邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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リョウメンスクナ その4

「アタシって、ホント馬鹿だよね」

 

 最上階へと向かうエレベーター内で、峰岸葵はポツリとつぶやいた。

 

「ちょっと前まではさ、和彦さんの事思い出すのあんまりなかったし、思い出しても『次会ったらゼッテェーぶん殴る』とか思ってたのに、実際に会ってみたらそんなの忘れて、和彦さんの言いなりになって……でも、ホントに嬉しかったの、和彦さんとまた会えて。これからはまた一緒にいられるんだって思ったら、もう嬉しくて嬉しくて、細かい事どーでも良くなって……」

「しょーがないよ。葵、アイツの事マジで好きだったんでしょ?」

 

 柳沢美智子が葵の肩に手を置き、慰める。

 

「好きになった人の事、そんな簡単には吹っ切れる訳ないって」

「うちら、葵のそーゆートコ大好きだもん。だから気にしなくていいんだよ」

 

 芦原麻希と林田恭子も、優しい言葉を掛けてやった。

 久我憂助は、四人のギャルのそんな様子を横目で見ているだけだった。

 

 エレベーターが止まり、ドアが開くと、憂助がいの一番に廊下に出る。

 

「アソコ。一番奥が和彦さんのお部屋だよ」

 

 それに続いた葵が、正面に真っ直ぐ伸びる廊下の突き当たりの部屋を指し示した。

 その部屋の前まで来た憂助は、ドアノブを掴んで目を閉じた。

 

「……?」

 

 その時葵は、憂助の腰と左脇腹が、服の下でかすかに光を発しているのを見た。

 

 カチン。

 ガチャン。

 

 ドアの向こうで、ロックとチェーンの外れる音がした。葵の家に入った時と同じだ。

 

 葵が見たのは、憂助が開いたチャクラの輝きであった。

 下から腰、脾臓、へそ、心臓、喉、眉間、頭頂部の七ヶ所に存在する、宇宙のエネルギーの注入口だ。

 それぞれの位置で作用する力の種類が違う。憂助がドアの解錠の際に開いたのが、下位の二つ、腰と脾臓にある物理的な力を司るチャクラであった。

 

 ドアを開けた憂助は、ここでも我が家に入るかのような迷いのない足取りで侵入した。靴のままで。

 半ば呆れながら、ギャル四人も同様に土足で乗り込んだ。

 憂助はリビングの入り口で立ち止まった。閉ざされた木製のドアを一睨みすると、右手の木刀を正眼に構えた。

 今度はへそ、心臓、喉の三つのチャクラが開放され、光を灯した。中位の三つは、感情的な力を司る。

 

「エヤァッ!」

 

 鋭い気合いと共に繰り出された掬い上げるような突きが、ドアを貫いた。

 

「んぐっ!」

 

 ドアの向こうで、うめき声が聞こえた。和彦である。もしも彼のそばに人がいたならば、ドアを透過して伸びた木刀が、顎の下から彼の頭部に突き刺さる様を見た事だろう。

 憂助は木刀を引き抜き、傷一つ付いてはいないドアを開けた。

 そこには、ネイルハンマーを手にボンヤリと立ち尽くす和彦の姿があった。

 

「座れ」

 

 憂助が室内のソファを木刀で指し示し、和彦に命令する。

 

「ああ」

 

 和彦はうなずき、唯々諾々と従った。

 チャクラの開放によって得たエネルギーを、木刀を通して和彦の脳に注入したのだ。今彼は、憂助たちに対する一切の敵意はおろか、わずかな抵抗の意思すら持ってはいない。聞かれた事には素直に答える人形状態だ。

 ──というような内容を、専門用語とその解説を省いて憂助は葵たちに説明した。

 

「さて、さっきの話の続きといくか……お前等、峰岸をどうするつもりやったんか」

「葵ちゃんに、雑霊が染み込んだ水を長期間飲ませて、霊が憑依しやすい状態に作り替えるのが目的だった……葵ちゃんは両面宿儺(りょうめんすくな)が見えるくらい霊的なセンスが高いから、きっと強い式神になるだろうと、神道先生はおっしゃっておられた……」

「式神っちゃ、陰陽師が使うとかいう奴か? 峰岸がそれになるっちゃどういう事か」

「先生の言う式神は少し違う……先生の素晴らしい知恵と技術で複数の霊を結合させてお造りになられた、人工霊だ……」

「俺等にけしかけた、あの蛇の化け物げな奴か」

 

 憂助の眉間に、シワが寄った。

 

「ああ、そうだ……葵ちゃんに取り憑いていたのも、先生の式神だ……人がたくさん集まる場所に放して、波長の合った人間に取り憑かせる……頃合いを見計らって、俺が偶然を装って追い払うが、あくまでも追い払うだけだ……式神はまた戻ってくる……そこで先生を紹介する……先生が式神を処分して、新しい信者の出来上がりだ……でも、さっきも言ったけど、葵ちゃんは強い霊感があったみたいだから、新しい式神の材料にはうってつけだった……」

「はああ? マジざけんなよテメェーッ!」

「葵をあんな化け物にするつもりとか、いかれてんのか!」

「テメー葵の元カレだろーが! 葵はテメーの元カノだろーが! なんでそんなコト平気で出来んだよ!」

 

 ギャル友三人は和彦の告白に激昂し、荒々しい口調で怒鳴り付ける。

 

「仕方なかったんだよ……先生には、この腐った世の中を正すという崇高な目的がある。そのためには、強力な式神をたくさん作らなくてはいけない……もったいないけど、先生のためならしょうがない……」

 

 和彦は葵の豊かに膨らんだ胸元をチラリと見て、そう言った。

 

「……えらいその神道とかいう奴を持ち上げるのぉ。お前、そいつと何かあったんか?」

「恩がある……上京して少ししてから、そこでも新しい彼女を何人か作ったんだけど、その中の一人がストーカー化してね……困ってたところを、神道先生が式神を使って処分してくれたんだ……」

「彼女を何人も作ってんじゃあねえ」

 

 しかもその彼女にすら『処分』という言葉を使う……憂助は呆れるしかなかった。

 

「和彦さん。アタシの質問にも答えて」

 

 葵が和彦の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。和彦の視線が、自分の胸に注がれてるのがわかる。

 

「アタシの事、どう思ってる?」

「葵ちゃんは……初めて会った時からスケベな体つきで……最初は中学生とはわからなかった……可愛いし、適度にお馬鹿で、何でも言う事聞いてくれて……君で遊ぶのは、凄く楽しかったよ……でも結婚とか、そういう相手としては見てなかった……」

「最初から、肉体(からだ)が目当てだったんだ……」

「ああ、そうだよ……正直、今も未練がある……でも、これも先生のご意志だから……」

「だからアタシを、化け物の材料にするの?  あんなにいっぱい愛し合ったアタシを、あんなキモい化け物にするつもりだったの? いっぱいキスして、毎日エッチして、何回も好きだよって言ってくれたのに、神道センセーがそうしろって言ったら捨てれるような、そんな風にしか思ってなかったの?」

「先生のお役に立てるなら、葵ちゃんだって嬉しいだろう?」

「んな訳ねーだろ、この豚野郎ぉぉぉぉおおおおおおッッ!!」

 

 葵が吼えた。

 怒りの右ストレートが、和彦の顔面に突き刺さった。

 葵は更に殴り付けようとしたが、不意に大きな溜め息をつくと、振り上げた拳を下ろした。

 

「まー、アタシもあんまし人のコト言えないのかなー……友達に自慢したいとかそっち系の理由でテメーに告った訳だし……テメーの友達と()()()()()時も、何か浮気っぽくてドキドキしてちょっと楽しかったし、そーゆー意味じゃアタシ等お似合いのバカップルだったよね」

 

 和彦は答えない。顔を押さえてうつむいている。鼻血が止まらず、それどころではないようだ。

 しかし葵は、全く気に掛ける風もなく、憂助の方を向いた。

 

「ありがとーね、久我。おかげでスッキリしちゃった。このバカ、後はアンタの好きにしていーよ?」

 

 そう言うと彼の胸に寄り添い、口元に顔を寄せる。

 唇が憂助の頬に触れた。

 

「アタシからのお礼ね」

「いらんわ」

 

 憂助は手の甲で頬を拭う。

 

「もー、目の前で拭かれるとプチ傷付くんですけどー? ……まーいっか、アンタそーゆーキャラだもんね。んじゃ、アタシ等先に帰るね?」

「おう」

「久我、マジありがとー」

「今度うちらからもお礼するね」

「何でも()()あげるからねー」

 

 ギャル友三人も口々に礼を言うと、リビングを出ようとした。

 だが、四人の足はドアの手前で止まる。

 開け放されたドアの先に、スーツ姿の男が立っていた。

 

 神道宗光。

 

 その顔には鋼鉄のように冷たく暗い影が差していた。

 

「先生……来てくださったんですね! こいつ等、先生の崇高なご意志を理解しようともせず、俺に暴力まで振るったんです! どうか先生のお力で、この愚か者どもに天罰をお与えください!」

「そのつもりです」

 

 宗光の足下の影が、不意に面積を広げた。

 実体を持つ幕となってリビングの床に、壁に、天井に広がり、窓を覆い尽くし、室内を暗黒に閉ざす。

 

 その闇の中から、無数のうめき声が聞こえてきた。

 たくさんの顔が、水面から浮かび上がるように闇の中から浮かび上がった。赤ん坊や子供、女、老人、様々な顔が。

 そしてどれ一つ取っても、人間の体ではなかった。

 手足が蛇になっている者。

 犬や猫の胴体を持つ者。

 カラスやトカゲの胴体を持つ者。

 和彦の言っていた、複数の霊を結合させた人工霊、忌まわしき霊的キメラの群れが、憂助たちを囲んでいた。その数は、ざっと30体を越えていた。

 

「いかがですかな? この程度の霊なら簡単に使役出来ます。私が手を一振りするだけで、彼等はあなた方を殺し、その魂を喰らう……しかし、心を入れ換えて私に従うのならば、葵さんとそちらの木刀を持ったお友達は許してあげましょう。特に葵さんは、小野原くんのお気に入りのようですしね」

「……お断りだ」

 

 憂助が真っ先に答えた。

 

「こいつ等は全員無事に帰す。そしてお前等は徹底的にぶちのめす」

「力の差がわかってないようですね……何やら不思議な技を修めておいでのようだが、まさかこれだけの数の式神を、一人で倒すおつもりですかな?」

「つもりやねえ──こいつ等全員、解放してやる」

「愚かな」

 

 宗光は右手を掲げて、サッと振り下ろした。

 式神の群れが一斉に襲い掛かって来る。

 その時、憂助の眉間に光点が灯った。

 眉間のチャクラは、霊的な力を司る。

 憂助は木刀を顔の前で垂直に立てた。柄に『獅子王』と彫られた木刀が、白い光輝を放ち始める。

 式神たちは……まるで虫が明かりに引かれるように、その輝きに吸い寄せられた。

 

「イィーーエヤアッ!」

 

 雷鳴のごとき声と共に、憂助は木刀で虚空の闇を数度斬り付けた。

 何たる怪異か、はたまた奇跡か──その太刀筋が明確な光のラインとなって、空間にとどまっている。まるで糸を張り巡らせているかのように!

 その光が、野鳥を絡め捕る霞網めいて式神たちを捕らえる。

 霊的キメラの群れはその光に触れるや否や、黒い塵となって瞬く間に消滅していった。

 

「これはこれは……豪語するだけの事はありますね。もっとも、彼等はしょせん、簡単な命令にしか従えない低級霊。ケダモノと変わりません。しかし私の両面宿儺は」

「やかぁしいっ!」

 

 憂助が宗光の言葉を遮って、叫んだ。

 その顔は、葵たちですら怯むほどの激しい憤怒の形相となっている。

 

「低級霊だ? ケダモノだ? お前がそげな風にしたんやろが! 救いや解放を求めてさ迷う魂を粘土細工か何かみてえに捏ね回してくっ付け合って作り替えて、お前に従う事しか出来んようにしたんやろが! ようそげな風に言えたのぉ!」

「仕方のない事です。この腐った世の中を正す、いわば衆生済度のための犠牲ですよ」

「あの人たちが、その犠牲にならないかんような悪い事でもしたんか! 犠牲にする者と救う者とを選り分けられるほどお前は偉いんか! 腐った世の中の前に、まずはテメーの腐った根性叩き直してこい!」

「……おお、臭い臭い、青臭い……何も知らない子供の理想論は、聞くに耐えませんね」

 

 宗光はこれ見よがしに胸ポケットからハンカチを取り出し、鼻を隠す。

 

「何とでも言え。仮にお釈迦様が、お前の方が正しいと太鼓判を押したとしても、それでも俺はお前を許さねえ。何も知らん人間を騙して利用したり、魂とか命とか、見えないものに対する畏れや敬いの気持ちを持てんような奴は絶対にな!」

「勇ましい事で……どうやらあなたとはお友達にはなれないようだ……殺れ」

 

 宗光の最後の一言は、一際暗く、冷たい響きを持っていた。

 彼の背後から女が現れる。

 青白い裸体を背中合わせにくっつけた二人の女──両面宿儺。

 

「この両面宿儺は、私に従う二人の巫女をベースに、たくさんの浮遊霊を喰わせて育て上げた最高傑作です。あなたの技など通じませんよ」

 

 宗光は自慢気に解説してせせら笑う。

 両面宿儺は横っ跳びで憂助に掴み掛かった。指先には鋭い鉤爪。開かれた二つの口には牙が生えている。

 憂助は木刀を横一文字に振り抜いた。

 しかし宿儺は、迫る一刀に足を掛けて踏み台にして跳躍し、回避した。

 四本の足が槍のように伸びて、憂助の胸板を蹴り抜く。

 憂助はサッカーボールめいて吹き飛び、壁に背中を叩きつけられた。

 両面宿儺が四本の腕を振り上げると、それに従うように室内の調度品が浮かび上がり、ミサイルのごとく憂助に降り注ぐ。

 

「エヤアッ!」

 

 憂助は眉間のチャクラを輝かせ、木刀で虚空を薙ぎ払う。

 ポルターガイストによって飛来した調度品が、その一振りが合図であったかのように、一斉に床に落ちた。

 両面宿儺はよほど悔しかったのか、四本の足で地団駄を踏む──否、それは次なる攻撃だった。

 宿儺の足踏みに合わせて、突如部屋全体が激しく上下に揺れ始めたのだ。憂助はその震動に立っていられず、その場に片膝をつく。

 葵たちもそれぞれ、しゃがむなりうずくまるなりするしかなかった。

 和彦はソファの背もたれに必死でしがみつく。

 それほどの揺れの中でも、神道宗光ただ一人だけが、悠然と立っていた。

 

「イィーーエヤアッ!」

 

 憂助は逆手に持ち換えた木刀で床を突く。

 白光が波紋のごとく床に広がったかと思うと、揺れが収まった。

 

『ギィィィイイイイイッ!』

 

 両面宿儺は、金属をこすり合わせるような不快な唸り声を上げた。

 憂助から見て後ろ側の女が、戦いを見守る葵の姿を目にするや口許を歪めた。笑ったのだ。

 

「きゃあっ!」

 

 葵の悲鳴が闇に響いた。両面宿儺に抱え上げられたのだ。そして憂助目掛けて投げ付けられる。

 憂助はそれを、体全体で受け止めた──が、それこそが宿儺の狙い。邪悪な笑みと共に襲い掛かる!

 憂助は受け止めた葵をどかさねばならないため、対応がワンテンポ遅れる。そう読んでの行動だった。

 その宿儺の前で、葵はペタンと尻餅をついた。

 背後で彼女を抱き支えていたはずの憂助の姿はない。

 宿儺の後ろ側が、驚愕に目を見開いた。突如虚空に白い光が生まれ、その中から木刀を振り上げた憂助が現れたのだ。

 本来、最大の死角である背後の守りも万全なはずの両面宿儺だったが、よもや瞬間移動で現れるなどとは、完璧な想定外である。

 稲妻にも似た面打ちが、前後の身体を一まとめに斬割し、消滅させた。

 

 同時に、闇が晴れた。

 

 神道宗光は、自慢の両面宿儺の敗北を見届けた瞬間、既に逃走を始めていた。

 短い廊下を抜けて、玄関のドアを開ける。

 そこに憂助が、瞬間移動で先回りしていた。

 

「天誅!」

 

 木刀が唸り、宗光の額を割る。

 赤い筋が宗光の顔を伝い落ちた。

 

「かあっ!」

 

 しかし宗光は怯む事なく、右手のひらを憂助にかざす。

 瞬間、不可視の力が彼の全身を打ちのめし、後ずさりさせた。

 その隙に宗光は、何を思ったか中庭に面した手すりに足を掛け、迷わず空中へとダイブした!

 しかし彼の体は地上には落ちない。

 バサバサと激しい羽音を立てて、真っ黒な大鷲が飛び去るのみであった……。

 

 

 崇拝していた男の敗走劇を目の当たりにして放心したままの和彦を放置して、憂助たちは尾川ハイムを後にした。

 

「じゃあまた明日ね、葵」

「何かあったらうちらに言いなよね」

「てゆーかアタシ等の方が、明日マジ遊びに行くよ」

「うん、みんなありがとー。大好き」

 

 途中でギャル友三人と別れた葵。

 憂助は男の義務が半分、ギャル友トリオからのお願いが半分で、葵を家まで送ってやる。

 

 会話はなかった。

 何を言ったところで、自分では何の気休めにもなるまいと、憂助は思っている。そういうのはあの三人に任せるのがベストだろう。

 葵が手を握って来た。

 振り払いたかったが、今日だけは好きにさせた。

 少し歩くと、今度は腕にしがみついて、豊満な胸を密着させてくる。

 デコピンをくらわせようかと思ったが、今日だけは好きにさせた。

 家にたどり着いても、葵は憂助を離さなかった。

 

「おい」

 

 憂助は声を掛けるが、葵は余計に強くしがみつくだけである。

 

「……おい」

 

 やや語気を強める。すると、消え入りそうなか細い声で、葵がつぶやいた。

 

「抱いて……」

「はぁ?」

「今すぐ、アタシを抱いて……和彦さんの事、忘れさせてよ……今日だけでいいの……今日だけ、アタシの彼氏になって……アタシの肉体(からだ)、メチャメチャにしてよ……」

 

 途中からは、嗚咽が混じっていた。

 

「信じてたのに……好きだったのに……赤ちゃん産みたいって思ってた……お嫁さんになりたいって、マジで思ってたのに……こんなのってないよ……あんまりだよ……」

 

 葵はぐずりながら、思いの丈を吐き出す。

 

 好きになった人の事を、そう簡単に吹っ切れる訳がない。

 

 さっき麻希が言った言葉を、憂助は思い出した。

 そして葵の両肩に手を置いて、そのまま抱き寄せ、優しく背中を叩いてやる。

 

「……そーゆー意味じゃなかったんだけど……」

 

 葵は苦笑した。

 夏の暑い盛りである。しかし、憂助の体温が、鍛えた肉体の厚みが、今は心地好かった。

 

「ま、いっか……ありがとね、久我」

「ああ」

 

 憂助はそれだけ答えた。

 そんな素っ気なさも、今の葵には嬉しかった。


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