影の襲撃 その1
夜の山道は暗い。その上新月の夜ともなれば、なおさらだろう。
そんな中を、
赤茶色に染めた髪や、やや派手なメイク。その割りに顔立ちにあどけなさも感じるのは、彼女がまだ高校生だからだ。
深夜の山道。舗装された道路とはいえ、スマホのLEDライトしか明かりがない状況では、自然と歩みも遅くなっていた。
高校生にしては豊満すぎるバスト101センチの胸が、一歩進む度に水色のキャミソールの下で弾む。
下はショートパンツにサンダル。
あまりにも軽装過ぎる。
しかし、もちろん好き好んでこんな格好で山道を歩いている訳ではない。
「あいつ等、マジ信じらんない……なんで置いてくのよ……」
葵は嗚咽混じりに愚痴をこぼす。
山奥にある、住む者なき二階建ての民家。そこはいわゆる心霊スポットとして知られていた。
期末テストも終わって気の緩んだところで、友達の間で誰ともなしに『面白そうだからちょっと行ってみようぜ』的な話になったのだ。
友人の中に、車の免許を取ったばかりの兄や先輩などを持つ者がいたため、彼等に車を出してもらい、七人で突撃したのは良かったのだが……。
――ブルルッ。
思い出して、葵は恐怖で身震いした。
件の家に到着した一同は、何故か鍵のかかってない玄関のガラス戸を開けて、ズカズカと中へ入っていく。
葵もちょっとした探検気分で、恐怖心はおろか罪悪感もなかった。
当たり前だが、中は真っ暗闇だ。何人かが用心に持ってきた懐中電灯で照らしながら、探索する。
居間と思わしき和室には、なんとブラウン管のテレビが鎮座していた。壁にかかっているカレンダーは、昭和50年代の物だ。あまりの古さに全員がゲラゲラと笑った。
妙にテンションが高かったのは、今にして思えば怖さを紛らわせるためだったのではないだろうか。
一階の探索を終えて二階に続く階段を上ろうとした矢先、玄関の戸が勢い良く閉まる音がした。
その時、葵たちは全員廊下の奥の階段前に集まっていた。つまり、玄関には誰もいないはずなのだ。
「おい、誰だ! 脅かすんじゃあねえーよ!」
懐中電灯を持っていた男子の山崎が、声を荒げて玄関に向かう。後から肝試しにやって来た誰かが先客に気付き、イタズラしたのだと思ったのだろう。
その山崎の後ろ姿が、他の仲間の懐中電灯に照らされる中、土間に降りた瞬間に消えた。まるで落とし穴に落ちたかのように、フッと消えた。
全員が我が目を疑う中、玄関の暗闇の中から、何かが這い出てきた。水中から浮かび上がるように、地面の影から真っ黒い人影が這い出てきたのだ。
――否。
それは人影ではなく、影その物だった。
人の形をした闇だった。
それが、理性を全く感じさせない四つん這いの動きで、葵たち目掛けて這い寄って来る……!
一同は悲鳴を上げながら、居間へと逃げ込んだ。そして窓を開けて、次々と外へ飛び出す。
全員が外に出て、最後に葵が脱出しようと窓枠に片足を掛けた時、後ろからもう片方の足を掴まれた。そして引き寄せられた葵は、窓枠に上半身だけを乗り出した形となった。
思わず振り向けば、あの人型の闇が、葵の白い太股に両手でしがみついている。
「ひぃいいいっ! やだやだやだぁぁああっ!」
葵はわめき散らし、ジタバタともがき、相手を蹴り飛ばそうとすらした。
しかし、太股に絡み付く腕のヌメヌメした気色悪い感触が確かにあるにも関わらず、蹴った方の足には何の手応えもない。
そいつの顔の辺りに、黄色く濁った目が見えた。
ニタリといやらしく笑う歯が見えた。
半狂乱になって暴れるうちに、何とかそいつの拘束から逃れた葵は、窓枠を乗り越えて転がるように外へ飛び出した。
しかし時すでに遅し……二台の車のエンジン音がしたかと思うと、それはすぐに遠ざかっていく。置いていかれたのだ。
「ま、待って! 待ってよぉー! 置いてかないでぇーっ!」
葵は叫びながら走り出したが、追いつけるはずもなし。
仕方なく、徒歩で山を下りる事となったのだ。
最初はシクシクと泣いていたが、それもやがて落ち着いてくる。
車で30分ほどはかかった道だが、町を出て山に入ってからはずっと登り坂だった。つまり、今こうして坂を下っているのだから、時間はかかるが町には戻れるはずだ。そう考えると、気持ちも楽になる。
フッとスマホのLEDライトが消えた。
画面を操作してもう一度点灯させた瞬間、葵は「ひっ!」と声を漏らした。
目の前に、先程の民家があったのだ。葵はその玄関の目と鼻の先に立っていて、LEDライトがガラス戸を照らし出していた。
磨りガラスの向こうに誰かがいる。
「誰かいるのか!? 助けてくれ! 戸が開かねえんだ!」
聞こえてきた山崎の声に、葵は彼の無事を喜びつつ、ガラス戸の取っ手に手を掛けた。
ガラガラと音を立てて、戸は簡単に開いた。
だがそこに、山崎の姿はない。
廊下いっぱいに、たくさんの人影がひしめき合っている。
無数の黒い腕が、葵の手や足、髪を掴んで、暗闇に引きずり込んだ。
ガラス戸は再び、ピシャッと閉ざされた――。
◆
廊下の上に仰向けに寝かされているのが、背中の感触でわかった。
抵抗出来ないように、たくさんの手が手足を押さえつけているのもわかった。
ヌメヌメした触手を思わせる気持ちの悪い視線が、自分の身体に絡み付いているのもわかった。
だが、それだけだった。
わかってはいても、葵には何の抵抗も出来ない。
たくさんの手が、少女の肉体を這いずり回る。
舌で舐められる感触もあった。
肩。
腋。
へそ。
内股。
キャミソールの下に潜り込み、豊満すぎる膨らみに指を食い込ませる者もいた。
そしてその漆黒の愛撫を受ける度に、葵は体から熱と力が抜けていくのを感じた。
頬を舐められた瞬間、葵は顔を背けて唇を死守した。まだ誰ともした事がない、という訳ではないが、だからと言ってこんな薄気味悪い連中に許すつもりはない。
そこへ二本の腕が伸びてきて、少女の頭をガッチリと押さえた。
別の手が、口を強引に開かせて固定させる。
闇の中でもわかるほど真っ黒な顔が、葵の眼前に現れた。その顔が渦を巻き、ねじれ、細いミミズのような形に変化していく。
「あっ……ああっ………あああああっ!」
開かされた口からヨダレを、目から涙を溢れさせ、葵はうめいた。何をされるか、直感でわかったのだ。
こいつは、自分の中に入ろうとしている……!
もがく葵のショートパンツが下着ごとずり下ろされる。頭を押さえつけられてるので見る事は出来ないが、別の場所から別の者が入ろうとしているのだとわかった。
葵は必死にもがいたが、身体はびくとも動かない。
諦めかけて目を閉じた瞬間、パリンと音がした。
玄関のガラス戸を突き破って、何か細長い物が飛び込んで来たのだ。
それは意思を持つかのように上昇して廊下の天井に突き刺さると、まばゆい白光を放つ。
その光に焼かれて、葵の周囲の影のいくつかが消滅した。
残った影たちは、潮が引くように光の届かぬ奥の闇へと逃れる。
解放された葵が、着衣の乱れを直すのも忘れて、救いの光源を見上げると――それは、一本の木刀だった。
刀身の半ばまでを天井にうずめたそれは、柄の部分に『獅子王』の文字が彫られてある。
ガラス戸が開けられた。
立っているのは、若い男だ。
白いTシャツにジーパン、そして黒のフード付きベスト。
ただでさえ暗いのに、そのフードを被っているため、余計に顔はわからなかった。
闖入者はスニーカーのまま廊下に上がり、葵の横を大股で通り過ぎて、
「服直せ」
振り向きもせずに言う。声の感じからして、葵と大して変わらない年頃のようだ。
葵は慌てて、ずり下ろされたショートパンツを戻した。
キャミソールもめくれ上がって、薄桃色のブラジャーが丸見えだ。それも戻した。
そしてもう一度救出者の方を向き直ると、彼は天井に刺さっていた木刀を右手で引き抜いたところだった。
そして彼の正面の暗闇の中では、何かが蠢いていた。
あの影たちだ。
奴等が互いに身を絡ませ合っている。そしてドロドロに融け合い、一つに混じり合って、一匹の獣へと姿を変えた。四つん這いの猿を思わせる姿に……。
「長い事とどまりすぎて、完全に人間らしさをなくしたか……」
フードの人物はポツリとつぶやき、木刀を両手で構えた。剣道の試合などでよく見られる、正眼の構えだ。
木刀は依然白く輝いていたが、その光輝が更に強まった。
漆黒の魔猿が、黄色く濁った眼を爛々と輝かせ、耳まで裂けた口から牙を剥き、飛び掛かった。
「イィーーエヤァッ!」
家全体を震わすような鋭い掛け声と共に、木刀が真っ直ぐに鋭く突き出される。
切っ先は怪物の胸の中心を貫き、次の瞬間、そいつは黒い塵となって消滅した。
たったの一撃で怪物を退治した人物は、左手で刀身を拭った木刀を、背中の襟口にストンと押し込む。
長さ一メートル近くある木刀は、シャツの中に消えた。裾をズボンに入れてる訳でもないのに、切っ先すら覗かせず、綺麗に消えたのだ。
「おい、大丈夫か?」
そして葵のそばに歩み寄り、フードを下ろした。
短い黒髪で、目付きは鋭い。
やや男臭い顔立ちだが、決して悪い見た目ではなかった。
「…………うっ、ひっく、ふぇぇえええ~~んっ!」
ようやく助かったのだと理解して気が緩んだのか、葵は小さな子供のように泣き出した……。