしていた。しかし続いての例外、結城友奈の侵入によってその天秤が崩れた。2人のイレギュラーに同時に対処しようとした結果、この世界に来て時間が経っていた高嶋友奈の方は改変の影響を完全に脱することができた。

 

「なら、高嶋ちゃんがりっくんのところに行けば──」

 

「それがダメなんだよねー。私がいた位置に結城ちゃんが来たから、私はこの世界において立ち位置がない。結城ちゃん以外の人にはここにいる私のことは認識できないの。私と同じ世代の勇者の仲間達も、りっくん本人も、私がいないことに何も言わなかったでしょ?」

 

 この世界の仲間達にとって、高嶋友奈という友達は存在しないことになっている。自分がいなかったことになっている世界で楽しく過ごしている仲間を見るのは、どんな心境だっただろう。

 

「高嶋ちゃん、あの……」

 

「あっ、んーん、気にしないで。ちゃんと分かってるから……私の仲間はちゃんといる。ここじゃないところで、今も必死に頑張ってるって、分かってるんだ。だから大丈夫だよ」

 

 高嶋友奈は強い。世界でたった1人、誰とも異なる視点を持たされ、孤独に立たされた。それでも揺らぐことなく機会を待ち続けた。何度も救ってくれたあの人を取り戻すために。

 

「そうなると、りっくん本人と話ができるのは結城ちゃんだけなんだけど、今のままじゃ無理だよね」

 

 結城はまだ本来の自分を取り戻せていない。この世界に閉じ込められた陸人を救う。その目的を思い出さなければ説得も何もない。

 

「だから、私の力をあげる。2人分の加護で魂を護れば、きっと完全に干渉を打ち消せる」

 

 そう言って目を閉じる高嶋。すると彼女の輪郭が徐々に薄ぼけていき、その気配が小さくなっていく。彼女の右手、籠手から花弁のような光が放たれ、結城の右手に集っていく。

 

「高嶋ちゃん⁉︎」

 

「私じゃダメだから……りっくんに……あの人に声が届かなかったから……」

 

 笑顔を咲かせて消えていく高嶋。先ほどと何も変わらないはずの笑顔。結城はどうしてか、それが泣き笑いのように見えた。

 

「お願い……私の、私達のヒーローを──」

 

 

 

 

 ──りっくんを、笑顔にしてあげて──

 

 

 

 

 解けるように消えていった高嶋。結城は彼女の光が宿った右手を強く握る。

 

「約束する……私が、りっくんの手を掴む。高嶋ちゃんと……みんなとりっくんを繋ぎ合わせてみせる」

 

 世界からの干渉は打ち消せた。後は陸人を悪夢から連れ出すのみ。結城友奈は部屋を飛び出し、家の玄関を蹴破らん勢いで開けて──

 

 

 

 

「……え……? なに、ここは……?」

 

 何もない漆黒の空間に、その足を踏み出した。

 

 

 

「……そっか……全部、取り戻したんだね。友奈ちゃん」

 

「……りっくん……?」

 

 虚無の空間に一人佇む陸人。先刻の幸せそうな面影はなく、見たくないものを目の当たりにしたように、俯き気味に笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「如何に趣味の悪い罠を張ろうと、奴らは必ず打ち破る! これまでそうだったように、これからも!」

 

「果たしてそうだろうか? ならばとうに奴は目覚めていなければおかしいのだがな?」

 

 灼熱の大地で激突する2人のグロンギ……正確には片方は外見が異なり、もう片方は中身が別物だが。

 

「どういうことだ⁉︎」

 

「いくら我でも、奴ほどの強固な魂を自分の力のみで抑え続けることは不可能。これほど長い刻を闇の中で過ごしているのは、奴自身が望んでいるからだ」

 

「奴は強い。貴様の姦計に大人しくハマるとは──」

 

「そう! そこが汝らの誤りの根本よ。御咲陸人は強い。それは純然たる事実だ……ではそれは何故だ? 如何な理由があってあの男はあれほどの強さを手にした? もっと言えば、何のために奴は強くなった? その原因がない世界があったなら、そこで奴はどんな自分になると思う?」

 

 陸人が強くなったのは尊いものを守るため。

 守るために強さが必要だったのは、それを脅かす敵意が存在したから。

 では、その強さを振るう相手がいなければ? 敵も味方も、陸人に強さを求めるものが何一つない世界に行けたとしたら、元来争いを好まない彼は、どんな未来を選ぶのか。

 

「もしそちらの世界にいる方が幸せなのだとしたら? 奴が向こうを求めたのなら、それを許してやるべきではないか?」

 

「……全て貴様のせいだろうに、偉そうに救済者気取りか。烏滸がましいにも程がある」

 

 罪爐の言葉は常にそうだ。真理を突いているように聞こえるが、自分のことを度外視した上から目線が癪に触る。何もかもが掌の上と言わんばかりの余裕ぶった態度もそれに拍車をかけている。

 

「やはり、貴様とはどこまでいっても平行線だな。言葉を交わしても、力でぶつかり合っても、些かも理解できない」

 

「やれやれ、嫌われたものだな……では終わりにしようか。汝が我に興味がないのと同様に、我も用事があるのは汝の後ろだ」

 

「随分余裕があるな……盤外戦を挟まない実力勝負なら、貴様に遅れをとるつもりはないぞ……!」

 

 その気になればいつでも倒せた、と態度で示す罪爐。その微笑みが気に食わなかったガドルが、全身から稲妻を放出して構える。

 

「アギトを落としたことで自分の実力を高く見積もったか? 貴様が作ったこの身体にはその毒は効果が薄い。精神攻撃と相性で押し込んだアギトと俺を一緒にするなよ」

 

「ククク、確かにそうだな。曼珠薔薇では汝は倒せない……だが、そこまで理解しているならもう一つの可能性に至っても良かったろうになぁ……」

 

「もう一つの、可能性……?」

 

 目元を掌で覆って力の抜けた笑い声を漏らす罪爐。戦闘力で自身より上を行く者を相手にしているとは思えないほど、その顔には呆れと侮蔑の感情が乗っていた。

 

「我の創造物であるその身体は……いつでも我の好きにできるということだ!」

 

 罪爐が優雅に指を鳴らす。次の瞬間、ガドルと罪爐の間にエネルギーのラインが接続、そこから凄まじい勢いでガドルの生命力が吸い出されていった。

 

「……グッ⁉︎……な、にを……!」

 

 脱力して膝をつくガドル。かつての決戦ではその身が砕け散るまで膝をつかなかった誇り高き戦士が、そのプライドを維持することすらできなくなっていた。

 

「ほぅ、身体どころか自我まで残っているとは。やはり汝も特別誂えだな……まあ、ここまで来ればもう用済みなのだが」

 

「貴様……俺の力を……」

 

「そう、その肉体を構成する我の力を全て没収した。本来ならこれで存在ごと消え失せるところだが、今日まで汝自身が鍛えて伸ばしてきた力が残っているのだろう……とはいえ全体の8割以上は抜き取れた感触があった。これだけ奪われれば、動くのも厳しいのではないか?」

 

 嗤う罪爐の掌中には黒い球状のエネルギー体がある。ここに凝縮されているのが、ガドルの素の力全てということだ。存在の核とも呼べる中枢を奪われれば、彼我の実力差はあっさりと逆転する。

 

「さて、貴重な実験体として役立ってくれた礼だ。苦しまぬよう終わらせてやる……その次は、あの勇者を始末してアギトを回収。計画の最終段階に移行する。もう誰にも止められん……誰にもなぁ!」

 

 ガドルも友奈も、今の罪爐の眼中にはない。因果を見通す眼を持つ超越者にとっては、万物全てが予定通りに動くことが当たり前……むしろ想定外など起こり得るはずがない。それが罪爐の自負であり、実績に裏打ちされた事実でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうこと……? りっくんは、ここの幻に囚われてたんじゃないの?」

 

「ここは俺の世界だよ。いくら罪爐に手を加えられたからって、俺自身を惑わすなんてことはできないさ。最初からずっと自覚はしてた……ここが夢みたいなものだってことも、現世(そと)では今も戦いが続いてることも」

 

 それはつまり、自覚的に高嶋友奈と結城友奈を無視していたということになる。あの陸人が、友達が傷つくと分かっていて何も言わず演技を続けていた……それだけの理由があり、それだけ追い込まれていた。

 

「だったら!」

 

「だったら?……目を覚まして呪いと戦えって? 自分を取り戻せって? 

 そうだね、それが真っ当な意見だ。御咲陸人ならそうするべきだよ、分かってるさ」

 

 陸人はこのまま果てるつもりでいた。その覚悟をしていたが故に、罪爐があてがった世界を拒絶しなかった。幸福とも思える残酷な悪夢を、最期の光景とするために甘んじて受け入れていた。

 

「りっくん……あなたは」

 

 友奈は目の前の人物が本当に御咲陸人なのか、確信が持てなかった。これまで何度も触れ合ってきた感覚は彼の声と気配を本物だと捉えている。だが、その声で発せられる言葉から感じる退廃的な態度、覇気のない表情、全てが彼女が知る少年とは結びつかないものだった。

 

「これまでそうやって頑張ってきたよ。こんな俺でも守れるものがきっとある……手にした力は、人の笑顔を守るために使うべきなんだって、嘘偽りなく信じてた」

 

 自嘲するように口角を上げて虚ろな眼で頭上を見上げる陸人。そこには青空も雲もなく、ただ漆黒の虚無だけが広がっていた。

 

「だけどその結果がこれだ! 俺が道理を無視したせいで部外者だったはずのテオスが介入してきた! アンノウンのせいで本来出なくていいはずの被害が増えて、奴等は余計に悪辣な手段で人類を害するようになった!」

 

 隣接世界の主神たるテオスは、本来であればこの世界の抗争に参戦することはないはずだった。それが罪爐に取り憑かれたとはいえ積極的に人類殲滅に動き出したのは、伍代陸人の進化……神化が大きすぎる衝撃となってテオスの警戒心を煽ったからだ。

 

「園子ちゃんや美森ちゃん、三ノ輪さんに鋼也……先代やそれ以前の勇者達が苦しんできたのは、300年前の俺の無茶のツケを払わされた結果だ……こんな不条理な話はないだろう?」

 

 友奈は言葉を返せない。元来自罰的な性格ではあったものの、自分の身体にナイフを突き立てるようなひどい有様の陸人を見たのは、特別距離が近い彼女でも初めてのことだった。

 

「防人や大社の人達……いや、何も知らずに生きてる人達にだって、アンノウンはきっと把握しきれないくらいの痛みや苦しみをもたらしてきたんだ」

 

 両親や生まれ故郷の真実を知ったことで、陸人は自分を客観視することができなくなった。今世界を苦しめている全ての事象は自分が引き起こしたことであり、それすら知らずにのうのうと生きていた自分は誰より罪深い存在だと。彼は誇張抜きでそう断じている。

 

「その上、物心つく前から国を巻き込む規模の惨劇の原因だったんだってさ……ハハハ、ここまで救いようのない命があるなんて、我ながらビックリだよ」

 

 自分を客観視できなくなれば、自然と外側からの声に傾倒するようになる。陸人は完全に罪爐の悪意だらけの解釈を絶対の真実と認識してしまっていた。

 

「命の価値を決めるのは自分自身、か……どの口が偉そうにほざいてたんだ……ふざけんなよ……!」

 

 かつて自分が戦う理由として胸に刻んでいた信念。それもまた何の価値もない戯言にしか思えない。陸人から見て、自分ほど価値のない命はないのだから。

 

「伍代の時も、御咲の時もそうだ。俺は都合の悪いことからは目を背けて、記憶を封じて、何食わぬ顔で綺麗に生きてる人の隣で笑ってた。まるで自分にも生きる価値があるかのように、何もかもを知らないまま……!」

 

 生後すぐのことを覚えていないのは至極当然のことであり、テオスの件に関しても陸人が関知できることではなかった。しかしそんなことは陸人には関係がない。自分のせいで起きた全ての悲劇を、こうなるまで知ろうともしなかった己を許せないのだ。

 

「だからもう俺はいないほうがいいんだよ。このままこの世界で、俺という存在が朽ち果てるのを待つ……友奈ちゃんははやく帰りな。いつまでもここにいれば、君も危ないよ」

 

「どうして、どうしてそうなるの? 話は大体聞いてたけど、なんでりっくんが自分を責めるのか、私には全く分かんないよ!」

 

 一方の友奈からすれば、この意見もまた当然のものだ。これまで起きた全ての責を誰かが負うのならば、間違いなくそれは罪爐になる。子供でも分かる帰結だ。それが分からないのならば、本格的に思考能力が壊れているか──

 

「俺が無謀なことをしたからテオスが現れた。俺が戦わなきゃ良かったんだ……俺が生まれたせいで国が一つ燃えた。俺が……」

 

「いや! 聞きたくない! それ以上言わないで!」

 

「俺が生まれてこなければ、それで良かったんだよ。一番価値のない命って……俺のことだったんだよ、友奈ちゃん」

 

 目の前にある現実すらも映らないほどに瞳が曇りきっているか、そのどちらかだろう。

 陸人の瞳は何も映していない。今にも泣きそうな親友の顔も、無自覚に震えている己の指先も。

 

 ただただ虚空が広がる黒い世界で、光のない眼で英雄は自分を殺そうと言葉の刃を突き立てていた。

 痛いと叫ぶ(ほんね)に耳を塞ぎ、零れ落ちる血液(なみだ)を見ないフリをしながら。

 

何をやっても悲劇しか起こせない運命ならば。どうやっても希望を見出せない残酷な世界ならば。

世界を呪うか自分を呪うか、追い込まれた人間にできるのはその二択だけだ。愛する娘を失ったかつての哲馬は前者を選んだ。

そして、愛するものが多くある世界を憎みきれなかった陸人は後者を選ぶしかなかった。これもまた、当然の帰結でしかない。

 

 

 

 

 

「もういいだろ……帰ってくれ。俺の身体で暴れてるアギトは……そうだな、ガドルがその気になれば多分殺せるだろ。友奈ちゃんが一人で戻れば、きっと奴もその気になってくれるさ」

 

 陸人らしくない無責任すぎる他人任せ。最早彼にとって、全ての事象はどうでもいいことになってしまったのか。

 

「何言ってるの! りっくんも一緒に帰るんだよ、みんなのところに!」

「──来るな!」

 

 離れようと背を向ける陸人。逃すまいと踏み出した友奈だが、2歩目を踏み出すことはできなかった。

 陸人の周囲に黒い焔が立ち昇る。自分の外にある全てを拒絶するように激しく燃え盛る。陸人の拒絶を示すかのように、少しずつ焔はその領域を広げていく。

 

「ほら、もう俺はこんな焔に晒されても熱も痛みも感じない。壊れてるんだよ、もう手遅れだ」

 

「……りっくん……」

 

「もう嫌なんだよ……誰かのためにと伸ばしたこの手で、違う誰かを傷つけるのは……怖いんだ。俺のせいで誰かが死ぬのが」

 

 これまでに何度もそうした形で悲劇が起きている。今更それを自覚したからと言って、同じようなことが繰り返されない保証はない。新たな火種になる前に消えてしまいたい。これまたらしくないほどに自己中心的で独善的な破滅願望に呑まれていた。

 

(ああ、そっか……)

 

 涙を流さず泣き続ける陸人を見て、友奈はやっと違和感の正体を理解した。

 

(今のりっくんは、私が知ってるりっくんとは違ってたんだ)

 

 会話をしても返ってくる答えが御咲陸人ではあり得ないものばかり。仲間が戦っているのを知っていながら膝を抱えて動かない姿勢。自分のことしか語らず、友奈の言葉には耳も貸そうとしない一方的な態度。

 

「りっくんは、勇気を奪われちゃったんだね……」

 

「……勇気……そうかもな。そんな上等なものが一瞬でも俺の中にあったのなら、そういうことなのかもしれない」

 

 何かを成すための最初の一歩。勇者を勇者たらしめるもの。陸人の中で最も多くを占めていた心の起爆剤。

 

 勇気なき者は勇者ではない。勇者ではない陸人に、この地獄でもう一度立ち上がる力は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




陸人くんは自分が成したことで守れたもののことは度外視して喋っています。その辺の不条理さもまた彼の不安定さの証です。

感想、評価等よろしくお願いします。

次回もお楽しみに。

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