ギャル友トリオに案内されて久我憂助は峰岸邸に到着した。
憂助は敷地を囲う塀に取り付けられた、胸の高さほどの簡素な門に手を触れ、目を閉じた。
瞬間、彼の頭の中に映像が浮かぶ。
葵の母親と思しき女性が、門を開けて外出するシーン。
そして髪を茶色に染めた若い男がこの門を開けて敷地内に入っていくシーンが。
「峰岸はまだおるようやの。男も一緒んごとある」
「マジで? なんでわかるの?」
「サイコメトリーっちゅうやつだ。詳しい事はGoogle先生に聞け」
美智子に答えながら、憂助は門を開けて中へと入る。まるでここが我が家であるかのような、迷いのない足取りだ。
サイコメトリーとは超能力の一種で、手で触れた物品の過去を見る能力だ。
あらゆる物体に、どのような人物がいつどこでそれを手にしたかというような記憶が刻み込まれており、憂助は念法の力でそれを読み取ったのである。
玄関のドアノブに手を掛けると、鍵が掛かっている。
ここでも憂助は、ドアノブを握ったまま目を閉じて、精神を集中させた。
カチン。
ガチャン。
ドアの向こうで二つの音がして、憂助が再びドアノブを捻ると、ドアは苦もなく開いた。ロックとドアチェーンの両方が外されたのだ。
ドアを開けると、土間には男物の革靴があった。
その先の廊下には、脱ぎ散らかされた服と下着が二人分。
二階に続く階段の手すりに、ベージュ色のブラジャーが引っ掛かっていた。
一番奥には廊下を挟んで二つのドアがあり、その間の壁に小さな台が置かれ、その上に背中合わせの二匹の鬼の像と、水の入ったグラスが置かれてあった。
「あ、あれあれ。あれが葵とママさんが拝んでたやつだよ」
恭子がそれを指差して、憂助に教える。
──と、そこへ右手のドアが開いた。
そして、腰にタオルを巻いただけの裸の男が出てくる。小野原和彦だ。シャワーを浴び終わって、ちょうど身体を拭いていたのだろう。
「うん? 何だ君たち、他人の家に勝手に──」
「エヤァッ!」
憂助が廊下の奥の和彦に右手をかざして、鋭い声をほとばしらせる。
和彦は一瞬ビクッと竦み上がったかと思うと、その場に力なく座り込んだ。表情は虚ろで、完全に放心している。
久我流念法の技の一つ、『遠当て』であった。
「な、何よ今の! どうしたの和彦さん!」
……次いで、葵も同じドアから大慌てで飛び出してきた。彼女の方は、一糸まとわぬ全裸であった。
「…………久我? なんでここにいんの? なんでアタシん家知ってんの?」
「先に服着れや。目障りだ」
言われた葵は、裸でいる自分が急に恥ずかしくなり、「わひゃっ!」と珍妙な悲鳴を上げてその場にうずくまった。
◆
和彦が目を覚ますと、視界いっぱいに天井が広がっている。自分はどうやらベッドに寝かされているようだ。
起き上がって周りを見渡して、葵の部屋だとわかった。
同時に、自分が服を着せられてるのもわかった。
「……?」
さっきの男女は何だったのだろうか?
葵がここまで、一人で自分を運んで、服まで着せてくれたのだろうか?
はっきりとしない記憶の糸を手繰り寄せていると、ドアが開いて葵が入ってきた。タンクトップとショートパンツを身に付けている。
「あ、起きた? ビックリしたよ、いきなり倒れるんだもん。はい、お水」
葵は持っていたお盆の上の、グラスに入った氷水を手渡す。
「ありがとう、葵ちゃん」
和彦はそれを受け取り、一気に飲み干した。
「美味かったか?」
そこへ、別の男の声がした。開け放たれたドアから、さっき見たあの知らない男が立っている。そして、和彦の手の中のグラスを指差した。
「《リョウメンスクナ》にお供えしとった水だ。さぞ美味かったろ」
「──っ!」
途端に和彦はグラスを投げ捨て、自分の口の中に手を突っ込んで、たった今飲み干した水を無理矢理吐き出した。
「か、和彦さん……?」
葵は突然の行動に驚く。
「き、貴様……何て事を……!」
「お前等が峰岸にやらせた事やろうが」
怒りの形相で睨み付ける和彦に、憂助もまた憤怒の視線で応じた。
「峰岸から聞いたぞ。雑霊の集まりやすい場所に像を置いて、お供えした水を飲むよう言うたらしいのぉ……それを吐いたっち事は、お前も知っちょったっち事か──あの水には、集まった雑霊がたっぷりと含まれとった事を」
「……!」
和彦は答えない。しかしその沈黙と、憂助に向ける怒りと憎しみの眼差しが、彼の言葉を雄弁に肯定していた。
和彦が遠当てで放心している間に、葵は憂助たちに、我が身に起きた怪異を全て話したのだ。和彦が霊能力者神道宗光を紹介してくれた事も、その神道宗光が悪霊を退治してくれた事も、母が用意したお礼の金一封を断った事も、全て。
そうする事で和彦の潔白を証明出来るからと思えばこそであり、和彦を守りたいと思えばこそであった……。
「お前等、峰岸をどうするつもりなんか。金も取らんかったっち事は、それ以外の目的があるんか? それとも、単に後からもっとガッツリ搾り取るために、敢えて目先の金を取らんかっただけか?」
憂助は問い詰めるが、和彦はうつむいたままだった。
だが、口の中で何かブツブツとつぶやいている……それに憂助が気付いた瞬間、部屋の中が暗くなった。
まだ明るい白昼、カーテンを閉めている訳でもないのに、部屋全体に闇が満ち満ちて来たのだ。
潮騒が聞こえる。
憂助たちが足下を見ると、床一面に水が溢れていた。濃い潮の香りが鼻を突く事から、海水であろう。それが膝の辺りにまで浸水している。
そしてその海水の中を泳ぐ、細長い影。
飛沫を上げて姿を現したのは、鎌首だけでも天井に届くほどの大蛇──大海蛇だった。
だがその顔は、人の顔だ。土気色の赤ん坊の顔だ。
その口が耳まで裂けて、牙を剥き出しにする。
葵たち四人は、思わず悲鳴を上げそうになった。
しかし、自分たちの傍らで生まれた白い光輝が身体に触れると、湧き上がった恐怖がたちまち消えてしまう。
輝きの源は、憂助だ。その右手にはいつの間に、そしてどこから取り出したのか、一本の木刀が握られている。彼はそれを八双に構えた。
柄に『獅子王』の文字が彫られたその木刀からも白光が生まれ、輝きを更に強める。
人面の大蛇が、赤子の泣き声にも似た声を上げながら、憂助目掛けて鎌首を伸ばした。
憂助の面打ちがそれを迎え撃つ。
大蛇の顔面が真っ二つに断ち割られた。
裂け目は更に胴体にまで伸びて、水面に没している部分にまで到達し、細長い巨体を幹竹割りにして、消滅させた。
同時に闇と海水が消え去り、夏の日差しが室内を明るく照らす。
床は全く濡れていなかった。
そして、和彦の姿もない。
「逃げたか……」
憂助は木刀の刀身を左手で拭いながら、ぼやいた。
「和彦さん……なんで……」
葵はその場にペタンと座り込んだ。突然の事態に、まだ理解が追い付いてないのか、それとも理解する事を拒んでいるのか……。
「なんでも糞もあるか。もうわかっちょうやろが。あいつは──何が目的かまではわからんが──自分たちの目的のために、お前を利用しちょったんてぇ」
「ウソ……」
「さっきあいつ、お供えしとった水を吐き出したやろうが。飲んだらやばいのをわかってたっち事ぞ? そんなんをお前に飲ませとったんぞ?」
「ウソ……ウソ! 和彦さん、アタシの事好きって言ってくれたもん! いっぱいキスしてくれたもん! 信じない! そんなの絶対信じない!」
「葵、目を覚ましてよ!」
「実際アイツ、アンタを置いて逃げちゃったっしょ!」
「葵は騙されてたんだよ!」
ギャル友3人も葵を説得しようとする。
しかし彼女は耳を塞ぎ、目を閉じて、全く聞き入れようとしなかった。友人たちの声を掻き消そうとするかのように、「アーッ!」と声を張り上げ、わめき散らす。
不意に、壁に掛けられていた時計が弾かれたように宙に浮き上がり、恭子の頭目掛けて飛んできた。
それを憂助が木刀で打ち払う。
窓ガラスがカタカタと鳴り、勉強机の椅子や、タンスの上の置物、テレビの棚のDVDなどが一斉に宙に浮いた。
「信じない……信じナイ……お前等が悪い……ゼンブオマエラガワルイ……ッ!」
葵の声が、突如おどろおどろしたものに変わった。
目は黄色く濁り、口からは牙が生え、指先から獣のような鉤爪が伸びる。
「コロシテヤル……オマエラ、コロシテヤルゥゥウウウッ!」
そして大口を開けて、麻希の首筋に噛みつかんと迫った。
しかし憂助が彼女の胸を木刀で軽く押すと、葵の身体は軽々と吹っ飛んで壁に叩きつけられ、そのまま不可視の力で押さえつけられる。
「あ、葵、どうしちゃったの? キレた……とかじゃあ、ないよね?」
恭子が憂助の背後に回り、尋ねる。
「体内に取り込んだ霊が峰岸の感情を糧にして活性化して、体を乗っ取ったっちとこかの……お前等、邪魔やき下がっとけ。心配すんな、かすり傷一つ付けん」
憂助の言葉を今は信じるしかないギャル友たちは廊下に逃げて、それでも心配なのか、外から室内を伺った。
憂助が木刀を右霞に構えると、葵は不可視の拘束から解放されたのか、壁から床の上に飛び下り、四つん這いになって憂助を睨む。一切の理性を感じさせない獣の形相である。
憂助がそんな葵に向ける眼差しは──憐れみの眼差しだった。
「ガァァァアアアアアッ!」
彷徨を上げて、葵が飛び掛かった。鉤爪で憂助に掴み掛かろうとするが、その胸に木刀の刀身が突き刺さり、半ばまで埋もれた。
しかし背中から突き出るはずの切っ先は、一ミリたりとも出て来なかった。
「エヤァッ!」
鋭い気迫と共に、木刀が白い光輝を放つ。
葵の頭部に備わる全ての穴から白光がほとばしり、それに押し出されるように黒い煙も吐き出され、そして消えていった。ギャル友たちは一瞬だけ、その煙の中に人の顔のようなものを見た。
憂助は木刀を引き抜くと、力なく倒れる葵の身体を左腕一本で抱き止め、ベッドに寝かせてやる。
ギャル友3人が駆け寄ると、木刀を刺されたはずの葵の胸には傷一つなく、タンクトップにも穴は空いてなかった。
葵はすぐに目を覚ました。
起き上がった彼女の目は元通りになっている。牙も鉤爪も消えていた。
「葵、マジ大丈夫?」
「うちらの事わかる?」
「どっか痛いとこない?」
「ミッチー……リンダ……マッキー……うっ……ふぇぇぇええええええんっ!」
口々に声を掛ける友人たちの顔を見渡した葵は──その場で小さな子供のように泣き出した。
「ごめんなざい、ごべんなざぁぁああいっ! 違うの、今のは違うのぉぉぉっ! アタシだけどアタシじゃなかったのぉぉぉおおおっ! ごべんなざぁぁああいっ!」
「わかってる! わかってるから!」
「うちら気にしてないからね! 怒ったりしてないからね!」
「葵はマジ悪くないんだよ! マジ葵のせいじゃないから!」
どうやらさっきの事は覚えていたらしい。わんわんと泣きじゃくりながら謝る葵を抱き締め、ギャル友たちは一生懸命に彼女をなだめ、慰めの言葉を掛けてやった。
「──そろそろいいか?」
しばらくの間彼女たちの好きにさせてから、憂助は声を掛けた。
「久我……ごめんね、あんたにも迷惑掛けたよね……」
「悪いと思っちょうんなら、あのカズヒコとかいう男の住所教えろ」
「どうすんの?」
「奴等のやってる事は、なんぼなんでもタチが悪すぎる。二度と悪さ出来んようにしとかんと、またどっかで同じ事をやるかも知れん」
瞬間移動で直接和彦の元へ飛べばいいのだが、さすがにさっき対面したばかりの人間とは繋がりが薄くて、移動出来ないのだ。
「……尾川ハイム……ほら、去年駅前に出来た新しいマンションあるっしょ? アソコの最上階の一番奥の部屋だよ……」
葵は、素直にそう答えた。そして、
「行くんなら、アタシも連れてってよ……ちゃんと和彦さんとケジメ付けたい」
「葵が行くなら、うちらも行くよ!」
「アタシ等だってマジ文句言ってやらなきゃ気が済まないし!」
「つーかアタシは蹴り入れたいし!」
「ここにおれ。邪魔だ」
「でもさぁー、アンタ、オートロックの番号とか開け方とかわかんの?」
「…………」
葵の一言に、憂助は黙り込んだ。
番号と操作方法を聞き出してから向かえば良かったと気付いたのは、四人のギャルを連れて尾川ハイム前まで瞬間移動し、エレベーターで最上階に向かう途中の事であった……。